第117話 黒谷さんの家
翌日、碧は黒谷さんを学校帰りに我が家に呼んだ。黒谷さんは昨日よりさらに元気がなくなっていた。
「毎日、見ちゃうんです。ラップ音もするし、家にいても夜眠れなくて」
そう言った黒谷さんの顔色は悪い。
「ちょくちょくうちに来たら?先輩、このままじゃ体壊しちゃうよ」
碧が心配そうにそう言うと、黒谷さんは嬉しそうに笑った。でも、
「碧君にも迷惑かけちゃうし」
とそう言って首を横に振った。
「迷惑じゃない。その間、俺、勉強教えてもらうし」
「そうよ。家庭教師っていうことで、ぜひ来て。夕飯も食べて行って」
ママも身を乗り出しそう言ったが、
「でも…、母が…」
と黒谷さんは暗い顔をした。
「お母さん、そんなに具合悪いの?」
私が聞くと、黒谷さんは黙って頷いた。
「そう…」
ママは何も言えなくなった。碧もだ。
「明日は大きな病院に行くので、私もついていくんです」
そう黒谷さんが言うと、
「病院って幽霊いるんじゃないの?」
と碧が聞いた。
「います」
「俺、一緒に行こうか?」
「いいです。受験勉強もあるのに」
「平気だよ、1日くらい。それに家に帰ったら猛勉強するし」
「でも」
「俺がそばにいたら、幽霊寄ってこないんだろ?明日土曜だし、一緒に行けるよ」
「碧、塾は?」
「1日くらいさぼっても」
「ダメです。私だったら平気だから」
黒谷さんが必死にそう訴えた。
「私がついていく。ね?私がいたら安心でしょ?」
そう言うと、碧は残念そうな顔をしたけど、
「じゃあ、塾終わって、まだ病院にいるようなら俺も駆けつける」
と、黒谷さんに静かに言った。
「はい」
黒谷さんは頷いて、それからはかなげに微笑んだ。
「ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
「迷惑じゃないって!俺、頼ってもらったほうが嬉しいから」
「……」
黒谷さんは碧を見て、顔を赤らめ、目を潤ませた。
「ありがとう。碧君。先輩」
碧が必死になるの、わかる気がする。本当に黒谷さん、顔色も悪い。それに痩せたかもしれない。
「明日、空君も呼ぶね?」
私がそう言うと、黒谷さんは、
「え?でも、空君も幽霊見えちゃいます」
と困ったような顔をした。
「空は怖がらないから平気だよ」
碧がそう言った。
「それに、空君がそばにいてくれたほうが、私が安心するんだ」
そう私が言うと、黒谷さんはまた、
「すみません。私、いろんな人に迷惑…」
と暗い表情をした。
「ああ、だからさ、迷惑だって思うのやめてくんない?」
碧がそう言うと、黒谷さんはびくっとしながら、
「ごめんなさい」
と謝った。
「ごめんなさいとか、すみませんじゃなくって、ありがとうでいいよ」
碧は、頭をぼりって掻きながらそう言って、照れくさそうに笑った。
「あ、はい。ありがとう…」
黒谷さんは、ちょっと恥ずかしそうにそう小声で言った。
へえ。
碧ってば、黒谷さんの前だと格好つけるし、頼りにされたいのか、大人ぶっちゃったりするんだ。いつも、ものすごくガキ臭いのになあ。
男らしいとか、頼りになるって思われたいのかな、もしや。
あ、それって、空君もなのかなあ。そういえば、頼ってほしいって言っていたもんなあ。
そして翌日。空君と私は、黒谷さんの家にお邪魔した。
ピンポーン。チャイムを鳴らすと、黒谷さんがすぐに玄関を開けた。あれ?また今日も顔色が悪いなあ。
「おはようございます。あの、まだ母が支度ができていなくって、中で待っていてもらえますか?」
「お邪魔します」
まず先に、空君が玄関の中に入った。私もその後ろから入ると、一気に寒気に襲われた。それに、家の中がやけに暗い。
「黒谷さん、廊下の1番奥はなに?」
「…祖父の部屋だったの。空君、やっぱりわかる?」
「うん。やばいね。真っ暗じゃん。中もかなりやばい?」
「怖いからずっと入っていないの」
「祖父っていうとおじいちゃんでしょ?」
「もう、5年前に亡くなってるの。あの部屋で」
そ、そうか。
「突然、ぽっくりと。もしかしたらまだ、こっちの世界を漂っているのかも」
「ラップ音とか、おじいさんの仕業じゃないの?」
「そうかも。でも、最近見る幽霊は、女の人なの。それから、若い男性の霊も出てきたことある」
「あ~~、こんなに暗いと他の霊まで呼んじゃうのかな」
空君はそう言いながら、家の中を見渡した。
その時、
「文江、お友達が来てくれたの?」
と、階段を黒谷さんのお母さんが降りてきた。わあ。前に見た時よりもやつれちゃっている。それから、おばあちゃんらしき人も、お母さんの後から階段を降りてきた。これまた、暗い顔をしている。
どうしたんだ。この家は、みんながみんな、暗いじゃないか。
「支度できた?お母さん」
「できたわ。お友達、わざわざ来てくれたの?申し訳ないわね」
お母さんはそう言って、私たちに向かって頭を下げた。
「あ、そんな気を使わないでください」
私はなんて言っていいかわからず、そんなことを口走っていた。
黒谷さんがお母さんの荷物を持とうとしたが、空君が代わりにそれを持った。
「ありがとう、空君」
「車は?」
「タクシー呼んだから、すぐに来るはず」
そうおばあちゃんが、しゃがれた声で言った。おばあちゃんもお母さんも、背中を丸めている。そして、ずっとうつむき加減だ。
この家、やっぱり、このままほおっておけない。このままだと、おばあちゃんまで病気になるかも。ううん、黒谷さんだって。
「空君、ちょっとだけ家に上がっていい?」
「え?」
「ちょっとだけ…」
「うん」
空君は持った荷物を玄関に置くと、
「お邪魔します」
と靴を脱いで家の中に入った。私も空君の腕に引っ付きながら、一緒に家に上がった。
「あ、あの、先輩?」
黒谷さんが真っ青な顔をして、私のことを呼んだ。
「え?何?」
「…い、今、先輩の近くに…」
「うん。寒気がするからわかってる。寄って来てるでしょ?」
「大丈夫なんですか?」
「うん」
その時、パシッと大きなラップ音が家の中からした。
「きゃ」
耳を塞いで黒谷さんがしゃがみこんだ。でも、おばあちゃんとお母さんは、何も聞こえていないようだった。
「空君、行くよ」
「うん」
私たちは廊下の一番奥の部屋に向かった。
「先輩、開けたらダメです。そこ、本当に怖いですよ~~」
黒谷さんが、声を震えさせてそう言った。
「おじいちゃんの部屋に何か用なの?」
お母さんが私たちの後ろから着いてきて、そう聞いてきた。
「お母さん、その部屋は入ったらダメだって」
「文江、いい加減にして。幽霊が出るだのなんだのって、そんなことばっかり言って」
お母さんがきつい口調で、黒谷さんにそう言った後、ゴホゴホと咳き込んだ。
「お母さん…!」
黒谷さんが、お母さんを心配そうに呼んだ。でも、そばに行こうとしない。
「あ…」
空君がお母さんの後ろ辺りを見て、眉をひそめた。
そうか。きっと、お母さんに霊が寄ってきちゃってるんだな。
「空君、開けるよ」
私は空君の手を握りしめ、奥の部屋のドアを開けた。中からものすごく寒い空気が流れだしてきた。
でも、私と空君は部屋の中にどんどん入って行った。
「暗い。この部屋」
「うん。いるからさ、おじいちゃんの霊」
「いるの?」
「凪、抱きしめちゃってもいい?それもかなり強く」
「え?」
いいと言う前に、空君が私を思い切りハグしてきた。
わわわ。ドッキン!
と、その拍子に私から、ものすごい光が飛び出したのが見えた。
「わあ!」
玄関から、黒谷さんがまぶしそうな顔をしてこっちを見ている。
「すごい光が、家中に…」
ぱあっと、おじいちゃんの部屋は明るくなった。それに、寒い空気は一気にあったかくなり、綺麗な光がきらきら光りながら、お母さんのもとに行き、そのあとおばあちゃん、そして黒谷さんのそばを通り、天井に光が吸い込まれていった。
黒谷さんは涙を流している。
「あら?」
お母さんとおばあちゃんは、背中を丸めていたのに、まっすぐにして、
「なんだか、あったかい。それに、体が軽くなったわ」
と、不思議そうな顔をした。
「おじいちゃんと一緒に、数人、成仏しちゃったよ」
空君が私から離れてそう呟いた。ああ、離れちゃった。空君に抱きしめられて、嬉しかったのになあ。
「先輩!」
玄関から黒谷さんがすっとんできて、私に抱き着いてきた。
「な、何?」
「ありがとうございます」
そう言うと黒谷さんは、泣き出してしまった。
「う、うん。もう大丈夫だよ。ね?空君」
「うん。家、すごく明るくなったしね。お母さんやおばあちゃんの表情も違うし。これで、案外お母さん、元気になっちゃうかもね」
「はい」
そうは言っても、お母さんは検査入院をするため、タクシーに乗り込んだ。助手席に空君、後部座席に私、黒谷さん、お母さんが座った。
「頭痛治っちゃったわ。どうしたのかしら」
お母さんはそんなことを黒谷さんに言っていた。黒谷さんの顔色も、よくなっていた。
病院に着いた。受付に行って、お母さんが受付をしている間、私たちは待合室で待っていた。
「病院、嫌いです。特に、大きな病院って」
明るくなった顔をまた暗くさせ、黒谷さんが俯いた。
「見えたの?霊」
「はい」
「空君も見えるの?」
「ああ、うん。でも、そんなに怖くないよ。すうって壁を通り抜けて行ったくらいで」
そうなんだ。私、本当に見えなくてよかったなあ。
お母さんの受付が済むと、看護士さんに案内され、私たちはお母さんが入院する病室に行った。エレベーターを乗っても、廊下を歩いていても、黒谷さんは俯いたまま。表情はどんどん暗くなっていく。
「大丈夫?」
私は黒谷さんに聞いた。黒谷さんは何も答えなかった。
病室につき、お母さんのベッドに案内された。黒谷さんは、病室から廊下を見て、
「あ」
と怯えた顔をして、すぐに私の後ろに隠れた。
「空君、なんかいるの?」
「うん。覗き込んでる女の子がいる。色が白くて、髪が長くて、白い服を着て…」
「女の子?」
「まだ、小学生くらいかな。目が真っ黒で、ちょっと不気味かも」
「空君、来て」
私は空君の手をひっぱり、廊下に出た。
「あ、今、凪のすぐ隣に…。いや、凪に抱き着いちゃった」
「え?」
「さっきまで、不気味だったのに、今は凪に甘えてるみたいに、目が潤んじゃってるよ」
「そう。じゃあ、きっと私に助けてほしいんだよね?」
「成仏したいんだと思うよ」
空君の言葉を聞き、私は空君の腕にしがみついた。そして、空君の顔を見て、空君の優しいあったかいオーラを感じた。空君も、私の背中に腕を回し、私を抱き寄せてくれた。
ドキン。空君、今日も可愛い。
ブワッ!!!
光は一気に廊下全体を包んだ。そしてキラキラした光がそこらじゅうに飛び回り、回転しながら天井に向かっていった。
「あ~~~。すげ~~」
空君はその光景をまぶしそうに見た。そして、
「あの子も、にこにこしながら光になっちゃった」
と、天井を見上げた。
「成仏できたかな」
「うん。できた。凪にお礼言ってた」
「聞こえたの?」
「うん。ありがとうって」
そうか。空君、聞こえるようになったんだ。
「先輩…」
病室の中から、黒谷さんがやってきて、私の腕にしがみついた。
「え?」
「すごいです。このフロアー、一気に明るくなっちゃいました」
「…もう大丈夫?黒谷さん」
「はい」
「あ、見て」
病室の中ではお母さんが、同室の人ともう笑顔で話している。
「あれ?ここにいる人、みんなもっと深刻そうな顔をしていたのに、今、和やかだ」
空君がぼそっとそう言った後、私の耳元で、
「凪マジックだね」
と囁いた。
「やっぱり、先輩、すごいです」
黒谷さんが目をキラキラさせながら私を見ている。
でも、私、なんにもしていないんだけどな。空君のオーラ感じて、幸せになっていただけだよ。
その幸せが、みんなに伝染しちゃうのかな。
お母さんの表情はすっかり明るくなっている。
「この分なら、検査しても、どこにも異常がなくって、すぐ退院じゃない?」
空君が黒谷さんにそう言うと、黒谷さんは嬉しそうに頷いた。
「さ、俺ら帰るよ。黒谷さんも、病院に残るの嫌だったら、一緒に凪の家に行かない?」
「え?」
「お母さんだったら、大丈夫だと思うよ」
空君の言葉に、黒谷さんは頷いて、お母さんに私の家に行くとそう告げに行った。
「あ、泊まっちゃえば?あの、黒谷さんのお母さん、今日、黒谷さん、うちに泊まらせたらダメですか?」
私はつい、そんなことを言い出してしまった。黒谷さんの家、もう幽霊もいないし大丈夫だというのに。
「そんなの、お宅に悪いですから」
「いいんです。母も父も、喜びます」
さすがに弟も喜ぶとは言えないけど。
「いいのかしら、甘えちゃって…」
「大丈夫です」
そう言うと、お母さんはお願いしますと深く頭を下げ、
「今度の学校は、本当にいい先輩がいて、良かったね、文江」
と、ちょっと涙ぐんでいた。
黒谷さんも、私を見て、目を潤ませている。
それから、私、空君、黒谷さんは病院を出て、近くのバス停で駅行きのバスを待った。
「碧、喜んじゃうな~~。だって、黒谷さんが泊まっちゃうんだもん」
「私、碧君の勉強の邪魔じゃあ?」
「教えてあげたらいいじゃん。勉強」
空君がそう言うと、黒谷さんはコクンと頷いた。
「空君も泊まっていく?」
「俺はいい。碧に邪魔だって言われそう」
「そうかなあ。空君は碧の部屋、黒谷さんは私の部屋に泊まればいいじゃん」
「……凪」
「え?」
空君は頬を赤くさせ、
「その逆にはならないよね」
と言ってきた。
「逆?」
「泊まる部屋が」
え?もしや、空君が私と、黒谷さんが碧とってこと?
「ならないよ。そんなわけないじゃん」
そう私はあわてて言った。黒谷さんはきょとんとしている。
「うん。よかった。逆になるんだったら、俺、泊まれないから」
え?そうなの?
う、うん。そうだよね。そりゃそうだ。空君が私の部屋に泊まるってなったら、いろいろと困っちゃうよね。
「……」
何も言えず、黙りこむと、
「凪、ごめん。変なこと言って」
と空君が謝ってきた。
黒谷さんは、まだきょとんとした顔で私たちを見ていた。




