・クァルテと宰相
咲良がこの世界に来て半年ほど経ち、ようやく言葉も憶えて、心強い仲間もできた頃、クァルテと王の補佐をしている宰相は仲が悪かった。
いや、仲が悪いというより、宰相がクァルテを一方的に嫌っているようだった。
「まったくお前は、まだそんな喋り方をして、恥ずかしくないのか!」
「…………うん、ごめんね」
「お前のような奴が、軍人など務まるのか?」
「…………うん……」
「軍人など止めて、さっさと田舎にでも篭ってろ」
「……………………」
最初、廊下で何の反論もしないクァルテに、そんな暴言を吐いている宰相を見たとき、咲良は心底腹が立った。
クァルテは、この世界に来て右も左も分からなかった頃から、何かと咲良の面倒を見てくれる兄(姉?)のような存在だった。
そんな彼が、同じくらいの身長の宰相を前に、体を縮こまらせて俯いている姿は、見てられなかった。
だから、クァルテから離れた宰相を追いかけて、文句を言ってやろうと思って、足を踏み出そうとしたとき、未だその場に俯いて立ったままのクァルテを、ちらりと肩越しに盗み見た宰相の表情に、目を瞠って立ち尽くしてしまった。
そこは、二つの建物を繋ぐ渡り廊下で、咲良は渡り廊下が面していた中庭から、たまたま見かけた二人の様子を窺っていたので、クァルテも宰相も咲良の存在に気づいていないみたいだった。
そのため、その場でその宰相の表情に気付いたのも、咲良だけだった。
咲良はその後、王に、宰相はどんな人物かを聞きに行った。
「何故そんなことを聞く」「あいつが気になるのか」としつこく問い質してくる王に対し、繰り返し宰相への好意を否定しつつ、簡単に事情を説明すれば、王は未だ不服そうな顔をしながらも、宰相とクァルテのことをいくつか教えてくれた。
王に聞いた話によると、クァルテと宰相は、共に幼い頃親を亡くし、孤児院にいたらしい。
しかし、ある時、宰相は子どものいなかった有力貴族のもとへ養子として引き取られ、その後二人は会っていなかったのだが、宰相はやがて王の補佐として城にあがり、その後軍人になったクァルテと再会したのだそうだ。
そして、再会した時から、二人はあんな様子らしい。
孤児院にいた時の二人がどのような関係だったのか、そこまでは王も知らないとのこと。
けれど、その後に王が話してくれた話に、咲良はやっぱりね、と頷いたのだった。
後日、咲良はお節介かもしれないと思いつつも、クァルテが悲しそうにしている姿を見たくなかったので、思い切ってクァルテに宰相のことを問いかけてみた。
宰相の話が出た途端、クァルテは顔を曇らせ、寂しそうな笑みを浮かべながら、ぽつりと呟いた。
「あたしがこんなんだから、嫌われちゃったんじゃないかしら」
そんなクァルテに、咲良はあることを持ちかけた。
ある日、クァルテは以前と同じ渡り廊下で、宰相に出くわした。
そして、クァルテと、クァルテの二の腕に巻かれた包帯を見た宰相は、ぐっと眉間に皺を寄せ、クァルテを睨みつけた。
「怪我をしたらしいな」
「……ええ」
クァルテは気まずそうに、包帯が巻かれている腕を手で擦った。
それは、数日前の訓練で、武器の操作を誤った部下を庇って負った傷だった。
「そんな状況で、訓練など出来るのか」
≪訓練なんかして、もう怪我は大丈夫なのか?≫
宰相の声に被るようにして、クァルテの頭の中にクロラムフェニルヴァイトの声が響いた。
その声に、クァルトはさり気なく宰相が歩いてきた側の、建物の影に目を向けた。
そこには、トーテムポールのように縦に並んだ咲良とクロラムフェニルヴァイトが、こっそりと顔を覗かせていた。
ちなみに、にっこり笑顔の咲良が上で、呆れ顔のクロラムフェニルヴァイトが下である。
実は今回咲良が提案したのは、宰相の本音――というか宰相の言葉を、咲良が解釈したもの――を、クロラムフェニルヴァイトが、その相手の頭の中に語りかけるという能力で、クァルテに伝えるというものだった。
咲良曰く、宰相は、自分の気持ちを素直に口に出来ず、ついきつい口調になってしまっているだけで、決してクァルテを嫌っているわけではない。なので、試しに自分が宰相の本音と思われるものをアテレコしてみせるので、その言葉を聞きつつ、宰相の表情をよく見てみてほしい、とのことだ。
とりあえず、一度自分を信じてほしい、という咲良の言葉に、クァルテは首を傾げながらも頷いたのだが。
「そんな状況で訓練に戻ったとしても、他の者の迷惑になるだけだろう」
≪怪我がちゃんと治るまで、休んでいた方がいいんじゃないか?≫
きつい眼差しで、クァルテを睨みつけながら言われる言葉に、咲良の意訳はやっぱり間違っているのでは、とクァルテはひっそりと苦笑いを浮かべた。
「大体、訓練で怪我をするなど、軍人に向いてないんじゃないのか」
≪そもそも、君に軍人なんて危険な仕事は向いてないんだよ≫
「どこか安穏とした辺境にでも引っ込んでた方が、よっぽど国のためになるだろうな」
≪もっと安全なところで、ゆっくりと暮らしてほしいんだ≫
それでも、顔を背けながらそう言葉を紡ぐ宰相を、クァルテは咲良に言われた通り、俯いたままひっそりと上目づかいで盗み見ていたのだが、そこでふと宰相の耳が赤いのに気が付いた。
眉間に皺を寄せ、顔は不機嫌そうなままで話し続けているので、興奮のあまり赤くなっているだけなのかもしれないとも思ったが、その頬もうっすらと赤くなっていて、これはもしかして、と、クァルテは咲良の意訳の言葉を胸の内で反芻した。
もし、咲良の意訳が正しいのならば、宰相は自分のことを…………。
「……心配してくれてるの? ……ありがとう」
そう言って、微かに笑ったクァルテに、宰相はボンッと音でもしそうなほどに、一瞬で顔を真っ赤に染めた。頭から湯気が出ていてもおかしくないほどに、赤くなって狼狽えている。
「ばっ……馬鹿か! 自惚れてんじゃねーよ! まったく、お前は……い、いつからそんな、都合のいい頭にっ……!」
おたおたとクァルテを見ながら、かつてない慌てようで早口に言葉を紡ぐ宰相に、クァルテは咲良が言っていたことが間違ってはいなかったことを悟った。
いつもはつんとして冷たい表情の宰相が、顔を赤くして目線を彷徨わせている様子に、クァルテはついくすりと笑ってしまう。
そんなクァルテの笑みを見た宰相は、むっと口を引き結んで。
「何が可笑しいんだ! ……もう、お前など知らん!」
そう大声で言って、クァルテの横を通り過ぎ、つかつかと足音も荒く歩いて行こうとする。
しかし、数歩歩いたところで、ぴたりと足を止め、気まずそうな表情でクァルテを振り返った。
そして、胸元から何かを取り出すと、また荒い歩調でクァルテの前まで戻って来る。
「うちの主治医が調合した薬だ! た、たまたま余ったから、お前にくれてやる!」
強い口調でそう言って、クァルテの手にその薬の入った袋を押し付けると、くるりと踵を返して、今度こそ振り返ることなく廊下の向こうの建物の中へと消えて行った。
一方のクァルテは、しばらくぽかんとした表情で、手元の薬の入った袋を見ていたが、やがてゆっくりと顔を上げて、咲良達の隠れている方に目をやった。
するとそこには、相変わらずトーテムポールのような状態のまま、ニッと満足げな笑顔で、ぐっと親指を立てている咲良と、苦笑いを浮かべているクロラムフェニルヴァイトがいた。
「よくあいつの考えてることが分かったわね。すごいわ、さくらちゃん!」
その後、三人で囲んだお茶の席で、クァルテが感嘆の籠った溜息を吐きながらそう言うと、咲良はふふふと嬉しそうに笑いながら。
「私のいた世界にも、あんなタイプの人がいるの。照れ隠しで、つい思いとは別のことを言ってしまったり、きつく当たってしまったりする、いわゆるツンデレってやつね。身近では初めて見たけど!
最初は、クァルテと話した後、宰相様がひどく落ち込んだ表情を浮かべていたのが気になったんだけど、陛下の話を聞いて確信したのよ」
「陛下の話?」
お茶の入ったカップを手に首を傾げたクァルテに、咲良は面白そうに笑いながら、その内容を口にした。
「たまに、こっそり陛下と宰相様が酒盛りをすることがあるらしいんだけど、酔っぱらった宰相様は、クァルテと話した日はいつも決まって、『なんで俺はあんな言い方しかできないんだ……!』って頭を抱えていたり、『あいつは昔は喧嘩が嫌いですぐに泣いてたのに、軍人なんて……』って呟いてたりするんですって」
咲良の言葉に、クァルテは驚きに目を瞠った。宰相が酒を飲むということも信じられなかったが、酔っぱらってそんなことを言っていたのかと、胸の奥がくすぐったくなる。
「ちなみに、クロラムさんみたいに、普段は女ったらしでスケベでだらしないんだけど、いざというときは頼りになる面倒見のいい兄貴! っ的なタイプは、ギャップ萌えってやつですかね」
「うっせえ」
宰相からもらった薬袋を眺めながら、そっと笑ったクァルテの横で、咲良がクロラムフェニルヴァイトの頬を突きながら、そんなやり取りをしていた。
そして、今では。
「ねえねえ、今夜一緒に飲みに行きましょうよ~」
「お前と違って、俺には仕事が山積みなんだよ」
「じゃあ、いつものお店で待ってるから」
「おい、俺は行くとは言ってないぞ!」
「そう言いながら、来なかったことないくせに~♪」
と、廊下ですれ違う際などに、仲良く話す二人が見られるようになったとか。
ちなみに、二人のはただの友情です。念のため……;




