・王妃(未)の嫉妬
その日、心地よい暖かさの日光が燦々と降り注ぐ城の中庭で、咲良は固まっていた。
その目線の先は、中庭に面した渡り廊下であり、そこに佇む一組の男女に向けられていた。
長身の、多くの女性の心を奪ってきた見目麗しい美丈夫の胸元に、彼の胸ほどの身長の、赤色の髪が美しい女性が顔を付けている。
一方の男性も、女性の括れた腰の辺りに手を置いている。
一見すると、白昼堂々の、美しい男女のラブシーンである――のだが。
咲良の位置からは、女性の背中と、彼女を抱き寄せる男性の顔が正面から見えた。
さらに、その男性の顔には思いっきり見覚えがあった。
それは、普段から何かと咲良に構い、愛を囁いてくる、この国の王であったからだ。
そして、そこは固い貞操観念のもとで育ってきた咲良である。日ごろから自分を好きだの愛しているだのと口説いてくる、しかも咲良も憎からず思っている相手が、見知らぬ女性と抱き合っている姿を見れば、それなりにショックなり嫉妬心なり、湧き上がってしかるべきなのだが。
そのラブシーンを見た咲良は、固まりはしたものの、特に嫉妬心などは生まれてこなかった。
何故ならば――――。
(み……見てる。めっちゃ見てる!!)
女性を抱き締めている王の顔が、しっかり咲良の方に向けられていたからだ。
仮にも身を寄せ合う男女ならば、腕の中にいる女性の方に顔を落としているのが普通であろう。
しかし、王は顔を上げ、顔も目線も微動だにせず咲良に向けられているのだ。まるでその一挙一動を観察するかのように。
咲良は蛇に睨まれた蛙のごとく、冷や汗をだらだら流しながら固まっていた。
(……え? 何これ? もしかして、嫉妬イベント? しかし、この状況だとどう考えても嫉妬心なんて浮かび上がって来ないんだけど。むしろ、陛下が抱き寄せてるのが人形に見えてきた……それはそれで危ない人だけど。いやいやいや、どうせならもうちょっと意味深な雰囲気を出すとか! 顔も無表情だし。女性との逢瀬を見られて、あ、やべ、って焦った顔でもないし! あああ、どうしろと? この状況を、私にどうしろと!?)
足はその場に縫い付けられているかのように動かないし、目線も王の眼力から逃げられないしで、咲良は必死に、この場合の無難な対処法を考えていた。
対処法1は、何事も無かったかのように、このままここを通過する。
対処法2は、顔を青くしショックを受けたふうを装って、逃げるように早足でここから立ち去る。
対処法3は、嫉妬に顔を赤くし、王と女性との間に割って入る。
(いや、まず1はやばい。このまま素知らぬ顔をして通り過ぎたら、無視されたと怒り狂った陛下に後で何されるか分からないし。いじけられても厄介だし。
3もなぁ。なんて言いながら割り込めばいいの? 「私の陛下に触らないでぇ~!」とか? あ、無理。私のキャラ的に無理。そもそも、嫉妬で怒った演技が私に出来るとは思えない。
やっぱり、2がベストかしら。一応の嫉妬心をアピールしながらも、無難にこの場を立ち去れるし。よし、じゃあ、頑張ってショックを受けるぞ! えっと、昔見たグロい映画のシーンでも思い出せば…………う、本気で気分が悪くなってきた……)
しかし、なんて手のかかる子……! と思いながらも、咲良が王から視線を外して俯き、口元を押さえて立ち去ろうとしたとき、目の前がふっと陰った。
「あれ~? 君、どうしたの? 気分悪いの?」
いかにも軽そうな声に、咲良が顔を上げると、そこには坊ちゃん風の、細身のへらへらした身なりのいい男が立っていた。
「……いえ、大丈夫です。このまま部屋に戻りますので……」
お気遣いありがとうございます、と対処に困りながら、咲良が小さな声で答えると、男はぐっと咲良の肩を掴み。
「じゃあ、ぼくが送って行ってあげるよ~。途中で何かあったら大変だしね~」
言っていることは親切かもしれないが、その顔はにやにやと咲良を見回し、肩に置かれた手も、肩と腕の辺りを行ったり来たりと、動きが怪しい。
その馴れ馴れしい様子がやけに粘っこくて気持ちが悪く、咲良がぐっと顔を上げて断ろうとしたとき。
咲良は、再びぴきーんと固まった。まるでメデューサに石にされたかのごとく、見事に固まった。目線は男の背後に固定されたままである。
冷やりと冷たい空気が頬を撫でた、気がした。
自分を見上げたまま動かなくなった咲良に、男が不思議そうに首を傾げながらも、咲良の腰に腕を回そうとした、のだが。
次の瞬間、咲良の目の前から男が消えた。
時を置かずして、中庭の端、城壁に添って植えられた木々の方から、バキバキと枝の折れる音と葉の擦れる音が聞こえてくる。
そして、咲良の視界は、精巧な装飾がなされ、質のいい布で仕立てられた服を纏った、冷徹な目の王で埋まっていた。
腰の剣は抜かれた様子が無いから、きっと蹴りであの男を吹っ飛ばしたのだろう。
何を隠そうこの王は、剣術よりも蹴り技の方が得意なのだ。その長い脚から繰り出される蹴りは、目にも留まらぬ速さと生身とは思えない威力で、並み居る敵をなぎ倒す。さらに、そこに魔法を使って強化すれば、鉄を砕き、剣ですら弾いてしまうほどである。
以前、その足技を見た咲良が、かっこいいと褒め称えたため、次に戦に出た時は、足技で戦うと宣言したこともあるのだ。
さすがに一国の王が、先陣を切って敵兵を蹴り飛ばす姿はいかがなものかと、宰相達を悩ませることになったのだが。
目の前に立ちそびえる王の目線は、茂みに弾き飛ばされた男の方に向けられており、すっと細められた目と、ゆらりと動いた体に、咲良は男の命の危機を察した。
慌てて、王の手をがしりと両手で掴む。
身長の違いから、見下ろすように向けられた薄氷色の瞳に、咲良は必死に表情筋を動かしてにこりと笑い。
「え、えっと、私これからお茶にしようと思うんですけど、陛下も一緒にいかがです?」
見知らぬ彼の身の安全が確保されるまではこの手は離さないぞと、ぎゅっと握り込まれた手と、咲良の顔を交互に見た王は、「そうするか」と素直に頷いた。
その意識から先ほどの男のことが抜けたことが分かり、咲良はほっと息を吐いた。もともとあまり他人に興味のない王である。その他人を意識から排除してしまえば、これ以上危害を加えることは無いだろう。
踵を返す時に目の端に映った、さっきまで王が抱き締めていた女性と、茂みに埋もれた男に、心の中で詫びつつ、王の手を引きながら、中庭の奥、イスとテーブルの備え付けられた白磁の小屋の方へと歩き出す。
「今日のお茶請けは、女官のみんなと作った地球のお菓子なんですよ」
楽しそうに話す咲良に、王も柔らかく目元を緩めた。咲良の手を、包み込むように握り締める。
そのお菓子の主な部分はモクレンが作ったのだが、そのことを口にしなかったのは、英断であったと言えよう。
仄かに花の香りのする風が、仲良く手を繋いで歩く二人を心地よく包む。今日も平和な一日だった。
(結局、嫉妬イベントは完了したことになるのかしら……?)
咲良はそっと首を傾げた。
王様は、たまに愛ゆえの不可解な行動をします。




