第88話 炭の騎士
「な、なんなんだ……お前は……?」
「さてな。≪さまよう鎧≫と聞いているが、本当のところは誰にもわからんさ」
驚愕するレックスの方へとアレクセイは歩みを進める。
その手には真っ黒な刀身を持つ剣が握られていた。折れてしまったマクロイフの大剣が変化した、炭の如き直剣である。そこに赤熱する炎は、あたかもアレクセイの内心の静かな怒りを表しているかのようであった。
再び形を取り戻した剣も、背中にたなびくマントも、これらが復活した理由はアレクセイには分からない。だが今はそんなことなどどうでもよかった。人の姿も誇りも捨て去ったこの男を葬るには、武器が必要であったからだ
と、一歩一歩その距離を詰めていたアレクセイが足を止めたのは、そんなときである。その視線の先で僅かに動くものがあった。その正体を見て、アレクセイは低く唸る。
「む……確かに仕留めたと思ったのだがな」
「無論、そうだとも」
そう言って起き上がったのは、紫の騎士であった。男の胸には確かに、先ほどアレクセイが投擲した槍によって穿たれた大穴が開いていた。頑丈そうな紫の鎧は捲れ上がり、そこから僅かに見える青い肌からは夥しい血が流れている。易々と起き上がれるものではないはずだ。
「この鎧の装甲を貫くとは……貴様、只者ではないな?」
「お前もな」
そうしてアレクセイが見ている前で、男の鎧がめきめきと音をたてて直っていく。驚くべきことに、鎧がひとりでに修復されていったのである。そうして僅かな時間で大穴は塞がってしまった。それに見たところ、騎士自身の傷さえも治癒したようである。
「ククク……たとえ腹が裂かれ骨が砕かれようとも、この鎧の前では意味を成さぬ」
アレクセイは紫の騎士が誇る傷一つない鎧をじっと見つめていた。鎧はおろか装着者の傷すらたちどころに直してしまうとは大した呪物であるが、それをどこかで見た覚えがあった気がするのだ。そこで先ほど見えた男の青い肌を思い出して、アレクセイははたと思い立った。
「そうか……それは≪暴魔の鎧≫であったか」
「……なに?」
それまでどこか余裕ぶっていた騎士が、僅かに警戒した声で反応を返した。
≪暴魔の鎧≫は、かつて魔王に率いられていた魔族の騎士たちが身に着けていた鎧である。人よりも優れた魔力と身体能力を持つ彼らの中でも、特に精鋭とされていた魔王の近衛騎士たちが装備していたものだった。
その鎧はミスリルよりも更に強固と言われたアダマンチウムで造られていて、前述の回復能力によって文字通り彼らを不倒の騎士へと変えていた。アレクセイ率いる重装騎士団も戦の中で何度も剣を交えており、相手が手練れ揃いだったこともあって自身も苦戦させられたものである。当時の彼らの鎧は紫色ではなかったが、細部の意匠には共通した部分が見られた。
そしてそんなものを、只の人間が纏っているわけがない。無論青い肌の只人などいようはずもないだろう。目の前の男はまず間違いなく、魔族であると思われた。
「ふむ、魔族が王の復活を願うのは道理よな」
魔王の復活をもくろむ連中がいると聞いた時から、そのような予感はしていた。ただの人間である伯爵が黒幕だとは端から考えてはいなかったし、"客人"の存在をフリアエから聞かされたときから、背後で糸を引く者がいるとは思っていた。
「この鎧のことを知っているとは、一介の冒険者にしては物を知っているようだな。だがそうであったとしても関係なきこと。腕に覚えもあるようだが、我とこ奴を相手に一人で挑もうなどとは、人間はやはり愚かだ」
紫の騎士はそう言うと剣を構えた。恐らくはそれも魔剣の類であろう。禍々しい瘴気を上げるそれは、明らかに只の剣ではなかった。
「安心しろ、まだ殺しはしない。貴様には鱗の在処を吐いてもらわねばならん。もっとも、この迷宮のどこかにまだいるだろうがな」
やはり相手は鱗を諦めてはいないようだ。とはいえ、あちらから手加減してくれるならばかえって好都合だ。その余裕という油断を突いて叩き潰すのみである。アレクセイの方はこの連中を生かしておくつもりはさらさらなかった。
「戦場にありながら殺す気なしとは恐れ入る。だが生憎とこちらにその気はない。お前のような男は問い詰めても何も吐かぬだろうから、ここで潰させてもらうぞ」
「貴様……」
アレクセイの人を喰ったような言い草に、紫の騎士は気色ばむ。
アレクセイは徹頭徹尾騎士であるので、あまり細かい事は得意ではない。口の堅そうな相手を前に、うまく情報を聞き出せるような自身はなかった。拷問吏というのもあれで技術がいる仕事なのだ。なのでアレクセイにできることといえば、速やかに紫の騎士を排除し、レックスを討ってフリアエの望みを叶えてやることだけだった。
「さて、ではまずはお前からかかってくることだ。私が用があるのはそちらの男なのでな」
「後悔するなよッ!人間ッ!!」
言うや否や、紫の騎士が剣を手に地を蹴った。全身鎧を纏っているとは思えぬ、軽やかな動きである。
アダマンタイトは高い防御力を持つ鎧であり、オリハルコンほどでないにせよ相応の重量がある。滑るように肉薄してくるその身体さばきは、騎士が並々ならぬ腕前を持つことの証左と言えよう。
(だが、あの頃の者たちとは比べるべくもない)
アレクセイはまるで動じることなく、振るわれた騎士の一撃を躱してみせた。
「くっ!?」
渾身の一撃が外れたのを見るや、紫の騎士は続けざまに連撃を放つ。鎧と同じ色に輝く刃が、何本もの紫の筋を宙に描いていく。だがそれら全てがアレクセイの鎧を傷つけることはなかった。アレクセイは盾すら構える事なく、半身を反らすことで相手の斬撃を回避してみせたのである。
「キ、貴様……」
飛びずさって距離を取った紫の騎士が、悔し気な声を漏らす。それとは対照的にアレクセイは至極冷静に相手の力量を推し量っていた。
「なるほどな……いや、何も言うまい。私の相手はお前ではないのだ。ここで退場してもらおうッ!」
今度はアレクセイが力強く大地を蹴った。放たれた弓の如く、漆黒の巨体が紫の騎士に迫る。盾を背負ったままアレクセイは両手で剣の柄を握ると、強烈な横薙ぎの一撃を見舞った。赤熱する炭の如きアレクセイの大剣が、防御する騎士の魔剣に叩きつけられる。するとまるで溶けるように魔剣が断ち切られ、炭の刃が≪豪魔の鎧≫へとめり込んだ。
「がっ!?」
そしてアレクセイの剣は鎧をも易々と切り裂き、反対側から振り切られたのである。
「バ……カな……」
「ふむ、その状態からでも元に戻ろうとするとは、やはり恐るべき呪物であるな」
夥しい血が溢れる男の腹のあたりから、パキパキという音がする。炭の剣によって紫の騎士の身体は上下に分かたれたが、≪豪魔の鎧≫はそんな状態からも破損部位を修復しようと蠢いているのである。焼き切るように両断したせいで、かえって綺麗に切断しすぎてしまったのかもしれない。
「ならばもう一太刀入れさせてもらうぞ!」
アレクセイはそう言うと、大上段から騎士の脳天目掛けて剣を振り下ろした。その一撃はまたも相手の身体を両断する。今度は縦に、である。剣を引いたアレクセイは、いまだ立ったままの相手の額に指を添えた。
「散れ、悪魔の騎士よ」
そうしてその身体を軽く押してやる。すると、紫の騎士の身体は綺麗に四等分されてその場に崩れ落ちた。大量の血だまりから覗いた騎士の半分の顔は、ただただ驚愕の一色に染まっていた。
「は、ハハ……や、やっぱ口だけだなぁお客人はよぉ」
多頭竜と一体化したレックスが、乾いた笑い声を上げる。最初のあたりでは、レックスは腕を組みながらいやらしい笑みを浮かべて両者の戦いを眺めていた。そこに自分も加わろうとしなかったのは、紫の騎士への反感か、はたまたうまく漁夫の利を得ようとでも思っていたのか。しかし紫の騎士がアレクセイに瞬殺されたのを見て、ようやく己の命の危機を実感し始めたようであった。それでも憎まれ口を叩くだけの気概は、称賛してもよいかもしれない。
そんなレックスは一旦置いておき、アレクセイは眼下の騎士の死体に目をやった。
「これがこの時代の魔族の騎士、か……」
紫の騎士は、決して弱かったわけではない。
この男がしっかりと剣の修練を積んでいることは、その太刀筋を見て分かった。その剣自体もなんらかの力を持つ魔剣であろうし、高い防御力と回復力を持つ≪豪魔の鎧≫は非常に厄介な代物だ。本人の実力と装備を見れば、かつて魔王に率いられた魔族の騎士たちとほとんど差支えがないと言っていいだろう。
(だが肝心のものがない)
アレクセイはそれを看破していた。それは"殺気"である。
あるいは"覚悟"と言い換えてもいいだろう。相手を殺す覚悟、相手に殺される覚悟。そういった戦場に立つ者にとっては持ってしかるべきものが、この男からは感じられなかったのだ。
(おそらくは、奴が魔族であることが原因であろう)
かつて魔族は人との戦いに敗れた。連中を率いていた魔王が勇者によって討ち取られ、残った残党たちも勝者である人間たちに狩られていったという。それ故にこの世に彼らの居場所はなく、その生は常に人の眼から逃れるようなものだったことだろう。
ではそんな陰の存在である彼らに、実戦で己の腕を磨く余裕があっただろうか。追う者を全て斬り伏せながら生き続ける、そんな剛の者もどこかにいるには違いない。だが目の前の男は、そうではなかったはずだ。
そうであればアレクセイのような強者を前にして「生かしておく」などと言えるはずがない。
先の槍の投擲にしても、紫の騎士は避けもぜずにその胸で攻撃を受けた。それは≪豪魔の鎧≫に対する絶対の信頼があったからなのかもしれないが、命を賭けた戦いにあってはありえない振る舞いだ。
アレクセイとて、聖竜の鎧の防御力には大きな信を置いている、だからといって無防備に相手の攻撃を受けたりはしない。そうでなければわざわざ動きの制限される大盾など持ちはしないし、受けるにしてもそれは"防げる"からそうするのだ。そこのところの判断を間違えたからこそ、アレクセイは命を落とすことになった。戦いとは一瞬一瞬の判断が要求されるものであり、そこに絶対などというものはありはしないのである。
これはアレクセイの所感でしかないが、紫の騎士の総合的な力量はラゾーナのギルドマスターであるセリーヌ以上、スキル教官のアネッサ未満といったところだろう。装備の質は素晴らしいが、日夜生死を賭して迷宮に潜っている彼女らに比べれば、明らかに場数が足りないものと感じられた。
「要は気迫が足りないというところだな……さて、待たせたな」
紫の騎士に対する思考を切り上げると、アレクセイはレックスの方へと頭を向けた。多頭竜の上のレックスはこちらに対して完全に怯んでいる様子である。九つの蛇の頭でさえも、恐れおののくように首をくねらせている。まるでレックスの畏怖の感情が伝播したようであり、これならば融合前の方が勇猛であったくらいだろう。
「フリアエには、お前を討つと約束した。観念してもらおう」
「クソッ!折角力を手に入れたってのに、みすみすやられてたまるかッ!」
やけくそ気味に叫びながら、レックスが腰下の多頭竜に命じる。すると九本の首が思い思いのブレスを吐き出してきた。アレクセイはすかさず大盾を構えてこれを防ぐ。
それらがもとより聖竜の鎧に通じないことは分かっている。だからといって紫の騎士のように、アレクセイは己の鎧を過信することはしなかった。
飛んでくる雷撃を躱し、吹き付けられる灼熱の中を盾を構えて突き進む。毒霧も無視だ。鉄壁の聖竜の防具に更に≪強固な身体≫を組み合わせることで、アレクセイはまさに動く要塞と化していた。但し強酸のブレスだけは注意しておく。鎧等は大丈夫だと思いたいが念のためだ。それにまた剣を溶かされてはたまらない。
一気に相手の懐に飛び込むと、まずは一太刀入れて多頭竜の首を二本まとめて斬り飛ばす。さらに返す刀でもう一本。アレクセイに食らいつこうと伸びてきた頭を盾でぶちのめしつつ、怯んだところを一刀両断する。頭上から浴びせかけられた酸を、素早く飛び退くことで回避する。そうしてアレクセイは僅か一回の接近で多頭竜の首を四本落としてみせたのである。
「ぐっ!!だがなめるなよ!首などすぐに生えて……こないだと!?そ、そんな馬鹿なっ!?」
レックスが焦る通り、切断された首は力なく垂れるばかりで、そこから新たな頭が生えてくる様子はなかった。それもそのはずで、切断面からは血の一滴すら零れてはいなかった。炎の力を宿した炭の剣によって、切り口が焼き塞がれていたからである。驚愕するレックスに、アレクセイは静かに告げる。
「後から思い出したことだが、以前に先達から多頭竜の正しい倒し方を聞いたことがあった。古の英雄は剣でもってその首を落とし、松明の火で切り口を焼いたのだという。すると多頭竜の首が再生しなかったそうだ。この剣が火を宿しているのはまったくの偶然だが……こんなにも楽だとはな」
先の戦いでアレクセイが一番厄介に思ったのが、多頭竜の持つ生命力の強さであった。アンデットであるアレクセイには関係のないことだが、普通の人間であれば倒しきる前に力が尽きてしまうことだろう。だがこの方法ならば、首は一度撥ねるだけでよい。
「畜生、こんなことが……くるなっ、くるなぁ!」
狂乱してブレスをまき散らす多頭竜の首を、一本ずつ確実に落としていく。
ほどなくして、頭を失った首が九つ垂れ下がることとなった。その上では剣を突き付けられたレックスが、眼前の黒騎士を見上げて顔色を失っている。
「俺は力を……力が……」
もはや抵抗する意思さえなくなったようで、レックスは力なくそんな言葉を呟いている。
(フリアエよ、お前の兄もこれで終わりだ。そしてフェリシアよ、すまぬ。私はお前の子孫を斬らねばならぬ)
アレクセイは一瞬だけ彼女らの顔を脳裏に思い浮かべたが、すぐにそれを断ち切った。そして一度剣を引いてからこれを垂直に構えると、努めて平静な声でレックスに告げた。
「我が名はアレクセイ・ヴィキャンデル。偉大なるジグムント一世の臣下にして、栄光あるヴォルデン四騎士の一人。それらと我が愛する妹の名の下に、お前を死刑に処する」
「ッ!?貴様は、俺の……ッ!!」
目を見開くレックスがその先を言う前に、炭の剣がその首を撥ね飛ばした。当然そこから、男の頭が生えてくるようなこともない。
こうしてバルダーの街を巡る策謀と事件の幕が、ここに下ろされたのだった。




