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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第82話 伯爵の目的

 逃亡騎士フリアエと女剣士クレアが、互いに剣を構えて向き合っていた。

 銀髪の女騎士は戦技の影響か全身から闘気を立ち上らせているが、クレアの方は至って涼しい顔のままだ。剣こそ抜き放ってはいるが、その立ち方は自然体そのものである。


「邪魔立てするというのならっ!!」


 それが余裕にでも見えたのか。フリアエはそう叫ぶと一気に斬り込んだ。

 すらりと長い脚は爆発的な瞬発力を生み、二人の距離を一気に縮めさせる。そうして間合いを詰めた彼女は、縦横無尽に剣を振るっていく。放たれる連撃はいずれも速くて強い。≪打ち砕く者(ジャガーノート)≫の効果で身体が強化されているのもあるだろうが、洗練された太刀筋は間違いなく彼女のたゆまぬ修練によるものだ。


 いかに戦技やスキルを習得しようとも、それだけで人は強くなることはできない。剣を振るう腕、肩、腰に足さばき。それらは日々の鍛錬を積み重ねることでしか、自らのものにすることは叶わないのである。そしてそれはフリアエに限った話ではなかった。


 クレアである。一撃必殺のフリアエの攻撃を、彼女は表情を変えずに捌いていく。剣で受け、時にいなし、繰り出される相手の剣を見事に防いでみせる。拳一つ分は背丈が違う両者であるが、クレアがそれを苦にしている様子はない。その流れるような動きは、アレクセイのかつての友ガトーを思わせる洗練されたものであった。


「素晴らしい。私と同じ年頃とお見受けするが、その若さでこれほどの剣を使うとはな」


「……くっ!!馬鹿にしてっ!!」


 攻撃を受けながらさも嬉しそうに言うクレアに対し、フリアエは眉間に皺を寄せてそう言い捨てる。


 剣戟が通じぬのを見たフリアエは、剣でフェイントを掛けた後に痛烈な蹴りをみまった。不意を打つような通撃な一撃は、受けたクレアを大きく後方へと吹き飛ばす。だがクレアは両の足で踏ん張ると、数メートル先でその動きを止めた。どうやら刀の柄の部分で蹴りをうまく防御したようで、顔を顰めて左手をぷらぷらさせている。


「いてて……いやすごい力だ。今の蹴りなら巨木だって蹴り倒せるのではないかな?」


 受ける際に自ら後方へと飛び、うまく衝撃を散らしたのだろう。そんな破壊力を持つ蹴りをくらいながら、クレアは実に楽しそうに見える。その様がフリアエを刺激したのか、彼女は怒りを含んだ声で言う。


「反撃もせずにぬけぬけと……その気がないのなら、私の邪魔はしないで!!」


 相手の攻撃を受け流すのみで、クレアが自ら攻撃しなかったことにフリアエも気づいていたらしい。


「そうだな、確かに失礼した。ならば今度はこちらからいこう」


 そう言った刹那、クレアの姿が掻き消えた。フリアエは目を見開くと、すぐさま剣を自らの左に縦に構えた。そして次の瞬間、そこにクレアの刀が打ち付けられたのである。


「ほう!防いだか!」


「くっ!!」


 クレアは目にも止まらぬ速さで、次々と攻撃を打ち込み始めた。フリアエも必死に防御するが、あまりの相手のスピードに防御が追いついていない。≪打ち砕く者≫のおかげで剣を構えずとも防御は出来ているが、それでも全ての衝撃を防ぐには至っていないようだ。


 このヴォルデンの奥義は使用者に鋼の如き身体を与えるが、本来はそこまで防御一辺倒に使うものではない。あくまでも攻守の両立を目指したバランスの戦技であり、ヴォルデンの騎士は頑丈な全身鎧を着込んだ上でこの技を用いるのである。上半身に部分的に鎧を着こんでいるに過ぎないフリアエでは、流石に鉄壁の防御とはいかないだろう。


 それにどう見てもクレアは本気ではない。攻撃は常に峰打ちであるし、あのナマズ竜を両断した技であればフリアエの≪打ち砕く者≫を容易く打ち破れるはずであった。


「こんなところで倒れるわけには……いかないっ!!」


 クレアの攻撃にじっと耐えるのみであったフリアエが、不意に叫ぶと拳を地面に打ち付けた。戦技によって強化された一撃は、大地を陥没させ周囲に衝撃波を生み出す程であった。それを避けるべく、クレアは大きく飛びのくと距離を取った。


「投降なされよ、フリアエ殿。貴方は十分に腕が立つが、それでも私には及ばない。これ以上無為に傷つくことはないさ」


 クレアは諭すように相手へと呼びかけている。ここまで見ても二人の実力差は歴然である。迷宮主(ダンジョンマスター)はアレクセイが、白竜はソフィーリアが抑えているし、そのどちらもが劣勢であった。いまだ周囲では冒険者たちと亜竜とが戦いを続けているが、この場の趨勢は決まったと言っていいだろう。


 だがフリアエの瞳から闘志が消えることはなく、相対するクレアのその向こう、騎士のレックスを見つめていた。


「……私は、諦めない。この鱗は、誰にも渡さない」


 喘ぐようにそう言うフリアエに、黒髪の女剣士はため息をつく。


「私は一介の雇われ冒険者に過ぎないから、事情はよく分からないんだが……何が貴方をそうまでさせるんだい?見たところ、私欲からその鱗を奪ったわけではないのだろう?というか、そもそもそれは何なのかな?」


「あなたは、何も知らないのね……」


 片膝をついていたフリアエは苦し気に立ち上がると、視線を帝国騎士から目の前の女剣士へと向けた。そこにはどこか、憐みにも似た感情が見て取れる。それに気づいているのかいないのか、クレアは気の抜けたように大仰に両手を上げて首を振った。


「うむ、そうなのだ。生憎私の雇い主殿はそれを教えてはくれなんだ」


 すると後方でそれを聞いていたレックスが怒鳴り声をあげた。


「おい女ァ!いいからさっさとそいつを捕らえんか!!それにこれはそういう契約だった筈だぞ!!」


「もう勝負はついたも同然だろう?それに未知を探求し、知らぬものを知るのが冒険者だ。ここまできたら気になるじゃないか」


「貴様ァ、減らず口を……ッ!!」


 先ほどまで激しい戦闘が繰り広げられていた場に、ちょっとした空白が生まれる。するとそこにアレクセイとソフィーリアが帰ってくる。各々の相手との戦いを終えた両者もまた、本来の目的を達しにきたのである。


「そんな、デナ!……それに多頭竜までやられるなんて……」


 倒れ伏す白竜を見、次いで首のない多頭竜の死骸を見てフリアエは愕然とした表情をする。特に迷宮主が倒されるとは思ってもみなかったのだろう。先ほどまで気丈に立ってはいたが、遂にはぺたりとその場に腰を落としてしまう。そして歩み寄ってくる巨漢の黒騎士に目をやると、はっとしたように目を見開いた。


「あなたは、あの時の……」


 妹によく似た彼女のそんな痛ましい姿から視線を外すと、アレクセイは騎士レックスへと兜を向けた。


「クレア君の言う通りだ、騎士殿よ。私も此度の件については気になっていた。見たところその娘は無闇に悪事に手を染める輩には見えない。何か信念めいたものを感じるのだが?」


 フリアエの身を取り正すのはここだろう。戦いは一旦終局し、クレアも領主側に対して懸念を抱いているようだ。アレクセイの考えた通りフリアエが義憤から伯爵と対決しているのならば、自分たちもそちらにに加わるのもやぶさかではない。


 我が子の情報を集めるために、できるだけ目立たぬよう旅したいと思っていたアレクセイではあるが、妹の子孫が窮地に立たされているのならばその限りではない。きっとソフィーリアも反対することはあるまい。


 自らの旗色が悪いのを感じたのか、騎士レックスは狼狽するように周囲を見回した。だが他の冒険者たちはいまだ亜竜と戦い続けているし、腕利きの連中もフリアエにのされたままだ。そもそも彼らがいたところで、多頭竜すら倒したアレクセイらに対抗することなどできはしないだろう。


 レックスは悔し気に歯を見せていたが、やがて何かに気づいたのかふっと力を抜くと微かに笑った。


「ふっ、まぁよい。教えてやろうではないか?」


「ふむ、意外に素直だね?」


「お前らが気になって仕方がないというのだ。それこそ仕方があるまい?」


 クレアを馬鹿にしたような顔で一瞥すると、アレクセイは両手を広げて話始めた。


「その娘が伯爵様の館から盗み出したのは、≪神竜の鱗≫と呼ばれる神器さ。長い間バルダーの街に納められていた秘宝だよ。大昔にこの世界に現れた邪竜を英雄が討ち、その身体の一部を持ち帰り浄化したものだ」


 レックスは竜を討伐した張本人がまさか目の前にいるとは、露ほども思ってはいまい。顎に手を当てて話を聞いていたクレアが小さく手を上げる。


「その街の秘宝が、なぜ街ではなく領主の館にあるのかな?」


「それは領主が買い取ったからに決まっているだろう。あぁ、勿論無理やりではないぞ。お前らもあの街の連中の金好きは見ているのだろう?奴等は喜んで交渉に応じたよ。崇めても何のご利益もない秘宝なんて、なんの儲けにもならないからな。そしてその交渉の窓口となったのが、バルダー出身のこの俺というわけだ」


 己の功績を誇るかのようなレックスを、アレクセイは信じられないような目で見ていた。

 神器とはただそれだけで価値のあるものだ。街の歴史やそのルーツに関わるものならば尚更だろう。それを直接金に変えるとはなんと罰当たりな。見ればソフィーリアも澄まし顔を保ちながらも、その瞳の奥に激情の炎が渦巻いているのが見て取れた。


 神器や聖遺物といったものが、金でやり取りされるのはアレクセイの時代でも珍しいことではなかった。いつの時代も商人は常に金になるものを探しているし、教会もまたある種の巨大な商会のような側面を持っていたからだ。


 だがヴォルデンで信仰されていたゾーラ教は、特にその手の拝金主義を嫌う傾向が強かった。ただ、別に清廉潔白な宗教というわけでもない。

 戦いを至上としているゾーラ教では、勝利のためにゲン担ぎを重視することが多いのだ。それ故に、不信神な行いや罰当たりなことに対して忌避感が強かった。言うならば、神の機嫌を損ねて勝利を逃したくないのである。戦争真っただ中の時代だっただけに、力のある秘宝が戦の戦局を左右しかねなかったという事情もある。


 欲しいならば力づくで奪った方が、まだしもヴォルデン的には納得のいくやり方であろう。勿論、それで罪が許されるわけではないのだが。


「……して、その鱗を得てなんとする。よもや、寝室に飾って眺めたいというわけでもあるまい?」


 アレクセイが感情を抑えた声でそう尋ねると、何が可笑しかったのかレックスは低い忍び笑いを漏らして答えた。


「クククッ、貴様のような男でも冗談をいうのだな。それ、そいつがその鱗を使って竜を操るのをお前らも見ただろう?この女は生まれつき≪竜使い(ドラゴンテイマー)≫の力を持ってはいるが、せいぜい支配できるのはあの白竜一匹だけだ。迷宮全部の亜竜を操作できるわけがない。全てはその鱗の力だ」


「竜を使って乱でも起こそうというのかい?」


 クレアが言うように、アレクセイもその可能性は考えていた。

 言うまでもなく、竜は強い。強固な鱗に鋭い牙と爪を持ち、空を飛び火をも吐く。タフさも桁外れており、まさに地上最強と呼んでいい生き物だ。当然ながら人間とは比べるべくもない。その凶暴さゆえに人の手には余る存在だが、もし兵として活用することができればこれほど強力なものはない。


(長く平和が続いた今の軍隊相手ならば、かなりの脅威となろう。だが……)


 しかしまた、世界がそれほど甘いものではないのもまた事実である。過去にも竜を行使する国は少なからずあったが、それらが世の覇権を握ったことはないのだ。

 神竜の鱗のように神器を用いて竜を操る国は、それを破壊されたり他国に盗まれたりして軍を失った。また調教によって竜を兵とした国も、その技術の希少さ故に勢力を伸ばすことが叶わなかった。


(国とは人なり。地力なくして覇道は行けぬのだ)


 なので竜を使って世界を支配しよう、などというのは現実的な案ではない。アレクセイは伯爵らの企みを予想したときに、早々にこの案を捨て去っていた。

 そしてレックスが告げたのはもっと小さな、しかし意外な使い道であったのだ、


「そんなことをして何になる。金だよ。商売に使うに決まっておろうが」


「商売だと?」


 思わぬ答えに訝しむアレクセイに、レックスは得意げに説明して見せる。


「そうだ。力強く空を飛ぶ竜なら馬よりも早く、且つ大量に物資を輸送できる!護衛が必要ないほどに強く、そもそもが経路は敵のいない空なのだ!更にはその身体はどこをとっても金になる!牙、爪、鱗に骨。肉とて好事家には高く売れることだろう。竜に捨てるところなしとはよく言ったものだな!」


 あまりにも現実的な回答に、アレクセイには二の句を告げずにいた。

 竜の素材を求めることは、まぁ分かるというものだ。竜狩りを誉れとするヴォルデンの騎士たるアレクセイとて、そうして彼らを屠ったことは数多くある。だがそれは互いに全力を尽くした後の勝利の結果であって、姑息にも寝首を掻くが如く、無抵抗の相手を殺して得るものではない。


 誇り高き竜に鎖を付け、あまつさえ彼らから戦いすら奪おうとする。それはアレクセイには納得できるものではなかった。


(だが、それで助かる民がいるのもまた事実であるか)


 感情的には承服しかねても、それが有用な商いであることは認めざるをえない。流通が活発になれば、それだけ富は民衆にも還元されるだろう。少なくともバルダーの街の住人たちが自ら手放したのなら、それを咎める権利はアレクセイにはない。手に入れたのはアレクセイでも、それをどう扱うかは後世の人間の自由なのだから。


「どうだ、これでお前らも納得しただろう?伯爵閣下の事業は世を豊かにするために必要なのだ。さぁ、そうと分かったらこいつから鱗を取り上げるのだ」


 レックスはそう言うが、アレクセイはまだ動けない。それはクレアも同じようで、どう判断したらよいか未だ迷っているようだ。そうしてアレクセイが忸怩たる想いで思案しているところに、フリアエの悲痛な声が飛び込んできた。


「世迷言をッ!あの男がそんな殊勝なことを考えていると、あなたは本気で思っているの!?」


 厳しい眼差しをレックスへと向けながら、フリアエはなおも続けた。


「鱗を伯爵に渡すこと。それが本当に街のみんなの、人々のためになるなら私は邪魔なんかしない!でも実際はそうじゃないの!もっと良くないことが起こる。私は聞いたの、()()()()()をね。だから私はこの鱗を盗んだのよ。貴方だって、本当は気づいているのでしょう!?」


「チッ……お前、知っていたのか」


 一転して苦虫を噛みつぶしたような表情になったレックスは、一歩二歩とこちらから後ずさっていく。


「フリアエ殿。あの夜の話とはなんなのだ?」


 クレアがそう問いかけるとフリアエは、僅かに逡巡した後にこう言った。


「魔王の、復活よ」


 それを聞いたアレクセイは、愕然とした面持ちで、妹そっくりの女の顔を見つめたのだった。


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