第81話 黒騎士 vs 多頭竜
「かなりの使い手とお見受けしたが、次は私といかがかな?」
クレアはレックスを守るように立つと、刀を正眼に構えている。
アレクセイは、よもや彼女があの高慢な騎士の味方をするとは思ってはいなかった。さりとてさほど心配もしていない。その証拠にクレアは刀の刃とは反対側、峰と呼ばれる部分を相手へと向けているからだ。彼女の性格を考えても、いきなりフリアエを斬り殺すということもないだろう。
むしろフリアエを一旦無力化してくれるならば、逆にありがたいくらいである。≪打ち砕く者≫は攻守において強力な戦技だが、使用者の戦意を高揚させるという弊害がある。簡単に言えば血の気が多くなるのだ。戦場ではむしろ有効な要素であるが、落ち着いて話し合いたいような場ではかえって邪魔になる。
「よ、よくやったぞ女ァ!そいつを捕らえれば褒美をくれてやるぞ!」
「勘違いしないで頂きたいな、騎士殿。私は純粋に彼女と手合わせしたいだけだ。それに色々と聞きたいこともあることだしね」
クレアは冷たい目で背後の騎士を振り返ると、そう言い放った。やはりアレクセイの見立て通り、彼女はフリアエを無力化するだけらしい。
「おっと、よそ見はいかんな」
フリアエたちの方に目を向けていたアレクセイがそう言って飛びのくと、そこに多頭竜の頭が突っ込んでくる。アレクセイとてただ二人の観戦をしていたわけではない。自身もまた目の前の相手に剣を振るっているのだ。
九つの頭を持つ多頭竜は、アレクセイの期待に反せず強敵であった。鋭い牙を持つ頭たちが、こちらを貫こうと狙ってくるのである。避け際にそちらを見てみれば、その牙がぬらぬらと光っているのが分かる。間違いなくそれは毒であり、普通の人間であれば掠っただけでも致命傷であろう。
肉体を持たないアレクセイに毒自体は通用しないが、迫りくる頭がぶつかっただけでも大した衝撃だろう。質量に任せた攻撃というのも馬鹿には出来ないものだ。
また多頭竜はブレスをも放ってきた。しかもそれぞれの首ごとに攻撃が異なるのである。
例えば後頭部に二本の角を持つ頭が吐いてきたのは、火竜の如き炎の息吹であった。
「ふんっ!」
アレクセイは腰を落とすと、その場で大盾を構える。本物の竜顔負けの炎は、しかし聖竜の盾の表面を炙るだけである。
アレクセイの身体となっている聖竜の鎧一式は、特に炎に対して絶対の防御力を持つ。神竜のそれすら防ぎきる装甲の前には、多頭竜の息吹など相手ではなかった。
続いて額に青い筋の入った頭が放ってきたのは、凍気のブレスである。触れたものを次々と氷へと変えていく凍てつく波動が、聖竜の大盾へと吹き付けられる。すると空気中の水分が氷結することで、アレクセイの構える盾と地面が凍り付いて一体となってしまう。
だが剛力を誇るアレクセイの前には無意味だ。アレクセイはそれを力任せに打ち砕くと、挑発するように剣の柄で盾の縁を叩いて見せる。冬は厳しい寒さに晒されるヴォルデンの男として、たかが氷などに怯むことなどあろうことか。
ならばと毒々しい模様のトサカを持つ頭が噴き出したのは、緑色の煙である。その煙が触れた草花がたちどころに枯れてしまったのを見るに、おそらく猛毒の息吹に違いない。変わらず防御の構えをとるアレクセイを、濃い緑の瘴気が包み込む。
だがアンデットの≪さまよう鎧≫たるアレクセイには、毒など無意味だ。毒煙から突如飛び出してきた漆黒の騎士によって、毒担当の多頭竜の頭は斬り飛ばされてしまう。
「とはいえエルサ君や他の人間には脅威だからな。先に狙わせてもらう……のだがな。よもやこれほどの再生力だとは思わなかったぞ」
着地したアレクセイは多頭竜を見やると、うんざりしたような声を上げてしまう。なぜなら今しがた切断した多頭竜の首の切断面が、うにょうにょと盛り上がってきているからである。その間にも黄金色の鬣を持つ頭から、稲妻が放たれる。実に多芸な魔物である。
アレクセイはそれを盾で防ぎつつ、次の首を切り落とすべく相手に飛び掛かった。
先ほどからこのような堂々巡りが続いていた。多頭竜が放つ様々なブレスが、アレクセイに痛手を与えることはない。代わりにこちらがどれだけ首を落とそうとも、すぐさま再生してしまうのである。これだけ巨大な身体を持つ相手だと、再生できぬほどに細かく刻むというのも難しい。
純粋な物理攻撃に特化したアレクセイには、相性が悪い相手であった。
(さてどうしたものか。アンデットゆえに疲れは感じぬが……武器はそうではない)
アレクセイは自身の持つ剣を見下ろした。アレクセイの剣はラゾーナで手に入れたマクロイフの大剣である。腕の良い刀匠が鍛えたよい剣であるが、それだけでもある。
アネッサの持つ≪明星の剣≫のように特別に強固なわけでも、秘められた力があるわけでもないのだ。
手入れこそ欠かしてはいないが、ここまで数多くの魔物を斬り続けている。いかな名剣とて疲労が貯まるものだ。
また多頭竜の首も硬い鱗に覆われており、アレクセイであるからここまで容易に撥ね飛ばせるのだ。常人であればそもそも強靭な鱗の前に歯が立つまい。
すると、九本の中でここまで唯一大人しかった頭が大きく口を開いた。アレクセイは一瞬受けるか避けるか迷ったが、ここはひとまず回避を選択する。多頭竜の首からブレスが放たれるのを見計らって、素早くその場から飛び退いた。そうして吐き出された液体が地面まで溶かすのを目にして、アレクセイは低く唸った。
「む、酸か」
これもまた強力な攻撃である。よもや自然界に酸を吐き出す生物がいようとはアレクセイも思わなかった。
虎の子の一撃を避けられたからか、多頭竜はそれに怒ったかのように手当たり次第にブレスを吐き始めた。九つの首がそれぞれ一斉にブレスを放つ様は、さながら暴風雨のようである。その攻撃の余波は木々を枯らし、草を焼き、沼地を凍てつかせ石や地面を溶け抉った。
「ぎゃあ!」
「おいデカいの!そういうのはもっとよそでやりやがれ!」
暴れまわる多頭竜の攻撃は、同じくこの場にいた冒険者たちの方へも被害が及んだ。
彼らとて遊んでいるわけではない。開戦と同時に迷宮主が呼び寄せた亜竜たちを相手に戦っていたのだ。実力の劣る彼らでは多頭竜はもちろん、フリアエとクレアの戦いに割って入ることすらできない。実際冒険者たちは迫りくる亜竜の群れに防戦一方のようである。
そのときである。
多頭竜の頭のひとつから放たれた強酸が、運悪く亜竜と戦うエルサの方へと放たれた。呼び出したネッドと共に魔物と向き合っていた彼女は、飛来する酸のブレスに気づいてはいない。攻撃に気づいたミューがふわりとその身体を広げるが、ただのスライムであるミューに防げる攻撃とは思えない。
「いかん!!」
アレクセイは力の限り跳躍する。アンデットとしてこの時代に蘇って、初めての全力疾走かもしれない。その巨体からは信じられないような速度で地を蹴ったアレクセイは、すんでのところでエルサの背を守るように立ちはだかると、聖竜の大盾を掲げた。
「えっ!?アレクセイさん!?」
「伏せていろッ!!」
多頭竜の口から噴出された強力な酸の液体が、大盾へとぶち当たる。大盾がドロリと溶ける、などということもなく、アレクセイの塔の盾は他と同じように多頭竜の攻撃を防いでくれた。
アレクセイ自身も知らなかったことだが、この盾は強酸に対しても耐性を持つらしい。試す機会もなかったので仕方のないことではある。
だが周囲のものはそうではなかった。大盾によって弾かれた強酸は周囲に飛散し、様々な物を溶かし尽くしていた。足元の草花は言うに及ばず、地面や石ころに至るまで例外ではなかった。運が悪かったのは、エルサの周囲で戦っていた冒険者である。
「ギャアアアア!!う、腕がぁぁぁぁぁ!!」
絶叫する冒険者の右腕が、音を立てて地面へと落ちる。たった一滴の酸が掛かってしまっただけで、彼は身体の一部を失ってしまったのだ。返す返すも強力なブレスである。まともに引っかければ、確実にエルサの命はなかったことだろう。
「あ、ありがとうございます、アレクセイさん……」
「いや、大事ない。酸に触れてはいないな?」
「はい、私は大丈夫ですけど……ってあぁっ!?アレクセイさん、剣が!?」
仰天するエルサに対し、アレクセイも兜の内で唸るほかない。
これまた運の悪いことに、アレクセイの持つマクロイフの剣が、跳ねた酸の一滴をその身に浴びてしまっていた。刀身の半ばほどにそれを受けた剣は、アレクセイたちの見ている目の前で音を立ててぽっきりと折れてしまった。たったの一滴だというのに、恐るべき浸食性であった。
「不覚だ……」
アレクセイは絞り出すように言った。
聖竜の鎧と大盾は、由来すら分らぬ合金製だ。その防御力は折り紙付きだが、右手に持つ大剣は只の鋼なのである。
ラゾーナからこっち、アレクセイの頼れる友となってくれていたマクロイフの剣は、遂にここでその役目を終えることとなってしまった。
「あまり使いたくはなかったが、仕方があるまい」
そう言うアレクセイは、大盾を自らの頭上に掲げると、そこに闘気を集中させた。
確かに剣は失われた。だが騎士の武器は剣だけではない。騎士の国と謳われたヴォルデンの中でも、自身の属する重装騎士団にのみ伝わるとっておきの技があるのだ。
「エルサ君、そのまま伏せていろッ!!」
アレクセイはそう叫ぶと、なんと大盾を横向きに投げ飛ばしたのである。闘気の込められた聖竜の大盾は、高速で回転しながら多頭竜へと向かっていく。
「ガァァァァ!!」
迫りくる盾を撃ち落とそうと、迷宮主の三つの首からそれぞれ異なるブレスが放出される。だが盾は速度を落とすこともなく、それらを弾きながらも飛んでいく。そして信じられぬことに空を飛ぶ大盾によって、多頭竜の首が五本ほどまとめて切断されてしまったのである。
「ええっ!?」
「いや、まだだ!!」
盾で敵の首を落とすという荒技に驚くエルサに向けて、アレクセイはそう言い放つ。首を一度に数本ばかり失った多頭竜であったが、しかしまだ頭は残っているのだ。すると魔物を越えて明後日の方向に向けて飛んでいた大盾が、くるりとその向きを変えた。
ブーメランという武器がある。古くは狩猟に利用されたというこの武器は、アレクセイの時代には子どもの遊具のひとつに姿を変えていた。
投げられた聖竜の大盾はまるでこのブーメランのように空中で軌道を変えると、多頭竜の後方から残る首たちを撥ね飛ばしたのである。そうして役目を終えて帰ってきた大盾をアレクセイは捕まえる。
「た、盾で竜の首を斬り飛ばすなんて……」
唖然とするエルサの気持ちもわかる。初めてこの妙技を見た時はアレクセイもそう思ったものだ。だがこれが本当にヴォルデン重騎士団の奥義のひとつなのだから仕方がない。
盾を武器とする文化は昔からある。相手の武器を防ぐくらい頑強なのだから、これを攻撃に使うのも道理と言えよう。
だが盾を投げるというのはアレクセイも他に聞いたことはなかった。それにこの技は開けた場所でしか使えず、集団戦闘には不向きだ。また一時的とはいえ防具を手放すことになる上、盾を名誉の証と考える騎士の中にはこの技を邪道と唱える者も少なくなかった。
(それに、たまに手元に返ってこないこともあるしな)
アレクセイはその言葉を内心で呟くだけに留めておく。
この技を使うことに難色を示す騎士が多いのは、単純にその扱いが難しいからに他ならない。あくまでも他に武器がない時の、緊急の策なのである。だが凄まじい硬度を持つ聖竜の大盾の投てきの効果は絶大で、見れば多頭竜の首は一つ残らず落とされていた。
「これでまだ再生しようというのだから、なんとも強靭な生命力だ」
この期に及んでなお、迷宮主はまだ死んではいなかった。四本の太い足でしっかと立ちながら、首をうねらせているのである。
それぞれの首の切断面が蠢いていることから察するに、再び首を再生しようという魂胆だろう。もう一度盾を投げてやってもよいが、動きが止まっているこの隙をみすみす逃してやる義理はない。
アレクセイは多頭竜の身体をじっと見つめてみる。アンデットの能力である≪生命探知≫を発動させてみれば、迷宮主の首が生える根本部分に、最も強い反応があるのが分かる。
「貴様の命の源はそこか……」
アレクセイはそこが多頭竜の弱点だと看破すると、手元の剣を見下ろした。
「最後に一度だけ、力を貸してもらうぞ……ぬぅん!!」
そうして大きく身体を捻ると、力の限りに剣を投げうった。刃の半ばから折れたマクロイフの大剣が、放たれた矢の如く魔物目掛けて飛んでいく。
そうして銀色の筋を引いて飛来した剣が、全ての首を失って動くことさえできない多頭竜の胸を貫通した。剣は勢いのあまり亜竜の身体を貫通し、その先の大木の幹に突き刺さってようやく動きを止めた。そしてそこには、人の頭ほどの真っ赤な心臓が射止められていた。
「すごい……本当にあの多頭竜を倒してしまうなんて」
「代わりに剣を失ったがな……それにこの鎧と盾でなければ、きっと苦戦していたに違いない」
アレクセイは大盾の縁に手を当ててそう言った。
事実、多頭竜の攻撃は多彩であった。外から見れば容易に防いでいるように見えたかもしれないが、普通の防具であればまず受けきれぬものばかりであったからだ。
たとえ魔法による加護があったとしても、全ての攻撃に耐えられるほど魔法とは万能ではない。けた違いの強度を持つ聖竜の装備だからこそ対応できたのである。過去に三組の冒険者しか討伐しえなかったというのも納得だった。
アレクセイは気を取り直すと、エルサを連れてソフィーリアの元へ向かった。丁度そちらでも勝負がついたところだったようで、物憂げな顔をしたソフィーリアが倒れ伏す白竜の頭に手を当てているところであった。
「ふむ、君も手こずったようだな……む、止めを刺してはいないのか?」
竜にはまだ息がある。よく見れば致命傷にあたるような傷はなく、細かい傷が目立っていた。
「手加減とは珍しいな。やはり彼女を気にしてか?」
クレアと剣を交えるフリアエを見ながら、アレクセイは問いかける。
「はい。ですが、かえって長く苦しめてしまいました。私はできるだけ穏便に鎮めたかったのですが……それに気にかかることもありましたし」
「ソフィーリア、話は後だ。どうやらあちらの決着がついたようだぞ」
アレクセイは妻の言葉を遮ると、対峙する二人の乙女らの方へと足を進めた。




