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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第80話 北の戦士を継ぐ者

「もう一度言います。命が惜しければ、帰りなさい!」


 白竜に乗ったフリアエが、再び空中からそう言い放った。その瞳はまっすぐに帝国騎士のレックスを見下ろしていたが、どうやら今の言葉はアレクセイたち雇われ冒険者に対するもののようだ。帰れと言われて、はいそうですかと踵を返す者こそいなかったが、しかし彼らの士気は低かった。


 というのも冒険者たちの前には、この迷宮の主である多頭竜(ヒュドラ)の姿があったからである。かつて名だたる英雄のみしか討伐しえなかったという怪物の異様に、彼らは圧倒されていたのだ。


 身の丈はおよそ六、七メートルはあるだろう。太く長い尻尾まで含めれば体長は十メートル以上。先のナマズ竜以上の大きさだ。前足と後足も太く、成人男性の横幅ほどもありそうなこれに踏みつけられれば、只では済まないだろう。


 また多頭竜というだけあって九本の頭を持ち、それらは蛇に似た形をしている。だがそれぞれに違った形のトサカや角を有しているため、蛇そのものというわけではない。竜とも蛇とも違う、まさに亜竜といった風貌である。


 どうやら多頭竜は完全にフリアエの支配下にあるらしく、今のところこちらを襲う様子は見せない。そうであるために、絶対に敵わない相手を前にしながら冒険者たちは逃走という選択を取れないでいた。あるいはそのうちの何人かが、期待を込めた目でアレクセイらの方を見ているのも関係あるのかもしれない。


(何とも現金な連中だ。しかしまぁ、これほどの大物の素材が手に入るのなら、彼らが迷うのも分かるか?)


 目の前の多頭竜はアレクセイの想像以上に立派な姿をしていた。少なくとも亜竜種でこれほどの固体をアレクセイは生前に見たことがない。なるほど過去三回しか倒されることのなかった魔物の素材とあらば、値千金であろう。

 それにアレクセイたちが迷宮主の相手をしていれば、それだけ他の連中は本来の目的であるフリアエを狙いやすくなる。彼らが怖気づきつつも、報酬獲得のチャンスを前にして逡巡することも理解できた。


(とはいえフリアエの方も、彼らにくれてやるわけにはいかんな)


 アレクセイは多頭竜の動向から目を離さずに、頭上のフリアエの方を窺ってみる。彼女の姿を目にするのは二回目だが、見れば見るほど自身の妹、フェリシアにそっくりであった。銀の髪、紫の瞳、そして先ほど上げられた透き通るような声まで、彼女と瓜二つだった。


「本当に、フェリシアさんと同じですのね……」


 傍らのソフィーリアも流石に驚きを隠せないでいるようだ。妻は妹と本当の姉妹のように仲がよかったから、そんな彼女から敵意に満ちた目で見下ろされる状況はなんとも言えないことだろう。緊迫の状況でありながらも、ソフィーリアは切なそうな瞳で義妹の姿を見上げていた。


「フンッ!貴様の方から出てくるとは、殊勝な態度ではないか、フリアエよ!!」


 そんな空気を破ったのは、帝国騎士レックスの怒声であった。彼は剣を抜き放つとその切っ先を突きつけ、声高に主張する。


「だが今更許されるとは思うなよ?伯爵閣下に仕える騎士の身でありながら、その館から宝物を盗み出すなど不届きな奴よ。そこらの盗人と同じように扱ってもらえるとは思うな。貴様を捕らえた暁には、俺自ら正義の裁きを与えてやろう!!」


「正義ですって?あなたは自分が何を言っているか、何をしているか分かっているの!?」


 レックスの言葉を受けて、フリアエは表情を一層険しくするとそう問い返した。どうやら彼女はこの帝国騎士個人に対しても、思うところがあるらしい。対するレックスはといえば、まるで彼女を馬鹿にするかのように鼻を鳴らしている。


「もちろん、分かっているとも。伯爵閣下の素晴らしい事業に、俺の力が役立っているのだからな。親父も喜んでいることだろうさ」


「あなたという人は……っ!!」


 フリアエは肩を震わせてそう言うと、いきなり白竜の背から飛び降りた。そこから地上まではそれなりの高さはあったが、彼女は何事もなく着地する。それがスキルによるものかは分からないが、彼女が並々ならぬ技量を持つ者だということは察せられた。そうしてフリアエもまた剣を抜くと、静かにそれをレックスに向けて構えた。


「最早あなたに言うことはありません。あなたも、伯爵の企みも、この私が命に代えても止めて見せます!」


 ここまでのやり取りを聞いていたアレクセイは、やはりフリアエに非があるようにはどうしても思えなかった。言葉尻を素直に捉えるならば、伯爵は何かよからぬ企みに聖竜の鱗を必要とし、それを知ったフリアエが横から邪魔をしたということだろう。直感ではあるがそれは外れていないように思う。なればこそ、落ち着いて話し合わねばならない。


 そのためにはなんとかしてこの場を治めなくてはならないが、この期に及んで言葉でそれを成すのは無理だろう。フリアエと竜たち、レックスと冒険者たちの双方を止める必要があった。


「彼女を任せてもよいか、ソフィーリア?」


 アレクセイはフリアエを妻へと任せるつもりであった。肉親と似ているが故に剣が鈍る、というわけではない。まずアレクセイが手早く多頭竜を倒し、その間にソフィーリアにはレックスの一党を()()()もらう。そうして邪魔者を排除した上で、彼女にはフリアエの説得に当たってほしかったのだ。


 全身鎧かつ巨体のアレクセイでは威圧感があるし、なおかつ湖畔でのこともある。ここは初対面でかつ優し気な面持ちをしたソフィーリアの方が適任に思えたからだ。それに仮にも妻は聖職者であり、聖女と呼ばれた女である。悩める者の救済はアレクセイよりも得意な範疇であろう。


 正直、白竜の背に乗ったまま空中からブレスを放たれるなどされたら結構困ったことになったのだが、彼女が自ら飛び降りてくれて助かった。これなら会話もしやすいし、最悪力づくで取り押さえることもできる。怒り故か、あるいは彼女がああ見えて脳筋ヴォルデンの血を引いているかからは分からないが、積極的に打って出てきたことは僥倖である。


「任せてくださいまし。あなた」


 アレクセイから計画を聞いたソフィーリアは、力強く頷くとフリアエらの方に駆け寄ろうとした、そのときである。


「ガァァァァァッ!!」


 ソフィーリアの行く手を阻むかのように、突如としてフリアエの白竜が舞い降りてきた。地に降りた竜は牙を見せ威嚇しながら、険しい瞳をソフィーリアに向けている。


「デナ!?……わかったわ、そっちは頼んだわね!」


 その間にもフリアエは幾人かの冒険者たちによって包囲されていた。


「この嬢ちゃんをとっ捕まえればいいんだよなぁ、旦那ァ」


「こんな娘っ子一人に金貨百枚たぁ、伯爵様も太っ腹だぜ」


「それにあの娘が持っている光るアレを取り戻せばよろしいのでしょう?」


 男たちに完全に退路を塞がれたフリアエは、しかしひどく落ち着いた様子である。アレクセイから見れば未熟な彼らとて、一端の冒険者連中だ。短剣使いの軽戦士などは対人戦が得意なようであるし、魔術師がいるというだけで危険度は跳ね上がる。それでもなおフリアエはレックス以外眼中にないようで、それがかえって彼らの癇に障ったようであった。


「こうして見りゃ随分と別嬪じゃねぇか。なぁ騎士さんよ、任務(クエスト)の一番の目的はその鱗なんだろ?犯人の生死も関係ねぇって話なら、俺らがちょいと味見をしても構わないよな?」


 そう言った軽戦士の男は、下卑た視線をフリアエに送りながらペロリと短剣の刃をなめ上げた。そちらに目をやることなく、しかしその言い草に眉だけをひそめたフリアエだったが、レックスから発せられた一言にはなぜか大きく目を見開いた。


「フンッ、構わんさ。そいつは面だけはいいからな、好きに楽しむがいい」


「レックス……あなたという人は、どこまで……」


 フリアエの声が怒りに震える。すると彼女の周りにうっすらと闘気が渦巻き始めるのが見えた。


(む?あれは……)


 それには気づかず、竜殺しの大男が戦斧を構えて彼女の元に飛び込んでいく。


「顔さえ傷つけなきゃ、腕の一本くらい貰ったって構わねぇよなぁ!?」


 分厚い亜竜の鱗を砕く斧の刃が、大上段から振り下ろされる。スキルで強化されているのだろう、容赦のない一撃であった。辺りどころが悪ければ、そのまま頭をかち割りそうな攻撃である。


 しかしそれをフリアエは、なんと手で受け止めて見せたのである。


「な、何ィ!?」


 無論素手ではない。だが彼女が腕に装着しているのは何の変哲もない革のグローブであり、金属製の籠手ですらなかったのだ。フリアエは片手で斧の刃を掴んでいるだけに見えるが、相手はそこから獲物を動かすこともできずに、苦し気に呻いていた。長身とはいえ細身の彼女に出せる膂力ではない。


 一同が驚いている隙を突くかのように、彼女は身を翻すと剣を持つ拳を男の腹へと打ち込んだ。


「ぐえああああああぁぁ!?」


 すると男の身体が冗談のように吹き飛んで、木の幹へと激突した。そしてずるずると倒れ込むと、白目を剥いてぐったりと動かなくなる。男の胴体鎧が拳の形に大きく陥没していることからも、その威力のほどが察せられた。


「小娘がッ!!」


 それを見た軽戦士の男が、素早いステップを踏んでフリアエに肉薄する。そうして繰り出された短剣は彼女の脚を狙っていた。極端に裾の短いズボンと、太ももの半ばまで覆われた革ブーツの間に露出した地肌の部分である。通常ここには太い血管が走っており、傷つけられればかなりの機動力と戦意を奪われることだろう。

 その刃は狙いを外すことなく彼女の太ももへと突き刺さった、かに思えたのだが。


「貰った……あァ!?」


 驚く男の手元で、なんと短剣が動きを止めていたのである。まるでそこに見えない透明の膜が張ってあるかのように、刃の切っ先はフリアエの柔肌を貫けずにいたのだ。男がどんなに力を込めようとも、それはまるで鋼鉄の鎧に突き立てているかのようであった。


「こんな馬鹿なことが……ぼあっ!!」


 短剣と共に動きを止めた男は、こめかみをフリアエに鋭く蹴り抜かれ吹き飛んだ。しなやかで長い脚から繰り出された一撃は、かなり強烈だったのだろう。男の身体は激しく大地をバウンドするとやがてぐったりと動かなくなった。


「≪筋力強化(ビルドアップ)≫に≪強固な身体(ハードスキン)≫だと!?冒険者の真似とは味なことを……ッ!」


「そういえば帝国騎士はスキルの習得が許可されていましたものな。ですが奇跡に対してはいかがでしょう?」


 慄く痩身の魔術師とは対照的に、でっぷりとした聖職者の男は落ち着き払った様子で懐から銅貨を取り出すと、それを宙へと放り投げた。


「そうれ、私が施しをして差し上げましょう!」


 銅貨は雷を纏うと、凄まじい速さでフリアエと飛翔する。男が亜竜相手に使っていた、銅貨を矢の如く打ち出す奇跡である。その威力は丈夫な亜竜の鱗をも貫くほどであり、当たれば致命傷は必死だ。だがフリアエは自らに向かって打ち出されたそれらを、なんなく剣で打ち落としてしまった。普通の人間には考えられない反応速度である。


「なんと!?」


「ええい、ならば魔術はどうかな!?≪雷撃(サンダーボルト)≫!!」


 魔術師の持つ杖から、呪文と共に稲妻が放たれた。飛ぶ銅貨よりなお速いそれは、今度は狙いを外すことなくフリアエに命中する。轟音とともに激しい閃光が周囲を照らす。


「私は女の身体になど興味はないのでな。生かして捕らえる必要も……んなっ!?」


 またも冒険者らは驚愕する。そこには腕を交差させ身を護るフリアエの姿があったからである。ゆっくりと腕を下ろす彼女の姿には、傷どころか焦げ目一つ見られない。


 あらゆる攻撃を防いだフリアエは、魔術師の男に狙いを定めると一瞬でその間を詰めた。前衛職でもない相手には、その動きはまるで瞬間移動のように見えたことだろう。相手はろくな反応もできずに顔面を殴り倒された。


 冗談のように吹っ飛んでいく仲間を尻目に、聖職者の男はメイスを手に取るとフリアエの頭目掛けて振り下ろした。人の頭蓋などたやすくかち割るであろう攻撃は、しかし彼女の額に受け止められてしまう。


「ば、化け物め……」


 呻くようにそう言った男の腹に、フリアエの横薙ぎの剣がめり込む。彼女は剣の腹でもって相手を打ち、その身体をかちあげた。高らかに飛んでいった聖職者の男は、派手な水しぶきを上げて近くの沼へと落下した。


 そうしてフリアエは瞬く間に、腕利きの冒険者たちを全滅させてしまったのである。自らの頭から僅かに血が流れているのに気づくと、彼女は眉をしかめてそれを拭った。


「くそッ、なんて女だ!冒険者でもねぇのに≪筋力強化≫と≪強固な身体≫をこんなに使いこなすなんてよ!!」


 完全に聴衆と化していた他の冒険者たちからそんな声が上がる。まったくもって尋常ならざる膂力と防御力であるが、アレクセイはこれらに見覚えがあった。彼女が用いているのは、そのようなスキルではない。


(≪打ち砕く者(ジャガーノート)≫とはな。よもやヴォルデンの技まで使いこなすとは……)


 あれは間違いなくヴォルデン騎士団の奥義のひとつ、≪打ち砕く者≫であった。対象の攻守を大きく引き上げる、戦士の技の要である。あの戦技は身にまとう闘気の量が冒険者のスキルとはケタ違いであるし、また≪強固な身体≫などは防御力を維持したまま動き回るのは難しい。彼女の目にも止まらぬ動きは、それらのスキルだけでは実現はできないだろう。


「くそっ!役に立たない奴等だっ!おいお前ら、俺を守れっ!!」


 レックスは周囲の冒険者たちにそう叫ぶが、彼らの反応は鈍い。先の四人よりも劣る彼らでは、いくら数に任せたところでたやすく蹴散らされることだろう。彼らが互いに顔を見合わせている間に、フリアエはレックスに向けて剣を繰り出した。


「レックス、あなただけは私が!!」


 しかし裂帛の気合と共に振るわれた彼女の剣は、その寸前で阻まれてしまう。


「っ!?」


「そうはさせないよ」


 二人の間に割って入ったのは、刀を抜いたクレアであった。閃光の如き速さで間を詰めた彼女が、フリアエの剣がレックスを切り裂く前に剣を差し込んだのである。


「次は私のお相手を願えるかな、女騎士さん?」


 そう言ってクレアは、涼し気な笑みを浮かべたのである。


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