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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第77話 潜むもの

更新再開です。

またよろしくお願いいたします。

≪禁域の森≫。


 それは迷宮≪ヴァート湿原≫の最奥にある一帯の通称である。


 湿地帯の最も奥深い領域なだけあって、そこは実に陰鬱な様相を呈していた。奇妙に曲がりくねった木々。足元に絡みつくように生える草。時折見かける花々の色は毒々しく、妙に甘ったるい香りを放っているのがより怪しさを増している。

 そして何より厄介なのは、足元の泥であった。妙に砂の粒が細かく、また重いのだ。湿気を帯びたそれらが靴に纏わりつき、立ち入る者の歩みを鈍らせた。


「ふぅ、ふぅ……」


 エルサなどはただ歩くだけで一苦労の様子だ。法衣の裾をひざ元までまくり上げながら顔を上気させている。彼女はきちんとした冒険者用のブーツを履いているし、普通の町娘などよりは遥かに体力がある。それでもこの森の悪路とねっとりとした空気に当てられて、普段以上に体力を奪われている様子であった。


 周りを見てみれば、他の冒険者たちもみな似たような有様だ。平気そうに歩いているのはクレアを含む一部の腕利き連中と、アンデットであるアレクセイやソフィーリアくらいである。


 アレクセイの鎧は凄まじい重量を誇る全身鎧だが、身体が鎧状態の今となっては重さなど関係がない。もとより現役時代から甲冑を着て悪路を往くのには慣れている。ヴォルデン重装騎士団といえば、豪雪地帯をフル装備で行軍する脳筋集団なのだ。


 ソフィーリアに至っては最早地形など考慮に値しない。<闇霊(ダークレイス)>である彼女は、地面を歩いているように見せかけているだけだからだ。


 斯様にして≪禁域の森≫は、特殊な例を除く普通の人間には実にやりにくい環境なのであった。だがそれは、そこに住む者たちにとってはそうではない。森の木々や草花、足元のぬかるみでさえ、彼らの味方なのである。


 泥を撥ね退けながらずんずんと歩いていたアレクセイは、突然振り返ると抜き放った剣をエルサの足元へと突き刺した。


「きゃっ!?な、なんですか!?」


 驚く彼女の前に、灰色の泥から引き抜いた剣の先を見せてやる。そこに貫かれていたのは、泥と同じ色の体表をした、子犬程の大きさのトカゲだった。先ほどのひと突きであっけなく死んだようで、先だけが青い尻尾を力なく垂らしている。


「……これは?」


「むむ、こいつは<青尾竜(ブルーテールリザード)>じゃないかな」


 クレア曰く、それは非常に強い毒性を持ったトカゲだという。その牙はそれほど鋭くはないため、ある程度足元の防備を固めていれば防げるのだそうだ。但し息の潜め方がうまく、気づかずに足を噛まれる冒険者が多いとのことである。


「こいつの牙に私のブーツを抜かれることはないから、少し油断していたのもあるけど……アレクセイ殿はよく気づいたね」


「うむ……」


 アレクセイはクレアに気のない変事を返しつつ、切っ先の死体をじっと眺めてみる。毒以外はとても弱い、なんということもない魔物だ。その牙は普通の金属鎧すら抜くこともできないという話なので、聖竜の鎧を肉体とするアレクセイにとっては文字通り歯牙にもかけない相手であることは間違いない。


 それ故に、アレクセイにはこの魔物の気配を感じることができなかった。だがそれでも、エルサの足元に魔物がいるということが分かったのである。


(相手の気配を読むのは得意だが……あれはそれとは明らかに違う感覚であったな)


 塔の盾(タワーシールド)を使うアレクセイは、目に見ずとも相手の動きを読む術に長けている。それは視界を覆う程の大盾を用いる重装騎士団にて身につけた特技であり、ヴォルデン騎士の強さの一端を担うものであった。


 戦士の装備において、視界の確保と高い防御力の両立は遥か昔からの課題である。巨大な盾を使う軍隊はヴォルデン以外にも存在したが、いずれも廃れていった。それは取り回しと視界の悪さが、数多の戦場で兵士たちの命とりとなったからだ。

 ヴォルデンはそれを、己の肉体を鍛えることと、超能力じみた勘の良さを会得することで補ったのである。


(今から思えばなんとも頭の悪い攻略法だが……それはそれとして、先ほどのあれはもしや)


 自身の脳裏にある考えが浮かぶ。アレクセイは剣を収めると、身体の力を抜き精神を集中させてみる。


 するとどうだろう。

 森のあちこちから、気配とは違う、何か熱量に似たものを感じとることができたのだ。木々の向こうに、草の陰に、向こうの沼の底に。自分たちを取り巻くあらゆるところからその熱を感じるのである。それは目の前に立つ、不思議そうな顔をしたクレアとエルサからも同様であった。


 この場での唯一の例外は、傍らに立つ妻だけだ。彼女からは鍛えられた騎士としての能力によって、気配しか感じることはできない。


 つまりこれは生ある者が放つ熱なのだろう。そしてそれは、かつてエルサがアレクセイに語ってくれた<さまよう鎧(リビングメイル)>の話の一つを思い出させてくれた。


(これが≪生命探知(ディテクトライフ)≫か)


≪生命探知≫。

 それは生者の存在を知覚するという、アンデットの能力の一つである。主に上位の不死が持つ力であり、これによって彼らは障害物の有無に関係なく、一定の範囲内の生物の存在を認識できるのである。


「基本的に<さまよう鎧>は下位のアンデットですけど、中にはこれを使える魔物もいるらしいので。もしかしたらアレクセイさんも使えるようになるかもしれませんね」


 アンデットの専門家であるエルサはそのように述べていたものだ。アンデットは生前の強さが不死化した後の能力に大きく影響する。それ故にかつて一国の将であったアレクセイなどは、かなりの伸び代があるのではないかという話であった。


「……!!アレクセイさん、もしかして?」


 アレクセイの考えに気づいたらしいエルサが、声を潜めて確かめてくる。事情を知らぬクレアの手前もあるので、アレクセイはそれにはうっそりと頷くだけに留めておいた。


「他にも姿を隠している魔物がいるやもしれぬ。みな、気を付けて行こう」


 アレクセイは仲間たちにそう声を掛けると、一行の先陣を歩き始めた。もとより迷宮探索は前衛が先頭を行くのが鉄則だと言うが、この能力があればなお心強いことだろう。


 また自分たちが話し込んでいる間にも、他の冒険者たちは先へと進んで行ってしまっている。行軍の最中に足を止めたアレクセイたちにも非はあるが、彼らの方にも自分たちを待つという選択はないらしい。


(どことなく距離を置かれている印象だが……まぁ仕方あるまい)


 ソフィーリアが負傷者の治療を手伝った割には、彼らの反応は淡泊だった。この森に入るまでにアレクセイたちが何度も魔物の襲撃を退けたせいで、盗人捕縛の競争相手として必要以上に警戒されているようだ。ただ首尾よくフリアエを捕らえたとしても、大人しく彼女をレックスらに突き出す気は自分たちにもない。そういう意味では、彼らの懸念は当たっているとも言えるだろう。


「先頭の者たちと距離が開いてしまったな。エルサ君、少しばかり急ぐが……む!?」


 行軍を早めようと提案しかけたアレクセイであったが、前方に強い力を感じて振り向いた。気配ではない。≪生命探知≫による強力な生命力をそちらから感じるのだ。だが戦士として感覚を研ぎ澄ませてみても、魔物の気配は感じられない。


 他の冒険者たちが気づいて戦闘になっている様子はない。だからこそ、それほどに大きな存在がすぐ向こうにいることに、アレクセイは危機感を抱いた。


 仕舞ったばかりの剣を抜き放ち走りだしたアレクセイに、一行も慌てて付いてくる。自身のすぐ脇を並走するクレアも、腰の鞘に手を添えながら尋ねてきた。


「アレクセイ殿、また魔物かな?私には何も感じられないが」


「うむ、かなりの大物と見える。姿はまだ見えないがもうすぐそこにいる。いや、これは……ッ!!」


 すぐに他の冒険者たちに追いついたアレクセイは、そこまで言うや否や力強くその場から跳躍した。呆気に取られる彼らの頭上を飛び越え、飛び降りようとしているのは一行の真ん中ほどを歩く、レックスのもとであった。


 アレクセイは空中で剣を逆手に持つと、まさにレックスに突き立てるが如く急降下する。ようやっとその存在に気づいた相手は、こちらを見上げると慌てて腰の剣へと手を伸ばした。


「ぬぅん!!」


 勢いよく落下したアレクセイは、己の重量を切っ先に乗せてそこへと突き刺した。その衝撃のあまりに、周囲の泥がぶわっと宙に舞い上がるほどだ。

 そしてアレクセイが剣を突き立てたのは無論レックスなどではない。ぬかるみ、冒険者たちが顔を顰めて歩く、地面そのものであったからである。


「き、貴様っ!いきなり何をするか!!」


 驚き跳ね飛ばされ、泥たまりに尻もちを突いた格好の帝国騎士が叫ぶ。


「……む、浅いか」


「な、なに?」


「いや、想像より随分と大きかったようだ。皆の者気を付けろ!!出てくるぞ!!」


 アレクセイが裂帛の声を上げると同時に大地が唸りを上げる。冒険者たちはすわ地震かと慌てるが、そうではなかった。その証拠に、剣を突き立てるアレクセイを中心にして泥が波立ち始めたからだ。そしてそこからもりもりと、地面が隆起し始めたのである。


「こ、こりゃあ……」


「沼竜?いやこんなデケェの見たことねぇぞ!!」


 その異様を見た冒険者たちが、口々に驚きの声をあらわにする。その身体の上に立つアレクセイも、内心で唸りの声を上げていた。


 それは実に巨大な魔物であった。おそらく亜竜、なのだろう。太い二本の脚でしっかと立ち、指の間にヒレのようなものが付いた腕も二本ある。

 だがその身体はどうみても()()()であった。横に大きな口元から伸びる四本の髭や頭部の上面に位置する小さな目玉など、これぞナマズといった顔立ちをしている。背の低い背びれの横に申し訳程度に竜の翼らしきものがあるが、明らかに退化しておりほとんど背びれに近い有様だ。竜の亜種というよりも魚の怪物と呼んだ方がいい見てくれである。


「だが、この大きさは下手な竜よりも脅威であろう」


 身長二メートルを越えるアレクセイを背に乗せてなお大きいのだ。目算でも体長は十メートル近くあるかもしれない。まともな竜でもこのサイズになるには百年以上の時を要するだろう。この巨体でありながら、近づくまでほとんど気配を感じさせなかったとは驚きである。


「じょ、上等じゃねぇか!大物喰いが俺の専門なんだぜぇ!!」


 巨大すぎる魔物を前に腰が引けていた冒険者たちの中から、一人の戦士が飛び出した。≪竜殺し≫などと呼ばれていた四ツ星の大男である。

 彼が「≪筋力強化(ビルドアップ)≫!!」と叫ぶと、男の身体が淡い赤色に発光し始めた。術者の力を底上げするスキルを使ったのだろう。そうして強化された膂力を生かして、戦斧を勢いよくナマズ竜へと叩きつけた。


「なんつーかてぇ脂肪だ!おい、冗談だろ!!」


 しかし斧の刃は半ば程度しか食い込んでおらず、人の胴回りよりも太い魔物の足に痛痒を与えることは敵わなかったようだ。ナマズに似た見た目の印象とは裏腹に、高い防御力を持つらしい。魔物の体は竜や魚のような鱗も持たず、真っ黒なその表面は泥と粘液に覆われている。しかしその表皮の下には分厚い脂肪が蓄積されているらしく、それが刃を防いでいるのだろう。


「モォォォォォ!!」


 巨大な魚竜は足元の邪魔者を払うべく、両腕を振り回して暴れ始めた。攻撃が失敗した冒険者の男はからくも逃げおおせたが、その巨体はただ動かすだけでも立派な攻撃となる。


「ならば我らが魔術にて」


「そうですな。あれが魚にしろ竜にしろ、それらは雷に弱いと相場は決まっておりますでな」


 そう言う痩身の魔術師とキノコ頭の聖職者たちの手から、今度は魔法の稲妻が放たれた。しかし決して弱くはないはずのそれらの魔術を受けてなお、ナマズ竜は素知らぬ顔で暴れ続けている。


「なるほど。タフネスは並みの竜以上というわけか」


 背中に差し込んだ剣を支えにしながら、アレクセイは魔物の上で器用にバランスを取って思案していた。


 身体が大きいというのはそれだけで脅威だ。それは尋常ならざる攻撃力を持つというだけでなく、巨大ゆえに致命傷となる内臓まで武器が届かないという、物理的な問題があったからである。人が持てる武器の大きさには限りがある。どんなものでも斬れる聖剣があったとしても、身体のごく一部を斬られただけで生物は死にはすまい。


「竜のように逆鱗があればよいのだが、見たところ鱗そのものがないしな」


 竜には弱点となる部位があるが、この亜竜にも存在するかは分からない。いかな漁師の息子とはいえ、川魚は専門外だ。


「となれば狙うは脳天か」


 そこであれば頭頂部から奥の位置にあるということはあるまい。幸いアレクセイはいま魔物の背に乗っている。少し先に進んで再び剣を突き入れれば、それで終わるだろう。アレクセイが大剣を抜き、頭目掛けて走りだそうとしたそのときである。


 暴れるナマズ竜の足元を何かが駆け抜けたかと思うと、天高く魔物の頭上まで跳び上がった。


「むっ!!」


「失礼!!ここは私にやらせてもらおうっ!!」


 跳ねたのはクレアであった。

 彼女はくるくるとコマのように回転しながら、亜竜の頭上まで舞い上がったのだ。そしてそこに渦巻く闘気の奔流と、いまだ鞘に仕舞われたままの細身の剣を見て、アレクセイの脳裏に閃くものがあった。


(よもや、あの技は)


 空中で一瞬滞空したクレアと、見上げるナマズ竜の視線が交差する。


「はっ!!」


 そして彼女の気合の声とともに、鞘から白刃が煌いた。目にも止まらぬ速さで鞘から打ち出された刀身から、凄まじい闘気の塊が放たれたのである。


 いや、放たれたのではない。練り上げられた闘気そのものを刃に纏わせ、クレアはまるで巨大な一本の剣のようにそれを振るったのだ。長大化した青白い刀身は魔物の頭部を大上段から易々と両断し、そのまま長い胴体をも真っ二つにせしめたのである。


 但し、その道中にはアレクセイが立っていたのだが。


「し、しまった!!」


 いまだ空中にいながら、クレアが表情を変える。ここまで見たこともないような焦り顔であった。


 だがアレクセイは迫りくる閃光を避けようともせず、その場で大盾を構えた。


「ぬんっ!」


 凄まじい轟音を立てて、闘気の刃が聖竜の盾にぶち当たる。


 哀れアレクセイも真っ二つ、ということもない。


 分厚い肉体を持つナマズ竜をも切断したクレアの刃は、しかしアレクセイの大盾を切り裂くことなく霧散してしまった。おかげで竜の体の後ろ半分まで彼女の剣が届くことはなかった。だが一撃死には変わりない。巨大な魚竜は身体の前半分を縦に切り裂かれて、絶命することになったのである。


 地鳴りを上げて泥の上に横たわる魔物の背からアレクセイは飛び降りる。そこに真っ青な顔をしたクレアが慌てて駆け寄ってきた。


「ア、アレクセイ殿無事か!?すまない!なんと詫びればよいか……」


 あわあわと狼狽しながらこちらの身体を検めようとするクレアを、アレクセイはそっと押し留めた。


「いや案ずることはない。この通り傷一つ負ってはいないさ」


「うぅぅ、本当に申し訳ない。つい興が乗って力が入り過ぎてしまったようだ……」


 彼女の放った一撃は強力であったが、聖竜の盾に傷をつけるものではなかった。というか神の分身でもある神竜の爪さえ防ぎ切ったこの防具に傷をつけるなど、人の身ではほぼ不可能であろう。それでも盾越しに感じた衝撃はなかなかのものであった。剣士の技としては称賛に値すると言ってよい。


(そう、あれは尋常な技ではない。私が知っているものであればな)


 そう考えて、アレクセイはじっと彼女の腰に吊るされた剣を見た。長く、刀身の細い剣である、緩く湾曲していて、控えめに紋様が入れられた上質そうな木製の鞘に収められている。特徴的な楕円形の鍔といい、それらの意匠は明らかに()()()ではない。


 相手の視線に気づいて、クレアは腰の剣に手を当てて首を傾げた。


「えっと、私の剣がどうかしたのかな?」


 視線を上へと戻し、アレクセイはクレアの顔をじっと見てみる。黒髪に黒い瞳。異国の剣に、見覚えのあるあの独特の剣技。それらは否応なく一人の人物をアレクセイに連想させた。そしてその思い付きを彼女へとぶつけてみる。


「君は、ガトーという男を知っているか?」


 剣士ガトー。彼らの国の言葉で言うなら、サムライ。


 それはアレクセイとソフィーリアとともに邪神竜グロズヌイと戦った、異郷の剣士の名だった。




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