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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第73話 土竜の穴ぐら

「ここか」


 アレクセイは薄汚れた扉の前で足を止めた。

 見上げてみれば看板が吊り下がっており、そこには穴から顔を出した土竜(もぐら)が描かれている。


 酒場"土竜の穴ぐら(モウルズホール)"。バルダーの街の裏路地にひっそりと扉を構えるこの店が、アレクセイたちの目的地であった。


 宿屋の娘のリーデルから、神竜の鱗を盗んだ犯人についての奇妙な依頼を持ちかけられたのは、昨日の話である。


「捕まえてほしいとな」


 聞き返すアレクセイに、リーデルはまるで挑戦するかのような目つきで頷き返してきた。


「ああ、そうさ。アンタたちはこの街の古い歴史について聞きたいんだろ?さっき話したこの街の記録を持ってるのは、その盗人なのさ」


「ふむ……詳しく話を聞かせてもらおう」


 アレクセイはそう言ってリーデルを部屋へと招き入れた。


「鱗を盗んだ奴は、アタシの幼馴染なんだ」


 そうしてリーデルが語ったのは、些か複雑な話であった。


 彼女の幼馴染、神竜の鱗を盗んだ犯人はフリアエという娘であった。街の名士の家の出であった彼女は、生まれ育った場所に貢献したいがために騎士となったのだそうだ。


 アレクセイが生きてきた時代から五百年の時が経ったこの時代に、戦争はない。それゆえに騎士になろうと志す人間は、戦で武功を上げるのではなく、大都市にある騎士の養成学校に通うらしい。そこは基本的に貴族のための学び舎であるが、豪商の子など金さえ積めば平民であっても入学することは可能だという。


 それなりに発展した街の名士の娘であったフリアエは、晴れてそこの学徒となり数年の後に優秀な成績で卒業し、この街を治めるゴデスラス伯爵の元で騎士となったのだ。


「よもや騎士が盗みを冒すとはな」


 アレクセイの言葉から何を感じたのか、リーデルは眉を逆立てて声を張り上げた。


「余所者がわかったようなことを言わないで!……ごめん。でもあの娘は、理由があってそうするしかなかったんだ」


 だがすぐに我に返ると、侘びの言葉とともに小さく頭を下げた。そしてその"理由"とやらを語り始めた。


「"神竜の鱗"は、昔っからのこの街の宝だったんだ。アタシなんかは詳しい由来を知らないけど、とにかく大事に、敬うようにって教えられて育ったもんさ」


 その中でもフリアエは由緒あるバルダーの名家の人間として、特に鱗を神聖視していたのだという。


「それが自分が帰ってきたら、鱗が街じゃなくて領主の館にあったんだ。あの子が怒るのも当然さ」


「まさかそれで盗んだというのか?」


 アレクセイは思わず驚きの声を上げた。だとすればあまりにも短慮が過ぎる。気持ちは分からないではないが、それだけで法を破っていい理由にはならない。法の執行者たる騎士であれば尚更だ。だがリーデルはぶんぶんとかぶりを振った。


「そんなわけないだろ!フリアエは街で一番頭が良かったんだ!詳しくは聞いてないけど……きっと何か理由があるんだよ!」


「それで、そのお友達を捕まえてほしいというのは、どういうことなんですか?」


 エルサと並んでベッドに腰かけたソフィーリアが問いかける。

 彼女も共に邪神竜と戦った仲間の一人である。またその鱗の邪気を払った張本人なのだから、思うところもあるだろう。


「これを見て」


 するとリーデルがその手に握りしめていたものを突き出してくる。それは一枚の羊皮紙であった。


 アレクセイはそれを広げてみる。横から妻とエルサも覗き込んできたが、そこに書いていた内容を見てソフィーリアは「なるほど……」と呟いて眉をひそめた。


「ふむ、領主は外に手配書を出したか。よほど鱗が大切と見える」


 アレクセイもまた低く唸った。

 それはゴデスラス伯爵の名で布告された、盗人の人相書きであった。捕らえた者には金貨百枚。生死は問わず、ただし盗品を取り返さない限りは決して犯人を殺すべからずと書いてある。


 そこに犯人が領主の元騎士であることは記されてはいない。現職の騎士が主人から盗みを働いたとなれば風聞に関わるからだ。それでも兵だけでなく在野の人間を頼るということは、それだけ必死ということだろう。


 ただリーデル曰く、そのことはこの街ではほとんど公然の秘密らしい。そしてそれは街の名士の娘の名誉を守るためではなく、外の人間に報奨金を渡したくないからだという。


「恥知らずな連中だよ!同じ街で育った仲間だってのに、あの子の気持ちも知らないでさ!」


「そう言うからには、君が我々に彼女の捕縛を頼むのは、金目当てではあるまい?」


 アレクセイがそう問うと、リーデルは怒ったように言葉を返してきた。


「当たり前だろ!あたしは……あたしはあの子を助けたいんだよ。このままじゃフリアエは……」


「あ、これ冒険者向けの任務(クエスト)なんですね」


 そう声を上げたのはエルサである。彼女に言われて見て見れば、確かにそこにはバルダー冒険者ギルドの印がある。つまりこれはギルドを通じて出された依頼であるということだ。


 冒険者ギルドは迷宮に挑む者を支援する組織である。つまりそこが発行する仕事の意味とは、一つしかない。


「まさかその娘は、迷宮の中にいるのか?」


 アレクセイの疑問にリーデルは、力なく頷いた。それ故に彼女は冒険者であるアレクセイたちに、領主よりも先にその娘を捕まえるよう話を持ちかけてきたのである。


「そういえば国、というか貴族は、迷宮には不干渉だという決まりがありましたね」


「なるほどな。それで冒険者を使おうというわけか」


 得心がいった様子のソフィーリアの言葉に、アレクセイも同意する。


 随分前にエルサから教えられたことだが、この時代では国が迷宮に干渉することを禁じているのだという。その目的は無限の財源となる迷宮が争いの火種になることを防ぐためらしいが、こういった場合にはその決まりが障害になることもあるようだ。


「まぁ捕り物依頼を傭兵が受けることは当時もあったからな……して、我々を選んだ理由は?」


 リーデルはアレクセイを見上げ次いで隣のソフィーリアに視線を移してから、再びこちらに向き直った。


「夫婦で冒険者なら、まぁそんな悪い奴じゃないかなって。後は、あたしの勘ね」


 それならば大した勘働きだと言えるだろう。


 まぁアレクセイとしても話を聞いた以上、このことを見逃すつもりはない。それに手配書の中に、どうしても無視できない"あること"が記されていたのだ。非が誰にあるにせよ、神竜の鱗を見つけ出してしかるべきところに戻す必要があるだろう。


(遥か昔の死者である我々が、この時代の事件に無闇に首を突っ込むべからずと思っていたが……今回ばかりはそうも言ってはいられまい)


 もっともラゾーナやサルビアンでそれぞれの事件に関わった身としては、今更とも言えるのだが。


 こうしてアレクセイたちは、リーデルから神竜の鱗を盗んだ犯人を捕まえる依頼を受けたのである。






「リーデルさんが言うには、結構な数の冒険者が集まっているという話でしたが、なるほどこれは……」


 宿屋の扉をくぐった先の光景を見て、ソフィーリアがそんなことを言った。


 依頼の説明をするための集合場所が、この路地裏の宿屋であった。そのためさして広くもない宿の食堂一杯に冒険者が溢れかえっていた。


 人数は三十人ばかりであろうか。只の獲り物に金貨百枚は確かに破格の報酬なので、冒険者が集まるのも無理はない。それにこの街にはもともと、迷宮でひと稼ぎしたい冒険者が多いのだ。


「……でもなんだか、あまり柄の良くなさそうな人が多いですね?」


 スライムのミューを胸に抱きながら、エルサが小声でそんなことを漏らす。


 確かに見渡してみれば、人相のよろしくない連中が多い気がする。バルダーの街の迷宮は中級者向けのものであるので、ここに居並ぶ者たちも決して駆け出しという見た目ではない。ただ真っ当に経験を積んできたというには、いくらか暴力の匂いが強い気がする。


 なんとなく、ラゾーナの街で出会ったクラン"北の旋風(ノーズウインド)"の者たちと似通った雰囲気と言えた。


「はっきり言ってこの依頼はきな臭いからな。盗人探しに金貨百枚は多すぎる。まともな冒険者ならば、受けようとは思うまい」


 富と名声を求め危険に挑む冒険者といっても、なんでもありというわけではない。むしろ上位を目指すからこそ、人品は必要になってくる。どんなに優れていようとも、ギルドがならず者に多くの星を授けることはないのだ。


 アレクセイはそんな彼らの視界にできるだけ入らぬよう、食堂の隅の方に陣取ることにした。


 依頼内容を知る貴族側の人間はいまだ来てはいないようだ。金目当てであろう他の冒険者たちも、手持無沙汰なのか各々が酒やつまみを卓に並べている。


 さてでは自分たちもどうするかなどと考えていたところに、一人の冒険者が近づいてきた。右手にジョッキを、左手に肉の刺さった串を手にした女の冒険者である。


「やぁ、こんにちは。貴方たちもあの依頼を受けたのかな?」


(この娘……)


 にこやかな笑みを浮かべて歩いてくる娘に、アレクセイは兜の下で小さく唸った。


 只者ではない。


 それが彼女の姿を見たアレクセイの第一印象である。


 呑気に串肉を頬張ってはいるが、身のこなしにはまるで隙がない。細身の身体を飾り気のない濃紺の革鎧に包み、同色の外套を纏っている。同じく細身の剣を履いているからには剣士なのだろう。屈託のない笑顔でソフィーリアらと言葉を交わしてはいるが、いつでも剣を抜ける気構えでいることをアレクセイは見抜いていた。


 少なくとも、ラゾーナのクランマスターであるセリーヌや、サルビアンのスキル教官であるアネッサに劣る腕前でないことは確かであろう。


(だがこの娘、どこかで見たことがあるような?)


 娘は非常に美しい顔立ちをしていた。長い黒髪を無造作にひとまとめにしてはいるが、それすらも彼女の美貌を彩る要素のひとつに見えるほどだ。


 妻を持つ身で他の女性の容姿を取り沙汰すものではないのだが、この時代に蘇ってから出会った中では、一番の美人ではないかとすら思う。しかしそうであれば、なおさら記憶に残っていようものだが。


 アレクセイが心中でそんな疑問を浮かべていると、当の本人の方からその答えを示してきたのである。


「貴方たちは"聖竜の鱗亭"の宿泊客だろう?むさくるしい男ばかりで辟易していたんだが、貴方たちの姿を見かけてね。つい声をかけてしまったんだ」


 どうやら彼女もまたリーデルの宿の客らしい。そういえばアレクセイたちが宿に着いた時も、こんな姿の客があそこの食堂にいた気がする。それに宿屋の主人も、自分たち以外には客が一人だけだと言っていたはずだ。


「私の名はクレア。旅の冒険者だ」


 そう名乗った女剣士は、如才のない笑みを浮かべてソフィーリアへと手を差し出した。ソフィーリアもまたにこやかに微笑んでその手を取る。


「私はソフィーリアと申します。こちらはエルサさんと、夫のアレクセイですわ」


 彼女がそうアレクセイのことを紹介すると、クレアは驚いたように目を見開いた。


「なんと、ご主人だったか。失礼、私はてっきり護衛の方かと」


「いや、夫婦に見られぬことには慣れている」


 ソフィーリアは見た目の可憐さもさることながら、防具や装束も立派ななりをしている。ともすれば冒険者になった貴族の娘と、その護衛騎士に見えなくもないだろう。それに夫婦扱いされないことには、流石のアレクセイももう慣れた。先だっての宿屋でも、主人らから奇異の目で見られたばかりであるからだ。


 クレアはアレクセイの姿を眺めてから、うんうんと何度か頷いた。


「うむ、実に立派な鎧だ。それに随分と腕も立つ様子。これなら盗人も間違いなく捕まることだろう」


 アレクセイがクレアの実力を計っていたように、彼女の方もこちらの腕を推察したようだ。無論互いに実戦を見ないことには真の実力は分かるはずもないが、アレクセイをそのように見立てただけでも、彼女が相応の腕の持ち主だと分かるというものである。


「あら?そのように仰るということは、もしかしてクレアさんも、例の依頼を受けに?」


 ソフィーリアがそのように尋ねると、クレアは気まずげに頬を掻きながら答えた。


「あー、うん。普段はこういう依頼は興味がないんだが……今回の盗人は白竜(ホワイトドラゴン)を連れているそうじゃないか。私も冒険者の端くれとして、世にも珍しいかの竜には興味があるからね」


 白竜。それこそが、アレクセイがこの任務を見過ごせない一番の理由であった。


 冒険者ギルドが発行した依頼書によると、盗人、リーデルの友人であるフリアエという娘は純白の竜を従えているようなのである。そしてリーデル曰く、フリアエは長く美しい銀髪であるという。


 銀髪の、白竜を連れた若い娘。

 アレクセイはそんな娘につい最近会っていたのだ。


(まさかフェリシアに瓜二つのあの娘が、神竜の鱗の盗み手だったとは)


 何の偶然か、バルダーの街に来る直前に遭遇した銀髪の娘こそが当のフリアエであった。


 アレクセイの妹そっくりの娘が騎士となり、神竜の鱗を盗み出す。これは一体なんの因果だろうかと、アレクセイは思わずにはいられなかった。

 そして彼女の生死がかかっているとなれば、アレクセイが動かないわけにはいかないだろう。


「……確かに白竜は希少だからな。腕に覚えがあれば、挑まずにはいられまい」


「貴方たちもそうなのかな?」


「……うむ」


 アレクセイは重々しく頷いた。本当のことなど言えるはずもなく、またその必要もない。


 見たところ、クレアは他の冒険者たちのようにすれっからしには見えない。まともな冒険者としてこれまで歩んできたのだろう。だが彼女のような腕利きがいるとなると、今後の動きに支障がでるかもしれない。


 さてどうしたものかとアレクセイが頭を悩ませていると、宿屋の扉が大きな音を当てて開け放たれた。そして身なりの良い何人かの人間がずかずかと入ってくる。どうやら件の依頼者様一行が到着したようである。


 そしてそこにまたも見覚えのある姿を見て、アレクセイはあるはずもない眉を寄せることになった。


「よぉし、数は揃っているようだな!これより盗人捕縛作戦の概要を説明する!金が欲しければキリキリ働くことだな、冒険者ども!」


 そう言って偉そうに居並ぶ冒険者たちを見回したのは、昨日リーデルに剣を向けていたレックスという名の騎士であったのだ。

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