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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第四章 二ツ星の夫婦
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第67話 北の少年の話

 アレクセイが生まれたのは、ヴォルデン北東部の寒村であった。


 寒さの厳しい大陸北部の例に漏れず、自身の生まれ故郷は冷たい風の吹く土地だった。村は岩肌の露出した海岸地帯に面しており、ここに住む人間のほとんどは漁をして暮らしていた。決して豊かとは言えない土地柄だったが、人々は日々をつつましやかに過ごしていたものである。


 アレクセイの家もそうした漁師の一家であった。ヴォルデン人らしく頑強で無口な父に、厳しくも優しい母。笑いの絶えない家庭とはとても呼べなかったが、それでも幼い妹とともに親を手伝って過ごした日々は、それなりに幸せな少年期であったと思う。


 それらの生活が一変したのは、強く逞しかった父を乗せた船が海に沈んでからであろう。

 生まれた村において、沖に出た漁師が帰らぬ人となることはそう珍しいことでもなかった。そういった場合は、残された家族を村全体で養うことが多い。ただ運の悪いことにその年は漁獲量がひどく少ない年で、まともな家庭であっても一家が食っていくのがやっとという有様であった。


 アレクセイの生まれた村を治めていた領主は決して横暴な貴族ではなかったが、さりとて領民一人一人に救いの手を差し伸べてくれるようなこともない。

 そして間の悪いことに、その頃ヴォルデン王国は隣国との戦争を始めたばかりであった。どれほど善政を敷いていても税は上がるし、領民たちの生活は苦しくなる一方だった。


 だからアレクセイは、これを幸いとして村を出ることにしたのである。


 ただでさえ村一番の巨体を持つ自分だ。食う量は余人の倍であるし、力は有り余っている。何より貴族の招集に答えて戦場に参じれば、そこそこの金を受け取ることができた。運よく武功を上げることができればより多くの金を実家に入れることができるし、万が一戦地で倒れることになったとしてもいくばくかの補償金が家に届けられることだろう。


 それに夫と息子を失った女二人くらいならば、あの寒村でも養ってくれるはずだ。そうして母と妹が止めるのも聞かず、アレクセイは家を飛び出したのである。


「だから私は、初めから騎士であったわけではないのだ」


 薪の明かりを眺めながら、アレクセイは自嘲気味にそう言った。今では騎士だ戦士だとあれこれ言ったりするが、戦場に出た動機はと聞かれればそんなひどく現実的なものだ。思えばあの頃の自分は、ただあの村を出る理由を探していただけなのかもしれない。


「アレクセイさんが漁師さんの子だったなんて、意外です」


「ははは。これでも昔は父の漁を手伝っていてな。魚を獲るのもうまいものなのだぞ?」


「確かに。こうしてミューちゃんのご飯を獲ってきてくれましたものね」


 薪を囲んで座るアレクセイたちの一角には、ぐびぐびと魚を呑み込むスライムの姿があった。この魔物は決して人や生き物を襲うことはないが、なかなかに食欲旺盛なのである。それも生の魚より、きちんと火を通したものの方が好みであるらしい。

 これならばアレクセイたちの代わりに街で食事をするのも問題ないだろう。


「そうして初めて戦場に立ったのが、十五のときであったな」


 アレクセイのように、食い扶持を減らすがごとく故郷を追い出されてきた者は少なくはなかった。たとえ成人したばかりであっても、そこは並々ならぬ巨体を持つヴォルデン人である。他国の兵士に比べればよっぽど体格は良かったし、その中でもアレクセイは群を抜いてでかかった。


「たとえ死んでも金になることはわかっていた。だからこそ私は、死なないように死ぬ気で戦った。少しでも生き延びれば、その分だけ故郷の家族の糧となる。今思えば随分と泥臭い戦い方をしていたものだ」


 騎士の国と謳われたヴォルデンは、末端の兵士にも厳しい訓練を強いる。それに装備も自前などではなくきちんと支給された。


 それでもひよっこを歴戦の戦士に育て上げてから戦場に出す余裕などなかったから、ひとたび乱戦になれば多少の訓練など頭から抜け出てしまう。あとは巨体に任せて、武器を振り回すだけだ。まだ若いアレクセイが我を忘れて暴れまわる度に、敵国の兵士が吹っ飛ばされていた。


 そうこうしているうちに半年、一年が過ぎ、アレクセイは若くとも相応の経験を持つ兵士に成長していた。


 すでに故郷には十分な額の仕送りができていたが、戦場を離れる気にはなれなかった。ヴォルデン風に言えば、あの頃は戦に憑りつかれていたのかもしれない。戦友と呼ばれる者たちもできていたし、部隊にも愛着があった。

 今更あの寒々とした村に帰って、冷たい海に出る気になどなれなかったのである。


「だからなのか、私は炎神ゾーラに見放されかけたのだ」


 アレクセイたちの部隊は敵の術中に嵌り、包囲されてしまったのだ。当時の指揮官は決して無能ではなかったはずだが、それでも相手の方が一枚上手であったのだろう。あるいはアレクセイたちの部隊は少しばかり戦場で目立ちすぎて、警戒されていたのかもしれない。

 ともかく、生還は絶望的とされる状況に陥ってしまったのである。


「死を覚悟せぬ時はなかったが、あの時ばかりは心が折れそうになったものだ」


 なにせ倒しても倒しても敵があらゆる方向から湧いて出てくるのだ。仲間はひとりまたひとりと倒れていくし、ついには隊を率いていた騎士までもが討ち取られてしまった。

 残るは自分を含めた僅かな兵士だけ。なんの巡り合わせか、故郷から追い出された連中ばかりが残ることになった。


 そうして死に物狂いで戦う間、アレクセイの脳裏に浮かんでいたのはたったひとつの情景のみであった。


 それは故郷に残した母と、妹のフェリシアの姿だ。そして今は亡き父と家族四人で暮らした、あの寂れた村の風景だった。


 寒く貧しくも、幸せな故郷の記憶。


 それだけが、寒空の下でともすれば止まりそうになるアレクセイの身体を温めてくれたのだ。あの光景を思い出せば腕はまだ槍を振るえるし、盾を下ろしそうになるのも堪えることができた。


 炎神ゾーラは戦と愛の神である。


 戦場にあっても愛を忘れぬものを、ゾーラは見放したりはしない。神が手を差し伸べるがごとく、家族を想い必死に戦うアレクセイのもとに、ついに援軍がやってきたのである。屈強な騎士たちによって率いられた彼らは瞬く間に敵軍を蹴散らし、アレクセイたちを救ってくれたのであった。


 そうして命の危機が去ると、安堵からかアレクセイは遂にその場に膝を突いてしまった。だが傷つき冷え切ったアレクセイの身体を、優しく包み込んでくれた存在がいた。


「ソフィーリアに初めて会ったのは、ちょうどその時であったな」


 それこそが後のアレクセイの妻、ソフィーリアであった。当時はまだ一介の神官戦士であった彼女は、癒しの奇跡でアレクセイの傷を治すと、温かい毛布でその身体をかき抱いてくれたのである。自分を見下ろす穏やかで優し気な瞳を見ているだけで、アレクセイは張りつめていたものが緩くほどけていくのを感じた。


 あの頃のソフィーリアはまだ神殿を出たばかりで若かったが、現在と違い既に成人したヴォルデン女性の姿をしていた。当時から"ゾーラの娘"などと呼ばれるほどに美しい外見をしていたが、初めて彼女の姿を見たアレクセイが抱いたのは、恋慕の情などではなく故郷の母に似た郷愁であった。


「お、お母さんですか?」


「うむ、恥ずかしながらな」


 だがそれはさほど珍しいことではない。戦場で生死の境を彷徨った若い兵士の多くは、故郷の母親を思い出すことがあるのだという。


 それが生物のいかなる本能に基づいてかは分からないが、ともかくアレクセイはソフィーリアの慈愛に満ちた眼差しに母性を見たのである。


「夫たちの部隊が孤立無援の状況にあると聞いて、とある騎士の方が援軍を出すべきだと仰ったんです。そして我々神官戦士も彼らとともに都を出ました。傷ついた彼らを一人でも多く救うには、神の奇跡が必要でしたから」


 そうしてやって来たのが、当時の"竜の鱗(ドラゴンスケイル)"に率いられた王国の精鋭たちであった。


「"竜の鱗"って、あのアネッサさんの剣の?」


「うむ、王の四騎士と呼ばれていた一人だな」


 そもそも王の四騎士というのは、ヴォルデン王国の武の象徴にして、四大軍団を率いるヴォルデン兵士の頂点に立つ者たちのことである。


 "竜の鱗(ドラゴンスケイル)"

 人民と国土を守る王国の盾にして、鉄壁を誇るヴォルデン重装騎士団の指揮官。


 "竜の尾(ドラゴンテイル)"

 あらゆる敵を薙ぎ払う攻撃の要であり、勇猛なるヴォルデン重装歩兵団の将。


 "竜の爪(ドラゴンクロー)"

 疾風の如く戦場にはせ参じては縦横無尽に駆けまわる、ヴォルデン遊撃騎士団の団長。


 "竜の牙(ドラゴントゥース)"

 王を守護する王国最強の近衛騎士団の総帥にして、王の四騎士の長、君主の懐刀。


 これら四人は王自らが任命する者たちであり、騎士としての最高の名誉とともに死ぬまでその役職を全うする責務を持つ。ヴォルデンで剣を取る者であれば誰もが敬い目指すべき、騎士の中の騎士たちであった。


「そうして私は運良く命を繋ぐことができたのだ。その時からだな。私が"戦う意味"を探すようになったのいは」


 アレクセイは金のために戦場に出て、経験を積むことでかえってその意味を失っていた。初めて深刻な死の危機に直面したことで、アレクセイはただ人よりも強く剣を振るうだけでは生き残れないことを知ったのだ。

 ソフィーリアらによって肉体の命は助かったが、あのときに"少年のアレクセイ"は真の意味で死んだのだと思う。


「そうして私は一度戦場を離れることにしたのだ」


「えっ?そこからソフィーリアさんとのお付き合いが始まるんじゃないんですか?」


 エルサはさも当然のように言ってのけたが、そもそもたった一回顔を合わせただけの男女がすぐに深い仲になるわけはない。それに当時のアレクセイは少しばかり腕が立つ程度の平民の兵士であり、ソフィーリアは将来有望とされていた貴族出身の聖職者だったのである。初めから住む世界が違うし、それが戦場という場所でたまたま重なったに過ぎない。


「あぁ。あの頃はソフィーリアとこのような関係になるなどとは、思いもしなかったな」


「そうですね。夫との出会いは印象的な出来事ではありましたが、当時は神官戦士として職務を全うすることばかり考えていましたから」


 そうして久方ぶりに故郷に戻ったアレクセイを、母と妹は温かく迎えてくれた。母はソフィーリアと同じように息子の身体を抱きしめると、一言「おかえり」と言ったのである。フェリシアも兄の腕を取って椅子に座らせると、手ずから料理をよそってくれたのだ。


 その時にアレクセイは理解した。

 亡き父に似た自分の屈強な身体は、彼女らを守るためにあるのだと。誰よりも太い腕は武器を持って敵を屠るためではなく、盾でもって大事な人々を守るためにあるのだとようやっと気づいたのである。


「人が戦う理由に、正解などありはしない。だが私にとっては、それがもっとも力を振るえる理由に思えたのだ」


 それからひと月と経たずに、アレクセイは再び戦場に舞い戻ることとなる。ヴォルデンの強さに恐れをなした隣国たちが、連合を組んで王国に迫っていたからである。


「私の村は決して戦場に近いわけではなかったが、それでも予断を許さない状況ではあった。だから私は家族と故郷を守るために、再び剣を取ったのだ」


 もう一度命を危険に晒そうとするアレクセイを、今度は母も妹も止めはしなかった。母には彼女が病にて亡くなるまで、その理由を尋ねたことはついぞなかったが、代わりにフェリシアが当時のことを語ってくれたものである。


「あの時の兄さんの眼が、本当に強く輝いていたから。だから私も母さんも止める気にはならなかったの」


 それがどのような輝きかは、アレクセイにはわからない。


 だがそうして参加することになった戦では、アレクセイはそれまでとは比べ物にならないほどの武功を挙げることができた。いち兵卒の身でありながら名のある敵国の将を次々と討ち取り、命を救った友軍の兵士は数知れない。そして遂には乱戦の最中、ヴォルデン王の元にまで迫った敵国の騎士を倒して、主君の身を救いまでしたのである。平民出の少年兵が国王を助けるなど、誉れとしてこれ以上のことはないだろう。


 やがて大きな戦いが終わった後、アレクセイは王の前に召還されることになった。自らの命を救ったいち兵士に対し、王は褒章を与えんとしたのである。


 だが当時のアレクセイは不遜にも、この申し出を断ってのけた。そして歴戦の騎士たちが立ち並ぶその前で、このように言い放ったのだ。


「自分は王をお守りしたのではありません。貴方が倒れれば、国も倒れる。そうすれば故郷の母と妹がどうなるか分かったものではありません。だから自分は、自らの家族を守っただけなのです」


 今から考えれば、不遜どころか頭がおかしいとしか思えない言い草である。いくら戦争の直後で血の気が増していたとはいえ、雲の上の存在である国王に対して許される振る舞いではない。


 当然のことながら居並ぶ忠臣たちは激怒した。ヴォルデンの貴族は血筋や伝統よりも、王への忠誠心をもって自らを「貴なる者」とする人種だ。貴族であると共に騎士でもある彼らが怒るのも、当たり前のことである。


 だがそんな中で、ひとり高らかな笑い声を上げる者がいた。


「それが先代の"竜の鱗"であるアンキセス卿であった」


 人々は"静寂の騎士"と呼ばれていた彼がそんな声を上げることに、ひどく驚いた様子であった。そして王は自らが選んだ四騎士に尋ねたのである。「何がそれほど可笑しいのか?」と。


「陛下、我ら四騎士をはじめヴォルデンの全騎士の瞳が曇っていたようです。陛下に栄光を捧げたいあまりに、真に守るべきものを見失っておりました。民なくして、王も騎士もありますまい」


 当時のヴォルデン王国は過去最大の領土と軍事力を抱え、まさに大陸に覇を唱えんとしていた。それはあの時代の国家としては決して珍しいことではなかったが、それでも民のために戦をしていたとはとても言えなかった。


 彼の言うこともまた青臭い理想論であったのかもしれないが、理想を失った為政者は王にあらず、誇りを失った騎士はただの人殺しでしかないのだ。


 強き力を持つ者は、それをどのように振るうかよく考えねばならない。これが騎士の国ヴォルデンの、古くからの教えであった。


 彼の言葉を聞いたときの王、ジグムント一世は深く息を吐くと、跪くアレクセイの眼前に降り立った。そうして腰の剣を抜き放ったのである。


「あのときばかりは、流石に首を撥ねられるかと胆を冷やしたものだ」


 だが王の剣がアレクセイの頭を飛ばすことはなかった。王は剣の腹をアレクセイの肩に当てると、なんとそのまま騎士叙勲を行ったのである。そうして実に呆気なく、アレクセイは騎士となってしまった。


「な、何の前触れもなくですか?」


「うむ。他の忠臣たちも唖然としていたな。だがアンキセス卿だけは、穏やかな笑みを浮かべていたよ」


 そうして兵士アレクセイは騎士アレクセイとなったのである。もっとも、そこに本人の意思は介在してはいない。だからアレクセイが騎士としての自覚と王への忠義に目覚めるのは、もっと後のこととなる。それに愛する妻と関係を深めるのも、しばしの時が必要であった。


 どうやらエルサなどははそのところをこそもっと詳しく聞きたいようであったが、流石に本人の前で、自分が彼女に心惹かれていった様子を話すのには躊躇いがある。


(まぁ恋の話などは、女性同士でやってもらうのがよかろう)


 男が好むような騎士の話などは、傍らで身を震わせているスライムにでも聞かせるのがいいかもしれない。魚を食べ終えてからこっち、スライムがじっとアレクセイの話に耳を傾けているように感じていたからだ。


(まぁもしかしたら、こ奴も女かもしれんがな)


 ともかくそのようにして、過去語りの夜は更けていったのである。


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