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間章 ヴォルデンめし ~重騎士のブラックシチュー~

今回で間章は終わりです。

次回から四章を開始します。



本編とかなり違う内容ですが、ある意味一番書きたかった話を書けたので満足です。

 冒険都市ラゾーナを出発してから三日あまり。


 真っ青な空が広がる穏やかな街道を、三人の冒険者が歩いていた。

 一人は漆黒の甲冑を纏った、巨漢の騎士である。その背にはこれまた大きな長方形の大盾があり、見るからに只者ではなさそうな雰囲気を漂わせている。一分の隙もなく鎧を着込んでいるせいで、その表情を垣間見ることはできない。


 その傍らにぴったりと寄り添っているのは、可憐な少女である。しかしこちらもなかなかの重装備で、精緻な模様が刻まれた白銀の甲冑の上から、純白の法衣を羽織っている。物々しい装いとは裏腹に、少女は実に楽し気な表情で黒騎士に話しかけていた。


(お二人は、本当に仲がいいんだなぁ)


 そんな両者の後ろを歩くのが、霊魂遣い(ソウルコンジュラー)のエルサであった。先の騒動で念願の一ツ星(ひとつぼし)へと昇級を果たしたものの、いまだ駆け出しの冒険者である。


 エルサは銀色の前髪の隙間から、彼らの姿をじっと見ていた。


 黒騎士の名はアレクセイ。少女戦士の名はソフィーリア。親子ほどの身長差がある彼らは、しかし仲睦まじい夫婦であった。


 そして同時に、生者ならざるアンデットなのである。

 アレクセイは≪さまよう鎧(リビングメイル)≫、ソフィーリアは≪闇霊(ダークレイス)≫だ。どちらも肉の身体をもたず、さりとて人間に害意を抱くこともない、生前の意識をそのまま保った特異な存在であった。数百年前に命を落とした彼らは、しかし現代に不死として蘇ったのである。


 ちなみに妻の方は現在、自分と同じ十五歳ほどの身体になってしまっているが、その姿は長身の美女である。ニメートルをゆうに越えるアレクセイと並んでも、釣り合いのとれるほどの背丈なのだ。


 彼らはかつて大陸北部にいたヴォルデン人なる一族らしく、その血はどうやら自分にも流れているらしい。曰く銀髪を持つのはヴォルデン人のみであり、確かにこのような髪色を持つ人間はエルサも他に見たことがなかった。ラゾーナの街で出会った商人のラリーも、銀に近いがもう少し灰色が強い髪をしていた。彼を除けば、エルサが見たことのある銀系の髪は、今は亡き父のみである。


(それじゃあ私もいつかは、背が伸びるのかな?それにこっちも……)


 エルサはソフィーリアの姿を見ながら、密かに自身の胸に手を這わせた。彼女は自分と同じ年齢に見えながらも、非常に女性らしい身体つきをしている。そういった部分もヴォルデン人の特徴らしいのだが、その血を引いているという自分にはまだその兆候は見られない。普通の町娘らしいことにはあまり興味はないが、それでも年頃の少女なのである。気にはなるものだ。


「あら、どうされたんですか?エルサさん」


「ひゃっ!?」


 目の前に急に現れたソフィーリアの顔に、エルサは思わず飛び上がってしまう。霊体である彼女には、生者特有の気配がないのだ。もっとも、乙女の悩みに耽っていたエルサにはもとより気が付かなかっただろうが。


「い、いえ!なんでもないです!それより、お二人は何を話されていたんですか?随分楽しそうにお喋りしてたみたいですけど」


 その問いに答えたのは夫のアレクセイである。


「いやなに、故郷の食べ物の話をしていてな。この身体では食欲など湧かないが、久々にはちみつ酒でも飲んでみたいと思ってな」


 霊体であるソフィーリアはもちろん、鎧だけのアレクセイは食事を摂ることができない。死者なのでその必要もないのだが、生前の意識がある分相応に興味や未練はあるらしい。


「厳しい北の大地では食事は数少ない娯楽でしたから。夫もこの身体でしょう?よく食べ、よく飲んだものですわ」


「君とて同じようなものだろうに」


「わ、私はお酒くらいのものですわ!」


 二人の様子を見たエルサは思わず笑みを零してしまう。邪悪なアンデットである前に、二人は仲の良い夫婦であるのだ。きっとかつてもこうして家族で食卓を囲んでいたのだろう。


「そういえばソフィーリアさんは料理もされるって以前話していましたよね?得意な料理とかってあったんですか?」


 かつて神官戦士の長であったという彼女は、貴族でありながら炊事場に立つこともあったらしい。ヴォルデンでは遠征の際、騎士たちを補佐する神官戦士がその食事を用意することもあるのだという。


「そうですね……やっぱりヴォルデンの殿方が喜ぶのはお肉ですから、肉料理を一番に修練を積みましたね」


「ふむ、そうだな。ちょうどあんな感じの豚を使った料理が美味かったな」


 アレクセイが籠手に包まれた手でまっすぐ前を指さした。

 そこには街道の真ん中にぽつんと捨て置かれた荷馬車と、その荷台で鳴き声を上げる、鉄檻の中の豚の姿があったのである。






「御者は荷を捨てて逃げたようだな」


 空っぽの御者台に手を置いて、アレクセイがそう言った。荷馬車には持ち主と馬の姿がなかった。血痕もなかったから、恐らく荷物を置き去りにして逃げたのだろう。


 盗賊か狼か、あるいはゴブリンかは分からないが、もし知能のある賊ならば荷台の荷物をそのままにはしないはずだ。荒らされているのは食料が入っていたと思しき麻袋のみで、銅貨の類はそのままであったから、獣か何かの仕業と思われた。

 であれば豚だけが生きているのも納得がいく。獣の牙では鉄檻を破ることはできないからだ。


「持ち主の方の無事を祈りましょう」


 そう言ってソフィーリアはどことも知れず祈りを捧げている。


「それで、この荷馬車はどうしましょう?」


「うむ。ここにあっても通行の妨げになろう。とりあえず道の脇にどかすか」


 アレクセイは事もなげに言うと、おもむろに荷馬車を持ち上げて街道の端に移動させた。小型の荷馬車とてそれなりの重量だろうが、大した力である。もっとも、デーモンすら軽く屠るアレクセイを知っているエルサとしては、全く驚くことでもなかったのだが。


「えっと、それでこの豚さんは……」


 エルサは荷台の上でぶひぶひ鳴いている豚を見上げた。どこかの街に運ぶ途中だったのか、丸々と肥え太った豚は呑気に荷台の上の野菜くずを貪っている。他の獣が荷を荒らしたおかげで、飢えずに済んでいたらしい。とはいえこのままここに置いておけば、すぐに餌は尽きるだろう。


「どうやら放置されてからまだ日が浅いらしいな。だが御者が戻って来るかは怪しいところだ」


 荷を捨てて逃げたのなら、相応の覚悟の上だろう。その上さらに危険を冒して持ち主が帰ってくるとは、エルサにも流石に思えなかった。


「なら、私たちが連れていくってわけには」


「まぁ、いかんだろうな」


 自分たちも一応目的のある旅をしている。そんなパーティに豚を加えるというのは、現実的ではないだろう。


「であれば、私たちの糧になってもらいましょう」


 祈りを終えたソフィーリアが微笑みながらそう言ってこちらにやって来る。彼女の言わんとするところは分かるが、麗しい乙女が笑顔でそう述べる様はどことなく恐ろしく見える。


「と言っても我らは飯を食えないのだから、結局はエルサ君の糧食になるというわけか」


「ちょうどいいですわ。エルサさんに故郷(ヴォルデン)の料理を味わっていただきましょう!」


「おお!それはいいな」


 なにやら不死者の夫婦は二人で盛り上がっている。確かに豚を連れ歩くわけにはいかないし、かといってこのまま置いていても無駄に飢えさせるだけだろう。であればせめて自分の血肉になってもらうのがせめてもの供養となるか。


 エルサはそう自分を納得させると、ぶぅぶぅ鳴く豚に向けて手を組んで、頭を下げた。


「ごめんなさい豚さん、せめて美味しくいただきます」


 こうして運よく襲撃者の手を逃れた豚は、しかし哀れにも本来の命運を辿ることになったのである。







「折角なので、使える部位は全部使ってしまいましょう」


 ソフィーリアの物騒な一言から、調理は始まった。

 まずは豚をシメて、血抜きをしなければならない。アレクセイの殴打によって目を回した豚は、逆さに吊られると首を切られることになった。豚の真下に桶が置かれているのを見て、エルサはソフィーリアに尋ねてみた。


「全部使うと言ったでしょう?楽しみにしていてくださいね」


 とても嫌な予感がしたが、とてもいい笑顔でそう言われては、エルサには何も言えない。


「まずは臓物を湯がいてから、さいの目に切ります」


 心臓、腎臓、肝臓に胃袋。ソフィーリアはエルサの短剣で綺麗にそれらを捌いていく。"豚は鳴き声以外全て食える"とエルサも聞いたことがあるが、実際に食べたことはない。そもそも駆け出し冒険者にとっては、肉自体がご馳走なのである。


「煮汁にバターとパンを加えて、よく潰して混ぜます。荷台に色々あって助かりましたわ」


 獣が食い荒らしたのは干し肉や一部の野菜のみで、調味料などはそのまま残っていた。腐らせても勿体ないので、これらもたっぷりと活用させてもらうらしい。


「ビネガーとワインを混ぜて、さらに混ぜる。そういえばエルサさんはお酒は飲まれるのですか?」


 帝国では特に飲酒の決まりはないので、エルサもワインくらいは飲める。というか街だと真水は高いので、ワインの方が手が出しやすいのだ。


「湯通しした玉ねぎをみじん切りにして、ここに加えます。ニンニクがあったのも幸いでした」


 ここまでは、悪くない。様々な豚モツが浮かぶ鍋の見た目はあれだが、香りは実に美味そうである。先ほどの豚の解体時もそうだが、職業柄死体は見慣れているので、いかにも"生き物の中身"といったモツにもエルサは抵抗がない。


「ここで煮汁に血を加えて、色を付けます」


「ちょ、ちょっと待ってください。それって必要なんですか?」


 ソフィーリアが笑顔で鍋にドボドボと豚の血を入れていくのを見て、流石にエルサは声を上げた。重ねて言うが、エルサは職業柄血には慣れている。死霊術の中には血を飲んだりするものもあるので、まぁそれもいい。だが普段の食事で好んで飲むことはないのだ。


「大丈夫大丈夫。血にはいっぱい栄養がありますし、エルサさんもすぐに大きくなりますよ~」


 久々の料理が楽しいのか、ソフィーリアは先ほどからずっと微笑みを絶やさない。なまじ顔の造詣が整っているだけに、可憐な乙女が血で真っ黒になった鍋をかき回している様は、どこか狂気じみても見える。


「小麦粉を入れてよぉくかき混ぜて、とろみをつけます。塩で味を調えて……味見ができないのがあれですけれど、こういうことは身体が覚えているものですね」


 こうしてソフィーリア渾身の作、"重騎士団のブラックシチュー"が完成したのである。

 黒々とした液体に様々な豚の臓物が浮かぶ木の椀を前に、エルサはなんとも言えない表情で座っていた。


「そもそもこれは我がヴォルデン重騎士団の伝統料理でな。戦の前に騎士と兵士に力を与える料理として、古くからゾーラの神官たちによって供されていたものなのだ」


 アレクセイが懐かしそうにそう語る。確かに戦いの前には、鼓舞の意味を込めて肉を食べる者は多い。血を失う可能性があるのだから、事前に肉から血を得ようという意味があるのだろう。いかにも野蛮な考え方だが、後衛職であるエルサにも納得はできる。


「ささ、冷めないうちにどうぞ食べてくださいな」


 華が咲くようないい顔で促されれば、食べないわけにはいかない。エルサは腹を決めると匙を取った。

 煮込まれた豚の血は、小麦粉のおかげもあってどろりとした質感をたたえている。ただ食べられるほどんどの臓物がぶち込まれているため、椀の中身は非常に豪勢だ。もちろん普通の部位も入っているため、ここまで具だくさんのシチューはエルサも食べたことがない。


 エルサはそれらいくつかの肉片を掬いあげると、覚悟を決めて口の中に放り込んだ。


(思っていたほど、血っぽくはないんだ……)


 大量に入れられたビネガーのせいか、まず一番に感じられるのは酸味である。だがすぐ後に来るのは、やっぱり"血液"のあの味だ。苦いとも酸っぱいとも違う、独特の"エグみ"である。ただ思っていたほど酷い味ではない。バターの風味もあるし、豚肉から出ている出汁と塩のおかげで、非常に濃厚な感じだ。


(それにこれは心臓かな?普通のお肉に近いけど、もっと噛み応えがある)


 モツを忌避する人間は多いが、それはその美味さを知らないだけと聞いたことがある。日持ちがしないため庶民には手が入りにくく、むしろ貴族の方が好んでこの野蛮な味を楽しむのだとか。


(あ、これ肝臓(レバー)だ。ねっとりとしてるし、血の味が濃い。すごく力が付きそう)


 肝臓は汁そのものの血と相まって、口の中がものすごく鉄っぽい。ただ鉄を齧っているようには感じないのが、これらの肉の面白いところだと思う。思ったよりも無理なく食べられることが分かり、エルサは進んで匙を動かした。


(あ、これ美味しい)


 いくつか食べていく中で、エルサは早くも好みの味を見つけていた。特に豚の腸は、コリコリとした触感が楽しい。噛めば噛むほど味が染み出してくるし、他の肉にはない旨味が感じられる。それに普通の部位もごろりと大きくて、それだけでも十分に美味かった。


「お口に合ったようでなによりですわ」


 もりもりと食を進めるエルサを見て、ソフィーリアは満足げに微笑んだ。アレクセイも腕を組んでうんうんと頷いている。


「懐かしいな。そういえば君も、戦の前には料理を手ずから食べさせてくれたものな」


「もう、あなたったら、エルサさんの前で言わないでくださいな」


 目の前でそんなやり取りを見せられたら、多少の血のエグみなど気にならなくなるものだ。こうしてエルサはソフィーリア謹製の血のシチューを、たっぷり椀で五杯も平らげたのである。もともと食の細い自分にしては、随分と食べた方だろう。


「ソフィーリアさん、ご馳走様でした」


「はい、お粗末様でした。まだこれだけありますから、明日のお昼くらいまでなら食べられますね」


 エルサが大きくなったお腹を擦っていたら、ソフィーリアが笑顔で鍋を見せてくる。そこにはまだたっぷりと中身が残されている。

 味には不満もなかったが、流石のエルサも顔を引きつらせることになったのである。そうして明日も肉が食えることを喜びつつ、エルサは妙に目が冴える夜を過ごしたのであった。




ちなみに作中のレシピは実在のものです。

ギリシャの都市国家スパルタの戦士が食べていたことでも有名ですね。


勿論作者は食べたことないです

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