小さき者たち ブラッディ・ローズ ④
間章 その四です。
小さき者の話は今回はここまで。あと二つ間章を挟んでから、本編四章に行きます
「お、ようやく目を覚ましたな!」
ベッドの上のロゼッタがゆっくりと瞼を開けるのを見て、アーサーは声を上げた。その声に仲間たちが集まってくる。
「よかった!気が付いたのね」
「これで寝坊助は返上できたはず」
「いや、それはおかしい」
頓珍漢なことを言うクロエに、アーサーは思わず突っ込みを入れた。
ロゼッタはまだ意識がはっきりしないのか、ぼんやりとこちらを眺めている。と急に目を見開くと、勢いよくベッドから身を起こした。
「み、皆さん!ご無事ですの!?」
「あぁ、心配いらないわ。みんな見ての通り怪我一つないわよ」
信じられないように三人を見ていたロゼッタは、順番にそれぞれの顔を眺めまわすと、納得したように頷いて大きな息を吐き出した。そしてやっと気が付いたとばかりに、周囲の様子を見回している。
「ここは……」
「≪小さな太陽≫のクランハウスよ。私たち、ここの人たちに助けられたの」
ベラがそう言うと、ロゼッタは安心したのかもう一度息を付いた。そして沈痛そうな表情で俯く。
「ということはもしかしてわたくし……」
どうやら暴走状態のときの記憶はないようである。だが自分でも分かっているのだろう。事の経緯を理解したのか、ロゼッタは辛そうに唇を噛んでいる。
これにはアーサーたちも言葉をかけようがない。彼女が自分たちを逃がすためにどうやら秘密にしていたらしい力を使ったのは確かだが、その後我を失ってこちらに襲い掛かってきたのも事実なのだ。
ロゼッタは顔を上げると膝を揃えてこちらに身を向き、静かに首を垂れた。
「皆さんを危険な目に合わせてしまって、本当に申し訳ありませんでした。この通り、謝罪したしますわ」
「うん、それより、アレはなんだったの?あたしたちは、それを聞く権利があると思うの」
いつになく真面目な顔で、ベラがそう言った。アーサーとしても、彼女に拳を向けられたことをそれほど気にはしてはいなかった。肝を冷やしたことは事実だが、結果として全員助かったのだから文句はないのだ。だからそれよりも、あの不可思議な現象の方が気になっていた。血を吹きだして戦う戦士など、まるで聞いたこともない。
ロゼッタはしばし躊躇していたが、小さく頷くと語り始めた。
「わたくしのこれは、≪血の暴走≫と呼ばれるスキルの一種なんです。いえ、寧ろ病気とか、呪いの方が近いかもしれません。わたくしの意思ではほとんど制御できなくて、普段はこの籠手を付けて抑制しているんですの。そういえば、これをまた付けなおしてくださったんですわね」
ロゼッタが気を失ったあと、それを命じたのはクロエである。彼女は籠手が拘束具か何かの役割を果たしていると考えて、アーサーたちに指示したのだ。どうやらそれは当たっていたらしい。
「籠手を外してしばらくは大丈夫なんです。でも血を見ると、頭の中が真っ赤になって、それでわたくし……」
ロゼッタはそこまで言うとぽろぽろと涙を零し始めた。ベラが気を利かせて、彼女の隣に腰かけてその肩を抱いてやると、彼女は少し微笑んでまた話始めた。
「ありがとうございます……この呪いはわたくしが生まれたときからこの身にありますの。それで幼い頃、家族を傷つけてしまったことがあって……」
「それで血を見ると、倒れるようになったの?」
ベラの問いかけにロゼッタはこくりと頷いた。どうやら血を見ることそれ自体がトラウマになっているようだ。あるいは気を失うことで、周囲を傷つけることを無意識のうちに防いでいるのかもしれない。
というのが彼女の話を聞いた後のクロエの考察である。
ともかく、その体質では冒険者としてパーティが組めないのも納得だ。単独でいこうにも、暴走ののちに迷宮内で気を失うようなことになれば、それこそ自身の命が危ないだろう。というか、そもそもなぜ冒険者などになろうとしたのか。
「昔、とある冒険者の方から聞いたんですわ。この世界のどこかの迷宮に、どんな病も直す薬草があるって」
それはよく聞く類の話であろう。そして彼女の体質は、そんな不確かなものにも頼らざるを得ないのだ。だからこんな少女が、冒険者などという危険な職になったのだろう。
「お!ようやっと目ぇ覚ましたんか!」
そんなとき、一人の少女が部屋へと入ってきた。後ろには灰色がかった髪をした若い男が続いている。
不思議な訛りで話す少女の頭には、狼の如き三角の耳が付いていた。それを見れば、誰でも彼女が獣人族であると分かるだろう。何を隠そう、あのときアーサーたちを助けに飛び込んできた狼女の正体が彼女であった。名をレトと言うらしい。
「そいつが連中をぶっ飛ばしたときは、えらい驚いたわ。ぼちぼち助け入ろうかな思うとったら、いきなり魔法使いの男をぶん殴ったんやからな!」
「あの、この方は……?」
事情が呑み込めていないロゼッタにアーサーたちは説明する。
レトは≪ポリン平原≫に入ったアーサーたちの後を、こっそりとつけていたらしい。そして悪漢どもに囲まれて窮地に陥ったところを助けようとしていたのだという。しかし実際には血の暴走を発現させたロゼッタが彼らを瞬殺してしまった。それで安心していたところに、今度は彼女の拳がアーサーたちの方に向けられたのである。慌てて狼の姿をとると、彼女を止めに飛び込んだらしい。
「そうだったんですわね。危うくわたくしは彼らを傷つけてしまうところでした。本当に助かりましたわ」
再び深く腰を折ったロゼッタに、レトはさも面倒そうに手を振った。
「ええてええて!こちとらセリーヌはんに頼まれてついてっただけやからな。こないだのことはついでやついで!」
レトにアーサー一行を尾行するよう頼んだのは、このクランの女主人であるセリーヌらしい。
「どういうことですの?」
「それは私から説明いたしますよ」
ロゼッタの問いに答えたのは、それまで黙っていた青年の方である。
自らをラリー・ハワードと名乗った青年は商人であるらしい。彼はセリーヌに頼まれて、最近この街で頻発している人さらいに関して調べていたのだという。そこに浮かび上がったのが、≪小さな太陽≫とともにこの街の有名クランであった≪北の旋風≫なる集団なのだそうだ。
「彼らは元々悪名高いクランではありましたが、それでも表立って悪事を成すような連中ではありませんでした。それは別に彼らに最低限の良識があったからではなく、クランマスターであった人物が事を大げさにしないよう、頭を働かせていたからなのですが」
しかし先日その首魁が死体となって発見されたのだそうだ。ついこの間に、この街の教会から至宝が盗まれるという事件があり、男はその首謀者と見られているらしい。それで残された部下の連中が統率を失い、好き勝手に振舞うようになったせいで、悪事が表面化してきたというわけだ。
「ロゼッタ様が殴り飛ばしたという魔術師の男、その男は副クランマスターなる位置にいたようです。初めに貴方が攫われかけた際の話を聞いて、セリーヌさんが一計を案じたのですよ」
つまり図らずもアーサーたちは連中をおびき寄せる囮となったわけだ。そのことに思うところがないわけではないが、セリーヌはアーサーたちの身を案じてレトを付けたのだという。彼女は冒険者としては二ツ星だが、その実力は四ツ星にも匹敵するらしい。
「でもなんであいつらが現れるってセリーヌさんは思ったのかしら?」
ベラの疑問はもっともだ。確かにロゼッタは可愛らしい少女だが、それだけで連中が狙う理由にはならないだろう。一度失敗しているので警戒されることは分かっているだろうし、そもそもアーサーたちがいるのだから余計に手間だろう。
だが答えは何よりロゼッタ自身から返ってきた。
「それはわたくしが、グレンデル家の娘であるからでしょう?」
「貴族だからってことか?」
しがない農村の出であるアーサーは貴族の家柄など知る由もないが、彼女が平民でないことくらいは分かる。つまり家が金持ちだから狙ったということなのだろうか。
だが彼女は自分が思ったよりも高貴な生まれであったらしい。続けてラリーが語った話にアーサーたちは大いに驚かされることになった。
「確かに、貴族の娘を攫ったとなればただ売るよりも多くの身代金を要求できるでしょう。ですがそれがグレンデル家の娘となれば話は別です。グレンデル家はこの南部どころか、中央の名家です。軍閥貴族の中心でもあり、現当主は皇帝陛下の側近のはず。となればその娘は金より政治的な意味合いを持ちます」
「はえ~」
アーサーとしてはそんな間抜けな声を上げるしかない。中央だとか皇帝の側近だとか、そんな話は雲の上どころかおとぎ話に近い感覚なのだ。それはベラやクロエであったも同じことだろう。
「……わたくしにそのような価値はありませんわ。この体質のせいで、ほとんど家を追い出されたようなものですもの」
半分拗ねたように言い捨てたロゼッタの言葉に、ラリーは頷いて同意する。
「でしょうね。それにグレンデル公には十二人のお子がいたはず。実子とはいえまだ幼い貴方が護衛も付けずに冒険者になることを許したのは、つまりはそういうことなのでしょう」
至極現実的なラリーの感想に、ロゼッタは悔し気に唇を噛んでいる。それを見たレトが、相棒の腹を肘で突いた。
「いたた……とにかく貴方の出自に気づいたセリーヌさんは、≪北の旋風≫の連中がそのことに気づいたことにも気づいたわけです。まぁ彼らも自分たちでそのことに思い至ったわけではないようですが」
「どういうことだよ?」
なんでもあの悪漢どもの背後には、さる貴族が控えていたらしい。攫わせた娘たちを売り払い、金に換えていたのだそうだ。そこでロゼッタの正体を知ったその貴族は、彼女を政治的に利用すべく指示を出していたのだという。
「とはいえ所詮は田舎貴族の浅知恵です。商人の私でも知っているグレンデル公の気性を知らぬなど、無知にも程がある。仮に貴方を手中に収めたとしても、遠からず公自身の手によって処断されていたことでしょう」
セリーヌはいまその貴族を捕まえるべく、実家と連携して動いているのだそうだ。ちなみにこれまでに攫われていた娘たちも無事に助け出されたらしい。そちらはスヴェンを含むラゾーナの冒険者が、有志を集って救出に当たったとのことである。
「ともかく、これはセリーヌさんからの伝言です。"ロゼッタ嬢、及びにアーサー君たちには非常な礼と謝罪を申し上げたい。だが君たちのおかげでラゾーナの冒険者の名誉は守られた。この恩を私が忘れることはないだろう"とのことですよ」
そしてアーサーたちはその言葉と共に多額の謝礼金を受け取ることになった。
別に何をしたわけでもないアーサーからすれば素直に喜びがたくはあるが、金は金である。おかげでしばらくの旅費に困ることはないだろう。
「ま、終わりよければ全てよしって言うしな!」
アーサーはそう言って面倒そうなことはさっさと忘れることにした。貴族のことは貴族に任せるに限る。それよりも冒険者ならば迷宮と冒険について頭を悩ませるべきなのだ。それはベラも同じようで、早速クロエと頭を突き合わせると今後の旅の相談をしている。
「こんだけあれば装備も買い換えられるわね!」
「私は何か武器が欲しい。今回みたいに魔術を封じられて役立たずになるのは嫌」
「はっ!なんとも単純な奴らやな!ま、それでこそ冒険者や!」
レトの言う通りである。
人を攫って金儲けするとか、街を守るとか、そういうのはその分野の人間がやることなのだ。冒険者は、夢と名誉とお宝を追って迷宮へと向かうべきであるとアーサーは思う。
「よし、じゃあまずは武器屋ね!ね、ラリーさん、あなた商人なんだからこの街に懇意にしてる武器屋とか知ってるんじゃない?」
「え、ええ。それはもちろん知っていますが」
瞳を輝かせて詰め寄るベラの勢いに、若き商人は顔を引きつらせている。その横では獣人の少女が忍び笑いを漏らしていた。
「決まりね!じゃあロゼッタも、今のうちに欲しいものとかあったら考えておきなさい!籠手以外にも何かと入用でしょ?」
ベラの言葉にロゼッタは目を瞬かせた。しばし言葉を失った後、慌てたように口を開いた。
「な、何を言っていますの!?わたくしの体質のことは先ほど申し上げたばかりでしょう!?」
「そっちこそ、この先どうするつもりなの?今回のこともラゾーナ中に広まってると思うから、今度こそパーティを組んでくれる奴なんか現れないと思うわよ?それにまた他人に事情を説明するのも手間でしょうが」
ベラの言葉にアーサーはクロエと揃ってうんうんと頷く。
「利用できるものはなんでも利用する。それも冒険者の素質」
「それにお前ってば、血が出ない相手にはすげーつえーじゃん。俺も前衛がもう一人いると助かるしさ」
「で、でも……」
なおも躊躇うロゼッタの肩を叩いたのはレトである。人狼の少女は犬歯を見せてニヤリと笑うと、顎でアーサーたちをしゃくってみせた。
「こいつらの言う通りやで。小難しく考えててもなんも始まらん。とりあえず何も考えんで、この小僧らについていけばええんや。そうしてる内に、道は開くさかいに」
そう言ってレトはからからと笑った。
アーサーたちだって、実のところ深く考えてはいないのだ。ただ面白そうだからやる。引き受ける。面倒そうだからやらない。それでいいのだ。
だからエルサのことだって、半分がた口実みたいなものである。彼女が心配なのも一言物申したいのも本当だが、実のところ面白そうだから追いかけているのだ。
一度は死んだはずの自分たちが生き返ったこと。彼女がこの街の異変を解決したということ。人のように振舞う、エルサが従える≪さまよう鎧≫のこと。そこに奇妙な体質を持つ少女のことを加えてもいい。
とにかく面白そうなものに挑戦するのが冒険者だと、アーサーは思う。
「そんで、来るのか来ないのか、どっちなんだ?」
アーサーは悩める少女に尋ねてみた。すると呪われた少女が顔を上げた。
「……行きますわ。行ってやりますとも!」
ロゼッタの顔は、晴れ晴れとした、アーサーたちと同じ冒険者の顔であった。
上中下のつもりが四分割に。
申し訳ないです。




