第59話 死者の中で舞う聖女
いつも読んでくださる皆様、本当にありがとうございます。
急激な伸びに作者自身驚いております。
ご期待に沿えるかは分かりませんが、私自身が楽しいと思える話を書き続けたいと思いますので、どうぞこれからも宜しくお願い致します。
大盾を構えて迷宮主の間へと飛び込んだアレクセイの目に入ってきたのは、広大な部屋に無数に蠢くアンデットどもであった。一体どこから湧いて出てきたのか、ゾンビにスケルトン、虚ろな目をした死霊まで、尋常ではない数の魔物たちがひしめいていたのだ。
そして絨毯のように地を覆うアンデットたちの向こうに、ぽっかりと開けた空間があることに気が付く。
「ソフィーリアッ!!」
その中心に愛する妻の姿を見つけ、アレクセイは大きく叫んだ。その声に、縦横無尽に手槍を振るっていたソフィーリアが振り向く。
「あなた!」
「いましばしの辛抱だ!すぐにそちらへ向かうぞ!」
アレクセイは言うが早いが、手近な数体のゾンビを切り伏せて歩を進めた。
よくよく見てみれば、ソフィーリアに庇われるようにしてエルサの姿も見える。霊狼のネッドを召喚して周囲の魔物を牽制しつつ、自身も奇跡を用いて戦っている様子だ。あとは見慣れぬ戦士風の少女が一人。但し、その身体が透明度の高い青色をしていれば、その娘が人間ではないことは明らかだ。
状況はよくは分からぬが、アレクセイたちに先んじて迷宮主の間に到着した彼女ら一行は、こうして多数のアンデットに包囲されてしまったようだ。
(ソフィーリアがそのような愚を犯すとは思えんが……)
彼女はゾーラ教の敬虔な信徒であるとともに、戦士としても優れた力量を持ち合わせている。それは闇霊となっても変わってはいないのだから、アレクセイには彼女がみすみす不利な状況に陥るとは思えなかった。
「……とはいえ、流石はソフィーリアだな。あれは不死の身体となって以来、初めての本気ではないかな?」
一歩一歩足を進めながら、アレクセイはそう呟いた。アンデットたちの向こうの妻の姿に目をやってみれば、彼女には心配などまるで必要がないことは明らかであったからだ。
魔物たちに囲まれてなお、ソフィーリアの戦いぶりは圧巻であった。
彼女が槍を振るえば、たちまちゾンビどもの首がまとめて飛んだ。ゾンビは動きが鈍い代わりに、手足を失おうとも構わず動き続ける。無効化しようと考えれば、頭を潰すかそれを身体から切り離すほかない。
またソフィーリアはスケルトンに対しても容赦がない。動く骸骨であるそれらに対して、槍という武器は元来相性が悪いとされているが、彼女に限ってはそれは当てはまらない。ソフィーリアが猛然と槍を突きこめば、まるで太い丸太をぶち込まれたかのようにスケルトンたちの体が砕け散る。もはや刺突の範疇に収まらない凄まじい突きで、穂先の周囲の骨ごと粉砕しているのだ。
さらには死霊など物の数ではない。仄かに光る彼女の槍に切りつけられたが最後、彼らは光の粒となって消滅してしまうのである。あれは恐らく武器にゾーラの加護を付与しているのだろう。ゾーラの神官戦士のみならず、武器を持って戦う当時の聖職者ならば誰もが習得していた奇跡である。
ただ、闇霊となってしまった身の上で奇跡を使うには些かの労苦があるだろうが、以前言っていたように彼女は、それすら"神が与えたもうた試練"だと考えているのだろう。
そして何より素晴らしいのは、あれだけ魔物に囲まれてなおそれらを寄せ付けない、彼女の動きっぷりである。舞のように優雅でありながら、微塵も隙なく敵を葬り続けている。恐怖など知らぬアンデットどもが、慄いているようにさえ見えるのだ。
そのとき不意に、魔物と戦うソフィーリアに巨大な火球が雨となって降り注いだ。炎の弾が雨あられと彼女たちに襲い掛かったが、しかしそれを見ていたアレクセイは動じることはない。
爆炎が開けたそこには、動きを止め、左手を突き出した格好のソフィーリアの姿があった。そしてそこには身をすくませているエルサと、ネッドと謎の半透明の少女を守るように、半球状の炎の幕が彼女らを包んでいたのである。
「炎の女神の加護を受けたソフィーリアに、火の魔術は効かぬよ」
誰に言うとでもなく、アレクセイは小さくそう呟いた。ソフィーリアは自身が得意とする炎の障壁の奇跡でもって、降り注ぐ火球を防いで見せたのである。そしてアレクセイは、先の魔術に見覚えがあった。
「やはりあれは、マユ君であったか……」
遥か前方を見据えて、アレクセイは絞り出すようにそう漏らした。
魔物に包囲されたソフィーリアの向こう、ゾンビたちの頭上に、一人の少女が宙に浮かんでいたのである。惜しげもなくさらけ出された胸元に、裾の短いスカート。アレクセイの感覚で言えば、少々破廉恥にも見える露出の多いあの衣装。手に持つ杖や黒い髪を確かめるまでもなく、それはソフィーリアらと共に大穴に飛び込んだはずの少女、マユであった。そしてそれは、アネッサが幽霊ではないかと言った少女の姿である。
そしてその周囲には、無数の怨霊共が渦巻いていた。胸元に空いた地を垂れ流す大穴といい、まともな存在ではないのは明らかだ。
「予想は当たってしまったようだね、残念ながら」
アレクセイに続いて迷宮主の間に飛び込んだカインが、頭を掻きながらそう言って横に並んでくる。霊が視えるという眼鏡を上下させて、その姿を注視している。
「見たところ、あれは相当な力を持つ悪霊みたいだね。それに背後にいる一番目立っている怨霊、あれがさっき話した迷宮主じゃないかな?」
カインに言われてよく見てみれば、マユの背後にひと際邪悪な気配を放っている怨霊がいた。この迷宮の主は邪悪なリッチだと聞いていたが、しわがれた肌と落ち窪んだ眼窩、口の周りに携えた長い髭を見れば、おそらくあれが≪氷雪の魔術師≫なる迷宮主なのだろう。
マユ、というかその背後のリッチの老人が、ソフィーリアに向けて右腕を突き出す。するとマユの周囲に、多くの氷柱が出現した。マユの火球が効かぬと見るや、その名の通り氷の魔術でもってソフィーリアを害そうというのだろう。そして老人が腕を一振りすると、無数の氷柱が彼女たち目掛けて飛来した。
だが。
「氷が炎を破ることなど、そうそうあるまいに」
アレクセイが言った通り、氷の柱たちは炎の壁に当たったそばから蒸発していく。迷宮主の老人がどれほどの数の氷柱を放とうとも、それは変わらなかった。あたかも子どもが壁に向けて石を投げるかのように、傍から見ればそれは児戯に等しかった。
「……いやぁ、それでもあれだけの氷柱を喚び出せるなんて、相当なものだと思うけどねぇ」
アレクセイと同じくその光景を眺めていたカインが、呆れたようにぼやく。魔術師ならぬアレクセイには分からぬことだが、本職から見ればあの氷の魔術も大層なものなのだろう。ならば、それを意にも介さぬ妻の戦いっぷりが、アレクセイには少し誇らしい。
と二人してそうやって眺めていると、後ろのアネッサから撃肘する声が飛んだ。
「ちょっとあんたら!見学するだけならよそでやんな!」
そう叫ぶ間にも、アネッサは"明星の剣"でアンデットどもを斬り捌いている。アレクセイたちはついつい止めていた手を動かすと、周囲の魔物たちの掃討を再開した。とはいえ魔物の数はいまだ多く、ソフィーリアたちとの距離は遠い。
「ふむ、ここは一気に道を拓くか」
「え?」
アレクセイの言葉にアネッサが振り返る。が、アレクセイはそれには構わずに大盾に闘気を集中させた。アレクセイがやろうとしていることに気が付いたのか、カインは慌てて隠れるようにアレクセイの背後に回った。
「おいおい、せめて一言くれたまえよ!」
「おい、あんたどうす……」
アネッサが何かを言いかけたが、構わずアレクセイは大盾を突き出す。
「ぬうぅぅぅぅん!!」
凝縮された闘気の塊が、猛烈な勢いで盾より射出される。闘気はあたかも竜巻のように渦を巻きながら、アンデットどもの間を突き進んだ。強固な装甲を持つ玉ねぎゴーレムすら貫いた、アレクセイの一撃である。それに巻き込まれたゾンビやスケルトンなどは、跡形もなく粉々となって吹き飛ばされていく。
そしてそれが収まってみれば、あたかも大昔の賢者が奇跡で大海を切り開いたかのように、魔物たちの群れの中に一本の道が出来上がっていた。
「うむ、初めからこうすればよかったな」
「……あんた、本当に一ツ星かよ」
そんなアネッサには答えずに、アレクセイはいましがた開通した道をひた走った。後にはカインと、何とも言えない表情のアネッサが続く。アンデットどもが道を塞ぐこともなく、ほどなくしてアレクセイたちはソフィーリアの元へとたどり着くことができた。
「全員、無事なようだな」
「ええ、あなたも」
そうするとすぐに、ソフィーリアがアレクセイの傍まで寄ってきた。互いに幾分そっけないようにも思えるが、戦闘中ゆえに仕方がない。それでもソフィーリアは宙に浮かぶマユからは視線を外すことなく、そっとアレクセイの腕に触れた。
「一体、どうなっているのだ?」
アンデットなりに警戒しているのか、周囲の魔物たちはアレクセイたちに寄ってこようとはしない。眼前のマユと老人も、魔術による攻撃が通じぬことに動揺してか、動きはない。アレクセイは敵の動向に気を配りつつ、状況の説明を求めた。
「見ての通り、マユさんはアンデットでした。そして、一連の冒険者行方不明事件の犯人でもあったようです」
アレクセイの問いにはエルサが答えた。彼女もまた手傷は負っていないようで、霊狼のネッドも油断なく周囲を睨みつけている。
「行方不明事件の犯人だって?」
エルサの言葉には、冒険者ギルドの人間であるアネッサが反応した。そういえば彼女は、事件の真相を確かめるべくここに来ていたことをアレクセイは思いだした。
「はい。私たちに声を掛けたのと同じように、他の冒険者にも接触していたようで……えっと、残念ながらその方たちはもう既に……」
「遺体を見つけたの?」
言葉を選ぶように告げたエルサは、アネッサの問いに躊躇いがちに頷いた。アレクセイとしても、それは致し方のないことだとは思う。この話を聞いた当初から彼女らが生きてはいないだろうと思ったし、また冒険者ギルドの方もそのように考えてはいただろう。
「そっか……そうとなったら、あの幽霊だかなんだかは捨て置いちゃいられないね!」
「えっ!?あ、ちょっと!」
アネッサはそう言うや否や、エルサが止める間もなくマユの元へ駆け出した。その手に握られている明星の剣の刀身は淡く輝いており、ここに来た時から真の力を解放させている。
「あの剣は……」
「うむ、明星の剣だ。詳しくは、後で話す」
アレクセイと同じくその輝きを知る者として、ソフィーリアが驚きの声を上げる。が、今は詳しく話している暇はない。アレクセイはそう言うと視線を駆け往くアネッサの背に向けた。
彼女の持つ剣は強い聖性を帯びている。それはアレクセイたちの時代から変わらぬもので、その力は魔の者に対して非常に高い効果を発揮する。悪霊としての本性を現したマユも相当な力を持つようだが、そうであるからこそ、明星の剣の輝きはより増すことになるだろう。
(あるいは、あれが我らに向けられたとしてもな)
以前エルサが語っていたことだが、不死の魔物であるアレクセイたちが苦手とするのが、それら聖なる力を帯びた武器であるのだ。たとえ明星の剣をもってしても、アレクセイの防御を貫くことは叶わないだろう。だがその刀身に込められた聖気が、アレクセイ自身にどのように作用するかは分からない。
そんなことをアレクセイが考えている間に、アネッサは宙に浮かぶマユとの間を一気に詰めると、その勢いのまま高く飛び上がった。
「せあああああああ!!」
そうして身体全体を使った、強烈な回転切りをお見舞いしてみせた。オリハルコンで造られた玉ねぎゴーレムをも一撃で両断した、あの技である。盾どころか鎧すら纏っていないマユでは、防ぐ術などないだろう。
眼前に広がるであろう惨状に、エルサが思わずといった感じに自身の口を抑えた。
が、しかし。
「なにっ!?」
「む……」
同様にそれを眺めていたアレクセイもまた、思わず唸ってしまう。
今まさにマユへと斬りかかろうとしていたアネッサの前に、一体の怨霊が飛び出してきたのである。それは年若い少女の霊で、ボロボロの法衣を纏った聖職者のような形をしていた。
明らかにこの迷宮原産ではない、冒険者の霊であった。
アネッサは刃が当たる寸前で身をひねると、弾かれたようにマユと怨霊から離れて着地する。
「くっ!小癪なマネしてくれるじゃないか!」
冒険者の霊とはいえ、魔物は魔物である。斬って捨てることがせめてもの救いであろうに、なぜアネッサは剣を引いたのか。
アレクセイはそのように思ったのだが、激昂する彼女の声を聞いて合点がいった。
アネッサは冒険者ギルドのスキルトレーナーである。そして彼女が普段相手にするのは、あのような年若い少女たちなのだ。あるいはそれこそ、見知った相手であるのかもしれない。
「……意外に、優しい気性をしているのだな」
アネッサには聞こえぬよう、アレクセイは小さく呟いた。
戦士としては甘いと言わざるを得ないが、個人的には好ましい資質であると言える。また他者を教え導く者には、必要な素養であろう。
「教官殿、代わっていただこう」
アレクセイはアネッサにそう言うと、大きく一歩を踏み出したのであった。




