第51話 落ちた乙女たち
少々短いですが、話のキリがいいのでここらで区切ります。
「エルサさん……エルサさん!」
「う、うぅん……」
頭上から掛けられた声に、エルサはゆっくりと瞼を開けた。
「あれ?ソフィーリアさん……?」
身を屈めてこちらを覗き込んでいるのは、旅の仲間であるソフィーリアだ。周囲の薄暗い中、彼女の真紅の瞳だけがぼうっと輝いていた。
「ご無事のようで何よりですわ」
そう言ってソフィーリアは目を細めた。エルサは身を起こしながら全身の様子を確かめてみる。確かに、どこにも怪我などはないようだ。
確か自分は何かに引っ張られて、壁に空いていた穴に引きずり込まれたはずだった。ものすごい勢いで闇の中を落ちていく感覚だけは覚えているが、どうやらそのあと気を失ったらしい。
「ほら、気が付いたんならさっさと行くわよ。こんなとこ何が出るか分かりゃしないんだから」
「あれ、マユさん?」
ソフィーリアの奥でそう言い放ったマユの姿を見て、エルサは目を丸くした。
「そうよ。全く、スライムなんかに捕まるなんて、アンタ意外とドジなとこあるのね」
「エルサさんは幽霊スライムに捕まって、穴の中に落ちたんです。私たち二人はその後を追ってきたのですけれど……随分深いところまで落ちてきたみたいですわね」
ソフィーリアが現在の状況を語ってくれたおかげで、エルサも現在の状況がようやく分かってきた。
どうやらここは迷宮の深部、地下墓地の遥か底らしい。周囲はそれまでと同じような石造りであるから、もともとこういった構造なのだろう。流石にギルドによって取り付けられた魔石ランタンはなく、代わりに壁のあちこちにうっすらと光る苔のようなものが生えている。薄暗いながらも真っ暗闇にならずに済んでいるのは、これらのおかげのようだ。
「そうだったんですか……あの、お二人とも、私のためにすみません」
エルサが頭を下げると、ソフィーリアは「仲間なのですから、当然ですわ」と言って微笑んだ。マユもそっぽを向きつつも、鷹揚に手を振っている。僅かに頬が赤くなっていることは、もちろん言いはしない。
「な、なんでもいいからさっさと行くわよ!一本道みたいだし、歩いて行けばどっかには着くでしょ」
マユはそう言い捨てると先へと進んでいってしまう。エルサは慌ててその後を追う。ソフィーリアもおっとりと最後尾を付いてくる。
「そういえばあのスライムはどこに行っちゃったんでしょう?」
エルサは歩きながら後ろのソフィーリアへと問いかけた。先ほどの場所には肝心のスライムがいなかったからだ。わざわざ自分を捕らえて引っ張り込んだというのに、放置していたのはなぜなのだろう。
「私たちが来たときにはもう姿が見えませんでした。何か目的があってのことなのでしょうが、気になりますね」
彼女の言う通り、あの幽霊スライムは何者なのだろう。
間近で対面した限り、あれが霊体に近しいものであることは間違いない。ただアレクセイに話した通り、完全に幽霊とも言い切れないのだ。その手でエルサを捕らえたことからも、少なくとも実体に干渉する能力があることは確かである。
エルサは横に並んできたソフィーリアに目を向けた。
例え霊体であっても、一定以上の力を持つ存在なら物質に干渉できるのはソフィーリアを見た通りだ。どちらにせよ、一筋縄ではいかない相手と考えておいたほうがいいだろう。
とここまで考えたところで、エルサはこの場にいない面子のことを思い出した。
「そういえば、アレクセイさんたちは!?」
「夫はあの通りの体格ですから、穴をくぐることができませんでした。ですが、あちらに関しては心配することはないでしょう。最終的にどこかで合流できればよいのですから」
軽やかに微笑むソフィーリアの顔を見ていると、そういうものかと思えてくるから不思議だ。ただまぁ、あの漆黒の騎士を害せる存在がそういるとも思えない。とにかく迷宮を進んで行けば、おのずとあちらとも会えるだろう。
「ちょっとアンタたち、こっち来てみなさいよ!」
エルサがそんな風に考えていると、先を行くマユが何かを見つけたのかそんな声を上げた。エルサはソフィーリアと顔を見合わせると、彼女の呼ぶ方へ駆け出した。
「どうしたんですかマユさん?」
「見てコレ。この迷宮の底にこんな空間があったとはね」
マユが指し示す方を見てみれば、そこには広々とした空間が拡がっていた。
広さでいえば、ちょっとした村の広場くらいの面積があるだろう。周囲を石壁に囲まれているのは変わらない。だがここまで広々とした空間というものを見るのは、この迷宮に入ってから初めてのことであった。仰ぎ見る天井も、それなりに高い。当然自然にできた空間などではなく、もとよりそのように設計された場所なのだろう。
そして何よりも目を引くのが、そんな広間の中心に建っている一軒の家であった。
「どなたかが住んでいらっしゃるのでしょうか?」
「馬鹿なこと言うんじゃないわよ。迷宮に人が住んでいるなんて聞いたこともないわ。てゆうか不可能よ」
「とすると、やはり魔物か何かの?」
まさかゾンビやスケルトンの家ということはあるまい。エルサは職業柄アンデットに詳しいが、家に住む不死など聞いたこともない。
「ゴブリンとかオークとか……って自分で言ってて自信がなくなってきたわ」
知能を持つ魔物といえばそれらの魔物が有名だが、そういった連中は主に洞窟や廃砦を好むはずだ。一軒屋に居を構える可能性もなくはないが、どうにも違和感が強い。それに、≪アガデュランの大墳墓≫にゴブリンどもが出現するという話は聞いたこともないからだ。
「そうですね。それにそういった魔物たちが、あのように綺麗に庭を整えたりするでしょうか?」
エルサがソフィーリアの見ている方に目をやると、確かにそこには一端の庭が拡がっていた。陽の光の届かぬこの場所でどのように育てているのか分からないが、名も知れぬ花や野菜らしき植物が植えられているのだ。またどこかに水源があるらしく、地面に備えられた水路には綺麗な水が流れている。ゴミひとつ浮いていないのを見れば、これらに現在も人の手が入っていることは明らかであり、それがゴブリンやオークなどでないことが分かる。
「こうして見てても仕方がないわね。行ってみましょ!」
マユはそう言うと勇ましく足を踏み出した。エルサたちもそれに続いていく。
こうして近くで見てみれば見てみるほど、大墳墓の底とは思えぬほどにこの空間は綺麗に手入れされていた。エルサたちの向かう先にある家屋もそれは同じだが、石造りのそれは迷宮と同じくかなり古びてはいるようだ。木窓はぴったりと閉じられており、そこから光が漏れているようなこともない。
やがてエルサたちは家の前までたどり着いた。ここまで魔物が現れることもなかったし、家から誰かが出てくることもなかった。
意を決して、マユが扉を叩く。しかし、反応はない。
「……誰もいないのかしら?」
「いえ、中に気配を感じます。どなたかがいらっしゃるはずですけど……」
エルサには分からないが、ソフィーリアが言うなら間違いはないはずだ。彼女は神官であると同時に優れた戦士でもあるから、屋外からでも中の気配が分かるのだろう。
「居留守のつもり?いい度胸してるじゃない!」
「……開いとるよ」
マユが再びドアを叩くべく拳を振り上げたとき、まさにその家の中から声が返ってきたのである。しわがれた、明らかに老人と分かるものだ。不意に聞こえてきた声に、エルサたち三人は顔を見合わせた。
「……だってさ」
「これは、入ってもいいということでしょうか?」
「念のため、私から参りましょう」
ソフィーリアはそう言うと扉の取手に手をかけた。一度エルサたちの方を振り返り、頷きあうと一息に扉を開く。
「ようこそ、お嬢さん方。墓場の底の爺に、何か御用かな?」
そこにいたのは、明らかに人ではないと分かる、青白い顔をした老人であった。
いつも読んでくださる方々、本当にありがとうございます。
少しずつ投稿ペースを戻していきたいと思いますので、よろしくお願い致します。




