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不死の夫婦の迷宮探索  作者: 森野フクロー
第三章 一ツ星の夫婦
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第45話 大墳墓のウワサ

 幽霊(ゴースト)スライム。


 それはいつからか≪アガディン大墳墓≫に潜る冒険者たちの間で語られるようになった、魔物の噂である。


 幽霊とは未練を残して死した魂が、形をもってこの世に姿を現した存在である。


 そして生き物には魂がある。それは神学者や哲学者ならずとも周知されたことであるが、だからといって全ての生物が幽霊となるわけではない。木や虫の幽霊が現れたという話は、古今東西どこからも聞こえてはこないからだ。


 では何が霊となるかを分けるのかといえば、それはそこに自我、正確には感情があるかないかということである。


 未練とはすべからく感情から発露されるものであるから、それは道理であろう。だからこそ、人間はもちろん動物の幽霊が存在するのだ。


「私が契約しているネッドなんかもそうですね」


 エルサはそう言って幽霊の説明を締めくくった。男から"幽霊スライム"の話を聞いて首を傾げたアレクセイたちに、エルサが霊魂遣い(ソウルコンジュラー)として説明してくれたのだ。


 そうして話を聞く限り、やはりスライムの幽霊など存在しえないのではないかと思える。粘液の塊であるスライムに自我や感情があるとは思えないからだ。


 そしてそれは目の前の男、カインと名乗る魔術師も同じであるらしい。彼はスライム研究者としての立場からも、それはありえないと考えているそうだ。


「だがそれはあくまで机の上の理論でしかない。だからこそ見てみたいんだよ!もし本当に幽霊スライムなどがいるとしたら、大変な発見だとは思わないかい!?」


 両手を広げて同意を求めるカインに、アレクセイたちは曖昧な返事を返すほかなかった。

 武人であるアレクセイは研究者などとは真逆の存在だという自覚があるからだ。


 神官であるソフィーリアもそれは同じことだろう。彼女は聖職者であって求道者ではない。修道院で思索の日々を送る修道士ではなく、戦場で戦士たちを導くものだからだ。


 アレクセイたちの反応が芳しくないのを見て、カインは視線をエルサへと移した。彼女が珍しい霊魂遣いであると知らされてからは、どうやらそちらの方に共感を感じているらしい。


 エルサはカインの勢いに若干引きつつも、彼の考えには控えめに同意を示した。


「確かに、私もスライムの霊体なんて聞いたことがありません。研究のためにこの職に就いているわけではないですけど、霊魂に触れる者として興味はあります」


「それで、その幽霊スライムとやらが冒険者を襲うわけではないという話であったな?」


 自身の興味はともかくとして、アレクセイは件のスライムについてカインに訊ねてみた。


 噂によると、そのスライムは墳墓を訪れるスライムの前にいつの間にか現れるのだそうだ。≪アガディン大墳墓≫に出現するスライムは墳墓内の清掃のために生み出されたものであり、もともと侵入者を襲わない。


 だからこそ本来の役目を果たすでもなく、まるでじっと見つめるかのように冒険者と距離を置くそのスライムは不気味だという。そして不審に思った冒険者がそれに近づくと、すうっとまるで幽霊のように掻き消えるのだそうだ。確かにその様は、まるで何かを訴えようとしている幽霊の様に他ならない。


「そもそも獲物を消化することしか知らないスライムが、何を訴えようというのか。言いたいことがあるということは、彼らに感情はあるのか。これは研究者として無視できない現象なのだよ」


 そしてその幽霊スライムが現れる頻度が、ここ数か月で増えているのだという。そういうわけで、カインの依頼は≪アガディン大墳墓≫の幽霊スライム調査の護衛ということであった。


「調査の間の護衛か」


 話を聞いたアレクセイは低く唸る。決して急ぐ旅というわけではないが、自分たちにも目的はある。調査となればそれなりの期間になるはずだ。あまり長い間カインに付き合うことはできない。


 腕を組んでそう考えていたアレクセイであったが、そのことに思い至った様子のカインは苦笑しながらこう言った。


「いやいや、そんなに心配することはないよ。私もこれで忙しい身でね。今回も仕事の合間を縫ってこうしてやってきたんだ。都合できるのは三日くらいのものさ」


「三日か」


 それならば自分たちも許容できる範囲だろう。


 アレクセイが横を見るとエルサは「いいと思います」と答え、ソフィーリアは目でもって同意を示してくれた。もとより古竜塔に気持ちが行っているソフィーリアなので、かの地での調査をしやすくる導師の紹介状はぜひとも欲しいところだろう。


 彼女たちの賛成を受けてアレクセイがカインに向き直ってそう伝えると、彼は嬉しそうな表情で手を差し出した。


「ありがとう。改めて自己紹介させてもらうよ。カイン・レッサーだ。どうぞよろしく」


「うむ。そういえばこちらは名を名乗っていなかったな。アレクセイ・ヴィキャンデルだ。よろしく頼む」


 そうして互いに紹介を済ませたのだが、やはり目の前の男もアレクセイとソフィーリアが夫婦であると知ると驚いた様子であった。身長差が著しい自分たちを見て、意味ありげな表情でアレクセイの腕を叩いていたのは少々気になるところだが。


 それはともかく、もう夜も遅いということで迷宮に向かうのは翌日に、という運びとなった。


 そして一夜明けた、次の日の朝である。


 宿屋の前でカインと合流したアレクセイたちは、迷宮へと向かう前に冒険者ギルドに立ち寄ることにした。


 ラゾーナの時もそうであったのだが、迷宮に入るには事前にギルドでパーティの申請を行う必要があった。これはいつ誰が迷宮へと潜り、そして誰が帰ってきていないかを明らかにするためである。


 朝も早い時間とあってギルド内にいる冒険者の数はまばらだ。農民や商人と違い時間に厳しい職業ではないから、日が高くなってから動き始める者も多いのである。


 なんにせよ、自分のペースで仕事できるというのが冒険者の強みであった。


「もっとも僕も冒険者の資格自体は持ってはいるけど、ほとんど迷宮に潜ったことなんかないんだよねぇ」


 そう話すカインの冒険者としての等級は、アレクセイたちと同じ"一ツ星(ひとつぼし)"であった。古竜塔で導師の位を持っているというくらいだからもう少し上を想像したのだが、そうでもないらしい。


「正直なところ、資格をはく奪されないよう最低限の責務だけこなして、あとは放ったらかしにしていたのさ。魔術師としての技量と冒険者の等級は同じではないからね。それは君も同じなのだろう?」


「確かに。私も少しばかり戦の経験はあるが、冒険者になったのはつい最近のことからな」


 カインの言う通り、個人の力量とギルドの評価が必ずしも一致するとも限らない。軍隊においても、上位の隊長職に就いているからといって彼らがみな武術の達人というわけではないのだ。指揮官に求められる素質はもっと違うところにある。


 もっとも騎士の国ヴォルデンにおいては上級騎士は強くあるべしとの風潮が強かったので、彼らのほとんどは猛者ばかりであったわけだが。


 なんにつけ他者からの評価というものは、必要があれば自然と上がっていくものだ。何も急ぐことはないし、またその必要もないだろう。


 それに死してなお騎士であるアレクセイは、冒険者という今の身分を楽しみつつも、やはり己の剣は王にあると思っている。評価されるのならばやはり冒険者アレクセイではなく、ヴォルデンの騎士アレクセイとして名を上げたい。


(つまらぬ感傷に過ぎないことは分かっているのだがな)


 内心そう一人ごちるが、こればかりは騎士の矜持だ。そうそう譲れるものではないだろう。


 とそんなことを考えているうちに、一行はギルドの受付の前までやってきた。アレクセイは暇そうにしている職員の受付まで進み出ると、これから迷宮へと潜るのでパーティ申請をしたいという旨を伝えた。


 若い女性の職員は朝早くから現れた巨漢の黒騎士に驚きつつ、手早く処理をしてくれた。ただ一行の中にソフィーリアとエルサの姿を見つけると、はたとその手を止めた。


「どうした?」


「いえ、その……そちらのお二人も≪アガディン大墳墓≫に向かわれるのですよね?」


「そのつもりだが」


 職員はあたりを見回し、朝方ゆえに人が少ないことを確認するとカウンターの向こうから身を寄せてきた。自然とアレクセイたちもそちらに身体を傾けることになる。


 巨漢の黒騎士にうら若い少女二人、おまけにひょろ長い魔術師が受付にかぶりついている様は少々滑稽ではあったが、どうせ見ている者などほとんどいない。アレクセイたちが聞く姿勢を取ると、職員は声を潜めて話を始めた。


「えっと、これはあんまり大きな声では言えない話なんですけど、実は例の迷宮で少々問題がありまして……若い女性の冒険者の方にはあまりお薦めできないんですよ」


「というと?」


「その……迷宮に潜った冒険者さんたちの何人かが行方不明になる事件がありまして」


「ふむ、それは単に迷宮の魔物にやられたのではないか?」


 アレクセイがそう返すと、ソフィーリアとエルサもうんうんと頷いている。ギルドに管理されているとはいえ迷宮は魔物の巣窟だ。不意を討たれれば冒険者が魔物に敗れることなど珍しくもないだろう。


 しかしこの意見にはカインが否定の意を示した。


「であれば行方不明という言い方はしないんじゃないかな。迷宮から戻らなかった冒険者は、一般的には生死不明扱いになるんじゃなかったっけ?」


「そうなんです。そういった場合には生存したパーティメンバーの方から報告が上がりますし、一週間を過ぎても全員返ってこなかった場合には全滅として処理されますから。でも今回はそうではなくて、魔物に襲われたわけでもないのに、気が付いたらその冒険者の姿だけがパーティから消えていたそうなんです」


 そしてそれらはみな若い女性の冒険者ばかりであったわけだ。"それら"というくらいだから一、二件の話ではないのだろう。となればギルドの職員が行方不明者と同年代の冒険者を引き留めたがるのも頷ける。あるいは職員自身が彼女らと近い年代だからかもしれないが。


 そして話を聞けば、案の定その中には職員の知り合いもいたらしい。冒険者とギルドの職員は近しい間柄であるから、両者の間で友誼を結ぶこともあるだろう。


 アレクセイはそれを公私混同とは呼びたくはない。命をかける仕事ならば、なんにせよ心の寄る辺はひとつでも多い方がよい。


「特に行方不明者は僧侶や魔術師の女性に多いので……そちらの方なんて珍しい霊魂遣いなのでしょう?だからどうだってことはないんですけど、ギルド職員(わたしたち)の間じゃ幽霊の仕業じゃないかって話もあるくらいなので、少し心配で」


 彼女の口から幽霊という単語が出たことで、さして興味もなさそうにしていたカインの目が光った気がした。かと思うとカインは職員の方に一層身を乗り出した。


「幽霊と言ったかな?それはもしかして、今噂になっている"幽霊スライム"と関係があるってことかい!?」


 瞳を輝かせながら問いかける魔術師の男の勢いに、職員は若干身を引きつつ首を振った。


「べ、別にそういうわけじゃないんです。それにそっちの方の噂もギルドは把握してますけど、この件に関係してるかどうかはわかりません。一応実害はないってことでそっちは放置されてますし」


 なんとも不可解な話であるが、これだけではどうとも言えまい。行方不明の原因が何であるにせよソフィーリアがそうなるとは考えられないし、またそうであるなら並みの冒険者ではどうすることもできないだろう。


 またエルサに限って言えば自分たちがいる限り好きにはさせない。多少の怪異を撥ね退けるだけの力は持ち合わせているつもりだ。


 なのでアレクセイの答えは決まっていた。


「忠告痛み入る。だがこの娘たちの安全は私が保証しよう。またもし彼女らが帰らぬことがあれば、それこそその迷宮を封鎖すべきであろうな」


 アレクセイの自信に満ちた言葉に職員は頷きつつ、「これってフラグじゃないよね」などと零しているのが聞こえた。"フラグ"とは何であろうか。後でエルサに聞いておかねばなるまい。


 ともかくこうしてアレクセイたちは、奇妙な噂がつき纏う≪アガディンの大墳墓≫に挑むことになったのである。

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