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第四章  「宮古島にて」

8月6日 日本国沖縄県 宮古島


 ここ一週間、暑いと思いつつ眼が覚める。25度に設定しておいた空調が、宿直室の布団の上で意識を覚醒させた瞬間に耳障りに聞こえる。カーテンを閉めずに眠るせいだ……朝寝を決め込むには日当たりが良過ぎる宿直室で、出水(いずみ) 真弓(まゆみ)はうっすらとその眼を開けた。


 6時12分……枕元に置いた腕時計は真弓が起き出すべき時間を無言の内に伝えていた。三時間は眠れたな……と思いつつ身体に巻いていたタオルケットを畳んで起き出し、真弓は腕時計を嵌めた。外に出る間際にハンガーに架けておいた白衣を羽織る。皺が目立つ……もっとまめにアイロンを掛けておくべきだったと思う。何時アイロンを開けようかなどと思いつつ廊下に通じるドアを開けるのと、リノニュウームと消毒薬の混じった病院独特の匂いを嗅ぐのと同時――


 出水 真弓は沖縄県立宮古中央病院の勤務医で、二年前に故郷の宮古島に戻る形で勤務している。それ以前は九州の医大を出てすぐ東京の病院に就職し、そのまま結婚。海上自衛隊の幹部自衛官の夫とは二年前に離婚して今に至っている。すでに三十代の半ばを越えているのに、知性を推し出したような面長な顔立ちと長身の体躯は他者にそう思わせない程若々しく、肘まで捲り上げられた白衣、そして首元で束ねられた髪の早足で歩く度に揺れる様が、本人も意図しない内に脂の乗った運動選手のような清新さを個人の雰囲気として醸し出していた。


 廊下から臨む病院の中庭。椰子の木が並び立ち、南方の花々に満たされたそこでは、この時間帯だと余計な日差しはそこまで達することなく、夏の朝の空気を味わうのに適度な涼しさと湿っぽさを与えてくれる。それを見下ろしつつ廊下を歩く真弓の眼差しの先で、身体の動く患者や真弓と同じく宿直の職員が院内の方々から中庭に集まり、徐々にではあるが規則正しい列を作り始めていた。あとは恒例のラジオ体操の放送が始まるのを待つだけ――六階建ての総合病院の、中央を廻るエスカレーターが未だ動いていない時間帯。そのせいもあるが、体力の維持を目的に階段を使いつつ、真弓は彼女の仕事場たる五階まで上がる。五階の内科・小児科患者専用病棟……そこが、真弓の仕事場だった。


「お早うございます。出水先生」

 と、看護師長の河合 聡美がスタッフステーションのカウンターから真弓に会釈した。実年齢は真弓と同じ、しかし肉付きのいい短躯と真弓のそれに比して緩んだ頬と顎の弛みが、外見上の年齢に十年近くの大差と貫禄、そして真弓が持ち得ない種類の愛嬌を与えていた。私生活では二児の母親でもある彼女は性格面では几帳面な処があって、真弓もまた勤務したての頃はこの河合師長にだいぶ助けられてもいる。

「御苦労さま。ひょっとして……ずっといた?」

「はい」

 と、笑顔を浮かべて河合は応じた。自ずと真弓の目元が下がり、哀れむ様な顔が浮かぶ。

「御免なさいね。夜通しずっと一人だったでしょう?」

「先生もここ三日間ずっと働き通しのようでしたけど……よく御休みになられましたか?」

「いやいや……」

 白い歯を浮かべて笑い、真弓は手を振る仕草をする。時間外勤務など大したことないという意思表示の積りであっても、その仕草は市井の活発な女子大生のそれと大差なかった。

「コーヒー淹れたんですけど、飲みます?」

「貰おうかしら。ああそうそう……」

 笑顔を消し、真弓はステーション周囲の病棟を伺うようにした。

「……タケシ君はどうしてる?」

「御指示通り2時間おきに看てましたけど、よく眠っていますよ」

「そう……よかった。有難う」

 出された熱いコーヒーに形ばかり口を付けた後で、真弓は巡回記録の挟まったバインダーを眺める……巡回ごとに患者の様子を記したそれは、タケシという名のその患者が、昨日夜9時の就寝以来一度として急を要する事態の中心とならなかったことを証明していた。東京生まれ。先天的な神経系の病の療養を目的に都会から風光明媚な宮古島に転院して来た樋口 (たけし)は7歳、先月に転院してから病状はだいぶ落ち着いている。なるべく靴音を立てないように病室まで歩き、真弓はそっと個室病棟に通じるドアをスライドさせた。

「…………」

 天使を思わせる、無垢な少年の寝息。その前では小うるさい空調の稼働音などたちまちに掻き消えてしまう。少年の小柄な体躯には過剰なまでに分厚く見える掛け布団に心地良さそうに埋もれ、安眠に身を委ね続ける患者を前に、真弓は口元を緩めつつさらに歩を進めた。ベッドの傍にまで近付き、おでこに手を充てて体温を計る……真弓は満足したように微笑み、個室を出た。


 真弓の勤務する5階にも、そして病院の各フロアにも出勤してきた職員が集まり始めている。真弓はと言えば7時30分に担当医に引き継ぎを終え、ロッカールームで帰り支度を始めていた。規定通りならば今日1日は出勤せずとも済む筈が、慢性的な医師不足からそうもいかず、予感が正しければ正午を回る頃に呼び出しが掛かるかもしれない……そのようなことを考えつつロッカーに入れて置いた私用の携帯電話の電源を入れた途端、真弓は顔を綻ばせた。

メールの着信が1通――名前は、「GORO」。


『宮古島なう』

「…………!」

 メールの文面は只それだけ、しかしそれが何を意味するのか真弓にはすぐに判った。宿直用の着替えを手早くリュックサックに詰め込み、真弓は慌しくロッカールームを出ようと試みる。朝の様子を伺うべく顔を出した外来病棟の待合室には、すでに少なからぬ数の老若男女が集まり、診療の開始を待ちわびている。


『――与那国島には今日早朝、輸送艦「おおすみ」に積載された陸上自衛隊の装備及び人員の陸揚げが始まり、海浜地帯では輸送艦より発進したLCAC 輸送用ホバークラフトより迅速にトラック及び装甲車両が揚陸され、部隊ごとの集積地に向け移動を開始しています。なお、沖縄本島北方の防空識別圏に対する中国空軍機の侵入は昨日夜だけでも5回を数え――』

 大きさにして畳一枚分程はある広角画面の中で、夜の余韻を思わせる薄暗さを突き、ヘッドライトを光らせて与那国島の国道を走る自衛隊車両の列。それが直後には熱線の如きアフターバーナーを焚き、薄暗い飛行場から空を切り裂く様に昇るF‐15Jイーグル戦闘機の姿へと切替る――備えつけのテレビに映し出される朝のニュース番組を、縋り付く様にして見詰める人々……海を隔てているとはいえ、同じ地域の話題に人々は敏感で、抱えている事情は切実だ。真弓の記憶が正しければ、本土九州への「疎開」の話が何時しか待合室に流れる数多の話題のひとつになるのに、それ程時を要していない筈であった。そして、受付のカウンターを塞ぐようにして立つ人影に、真弓は一瞬目を奪われる。


「…………?」

 ――――カウンターに圧し掛かる様にして立つ長身は、その背中に負った巨大なバックパックも相まって家路を急ぐ真弓の注意をも惹いた。黒髪、白い肌を外の暑気でピンクに染めた白人女性が独り。暑い盛りなのに黒い長袖のシャツを纏ったその装いに、真弓は訝しげに眼差しを曇らせた。日本語では無い何処かの国の言葉と片言の日本語をごちゃ混ぜにして要件を告げる白人女性と、彼女と正対するも意図が掴めず顔を曇らせる年配の事務員――真弓は嘆息して踵を返し、バックパックそのものに語りかけるように英語で言った。「英語は話せますか?」と……

「Yes!」

 反射的に真弓を顧み、その白人女性は言う。綺麗な――言い換えれば澄んだ――茶色の大きな瞳。彼女と正対した途端、それが真っ先に真弓の意識に焼き付いた。女性の方にしても、不意に真弓に声を掛けられた瞬間の驚愕が、その本人の前ですぐに笑顔に替わる。大きな口をくの字型に曲げた笑顔には、まるで何かのマスコットキャラの様な愛嬌が感じられた。どちらかと言えば美人、年齢は自分と同じ位だろうか。思えば学生時代の真弓も休暇のとき、貯めていた学習塾講師のバイト代を注ぎ込み、彼女と殆ど同じ出で立ちで国外を放浪していた事があったっけ……今でも「友人」として関係が続いている前の夫と出逢ったのも、卒業旅行で行ったブラジルであった。片や医師国家試験の合否待ちをほったらかしにして国外に飛び出した医大生、片や練習航海に参加中の海上自衛隊幹部。そんなふたりが後に結ばれるなんて、運命というのは案外劇的になる様出来ている。


 だが――


「…………」

 眼前の外国人女性に、真弓は改めて目を見張るようにした。言い換えれば黒い長袖シャツに隠された体躯の異質さに、真弓は医師として興味を覚えた。豊かな胸と張り合うかのように盛り上がった肩の肉、そして同年代の女性とは思えぬほど発達した上腕の筋肉。重そうなバックパックを軽々と背負っている点を差し引いても、人並みな女性の肉体では無かった。恐らく本人は隠している積りだろうが、真弓には判ったのだ。

「道……教えてくれる?」

「――――!」

 英語で不意に話し掛けられ、真弓は慌てて意識を思案から現実へと引き戻す。女性は眼元を笑わせ、宮古島の観光地図を差し出した。

「サワダノハマ」

 とだけ女性は言った。単語の内容が宮古島に隣接する下地島の景勝地の名前であることと、観光地図に外国語表記が無い事が、恐らくは旅行者たる彼女を戸惑わせているのだろうと真弓は察する。指で地図上のコースをなぞり、乗るべき交通機関と乗り場の場所、そして乗るべき時間を英語で教える。海外旅行で培った程度だが、それでも流暢で響きの優しい英語だった。真弓が説明を終えるまで、その白人女性は何も言わずただ笑顔を浮かべて聞き入っていた。


「……オーケー、わかった」

 と女性は言った。望外の親切を前に溢れ掛ける感情を、はにかみで辛うじて抑えた様な笑顔であった。近付いてみれば目立つシャツの汚れを見遣りつつ、軽い世間話の積りで真弓は言う。

「間が悪いわね。こんな時にこの島に来るなんて」

「問題はありませんよ。ドクター」

 口をさらにくの字状に曲げて、女性は笑った。子供の様な笑顔だな……と真弓は何となく思う。

「カワイイ人ね」

「カワイイ?……私が?」

「うん」

 真弓は頷いた。恐らく、外国人でも「カワイイ」の意味を解したのであろう。女性の白い頬が薄朱に染まるのを真弓は見た。

「島から出るなら早い方がいいわ。何時船が止まるか判らないことだし」 そう言って、真弓は思う。ひょっとしたら軍人? 沖縄駐留の在日米軍の人だろうか?

「その服、暑くない?」

「Oh……」

 真弓の指摘を真に受けたのか、女性はさり気無くシャツの袖を捲る様にした。顕わになった腕に、真弓は一瞬目を奪われると同時にシャツ姿に納得をも覚える。棍棒のような腕一面に張り付く様に刻まれた、蛇に弄ばれる頭骨の図――刺青(タトゥー)か……真弓は構図の怖さに少し戸惑い、そして笑顔を作った。思えば学生時代に旅した先々で出会った外国人旅行者も、男女を問わず肌に墨を入れている者が多かった様な気がする。

「かっこいい絵じゃない」

「…………」

 鋭くなりかけた眼差しが、丸くなって真弓に注がれる。真弓に微笑と共にそう言われたのが、一層に彼女の困惑を誘ったかのような表情だった。女性は無言で真弓に一礼し、正面玄関へと歩き出す。彼女が遠ざかり、自分の視界から完全に消えるまで、何故か目を逸らしてはいけない様な気が真弓にはした。

 バックパックを背負った女の後姿、その歩き方が高名な武道家として知られた真弓の死んだ祖父のそれに何処となく似ていたのに彼女が気付いたのは、それからしばらく経ってからのことだ。




 正面玄関から病院を抜け、職員専用駐車場から愛用の軽自動車を国道へ乗り出す頃には、すでに朝の8時30分を回っていた。今日出勤のスタッフは既に朝のミーティングを始めている筈だ。交差点に差し掛かった時、山の様に車高の高い装甲車が自分の前に止まるのを真弓は見る。正確な名前を真弓は知らなかったが、それは陸上自衛隊の82式指揮通信車だった。信号が赤に変わり、装甲車に従う様に真弓もブレーキを踏む。車体上部ハッチを開けて身を乗り出す自衛隊員の姿まで手に取る様に判る近さであった。ハッチの傍には、カバーこそ掛けられていても機銃が据え付けられていることがその輪郭から判った。


『――中国外務省の琁 海報道官は記者団の質問に対し、魚釣島及びその周辺海域及び空域に対する日本の独断的な占有を、主権国家としてこれ以上座視する訳にはいかない。中国には断固たる対処を遂行するための実行力及び正義がある。日本政府が誠意を見せない限り中国政府は冷静な判断力を失った日本政府はこれ以上相手にしないと発言し、武力行使への決意を一層前面に押し出す構えを見せています』

 カーラジオのニュースを聞きつつ、青信号に従って走り出す装甲車の後姿を真弓は漠然と見遣った。奇しくも真弓と同じ方向で、信号から右に曲がった途端、陸地とは全くに趣の異なる、眼が覚める様な(あお)が道路の左側に広がる。そして――

「…………」

 宮古島の主要港 平良港の一翼を為す防波堤からさらに外、そこに停泊する大小の船影に、真弓は眼を細めるようにした。東京にいた頃、別れた夫、あるいは未だ恋人と呼んでいた頃の夫を尋ねて赴いた横須賀の港が思い出された。山々と小島に囲まれた広範な横須賀の海、その主要な埠頭から離れた場所に黒いマストを連ねていた灰色の護衛艦の群……それと同じ輪郭を持つ船影が、本州から遠く離れた先島諸島の東端たる宮古島の外海にその精悍な姿を横たえているのだ。伊達や酔狂では無く、抗い難い嵐の到来を真弓は思った。その嵐の中の何処かに、黛 吾郎という名の、かつての彼女の夫はいる?


 咄嗟に湧き起こった感情の赴くままに真弓はハンドルを傾け、彼女は港を見渡せる埠頭まで車を走らせた。埠頭には既に先客がいる。ついさっきこの島に一歩を標したばかりの自衛隊員、そして彼らの上陸を補佐する先着の自衛隊員……埠頭に停めた、車体幅の広い濃緑色のランドクルーザー (真弓にはそう見えた)の傍に佇む自衛隊員が複数、彼らは一人の例外なく銃器を携行している。災害派遣では無い、明らかな防衛出動だ……そう思いつつ車を止め、真弓は潮風を頬と豊かな黒髪に受けつつ水平線を臨む。


「吾郎……さん」

 夫の名は、頭上を通過した真っ黒いヘリコプターの爆音に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。




8月6日 日本国南西諸島近海


 試験艦「とうや」は、一路南へと進んでいる。


 凡そ後方支援用の艦を流用したとは思えない鋭角的な艦体が白い飛沫を跳ね上げ、あるいは(あお)の野を切り拓く様にして海を滑る。その様は、はかつて世界の海洋に君臨した戦艦という鋼鉄の種族と何ら遜色の無い威厳を醸し出していた。戦艦……といえば構造物を上へ継ぎ足し、マストを延ばした結果として、補給艦からの転用ながら「とうや」の艦橋は第二次世界大戦期の戦艦のそれに見えなくもなかった。単に何の変哲もない補給艦を弄り、戦艦のような威厳を持たせることを改装の主眼とするならば、「とうや」にかんしてはそれに成功しているように見えた。ただし戦艦として持つべき巨砲は、その艦体の何処にも見出すことができなかった。


 武装と言えば恐らくは個艦防御用であろう、CIWS20㎜多銃身機関砲と16セルの垂直発射装置(VLS)各2基しか目立った装備の見受けられない上甲板は殺風景な程平坦で、それ故に却って巨艦の加速に遮るもののない勢いを与えている。但し船足が速いのは、単にそう見えるから、というわけではなかった。


「――速力25ノットを越えました!……速力26!」

 多機能表示端末(MFD)を睨む海曹が弾んだ声を上げた。速度、針路、動揺、機関……そして海面の状態、艦橋に在って凡そ「とうや」に関わる全てを一括して管制し得るMFDの一隅にデジタル表示された速度計は、原型たる「ましゅう」型の最高速力24ノットを優々と越え、そして機関出力にも未だ余裕があることをも示していた。「ましゅう」型の標準的機関配置たるロールスロイス‐スペイ20000馬力ガスタービンエンジン2基に比して、こちらはGE‐IHI‐LM2500ガスタービンエンジン28000馬力が4基。この事実だけでも「とうや」に要求されている速度が後方支援艦のそれではなく、戦闘用艦艇のそれであることは一目瞭然だ。補給艦からの改装――否、転用――計画が立てられた段階で機関の増設が決まり、結果として「とうや」は同型艦に比して40m艦尾を延長された。その余禄と言っては何だが艦尾に装備実験用と兵員収容用の空間が設けられ、さらに艦尾に一基垂直発射装置(VLS)を置く余裕も生まれた。艦橋上部を占めるFCS‐3索敵/射撃管制システムとの組み合わせによっては、個艦対空防御力に関しては従来型の汎用護衛艦をも上回るかもしれない。

 

「速力28!……29!……30ノットに到達!」

 海曹の報告には、歓喜の要素が多分に混じりはじめている。その傍らに立ち、艦橋から全周に広がる水平線に目を凝らす男が独り――

「30ノットを五分間維持せよ」

 そこまで命じて、男は右隅の艦長席を見遣る。赤一色の艦長席に座ることを許された「とうや」で唯一の人物、「とうや」における彼――三等海佐 八嶋 慎一の「とうや」における唯一の上官、「とうや」艦長 二等海佐 黛 吾郎は、同意など求めるまでもないと言わんかのように、部隊識別帽とジャケットに首を埋めたまま静かな寝息を立てていた。それを不快だとは、八嶋二佐は思わなかった。むしろ副長たる自分の操艦を信頼しきっているが故の挙動と思えば、却って誇らしくすら思えてしまう。


 八嶋三佐は、「とうや」進水以来、黛二佐に付き従っている唯一の幹部だった。それ以前の隊歴も合わせれば優に四年程の付き合いかもしれない。一般大学卒業後、幹部候補生課程を経て海自に入隊した黛艦長、翻って高等術科学校卒業後に一時除隊して一般大学に入学、卒業後に再入隊して現在に至る八嶋……海上自衛隊という組織でも共に特異な経歴が期せずして二人を結びつけ、現在の関係を造り出していると言っても過言ではないように八嶋には思われた。それ程に八嶋は黛艦長に心服している。


 航海速力30ノット、およそ戦闘艦並みの俊足で海原を進み続けている「とうや」は、「ましゅう」型補給艦三番艦を改装することで就役している。北朝鮮の核武装推進政策の顕在化に端を発する中国、朝鮮半島といった近隣地域の不安定化が、日本中の誰彼憚ることなく広く周知せられるようになったこともそうだが、国際協力業務に関与する自衛隊の、距離的な作戦能力向上への需要が「とうや」、それに続く「ましゅう」型四番艦取得の動機となった……否、正確に言えば純正の「ましゅう」型ではない、改「ましゅう」型とも言える。

 

 将来生起し得る日本の施政権下に在る島嶼防衛、奪回戦において有効と考え得る新装備の運用試験艦――本来ごく普通に補給艦として自衛艦隊の列に加えられる筈だった「とうや」が、こうして異形の艦影を晒すこととなったのは、まさにその新装備の運用に、補給艦たる「とうや」の構造が最適であるように見做されたからに他ならない。何故なら関係者の間では単に「ユニット」とのみ称されるその新装備は余りに大きく、海自が既に配備している従来型の試験艦や、老朽化が進んでお役御免となった旧型艦では運用どころか搭載すら不可能な代物であったから――


 広島県江田島の第一術科学校で行われた、要員教育も兼ねた事前研修でその存在と特性を教えられ、運用試験に備えた艤装のため入渠した神戸の専用桟橋でその実物を初めて目にした時には、あまりに突飛で、かつ狂気の発想の産物であるように思われた「ユニット」。だがそれが先月の「実戦」では凄まじい威力を発揮し、実際の運用を担当した八嶋らを驚愕させたのは否定しようも無い。その「実戦」参加の前に行われた運用試験の結果もまた良好――それでも……という思いは八嶋には残っている。


 つまりは、未だに信じられないのだ……八嶋は込み上げてくる興奮と共に上甲板の一角を睨んだ。

 「ましゅう」型特有の、城郭を思わせる丈の高い艦橋からは、艦橋の下から艦首に至る上甲板の全容を一望する事が出来る。つまりは船体一杯を補給物資の積載に充てる「タンカー」として特有の構造であるのと同時に、上甲板で行われる他艦への燃料及び弾薬の補給作業を、操艦しながらに管制し易くするための構造なのだが、その作業用のモノポールやフォークリフト、コンテナスペースに上甲板前部を埋め尽くされていた「ましゅう」に対し、「とうや」の上甲板を占めているのは個艦防御用のCIWSとVLS、そして艦中央に二基埋め込まれるように配された立方体形の「ユニット」のみ。そこから上甲板に向け何かを出し入れする巨大な口は、出港から現在に至るまで分厚いシャッターで堅く閉ざされたままだ。これが開かれたとき、「とうや」はその真の姿を現すというわけであった。


「五分経過!」

「第1戦速」

「第1戦速ヨーソロ」

 心地良い複唱に、艦の前進が徐々に抑制されて行く反応が続く。減速の感覚だった。それまで前進に打ち消されていた機関の生み出す振動が、その逃げ場を失い艦橋操舵室の床まで響いて来る……直後に機関のギア比が切替り、不快な振動は一切が吸い込まれるようにして消えた。

「八嶋、宮古島まで所要時間は稼げたか?」

「はっ、一気に五分程は縮められたかと」

 驚きつつも、八嶋三佐は即答してみせた。踵を返したその先で、目を開けた黛艦長が柔らかな視線を彼に向けていた。八嶋に軽く頷き、黛艦長は続けた。

「射撃訓練は当初の予定通り、宮古島出港後の1900に実施する。それまでに櫻井一尉と甲斐一尉も合わせもう一度、打ち合わせをやっておこうか」

「そうですね……何分、色々と初めてなこともあるでしょうし」

「うん、そういう事だ」

 黛艦長は笑った。八嶋三佐も会釈で応じ、傍らの海曹を顧みた。

「櫻井一尉は今何処だ?」

「未だ西普連との艦内探検から戻っておりませんが……」

「ふぅーん……」

 機嫌の良さを露わにした顔が、一瞬で困惑に転じる。それ程入り組んだ造りの艦では無い筈なのだが……





「そのキャップ、格好いいですね」

 と、不意に背後から話し掛けられ、一等海尉 櫻井 詩織はラッタルから背後を見下ろすようにした。階段の優に五段下に陸上自衛隊の野戦服に、雄牛の様な巨体を包んだ幹部が円らな、雄牛の様な眼差しを向けていた。褒められたのが最近気にしている尻の肉付きでは無いことに、櫻井一尉は内心で安堵した。

「ああ……これ?」

 ラッタルを昇り切ったところで、櫻井一尉は目深に被った部隊識別帽子を脱いだ。頭頂で纏められたやや赤みがかった髪が、なにも遮るものの無い「とうや」上甲板の上で息を呑む程の光沢を放っている。潮風と容赦ない陽光に晒される軍艦勤務にしては不審な程に肌は白く、肌の上では筋の通った鼻を跨ぐように薄いそばかすが歳にそぐわない抵抗をしぶとく続けていた。どちらかと言えば長身、新体操選手を彷彿とさせる細い体躯を包む二種軍装の白いシャツと黒い上衣の織り成すコントラストが、息を呑む様な鮮やかさと凛々しさを際立たせている。「見ますか?」櫻井一尉が差し出したキャップを手に取り、野戦服の襟に同じ一等陸尉の略章を覗かせた陸自幹部は、雄牛のそれを思わせる瞳を煌めかせて艦の部隊章(パーソナルマーク)を見詰めるのみだ。

「……これは、誰ですか?」

「え……?」

 と、櫻井一尉はキャップの部隊章をまじまじと見詰める。円形の枠の中で、大洋の水平線上に浮かぶ舟に向かい強弓を番える鎧武者の姿。それらを囲むように「JMSDF ASEG-001 TOYA」のロゴが収まっている……それが「とうや」の部隊章であった。知識の糸を脳裏で五センチほど辿ったところで、櫻井一尉は言った。

「鎮西八郎為朝ですよ」

「ええと誰だっけ……聞いたことある様な」

「大昔の弓の達人です。何でも弓の一発で船を沈めたこともあるとか……」

「ふーん……この艦とどういう関係が?」

「それはですね……」

 神妙そうな顔を浮かべ、櫻井一尉は「とうや」の上甲板を一瞥する。「ましゅう」型補給艦特有の、そそり立つ絶壁を思わせる艦橋から舳先に至る広大な空間には、一見すれば目立った何物も存在しない……否、護衛艦として一応の体裁を繕えるものは見える。船首部に付設された20㎜多銃身機関砲CIWSが一基、船体中央部にMk41垂直発射装置(VLS)が16セル1基。一番目立つ兵装故か、そこに上甲板に上がった西部方面普通科連隊隊員の人影が集中している。物珍しさが故だ。狼狽が辛うじて顔に出るのを抑え、作り笑いで櫻井一尉は応じた。

「防衛機密です」

 陸自幹部は頷く。だが納得したのかしていないのか判らない、ぎこちない頷き方であった。

「……これだけ広いスペースがあれば、交通船(LCM)も八隻……いや六隻は甲板上に積めそうなんだけどなぁ」

「意味も無く、ここを開けているわけではありませんから」

「うーん……」

 櫻井一尉の言葉にさらに困惑したのか、陸自幹部は太い腕を組んで首を傾げた。彼の部下らしき野戦服姿が垂直発射装置(VLS)の近くから彼を手招きした。遠ざかりゆく逞しい背中を見送りつつ、櫻井一尉は重荷から解放されたかのように嘆息した。彼らが訝るのも無理はない。普段軍艦というものに免疫の無いもの……否、軍艦というものを知りぬいている者からしても、この艦の外見は異様だ……異議の挟みようも無い程異様だ。艦首と艦尾ヘリコプターハンガー上に配されたCIWS、上甲板と艦尾飛行甲板上に配された16セルVLSだけを見れば、ただ輸送艦の艦体の上に無思慮に対空兵装を乗せただけの試験艦もどきにしか見えない。但しそうではないことは艦橋上部、艦の全周囲に向けられる形で配された射撃指揮レーダーの一部たるフェイズド‐アレイ‐レーダーが無言の内に反駁している。正式名称FCS‐3CⅡ。射撃指揮装置と艦載対水上/対空レーダーを統合した次世代の護衛艦対空戦闘システムたるFCS‐3の、「とうや」専用型であり、特に「とうや」の特性上対水上、対地目標の管制/追尾能力が重視されているのが特筆すべき特徴と言えよう。


「あー、そこ乗らないでくださーい!」

 櫻井一尉の呼び掛けに、上甲板の一区画を占める巨大なシャッターパネルに脚を踏み入れた陸上自衛官たちが一斉に櫻井一尉を顧みる。強度上手荒な扱いは見過ごしていられる筈が、その区画が区画だけに、神経質になってしまう彼女であった。いい気なものだ、何せ彼らは知らないのだ。自分たちの脚下に眠っているこの艦の「本性」――言い換えれば「怪物」の正体を知らないというのは……

 

 さすがに舟艇による島嶼への上陸機動作戦を想定して編成された部隊だけあって、事前に懸念された船酔いに苛まれた隊員は一人もいないように櫻井一尉には思われた。しかしそれは別の意味でも杞憂だったのかもしれない。風は猛烈とは言わぬまでも烈しく、甲板上から水平線を臨めば海原は群青の牙を幾重にも剥き出しにして荒れ狂っている……しかし艦は微動だにせず、さながら洋上にあって地上に在るかのような安定感を、船旅を共にする人々に与えていた。

「…………」

 もうじき1145(ヒトヒトヨンゴー)か――さり気無く覗いたダイバーウォッチが、艦が昼食の時間を迎えつつあることを櫻井一尉に報せている。革靴を蹴立てて、櫻井一尉は甲板を中程まで歩く。単調な航海の手慰みにと思って案内役を買って出た「艦内探検」……艦長の命に基づくそれを切り上げるのに、今がいい頃合いだった。



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