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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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二十、城代と軍監

 ブリアソーレへの道中、ヴァルターはとても苛立っていた。普段なら無理な行軍はしないしさせないが信条の彼だったが、苛立ちのあまり無意識に馬を急かしてしまい、通常三日の行程を二日半でこなしてしまった。


 西都へ帰還した彼はいの一番に行政庁舎を訪ねた。着替えも戦費の供出に協力してくれた豪商たちへの挨拶も後回しに、砂埃を被った袖なし外套を翻して、ヴァルターは庁舎の一室の扉を蹴り開ける。


 室内で彼を迎えたのは五十がらみの男だった。白髪の多い頭を後ろになでつけ、まだ暑気の残る季節だと言うのに袖口から襟ぐりまできっちりと縫い止めた長衣に身を包む、少々痩せぎすなところはあるが、いかにも貴族然としたいでたちである。


「戻られていたのですか、城代殿」


 男は闖入者によって巻き上げられた砂埃を煩わしそうに手で払い、迷惑と言う気分を隠すそぶりもなしに尋ねた。


「しかし、(おとな)いもなしに部屋へ押し入るとは、いささか礼を失しているのではありませんかな」


 ヴァルターはつばを吐きたい衝動と荒げそうになる声を何とか抑えて答えた。


「そうかい。そいつは悪かったな。うっかりしてたよ」


 口角は上がっていたが目は笑っていなかった。ヴァルターはまっすぐ相手を見据えて続けた。


「けどな、礼儀は忘れても道理を忘れるようなことはないぜ俺は。あんたと違ってな、軍監殿」


「はて、何を仰りたいのか分かりかねますが、用件があるならうかがいましょう」男は一切顔色を変えず、机上の書類から埃を払いながら付け足した。「ただし、手短に願います。働き者の侍従がそろそろ屋敷で夕餉の支度を整えている頃合いですから」


 ヴァルターの中で何かが切れる音がした。穏便にいこうと、理性では考えていても、この男を前に二言三言会話を交わせばそんな思いはどこかへ消えてしまう。ヴァルターにとっては珍しい頭痛の種が、この軍監と呼ばれる役職を担うカリスト・デ・ベレイマの存在だった。





 エスパラム公領ブリアソーレは、この当時少々特殊な体制で統治されていた。


 事の始まりは二年前に起きた「ジャコモ・レイの乱」にある。平定こそ成ったものの、反乱の影響で元々南東公領ルオマを運営していた統治機構は壊滅的状況に陥っていた。二つの大都市をはじめとした大半の都市執政議会は役員、会員の不足でまともに機能せず、領主たるルオマ公は死亡し、後を継ぐべき遺児たちはまだ幼い上、しかも女性なのだ。とてもではないが領国の政治を立て直すことなど出来そうにない。


 そこでルオマ公姫を保護したラ・ピュセル侯爵が発起人となり、正当な権利を有するルオマの統治者が決まるまで、乱の平定に協力した諸侯でルオマの地を守っていくことが提案された。話し合いの結果、北都と公都をラ・ピュセル侯が、西都、南都、東都をそれぞれエスパラム公、ラ・フルト侯、ノラヴド公が治めていくことで概ねの合意がなされたのだった。


 あくまでもルオマ公不在の間統治を委任されていると言う建前上に支配権を行使しているので、エスパラム公の権限でこの領地を自由に貸したり与えたりすることは出来ない。そのため、ルオマへの野心を早々に諦めたエスパラム公は、領地の統治を取り仕切る役職である総督の地位をヴァルターに与えることにした。


 無頼が当たり前の傭兵なら、いや、そこそこの領地に立派な屋敷を構える貴族であっても、羨まずにはいられない大出世である。この乱における武功が高く評価された証と言えたし、与えたエスパラム公自身も大盤振る舞いが過ぎたかと後になって少しだけ後悔したほどの褒美だった。


 が、どう言うわけかヴァルターは、その大変ありがたいお話を固辞してしまった。


 しがらみを持つことが煩わしかった、元来領土と言うものへの執着が希薄だった、戦争以外の仕事に自信も興味もなかった等など、理由はいくつかあったが、部下たちの熱心な説得もむなしく、結局ヴァルターが総督の職に就くことはなかった。


 さて、そうなるとまた困るのがエスパラム公である。ヴァルターに代わってブリアソーレを統治する者をと連日議会に働きかけるわけだが、この人事がどうにも順調に決まらなかった。エスパラム公に近しい者を送ろうとすればルオマ公姫、つまりはラ・ピュセル侯の方面から異議が唱えられ、かと言って信用の置けない者を任命してはエスパラム公自身のためにならない。総督不在のままでは何かと都合も悪いので、とりあえずヴァルターを総督決定までの代理役、ブリアソーレ城代の地位に収め、追って正式な総督が赴任するまで当地の政務を任せることで、ひとまずの決着となった。


 当初渋っていたヴァルターも、あくまで臨時の人事であり代理の仕事である旨を繰り返し強調され、あまつさえ正騎士叙任の際に恩のあるマルソン卿から直々に説得されれば折れないわけにも行かなかった。もちろん、この返事にエスパラム公が頬を緩めたであろうことはヴァルターにも想像出来た。総督を送る送ると言っておきながら、実際それがいつのことになるかなど分かったものではない。むしろ総督の人事はこのまま保留にして、面倒な飛び地の管理をなし崩し的に城代へ押し付けてしまおうなどと言うエスパラム公の考えが透けて見えた。


 実際、ヴァルターの想像はエスパラム公の考えを正確に読んでいた。いくら広大な土地を預かれると言ってもいずれはルオマ公に返すことになる借り物であり、慣れ親しんだエスパラムを離れて快適な暮らしが出来ると言う保証もない。本領から離れた遠隔地故に省みられることも少なくなることであろうし、その上ラ・ピュセル侯に口まで出されるとあっては、誰だって華々しく見える総督職に二の足を踏んでしまうのは無理からぬことだった。


 結局、希望者も適任者も容易に見つからなかったために、その場にいたヴァルターが責任を負わざるをえなかったのだった。


 とにかく、面倒事が一つ片付いたとエスパラム公は安堵した。ルオマの問題のために後回しにされていた諸々の軍事計画について、これでようやく本腰を入れて取り組める。勇んでいたエスパラム公は、しかし、不意に聞かされた注進によって、その問題が未だ片付いていないことを知った。


「正騎士ヴァルターに謀反の疑いあり」


 その話を初めて耳にした時、エスパラム公はまじめに取り合わなかった。論功行賞の前後にこの手の噂が持ち上がるのは珍しくない。詳細に調べたところで、たいていの場合、噂の出所は他者の出世を妬む者による根も葉もない讒言(ざんげん)の類だからだった。


 ところが、正騎士ヴァルターの叛意に関しては、その噂話にも妙な信憑性があった。


 曰く、


「正騎士ヴァルターはかねてよりラ・ピュセル侯と通じている。乱の折、せっかく保護したルオマ公の遺児を何の相談もなくラ・ピュセル侯に引き渡した件も、いち早く陥落させた都市をラ・ピュセル侯にあっさり明け渡したこともそうだ。証拠を挙げようと思えば両手では数え切れない」


「乱の平定に活躍したと言っても、一介の傭兵隊長がラ・ピュセル侯から直々に総督の推薦を受けているのも妙な話だ。正騎士ヴァルター以外の総督就任をかたくなに認めようとしないラ・ピュセル侯の態度から推し量るに、彼が総督職を辞退したのもエスパラム公を欺くための偽装工作ではないか」


「正騎士ヴァルターがルオマ公姫から騎士の叙任を受けたという話もある。ルオマ公家はラ・ピュセル侯家と縁戚関係にあるから、つまり彼はラ・ピュセル侯家の騎士も同じ。もしこのまま両家が相争うことになれば、アルテュール憲章にも抵触することになるが、そうなった場合彼は当家とラ・ピュセル侯家のどちらにつくのだろうか」


 しきりにささやかれた叛意(はんい)については根も葉もない噂だった。しかし、噂の一部は事実であり、ヴァルターの行動についても疑われても仕方ない落ち度があった。

 分けても決定的な不審を買ったのは、やはり総督職を固辞したことだった。

 喜んで飛びつけば可愛げがあるものを、何の迷いもなく断るとは。エスパラム公の威信を軽視していると取られても反論は出来ない。噂話の結論はそのように落ち着き、妬みも相まった正騎士ヴァルターへの不信感はエスパラム公の近辺でより露骨になった。


 ついに議会の席で宰相ディエゴ・デ・モーリアスの口からその話題が出された。宰相としては噂程度の話を公の場で話したくなどなかったが、それでもあえて主君の耳に入れたのは、領内におけるその噂への関心が無視できぬほどにまで浸透し、著しく空気を乱していると判断したためだった。ディエゴは全て噂の類であることをはっきり明言した後、「しかしながら」と付け加えてエスパラム公に進言した。


 戦功第一とは言え、仕官して日も浅い、それも傭兵を重用するのは危険ではないか。


 正騎士ヴァルターをかばう声は少数だった。反対に、宰相の意見には多くの賛同があった。エスパラム公は多数派の声を尊重してヴァルターの元に軍監を遣わすことに決めた。


 軍監とは戦時における監督、査察を任とする役職である。その権限は強く、軍政全般にまで及ぶことから、有事においては行政への介入も認められていた。経験の浅い者を補佐する役割で遣わされることもあるが、軍事に疎かろうはずもないヴァルターに対してそれが派遣された理由はもちろん補佐のためなどではないはずだった。


 本来の序列で言えば総督、次いでその代理役である城代、それらの下で編成された軍を統括するのに軍監が設けられるものだが、ブリアソーレに派遣されたこの軍監はエスパラム公直属の立場にあたるため都市の命令系統に従属する義務はない。エスパラム公の元では戦争財務官と兵站司令補を歴任した文武に明るい軍監カリスト・デ・ベレイマは、つまりあからさまな監視役だった。


 こうして、南東公領西部の大都市ブリアソーレは、諸侯による分割統治が始まって以来二人の為政者によって治められることになった。(世評としては)親ルオマ公の城代とエスパラム公の命を受けた軍監。経緯からしていざこざのある二者による統治が、やがて軋轢を生じるのにそう長い時間はかからなかった。





 ヴァルターは知らず相手の胸倉をつかんでいた。締め上げるまで行かないまでも、猛者として知られる傭兵隊長にこの至近距離で睨まれれば並の人間なら平静を保てなくなるところだ。

 ところが、カリストは相変わらず迷惑そうな表情で相手を見返すだけでその様子には微塵の動揺も見られなかった。ヴァルターは静かに用件を伝えた。


「テメェ、何の真似だ? 何で補給を止めやがった。文句言うのも協力しねえのも勝手だが、せめて足だけは引っ張ってくれんなって、散々釘を刺しただろうが」


「何の真似か、とは私が言いたい言葉ですね」カリストはなんらの抵抗もせずに続けた。「戦が貴殿らの仕事なら戦によって生じる諸問題を解決するのが私の仕事です。私は自身に課せられた職務を全うしているに過ぎません」


 ヴァルターが手を緩めるとすぐさまそれを振り払ったカリストは、軽く衣服の乱れを直して言葉を継いだ。


「オートゥリーヴでの活躍は聞き及んでいますよ。流石白狼殿。見事な大手柄でした。しかし、私には解せませんな」


 軍監の声には感情と言うものがなかった。称えるつもりも非難するつもりもない、ただ文字の羅列を読み上げているだけのような抑揚のない声で、彼は続けた。


「貴殿は何故未だ敵前に留まろうとしているのですか。十分な戦果を上げたはずだ。敵方からの寝返りも少なくないと聞いています。調べてみればラ・フルト侯領内の東側に領地を持つ貴族の内半数以上が貴殿の活躍を耳にして仰ぐ旗を変えたそうではないですか。この上敵地に留まり、なお兵を募って、貴殿はいったい何と戦おうというのです」


 その語調には猜疑(さいぎ)の色が濃かった。実際傭兵の中には双方に被害が出過ぎないように敵方と打ち合わせ、(いたずら)に戦いを長引かせて給金をせびる性質(たち)の悪い輩が少なくない。戦費の管理に携わる者としては立派な心がけと言えたが、潔白を自負するヴァルターにしてみれば、そのような疑いをかけられるのは迷惑であり侮辱だった。ヴァルターは苛立ちも露わに舌を打ち、軍監殿の疑問に答えた。


「寝ぼけたことぬかしやがる。俺たちが必死こいて戦ってんのは、全部エスパラムの大将がそういう作戦立てて戦えって命令したからに決まってんだろうが。命令がなきゃ、へ、誰が好き好んで敵の目の前にいつまでも居座るかってんだ。あんただって武官なんだから戦略の概要くらい分かってんだろ」


 エスパラム公の戦略は東西から同時に攻撃を仕掛けることで敵に二正面作戦を強いることに主眼を置いていた。西側に敵が注力すれば東側が暴れ、東側に敵の目が向けば西側が敵の戦線を押し下げる。ルシヨンを最終的な合流点としたこの作戦は、予定では冬までにその包囲を終えているはずだった。


 遅れの原因はエスパラム公自ら指揮を執る西側の戦線にあった。南西侯とサン・ドゥニエ大伯の予期せぬ参戦によって、今ではエスパラム公自身が敵の連合軍により二正面作戦を強いられているのである。ヴァルターはこの状況でラ・フルト侯軍に行動の自由を与えてしまった場合、ルシヨンに留まっている将兵の多くが西の戦線に合流し、西側の負担が倍増してしまうことを危惧していた。


 ヴァルターの問いかけにカリストは微かに肯いた。しかし、それは言葉の意味を理解したと言う意味であり、主張を肯定したと言うわけではなかった。カリストは表情を変えずに淡々と答えた。


「貴殿の言い分はよく分かりました。ですが、計画の遅れは西側の問題です。敵の注意を引きつけ戦力を削ぐと言う戦略上の目的なら、先の戦で十分にその役目を果たしています。今もって兵を募り戦備を拡大させる必要はありません。それよりも今は規模を縮小し前線を下げることの方が、長期的に見れば有意義な行動であることは疑い得ない。人員が必要ならその時に集めればいい。そして今はその時ではないはずです」


 一旦言葉が途切れると、ヴァルターはすぐさま反論した。


「冗談だろ? 今兵を引きあげたりなんかしたら、まず間違いなく大将たちの首を絞めることになるぜ。ラ・ロシュ、サン・ドゥニエにラ・フルト、同時に三つも敵に回せば、いくら戦上手のエスパラム公でも無事に済むとは思えねえ」


 声は大きく、口調は乱暴になっていくのを、やはりどうしても抑えられない。武人として譲れぬ部分が彼をますます激していた。


「状況が変わっちまったんだ、初めの予定とは。俺たちが手を抜いて、エスパラムの大将がやられることにでもなったら、こっちでどれだけ派手に勝っても全く意味がなくなっちまうんだぜ。分かってんのか?」

「南西侯、サン・ドゥニエ大伯、両者がどれほどの数を動員して我が軍と事に及ぼうとしているのか詳しい情報はありません。が、エスパラム公殿下からの連絡がない以上、ラ・フルト攻略に支障が出るほどの問題ではないのだと判断できます。ならばこちらの都合で勝手に行動するべきではないでしょう。それこそ殿下の描いた戦略構想に余計な筆を入れることになりかねない」

「伝令出すのもできねえくらい切羽詰ってるのかもしれねえじゃねえか。もしそうなら、あんたの判断は大失策だ。このでかい戦の敗因になるかもしれねえ。それで一向構わねえってんなら、すぐにでも皆まとめて引き上げてやらあ。ただし」


 ヴァルターは綺麗に整理された執務机に手のひらを強く叩きつけた。


「あんたの判断でそうしたってことはしっかり記録しといてもらおうか。エスパラムの大将が負けた時、責任を負うのはあんた一人にしてくれ。後になって俺までなじられたんじゃたまらねえからな」


 凄む勢いのヴァルターは外敵を威嚇する狼のような眼光で相手を睨みつけた。カリストは机上から落ちたいくらかの書類と羽根筆を拾い、倒れた墨壺を起こして椅子に座った。相変わらず至極迷惑そうな顔に、小さな溜め息を伴って答える。


「結構。いくらでも書きましょう。無論、この半月あまりで貴殿が浪費させた糧食人件費その他の金額も余さず記録させてもらいますよ。勝とうが負けようが、その責任を負うのは貴殿一人です」


 相手が答えるのを待たず軍監の筆は動いていた。苛立ちに震えるヴァルターの平手が上等な黒檀(こくたん)の机に亀裂を入れても、筆先は紙面を滑り続けた。


 ヴァルターは強く歯を噛み締めた。衝動的な殺意を寸でのところで堪えて手を離し、踵を返して吐き捨てる。


「勝手にしやがれ」


 踏みしめる鉄靴で床を削りながら、ヴァルターはそのまま部屋を後にした。蝶番にぶら下がった扉を腹いせに蹴り飛ばし、足音を鳴らして廊下へ出る。

 歩く速度で流れる視界の、端に人影が見えた気がした。振り返ると壁に背を押し付けるようにして背の高い優男が立っていた。


「よ、よお、隊長殿、お帰り」優男は引きつった笑顔で手を振った。「話は終わったんだろ? なら一杯やりに行こうぜ。ほら俺が奢るから」


 ヴァルターは相手の顔をまじまじと眺めた。相当頭に血が上っていたらしい。それが白狼隊事務役並びにブリアソーレ執政次官アマデオ・ルッフォと気づくのにしばしの時間を要した。


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