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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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三十八、肉の壁

 神暦元年初夏の十四日。聖都リティッツィより北西四十里に位置する小都市ペレーロに、けたたましい馬蹄を響かせた一団がやって来た。一団の頭目は何事かと訝るペレーロ市長を呼びつけて名乗りもせず一方的に告げた。


「法王猊下より勅令が下った。市民各位は速やかに本都市より退去しろ」

「お待ちください。何を突然」


 頭目は狼狽する市長の声を遮って続けた。


「諸君らも聞き及んでいる通り、北都ダオステが賊軍の手により陥落した。聖都は目下賊軍迎撃のため防備を調えている最中である。しかしながらここペレーロは、聖都と西都の中間と言う要衝にありながら攻めるに易く守るに難い、防御線としては不足と評して余りある地勢。捨て置けば我が方にとって不利を招くこと必至である。よって法王猊下は戦略的観点から本都市の放棄をご英断あそばされた。繰り返すが勅令だ。市民各位は速やかに退去し、西都ブリアソーレへと避難しろ」


「いきなり、そのようなことを言われましても」市長は矢継ぎ早の情報が受け入れられずに返事を濁した。そしてふと、冷静になって尋ねる。「大体、何の権限があってあなたは」


「勅書はこれだ。猊下名義で損害の保証書もある。少ないが路銀も出そう。もちろん返す必要はない。どう使ったってあんたの自由だ」


 頭目は周囲の視線から隠すようにして市長の手に麻袋を握らせた。ずっしりとした重みを検める。袋には金銀宝石の類が詰まっていた。


 戸惑う市長が顔を上げると、切れ長の目尻を優しげに細めて頭目は続けた。


「誰だって住み慣れた街を離れるのは気が進まないだろう。残りたければ残ったって良いんだ。勅令なんて言ってはいるが、俺は止めない」


 頭目は市長の耳元に口を寄せた。低めた声には、表情とは相反する凄味があった。


「だが、俺の見立てじゃここら一帯は戦場になる。あんたらがどれだけ拒んでも、否応は無い。命が惜しければ逃げ出すことだ」

「し、市壁があります。(やぐら)だって。そう簡単に落ちるはずは」

「おいおい、冗談だろう」頭目は口元を歪めて呼気を吐き出した。

「敵は難攻不落のダオステを落としたんだぜ。こんな小都市の防備なんざ紙切れと大差ないさ。なあ市長、道理だろ」


 市長はこれ以上の抗弁を諦めて現実と向き直った。数刻後には一万余のペレーロ市民が長蛇をなして街道を西へ流れていった。


 頭目は市民の退去を確認するとすぐに火をかけた。井戸という井戸を埋め立て、街中の家屋と穀倉と畑を焼き、魔法士に命じて市壁に大穴を開けさせる。敵にとって利となるものは、徹底的に破壊し尽くされた。


 そうしてようやく一息を吐くと、新たな都市へ向けて馬を走らせる。


 西のトレペリユ、南西のサルソー、南東のブラーロ。聖都を取り巻くあらゆる都市が両日中に廃都となった。


 あるいは西へ、あるいは南へ、そしてあるいは北へと、言葉巧みに扇動された難民たちが、街道を狭しと溢れかえる。その様は上空高くから俯瞰してみれば、さながらリティッツィを守る肉の壁だった。





「は~ん、なるほど、なるほどね」


 行く手を塞ぐ難民の中から適当に引っ張ってきた若い娘たちの話を聞いて、エンリコ・カヴァラドッシは状況を理解した。話を聞かせてくれた娘たちの頬に感謝の口付けをし、半町離れて待機している本隊へと戻って報告する。


 報告を受けた集成歩兵二千の指揮官ディルク・クニツィアは皺の寄った眉間を押さえて呻いた。


「勘弁してくれよ、まったく」


 空位二十一年初夏の十五日。つい昨日激戦を終えたばかりだと言うのに、はや「エッセンベルクの白狼」は次の目標に向けて西都ブリアソーレを発していた。


 ヴァルター率いる騎兵二百はクイラ山地を北に迂回し広い街道を東へ。ハインツとエスパラム与力レオナルドが率いる歩騎兵二千は、交渉と説得の末アンゲラン・ドゥ・バルティエ子爵の手勢二百を助けて進路を南東の大都市レノーヴァへ向けた。


 そして(当人としては不本意ながら)指揮官に抜擢されたディルクの集成歩兵二千は、最短距離となる狭隘なクイラ山地の山道を通って、公都リティッツィの近辺で隊長殿の騎兵と合流する手筈となっていたのだが、明ける十六日クイラ山道にて、ディルク隊は足を止めざるを得ない状況に陥った。ただでさえ狭い山中で、進路を難民の行列に塞がれてしまったのである。


「上から見てきた」小男は猿のような身のこなしで音もなく樹上から着地した。

「この先十里はこの調子だぜ。ざっと見たところ、一万はいるんじゃねえか」


 軽業ユーリィのあだ名で知られるユーリィ・セルゲエヴィッチ・エイゼンシュテインは首を回しながら小さく溜息を吐いた。


「そんなにか」ディルクは益々眉間の皺を深くして同じく息を吐く。

「しかしこりゃ参ったね。進むも引くも、さっぱり身動きが取れねえ。この山抜けるのに何日かかるんだって話だよ。なあ大将」


 エンリコの言葉にディルクはがりがりと頭をかいて答えた。


「ああ、うるせえな。分かってるよ」

「蹴散らしていくしかあるまい」冷静に言うのは元「パエザナの稲妻」副隊長、ヴィンチェンツォ・ガルビンだ。

「得物をちらつかせて脅してやればすぐに道を譲るだろう。お望みならすぐ実行に移ろうか」


 彼は集成歩兵二千の内八割近くを占める元稲妻隊の統制を取るために駆り出されていた。どことなく投げやりな態度はその微妙な立場と無関係ではなかった。


 彼らが大将と崇めるアマデオ・ルッフォは西都ブリアソーレに留置されていた。立場上は留守居を任されているエスパラム騎士サルバドールの客分扱いだったが、その実は体の良い人質であった。


「うへぇ、鬼だなヴィンチの旦那」エンリコは芝居がかった仕草で舌を出した。くすりともしない相手に苦笑して難民の行列を見やる。「でもそれしかねえよな、やっぱ。強ぇやつの言い分が通る。乱世の習いってやつだ」


「まあ待てって。そりゃ確かに手っ取り早い手かもしれねえけどよお」ディルクは早くも得物に手をかける一同を制した。「こんな狭い場所だ。下手に刺激したら面倒なことになるだろ。穏便に行こうぜ、ここは、な?」


「譲るのかよ、俺たちが?」

「違う違う」エンリコの問いに首を振る。

「剣はしまって、どいてくれって頼むんだよ。危害は加えねえから先に通してくれってな」

「馬車はどうするんだ?」今度はヴィンチェンツォが尋ねた。「この幅じゃ一台通るのがやっとだぞ」

「プンスキに頼んでどけといてもらう。工兵総出でやりゃあ、そう難しくもねえだろ。ユーリィ、呼んできてくれ」


 ユーリィは肯いて後方へ駆けていった。


「穏便も結構だけど」エンリコはまだ納得いかない様子で長剣の柄から手を離した。「ちんたらしてると、隊長殿が先に始めちまうかも知れねえぜ」

「急がば回れってやつだよ」ディルクは改めて進行方向を見やった。「流石に、遅刻の言い訳もたつだろ、これじゃあ」


 ディルク・クニツィアは特別判断力に優れた男ではなかった。むしろどちらかと言えば優柔不断で、何かを実行に移す際は大抵の場合遅きに失する所があった。そんな彼を揶揄する意味で、仲間たちはしばしば彼のことを難便ディルクなどと呼んでいた。


 しかし、ヴァルターは彼の負の面ばかりを見なかった。彼はなかなか決断できないと言う欠点を持つ反面、導き出す答えを決して過たないと言う特性を有していた。ヴァルターが特に評価したのは、彼が回答を出すまでにかける時間が問題の簡易さに比例して短くなると言う点だった。


 小さな問題ならさほど時間をかけずに正しく対処できる。目まぐるしい戦場の只中で生死を委ねるには、確かに頼りないが、まず危険の少ない隊の運動を指揮させるなら、短絡に走りがちなライナーやエンリコよりも余ほど信用の置ける働きが期待できた。


 今回のディルクの決断も、結果的に見れば正しい選択だった。すでに頂から転がり始めていた神国への不信が、ルオマ臣民の心から信仰の二文字を容易く忘れさせていた。


 折角つけた火種も、絶えず番を続けなければすぐに消えてしまう。民意はとうの昔に、真実の神が唱える万能性と言うものを疑っていたのである。





 同日昼頃。状況こそ多少の違いはあるものの、二百の騎兵を率いるヴァルターは分かれた部下たちと全く同じ問題に直面していた。高台から東を望めば向こう正面に立ち塞がる(ように見える)難民の壁は目視でおよそ二万に及んでいる。駈歩を維持したまま走り続ければ半刻と待たず接触してしまう距離だった。


「どうするんだ、隊長殿?」半馬身ほど遅れたライナーが尋ねた。


 ヴァルターは馬速を落とさない代わりに大声を張り上げた。「ヴォルフを呼べ」


 命令は隊列の中ほどまで届いていた。程なく、見るからに屈強そうな騎士が一騎、隊旗をなびかせながら進み出てヴァルターに並んだ。


 面頬の下にあるのはおよそ人間離れした男の顔だった。大きな目に大きな口。黒ずんだ鼻は平たく、兜の中には収まりきらない顔中の剛毛が面の縁からはみ出ている。人と言うよりは獣に近い、野性味あふれる風貌から出るのは予想を裏切らない低音だった。


「若、お呼びですか」


 ヴァルターが親しみを込めてヴォルフと呼ぶこの男は、名をヴォルフガング・ザイファルトと言う。フォン・エッセンベルク家の家臣であり、幼少よりヴァルターの守役を務めてきた男である。白狼隊での仕事は持ち前の膂力からなる槍働きとヴァルターの護衛、それに軍旗の管理であった。


 ヴァルターは騎馬槍を振って前を促した。


「前に出ろ。高々とその旗掲げて、あいつらに危ねえからどけって言ってやれ」

「承知!」


 馬が気の毒になるほどの巨躯が、甲冑を鳴らして先行する。ヴォルフは左手に担っていた重量約三十貫の白狼旗を片手で軽々と持ち上げて見せた。


「控えろ、控えろ! この旗が見えんか! 『エッセンベルクの白狼』が罷り通るぞ!」


 掲げる隊旗は雷鳴のような声と合わせて唸りながら風を切った。


 難民の塊にも当然その勇姿が認められた。行列が避けるように左右に割れ、街道の真ん中から人の姿が引いていく。


 ヴァルターは速度を緩めなかった。速さを失った騎兵に、存在価値を認めてなどいないからだった。


 視界の端にもたつく家族連れが見えた。舌打ちをするが足を止めることはない。それが乱世の習いだった。


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