三十四、平穏は束の間
戦後の処理は存外あっさりと片が付いた。
西と北の門に残留していた稲妻隊はアマデオの説得により武装を解除、開門の運びとなる。城外の白狼隊は開いた門から無傷の入城を果たし、入れ替わるように城外市民が都市を出た。略奪も暴動も起きることはなく、人が減れば街はいつもの姿を取り戻した。
ライナーがヴァルターの元に顔を出したのは市内各所の後片付けも終わった夜半のことだった。
「お~っす隊長殿、戦勝おめでとう」皮袋を呷り酒臭いげっぷを吐く。皆が戦死者の弔いや街の復興等に奔走している間に、赤ら顔はすでに出来上がっていたようだ。
「おう」ヴァルターは咎めることなく皮袋を受け取り、呷る。「お前もご苦労だったな。働きに免じて後始末をふけやがったことは許してやるよ」
「へへ、ありがてえ」
ライナーは片目を閉じて微笑した。活躍に比してささやかに過ぎる褒美だが、ライナーの方も別段不満を言う様子はない。二人は占領した行政庁舎の三階窓から活気の戻りだした夜の街並みを眺めた。
「首尾は順調かい、隊長殿」ライナーは尋ねた。
「まあ、ぼちぼちだな」ヴァルターは皮袋を返して答えた。「ひょっとすりゃあ、今月中には片がつくかもしれえねえ。まあ、何もかも上手く運べばの話だが」
「エスパラムの大将は羽振りがいいと思うぜ」ライナーは皮袋に詮をして机上に腰掛けた。「戦も下手じゃあないらしいし、駆け引きも知ってる。悪くねえ雇い主だと思うけどな」
「そうかもな」
ヴァルターは窓の外に顔を向けたまま答える。ライナーは続けた。
「上等じゃねえか正騎士。給金も色つけてもらえるし、箔だってつく。慌てて突っ返す理由なんてねえってのに、一体何が気にいらねえんだ、あんたは?」
長い付き合いがあるからだろう。数日来より全く覇気をなくしていた隊長殿が、ここに来て突然やる気を出した理由に、ライナーは気づいていた。
正騎士位が不服なら手柄を立てて返上しろ。
ヴァルターはエスパラム公のこの言葉を実行に移すため、無茶とも言える電撃作戦で次々ルオマの都市を攻略していたのである。たった数千の軍勢で広大なルオマの地を丸々平定せしめたなら、確かにそれはどんなわがままでも許される程の大手柄と言えるだろう。実際、二都市を落とした現時点ですでに傭兵隊としては十二分に仕事を果たしている。
しかしライナーに分かるのはそこまでだった。雇用条件も悪くなく、公との相性も良好だと聞いている。だと言うのに隊長殿は、思い返せば命を受けてルオマを目指す以前からやる気を失っていた。
先方との折り合いの悪さから仕事を辞したことはこれが初めてのことではなかったが、今回のようにいま一つ理由が不明瞭なのは過去に例がなかった。ライナーの問いは、ここ数日、白狼隊のほぼすべてが抱いている疑問をぶつけたものだった。
ややあって、ヴァルターは口を開いた。
「別に、金とかの問題じゃあねえよ。ただ単純に、俺なんかが正騎士ってのもおこがましいなと、そう思っただけだ」
「何だよそりゃ? じゃあ、あんたに負けた三人くらいのやつらは何なんだよ? あんたより弱ぇけど正騎士名乗ってるやつなんて、探しゃあいくらでも出てくるんじゃねえの」
「うるせえな、俺がそう思ってんだからそれでいいだろうがよ」
ヴァルターは渋面を作って口ごもった。机上の皮袋を掴んでもう一口呷る。
隊長殿が決闘に負けたらしい。
ライナーは先日耳にした噂を思い出していた。くだらない冗談だと一笑に付していたが、今の隊長殿を見るに、あながち見当外れのでまかせと言うわけでもない、のかもしれない。
「隊長殿、失礼します」
不意の声は副隊長のものだった。丸めた書簡を携えてやって来たハインツは、室内の酒気とライナーの赤い顔を見てすぐさま眉根を寄せた。
「どうした、ハインツ」制するようにヴァルターが尋ねる。
反射的に小言を吐きそうになる口を咳払いで塞いで、ハインツはヴァルターに書簡を手渡す。「ダオステのジロー殿からです」
「良い報せじゃあ、なさそうだな」
ヴァルターは書簡に目を通す。しばしの間に、ライナーは酒の入った皮袋を副隊長に勧め、代わりに拳骨をもらった。ヴァルターは二人のやり取りなど目に入らぬ様子で食い入るように文面を追っていく。
読み終わる頃合いを見て、ハインツは尋ねた。
「ジロー殿は、何と?」
「悪い報せが二つ」ヴァルターは書簡を机上に放り投げて二本の指を立てた。「まず一つ、ラ・ピュセル侯軍本隊の進行が早まったってよ。少なくとも十日以内にはダオステに入る見込みだそうだ」
ハインツは内心で胸をなでおろした。ルオマ領民の平穏など知った話ではない彼にしてみれば、それは特段悪い報せでもなかった。
ダオステからの距離を考えれば、この書簡が書かれてから少なくとも二日は経っていることが予想できる。となればラ・ピュセル侯軍本隊到着まではあと八日あまり。これではさすがの白狼もラ・ピュセル侯出陣より早期のルオマ平定など諦めることだろう。急ぐ理由がなくなったために、これ以上無意味な強行軍に駆り出される心配もなくなったのだから、むしろ喜ぶところである。
「何だよ、もうすぐじゃねえか。こりゃあ急がなきゃだな、隊長殿」
馬鹿面でのたまう酔っ払いにもう一発拳骨をくれてやりたいところだが、ハインツは我慢した。「で、もう一つは」
ヴァルターは珍しく難しい顔を作って答えた。
「ノラヴド軍が、ラ・ピュセル侯領を縦断してルオマに兵を出してきたらしいんだけど」
ハインツは驚かなかった。東方公領ノラヴドはラ・ピュセル侯爵領の一部を挟んで南東公領ルオマに境を接している。強欲で知られるノラヴド公が混迷を極めるルオマの事情を耳にしたなら、ここぞとばかりに軍を差し向けてきたとしても何ら不思議はない。
要するに、領土を侵犯されたラ・ピュセル侯軍(ジロー個人かも知れないが)の救援依頼か。ハインツは当たりをつけて続く言葉を待つ。
ヴァルターは言い難そうに頭をかいて続けた。
「そいつらが、ルオマの軍勢に負けて全滅したんだと」
「は?」
「ノラヴド公軍およそ一万を散々に打ち負かした東都の傭兵隊『白鷹騎士団』は、東都を廃棄してルオマ中央に全軍を移動させてるらしい。目当てはまず間違いなく公都リティッツィ、だろうな」
「そいつは厄介な話だな、隊長殿」呆けるハインツの様子には一切気づかず、ライナーは隊長の言葉に肯いた。「ノラヴドを負かすなんて、そいつは素人の仕事じゃないぜ。そんなのがリティッツィの一揆軍本隊に合流したら、公都は今までみたいに簡単にはいかなくなる、間違いないね」
「だろ? 俺もそれが心配なんだよ。つってもこっからじゃちょっと遠すぎるからなぁ。ジローの旦那に足止めしといてもらって、その内に本丸の方を何とかしてえところなんだが」
「ちょ、っと待て」ハインツはようやく話の流れを理解した。「あんたは、まだこの国の内乱に関わるつもりなのか?」
「何だよ、いきなり?」
ヴァルターは正気を疑うような顔で尋ね返した。ライナーまで同じような表情でハインツを見やるのが腹立たしかったが、ハインツは努めて理性的に声を落とした。
「どこにそんな必要がある? エスパラム公の命にはそんなことまで含まれてはいないはずだ。すでにルオマでの拠点は確保した。あとは当初の予定通り、来冬までここで軍備を整えながらラ・フルトの挟撃作戦に備えていれば良い話だろう。この上危険を冒して敵と交戦する理由はない」
言い終えたハインツに、二人の酒飲みはやれやれと首をすくめて見せた。分かってないねぇハインツ君、人を小馬鹿にしたような困り顔で両の掌を上向ける。
「理由ならあるぜ」ヴァルターは口角を上げ、間を空けずに続ける。「俺がそうしてえからだ」
身勝手な言葉だ。実際に体を張る部下たちの事を一切考慮していない。それでも、隊長殿の言葉には有無を言わさぬ説得力があった。加えて、この男のわがままに振り回される身の上にも、はや慣れきってしまったのだろう。理屈を重んじるハインツは、結局抗弁を諦めた。
仕方ないと受け入れる。所詮敵は農兵集団。危険と言うほどの相手でもない。それにどんな些細なものでも、戦闘が発生すれば特別手当が支給されるのだ。そういう契約だった。だから、全く無意味な戦いではない。ないのだ。
ハインツは自身を納得させるために様々な理屈を頭の中で並べ立てた。
と、不意に違和感のような引っ掛かりを感じて眉根を寄せる。
「さっき、何と言った?」
ヴァルターは首を傾げて答える。「俺がそうしてえから?」
「違う、そうではなくて、その前だ」ハインツは机に身を乗り出して尋ねた。「ノラヴド公軍を撃退した傭兵隊、名を『白鷹騎士団』と、言ったのか?」
「ああ、手紙にそう書いてあったぜ」
ハインツは書簡を引っ手繰って紙面を追った。東都モンツィア守備隊「白鷹騎士団」、敵四個旅団を撃滅す、確かに書いてある。頭目の名はジョバンニ・ウッディーニ。覚えのない名だ。人違いか。安堵しかけたその時、覚えのある字面が視界に入った。
ジョバンニ、通称鷹の目は、精兵三千を率いてコルメンティーノ街道を西に――。
ハインツは思い出す。数日前の軍議で、誰かが言っていた旗印。青地に白十字、それに鷹の目、やはりそうだ。
「『白鷹騎士団』、間違いない」
「知ってんのか?」
ヴァルターの問いに、肯くことも忘れてハインツはつぶやいた。
「“鷹の目”のジョン。北西公領クルトで知らぬ者はない、凄腕の傭兵隊長だ」




