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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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三十一、犬と狼の楽しい遊び

 亡者のような集団が眼下を駆け抜けていく。彼らがしきりに叫んでいるのは、どうやら言い訳のようだった。


 徴発である。徴発である。我らはラ・フルト侯領バルティエ子爵軍。徴発に協力せよ。


「あ~、やっぱうちの隊じゃなかったか」壁上のライナーは街中に散っていくその集団を眺めながらつぶやいた。「ご丁寧に名乗ってやがるぜ。由緒正しい貴族なんだろうな、バルティエ子爵ってのは」

「馬鹿言ってないで働けよライナー」クラウスは分捕った(いしゆみ)を回廊に向けながら怒鳴った。「敵さんもう戻ってきやがったぜ」


 言いながら引き金を引く。弾かれた弦が空気を切り裂き、台座から矢が押し出された。一瞬で視界から消えた矢は小さな点となって向かい来る敵の額に当たる。百間ほど先で敵兵はそのまま崩れ落ちた。


 (ひる)んだ敵勢のもとに矢の波が迫る。クラウスに続けと白犬隊の面々が次々弩を射掛けたのだ。ほとんどが明後日の方向へ飛んでいったが、密集した南門守備兵に対しては十分すぎる効果があった。


 矢の威力を知るが故に恐慌をきたした先頭集団の足が止まり、ブリアソーレ側は数の有利を活かせない。一般的に見れば決して狭くはないが、自由な運動が期待できるほど広くもない回廊上で数百の男たちが立ち往生する。その大きな的に矢を当てることは弩に不慣れな白犬隊でもさほど難しい仕事ではなかった。


「ひゅ~、上手ぇーじゃねーかクラウス、また当たった」ばたばたと倒れる敵を眺めて、ライナーが下手くそな口笛を吹く。

「そりゃどうも」クラウスは舌打ちしつつその手を止めない。弦を引き上げ矢をつがえて、無駄のない動作で引き金を引く。放たれた矢は当然のように鎧を貫いた。すでに弩の扱いをものにしたようだ。


 白犬隊の奇襲は完璧な成功を収めたと言って良い。虚を突いたとはいえ、またブリアソーレを守護する「パエザナの稲妻」が他のルオマ人傭兵隊の例に漏れず白兵戦を全くの不得手としていた(反面篭城策に絶対の自信を抱いていた)現実があったといえども、たったの三十人弱で二百を誇る南門守備隊の実に半数以上を鏖殺(おうさつ)せしめたのは、流石に精鋭を自負するだけの活躍だった。


 しかし、


「ライナー、東からも」


 急を告げる報せにライナーは振り返った。現在応戦中の西側にやや遅れて、東門につながる回廊からも敵兵が駆けてくる。ライナーは即座に告げた。


「弩、全部東へ向けろ!」


 従いながらもクラウスが怒鳴る。「西はどうすんだよ!?」


 いくら優勢に戦えていても如何ともしがたい数の差は覆らない。西側から押し寄せる敵勢は戦友の死体を盾にして着実に距離を埋めつつあった。目算でも最早五十間もないだろう。


「ブルーノ、準備は」ライナーは同じく分捕り品の長剣を抜いて振り返った。

「万端よ!」お調子者ブルーノが高々と松明を掲げる。


 満足気に口角を上げ、ライナーは剣を突き出した。剣先が貫くのは二十(ブティ)程の木樽の山々だ。柄を捻れば赤みを帯びた黄色の液体が剣身を伝う。燃料や篭城時の武器として古くから使われる植物油である。門には少なく見積もっても二(ペル)以上の備蓄があった。


 樽に穴を開けると、ライナーは手際良くそれを掴んで西側の回廊に転がした。同時にブルーノが松明を放り投げる。押し寄せる南門守備兵達は一瞬だけ呆けた後、大慌てで足を止めた。


 直後、彼らの眼前で轟炎が上がる。


 例によって集団の中で情報の齟齬が生じる。押すな、早く行け、問答を続けている間に放り投げた戦友たちの死体が炎に包まれだす。最前線の者たちは悲鳴を上げて、とうとう城壁から飛び降りた。押し出された後続が炎熱に顔面を撫でられ、堪らずにもがいて、不覚にも転倒してしまう。こうなればどれだけ叫んでも手遅れだった。前進を諦めない集団に、前線の悲鳴は届かないのである。


 阿鼻叫喚の敵を見ても、ライナーは容赦しなかった。次々油を投擲し、ブルーノには矢を射掛けさせる。絶叫と怒号に肉の焦げる臭いが付加されて回廊はいよいよ地獄の様相を呈した。必然的に、程なく敵の勢いは完全に止まった。


 炎の壁が西からの進撃を遮断すると、ライナーは再び東側に顔を向けた。


「さあ、盛り上がってきた」満面の笑みで足元に転がっている死体から鎧を剥ぐ。「クラウス、新しい玩具は楽しいか?」

「楽しいわけあるかっての」クラウスは舌打ちして矢を射掛け続ける。「手間が掛かって仕方ねえぜ。便利なのは間違いねえけど」


「なら今度は楽しい遊びだ」敵兵の鎧に身を包んだライナーは立てた親指を示した。「次の一斉射と同時に突っ込むぜ。俺に続け」

「それのどこが楽しい遊びだ」クラウスは渋面を作った。「隊長殿は、待たなくていいのか? 折角門を開けたのに」

「門は一つじゃねえんだ。必要なら全部開けて回りゃあいいのさ」ライナーは細めた目で東を見る。「それに、何だか東のほうが賑やかみてえだ。あっちが隊長殿かも知れねえし、混ざりに行かねえ手はねえだろ」


 抗議を続けようとするクラウスの眼前を東側からの矢が掠めた。白兵による接近の無謀さに敵方もようやく気づいたらしい。弩で応射しながら少しずつ距離を詰めてくるつもりのようだ。


 しかしあまりに遅すぎた。一射撃った後の間隙を、ライナー・ランドルフが見逃すはずもない。長剣を、担ぐような低姿勢の“塔”に構えて、合図もなしに白犬は飛び出した。





 同じ頃、北門からおよそ半里の距離、ちょうど城外市のど真ん中に陣を布いていたヴァルターは、遅ればせながらやって来た集成歩兵二千と合流を果たしていた。


 休む暇も与えず拠点の築城を命じ、民家の屋根の上から遠巻きに西都ブリアソーレを眺めていると、程なく斥候が帰還した。


「敵は北門に兵を集中しているようです。数は目視で二千以上」ハインツは眉間に皺を寄せて隊長を見上げた。

「見りゃあ分かるよ、そんなのは」ヴァルターはあごで東南を示した。「で、ありゃ一体何の騒ぎだ?」


 都市の東側からは狂ったような喚声が絶えることなく響いていた。この距離から見てもまさに戦闘が行われている最中であることは明白だった。


「さあ」ハインツは不機嫌そうに首を捻った。「千弱の、少なくとも玄人の集まりではないようですが。装備もばらばらで軍旗も持たず、戦い方も、まるで統制が取れていませんでした」


 不可解な現状に二人は揃って首を捻った。白狼隊がダオステを出たのは空位二十一年初夏の十三日早朝である。北都ダオステから間にある中小都市を全て無視することで驚異的な進軍速度を実現したが、ろくに情報も集めず速さだけを優先した強行軍の弊害が今になって彼らを悩ませていた。


 味方でないのだから敵として扱う以外に手はないが、補給も無しに持てる物だけ持って来た白狼隊には無駄な体力を使う余裕がなかった。


 しかし、ここでまごついていては折角の強行軍も意味を成さない。ヴァルターが決めかねているのは進退ではなく如何にしてあの城砦を攻略するか、であった。


「とりあえず、あそこの馬鹿どものことは一旦忘れるとして」ヴァルターは屋根から飛び降りた。「城壁の上には二千強か。真っ当に攻めるなら、軽く一万は欲しいところだな。そんで四方からきっちり囲みつつ石やら糞やら投げ込んでやる。もちろん昼夜の別なく休みなしで。備えにもよるが、三月もすりゃあ音を上げるだろ」

「無いものを求めても不毛なだけです」ハインツは下馬して続けた。「今からでも引き返して手ごろなところに補給点を設けるべきと思いますが」

「そりゃ随分真っ当な提案だな」ヴァルターは苦笑して頭を振った。「でも却下だ」

「何故です?」ハインツは尋ねた。

「ジローの旦那が今月中をご所望だからさ。ちなみに俺も同意見だ」

「この期に及んで、あんたは」ハインツのこめかみに青筋が浮かぶ。すぐ近くを忙しそうに兵が行き交っているため、なんとか怒鳴り散らすのを堪えたようだ。


 そんな折、場違いに明るい声がヴァルターを呼んだ。


「隊長殿、お客さんだぜ」


 騎兵を一騎連れて、やって来たのはエンリコだった。軽装の騎兵はライナーの白犬隊と行動を共にしていた新入りのディノ・ディアスだ。


「ご報告、隊長殿にご報告です」ディノは下馬することも忘れて声を張り上げた。「白犬隊はすでに都市内部へ潜入しております。陽動の手筈は万事整っているものと思われます」

「ふうん」ヴァルターは腕を組んで尋ねた。「するってえと、あれもライナーの仕業かね?」


 あれと指すのは今も東南で上がる威勢の良い雄叫びその他のことだった。


 尋ねられたディノは不意に視線をさ迷わせた。


「そ、それは」蒼白の顔面が汗にまみれ、か細い声で答える。「分かりません」


 明らかに不自然な態度だったが、ヴァルターは特段気に留めずに首を回した。「まあ、いいか、何でも」


 大役を果たしたディノには休みをやり、ハインツとエンリコを伴って、陣内を歩く。探していた人物たちは程なく見つかった。


「与力のお二方、是非ともまたご助力願いたい」


 サルバドール、レオナルドの二人は急ごしらえの営舎にて涼をとっていた。ヴァルターは挨拶も無しに本題を切り出した。


「お二人には手勢の騎兵八百を率いて軽く西の様子を見てきてもらいたいのです。落伍を出さないように注意しつつ駈歩(かけあし)で、そうですな、今くらいの距離を保ったまま、決して西都には近づき過ぎないよう配慮願いたい」

「様子を見る、とは」サルバドールは尋ねた。

「言葉通りの意味ですよ」ヴァルターは微笑を浮かべた。「城砦の様子や敵の配置などを適当に。あくまで様子見なので、万が一敵が迎撃に出ても交戦せずに振り切ってください。まあ、あの堅城を見るに、あえて出てくるとは思いませんが」


 レオナルドは不服そうに眉根を寄せたが口を開くことはしなかった。代わりにサルバドールが尋ねた。


「貴殿は如何なさるおつもりで?」

「小生は同じように手勢を率いて東側から回ります。お互いに何事もなければ南門を過ぎた辺りで落ち合えるでしょう。こちらは歩兵が中心ですから、多少の遅れはご容赦いただきたい」


 サルバドールは後輩を振り返った。若い騎士が眉間に深い皺を刻んだまま顔を逸らすのを確認すると、苦笑して肯く。「委細承知」


 営舎を辞したヴァルターは歩きながら尋ねた。


「投石機はすぐ使えるのか?」

「ダオステから運んできたものがありますから」ハインツは肯いた。「大した数ではありませんが」

「投石機と言えば」エンリコは笑いを噛み殺しながら手を叩いた。「プンスキの野郎がぶー垂れてたぜ。隊長殿の命令には従いたくねえって、でけえ膝抱えて地面に絵なんか描いてやがった」


「あいつ、まだへそ曲げてたのか」ヴァルターは頭をかいた。

「あの馬鹿め」ハインツは眉間の皺を深くした。「懲罰ものだぞ」


「それが聞いてくれよ副隊長殿」乗ってきたエンリコはさらに調子よく舌を回す。「ダオステから拝借してきた投石機、あの車輪つきのやつな。持ってきたはいいものの、いまいち使い方がわからねえって工兵のやつらが頭抱えてたんだ。あーでもねえこーでもねえって話し合ってもらちがあかねえ。そこにやってきたのがプンスキ先生よ。てきぱき指示出して、半刻もすりゃあ工兵全員ばっちり仕組みをものにしたって話だぜ。根っからの職人だね。終いにゃ紐の組み方が甘いって道具のできに文句つけてやがった」


 エンリコの饒舌のためか、はたまた気難しい工兵頭のためか、ハインツは軽く吐息をついた。


「プンスキには、後でちゃんと謝っとかねえとな」


 ヴァルターは苦笑してつぶやいた。足を止め、陣地を一望する。


 ヴァルターの指図どおり、本陣は城外市の街並みをほとんどそのまま利用して築かれていた。

 まず第一に指示したのは騎兵の突撃を防ぐための馬防柵だ。流石に資材不足で全面を覆うに至らないが、それを補うために所々空堀が設けられていた。石畳を砕いて土を掘り返したその長さは、全て合わせれば一里に及ぶ。

 城外市の家屋も一部は壊さず防御施設として利用している。破壊した家屋の瓦礫は陣の側面にある通りを塞ぐように山と積み上げ、障壁とした。敵にとって住み慣れた街もこの陣周辺に限っては難解な迷路となっていることだろう。


「本陣の指揮はお前に任せるぜ、リコ」ヴァルターは満足げに微笑んで告げた。「千五百残す。プンスキを中心にして、とにかく投石を絶やすな。投げるもんは何でもいいけど、狙うのは壁じゃねえ。山ほどごった返してる城壁上の兵だからな」

「はいよ」エンリコは事も無げに肯いた。


 東南の方角から幾度目かの喊声が上がる。ヴァルターは口角を上げてハインツに語りかけた。


「さて、俺たちも行くか」


 ハインツは渋面を縦に振った。納得したわけではないが、自身の説く真っ当な意見を、この隊長殿が聞き入れるはずもない。これで負け続きなら反乱でも起こしてやるところだが、遺憾ながら彼らの隊長殿は自らが指揮した戦において負けたためしがないのだった。


 ヴァルターは歩き出した。「早くしねえと祭りが終わっちまう」


 怒号と喧騒は時を経るに従って小さくなっていた。太陽はとうに南中を過ぎている。ヴァルターらがここに辿り着く以前からずっとあの馬鹿騒ぎを続けているのだとしたら、それは疲弊もするはずだった。


作品内単位

一升=約2kg

一石=約200kg

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