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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第二章「ルオマ」
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二十六、狂奔西都

 空位二十一年初夏の十二日。西都ブリアソーレの賑わいは決して良い意味のものではなかった。


 通りを行き交う市民たちは老若男女を問わず不安げに眉根を寄せ、挨拶もさて置いて開口一番に「大丈夫なのかね」とささやき合う。


 視線の先にあるのは忙しそうに立ち働くブリアソーレ守兵たちの姿だった。切り合わせた木材やら樽に満載した矢玉やら、巨人でももてなすのかと思わされる大きな鉄鍋に、袋も破れんとばかりに詰め込まれた小麦粉の山。あるいは馬車に、あるいは兵士の背に載せられたそれらの物資は東西南北に通りを駆け抜け、数刻後にはまた運搬のために都市の各地に設けられた補給所に戻ってくる。


 無論、彼らが汗水流して従事しているのは戦支度だった。


 北都ダオステ陥落。


 朝一番にもたらされたこの報せが、西都ブリアソーレの活気を別種のものへと変えてしまった。平時なら客の呼び込み合戦で世間話もままならない中央広場も、行商で半ば埋め尽くされている裏通りも、悪童が玩具の剣を片手に駆け回る住宅街も、今日目に付くのは腰に剣を帯びた元傭兵たちの姿ばかり。


 市民の不安は当然だった。相手が誰であれ、味方の備えがどうであれ、この街が戦場となる以上平穏な日常は忘れなければならない。ましてこれから戦に臨もうと言う頭目の人となりを知っていればなおのこと。


「大丈夫なのかね」と口をそろえてつぶやいては、この緊張状態から一刻も早く解放されることを切に願うばかりだった。


 アマデオ・ルッフォはそんなブリアソーレの行政庁舎で市民たちと同じく眉根を寄せていた。と言っても不安のためではない。本陣と定めた庁舎の一室に、際限なくもたらされる報告と請願の大軍勢が、彼を文字通り忙殺しているためである。


 隊長殿、北門より薪炭の補充願いが届いて、西門糧食に不安ありとの報告、東地区市民から井戸の使用制限緩和を、南門城外市避難民の受け入れが滞っております。仮居留地の設営に資材を回していただけると――、


「だぁーうるせえ!」アマデオは執務机に拳を打ちつけた。「一遍に聞けるかよ! 報告は紙にでも書いてそこに置いとけ! 必要なもんがあるなら事後報告になってもいい、現場の判断で融通しろ! それからヴィンチ!」


 怒鳴りつけられた副隊長は口を尖らせた。「何です隊長殿?」


「聖ローランじゃねえんだぞ。一度に五人も六人も話されたって分かんねえっつの。大体何で口頭なんだよ。余計混乱するじゃねえか」

「隊長殿が言ったんでしょう。手間もかかるし紙も勿体ないから口頭にしろと」

「二刻も前の話は忘れろ。ああ、くそ、頭痛くなってきた」


 アマデオは不意の頭痛に目を閉じる。ふつふつと胸の内に湧いてくるのはマリオ・グリマルディに対する怒りだった。


「マリオの野郎め、あっさりやられやがって」


 北都ダオステのマリオは言ってみればこの南東公領ルオマの共同経営者だった。同盟の存在を前提とした神聖天主王国にとってその土台を支える一勢力が崩れ去ってしまった事実は痛恨と言うほかない。市民や部下の混乱ももっともだし、アマデオ自身も大いに戸惑っていた。


 アマデオは考える。

 もしエスパラムの軍勢が西都に攻め寄せてきたら、自身の領地を守るため、当然戦う。これはいい。


 問題は彼らの矛先が公都リティッツィに向いたときの話である。同盟者としてはもちろん援軍を出すべきだろう。しかし、あの神聖某王国とやらにエスパラム軍を破るだけの力があるのか、こちらが体を張ってまで守る価値があるのか、考えてみると微妙だった。

 領地の安泰を考えるならエスパラムに接近するのも手だ。リティッツィやこのブリアソーレが、万全の準備をしていたであろうマリオと同じ轍を踏まないという保証はどこにもないのだから。


 ともかく、今は推移を見守りたいとアマデオは思った。たったこれだけの情報で判断が下せるほどアマデオはできる男ではない。それだけにブリアソーレ乗っ取りは大きな賭けだったが、現在のところ上手くことが運んでいるのである。何が何でも下手を打つわけにはいかないのだった。


 紙の音に目を開ける。副隊長ヴィンチェンツォ・ガルビンが、先ほど入った報告を帳面にまとめて机上に置いたのだった。アマデオは早速目を通した。


「糧食、武器に不足はないんだな」

「ええ」ヴィンチェンツォは肯いた。「朝から晩まで戦いが続くようなことがなければ、三月は持つでしょう。これだけでも前任者の方々には感謝したいところですが」

「感謝も感謝、大感謝さ」アマデオは帳面を繰った。「くだらねえ話を蒸し返す気はないぜ」


 ヴィンチェンツォは首をすくめた。


 前領主並びに行政府役員一同をことごとく斬首にせよ。


 東門守備隊長イラーリオが公都の法王より持ち帰ったこの命令をアマデオは黙殺していた。


 ついこの間までよろしくやってたんだ。物騒な真似は気が進まねえな。


 イラーリオの報告を聞いたアマデオの答えはそんな調子だった。もちろん幽閉状態を解くつもりはなかったが、それでも、他の都市の領主らに比べれば遥かに甘い処遇と言えた。


「城外市避難民の受け入れですが」ヴィンチェンツォは新たに一枚帳面を渡した。「現在市内に移動できているのは四割といったところです。仮居留地の設営が間に合っていないようで」


 ヴィンチェンツォはちらりと隊長を窺った。アマデオは気にかけるでもなしに帳面を繰った。


「急いでやれ。敵さんは待っちゃくれねえんだ」

「彼らの手配を差し引けば、継戦期間が倍は延ばせる見込みですが」

「却下だ」アマデオは眉根を寄せて副隊長を見上げた。「くどいぜ、ヴィンチ」


 ヴィンチェンツォは苦笑する。アマデオは傭兵隊長という職に反して血生臭い事柄を好まない男だった。戦争はもちろん、刑罰でだって身内が傷つくような事態は望まない。その優しさは時によれば敵に向けられることすらあった。言ってしまえばこの乱世には全く向かない甘ちゃんだったのである。


 時代が違えば、と副隊長はしばしば思った。平和な時代ならば良い騎士になれただろう。秩序を守り、市井には好かれ、暖かい家庭を築いて天寿を全うする。大身は望めないだろうが、絵に描いたような平穏な人生なら容易に想像できる。


 しかし今は乱世なのだ。彼のような優しさは欠点にしかなり得ない。


 それでもヴィンチェンツォにはアマデオの部下を辞める気は起きなかった。優しさは短所であるが、長所でもあると彼は考える。市民も彼の部下たちも、そんな隊長殿だから支えてやろうと思うのだ。


 戦が上手いわけではない。腕が立つわけでもない。そんなアマデオが隊長として扱われるのはひとえにその奇特な人柄故だった。乱世に心を(すさ)ませられた彼らは、あるいはアマデオの中に垣間見える人としての良心をこそ、慕っているのかもしれなかった。


「東門より注進!」


 緊迫した声が場違いな和やかさを追い払った。ヴィンチェンツォに促され、駆けつけた伝令兵は紙面を読み上げた。


「東方面距離五里に敵勢と思しき集団あり。数は凡そ三千」


「早すぎるぜ」アマデオは舌を打って副隊長を見た。「ヴィンチ、難民の受け入れは東門を優先して、一刻以内になんとかできねえか」

「難しいですね」ヴィンチェンツォは首肯しなかった。「東門城外市だけなら不可能ではありませんが、市内の準備が整ってないうちに人を入れれば、他の作業にも影響が」

「それでいい」アマデオは肯いた。「ともかく難民の受け入れが最優先だ。最悪の場合は別の門から打って出て時間を稼がせろ」

「最悪の場合、ですが」ヴィンチェンツォは渋面を伝令に向けた。「陣容は、どうなっている?」


 五里では騎兵に先行された場合一刻もかからず接敵する。最悪を想定するなら早めに迎撃の準備を命じておかなければならない。


 伝令兵は思い出したように付け加えた。


「敵は歩兵を中心とした構成のようです。遠目からですが、騎兵の姿は数える程度にしか見られませんでした。それから、連隊長殿からの言伝で、敵は(くだん)の密旨の輩である可能性が高い、と」


 事情を知らない伝令兵は自信なさ気にそれだけを告げて報告書を副隊長に渡した。


「件の密旨?」アマデオは眉根を寄せてヴィンチェンツォを見る。


 ヴィンチェンツォは隊長の背後まで歩み寄って耳打ちした。「例の、法王からの命令の件です」


「ああ」アマデオは手を叩いた。法王との謁見から戻ったイラーリオが前領主一派粛清以外にもう一つ報告してきた事柄を、ようやく思い出したのだった。


 ――近々、神聖天主王国大元帥を僭称(せんしょう)する不敬者が軍勢を率いて西都に攻め上がる。無論神国の名を借る異端者なので一兵たりとも逃すことなく速やかに討伐すべし――


 察するに、東から来た敵勢三千がその不敬者だか異端者だかなのだろう。更に言うなら法王自身が手を下さないあたり、内紛か何かの後始末をこちらに投げている可能性が高い。


 どうにも気の乗らない話だが、この際実情はどうでも良かった。憂慮すべきは武装した集団が今にも西都に押し寄せて来ようとしている事実である。


「この忙しい時に」アマデオは眉間を押さえた。「どうするよ?」


「来ると言うなら迎え撃つまでです」ヴィンチェンツォは事もなく答えた。「歩兵三千程度なら大した脅威にはならないでしょう。東門のイラーリオには手筈通り城外市民の受け入れを最優先に、万が一収容が間に合わなかった場合に備えて進捗の良い北門に出撃の準備をさせておきます。よろしいですか?」


 アマデオは肯いた。「任せるよ」


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