十五、騎士たればこそ-1
さすがに一角馬は精強だった。軽騎兵による背後からの攻撃を凌ぎ、続々と集まる「エッセンベルクの白狼」主力重騎兵の突撃を数度受けてもなお立ち向かおうとする姿には、ヴァルターも舌を巻くほどだった。
「だがまあ、これまでだな」
いかにもヴァルターの言葉は真実だった。多勢に囲まれた一角馬騎兵は得意の突撃戦法を封じられ、一人、また一人と鞍から下ろされた。乗り手の制御を失った一角馬の対処は簡単だった。馬装の防御も弱く自慢の角も届かない足周りを突くなり斬るなりしてやれば途端に動きを鈍らせる。そうなれば少し大きめの馬と同じだった。
太陽が新しい一日を誇示するように輝く。気づけば二人の傭兵隊長はすっかり立場を逆転させていた。
マリオ・グリマルディは懸命に騎馬槍を振るった。彼の配下はことごとくが捕らえられ、討ち取られて、文字通りの孤軍奮闘だった。
対するヴァルターは小高い丘に陣取って、集まってくる白狼隊の戦果報告を受けていた。剣はすでに鞘に納め、時折笑みすら見せて、はや戦勝の心持だった。
「旦那ァ!」ヴァルターは口元に手を当てて呼びかけた。「いい加減にしたらどうだい? あんたの弟も、捕虜になったって話だぜ」
マリオの槍が静止した。彼を包囲していた白狼隊重騎兵も、攻撃を止めてマリオから数歩の距離をとった。マリオは槍を下ろし、面頬を上げた。
「今の話」丘の上に立つヴァルターを見上げる。「本当か? あいつは、無事なんだな?」
「ああ」ヴァルターは答えた。「負傷はしてるらしいが、軽傷だそうだ。一角馬様さまだな」
マリオは息を大きく吸い込んで、深く吐いた。騎馬槍の持ち手を返し、抵抗の意思がないことを示すと、再びヴァルターを見上げた。
「白狼」堪えるようにつばを飲み下してマリオは続けた。「この戦は、俺の負けだ。言い訳はせん」
ヴァルターは素直に賞賛した。あえて口にするところはさすがに一軍の長と言えた。
マリオは続けた。
「だが、主力を戻して俺を叩いたということは、壁にはまだ手を出していないのだろう。ダオステには未だ一万以上の精兵が控えている。どうするつもりだ」
マリオのはったりは図らずも実際の問題をついていた。
壊滅的打撃を受けた「リトニアの一角獣」でも、正規の傭兵として給金を受け取っていたのは五千程度に過ぎない。ダオステの有する総兵力およそ二万のうち四分の一でしかないのである。
大将首の行方が戦の勝敗を左右する時代も、今は昔の話と言えた。戦争に動員される人間が増えたこの時代にあっては、戦闘中にある部隊の指揮官が不在となる状況(戦死や命令系統の混乱による一時的な消息不明等)がしばしば発生した。
そんな時、命令がないからと勝手な動きをすれば、友軍の適切な運用を妨げる要因にもなるし、何より接敵中の兵にとっては文字通りの死活問題となった。戦闘を続けるにせよ逃げるにせよ、個々人による無軌道な行動は組織的暴力の前では全く意味をなさないからだった。
そのため、指揮官を失った部隊は現場の判断でいち早く代わりを用意することで混乱を最低限にとどめる努力をした。上位、あるいは下位の戦闘単位に代わりの指揮官を融通してもらい、可能な限り長時間の戦闘を行ったのである。
そしてその努力により融通されるのは、全軍最高指令たる総大将とて例外ではなかった。
「さてね、どうするかな」ヴァルターは腕を組んで明後日の方向を見た。
マリオに代わる指揮官が、強力な指導者と思われるマリオの不在を理由に降伏する可能性は皆無ではなかったが、現実を見ればそれは希望的観測だった。
戦勝で士気が高揚しているとはいえ、依然兵力的に劣勢なのはエスパラム軍であった。堅牢な防御拠点に豊富な兵員、加えて大都市から供給される糧秣が完璧に近い形でそれらを支えている。まず以って難敵と言えた。
「ヴァルター・フォン・エッセンベルク殿!」マリオは突然声を張り上げた。「恥を忍んで申し上げたきことが御座る」
どよめく白狼隊を尻目に、マリオは一角馬を丘の上へ向ける。みなぎる気迫に、白狼隊重騎兵は次々道を譲った。小さな丘を優雅に歩み上がり、二人の騎士は程近い距離で正対した。
マリオは続けた。
「貴殿に騎馬槍試合での決闘を申し込みたい。もし貴殿が勝てばダオステに拠る我が手勢の撤退とダオステ市の全面降伏を約束いたす。その代わり、もし小生が勝った暁には小生と愚弟の身柄を解放していただきたい」
破格と言っていい条件だった。この決闘に勝てば関所も「ルオマの壁」も一足飛びに飛び越えてダオステを占領できるのである。数でも地勢でも劣るヴァルターには乗らない選択肢などないはずだった。
「如何か?」マリオは尋ねた。挑発的な視線には隠そうともしない本心がありありと見て取れた。
断ってみろ。お前はこのルオマで末代までの笑いものになるぞ。
マリオには二つの意味で自信があった。
一つはヴァルターがこの勝負を断らないという自信。貴族として、まして騎士として、このあからさまに売られた喧嘩を買わない不名誉はないはすだった。
流儀も作法も勝利という大目標のために軽んじられがちな乱世であっても、未だ誇りと名誉は正義だった。万軍を率いて勝利を収めた将軍より、一人で百の首級を挙げた騎士の武功がもてはやされる時代だった。劣勢にあって立ち向かう騎士をこそ、真の英雄と称えるこの時代が、エスパラムの騎士ヴァルターに断る自由を与えないはずだった。
そしてもう一つは勝負に対する自信だった。用兵においては言わずもがな完敗である。しかし、騎馬槍試合でなら俺がこの若造に劣ることなどない。なんとなれば武芸の腕前と戦の巧拙は相関しないものだった。主の気迫を受けていきり立つ一角馬の存在も、彼の自信を支えていた。
果たしてヴァルターはあごに手を当ててしばし考えた後、
「承知した」と答えた。
「何でそうなる!?」
ハインツは一切構うことなく隊長殿の耳元で怒鳴りを上げた。
「何でってお前」ヴァルターは迷惑そうな顔で片耳を押さえた。「悪くねえ条件じゃねえか。何怒ってんだよ」
「それは、そうかも知れんが」ハインツは今更ながら声の大きさに気づいてヴァルターの耳元にささやいた。「一角馬との騎馬槍試合に、経験があるのか?」
「ねえけど」
脚甲を腿に当てながらあっけらかんと答えるヴァルターにハインツは軽い目眩を覚えた。
「せめて馬だけでも変えさせるべきだ。このままでは」
危険だ、とハインツが思うのも道理だった。ただでさえ一角馬は軍馬として抜きん出た能力を持っていた。駿馬を凌ぐ快速、輓馬をあしらう力強さと体力。馬という生物に完成を求めるなら、一角馬がその答えだった。
加えて、騎馬槍試合における凶悪さを象徴するのがあの一本角である。体高とほぼ同じ長さのあの角は、言ってしまえば第二の槍であった。武器の規格や種類が明確に定められている騎馬槍試合において、槍を二本も持てるということがどれほどの有利であるかは最早言を待たない。
始末の悪いことに、騎馬槍試合の規則が定められた二百年ほど以前には一角馬を御するという発想がなかったため、規定上一角馬の使用は合法とされていたのである。
ハインツの心配などはどこ吹く風と、ヴァルターは久方ぶりとなる具足の着用に余念がなかった。
「代わりに盾はいらねえつってんだから丁度いいだろ、吊り合い取れて」胴鎧を固定し、その上に胸甲を重ねて軽く肩を回してみる。右手の鉄篭手だけ着けていないが、これでとりあえずの準備は終わりだった。
「つーか俺は少しばかり傷ついたぜまったく。どいつもこいつも隊長に対する信頼ってもんがねえんだから」
「あんたの心配をしてるわけじゃない」ハインツは半ば言い訳めいた口調でヴァルターの愛馬を示した。「ヴィントだって、疲れているんだぞ」
「心配されてるぜ、ヴィント」
ヴァルターは馬面の上から愛馬の鼻面をなでた。ヴィントは二度ほど鼻息を吐いて応えた。
「舐めんな、まかせろ、だってよ」
正確な言葉ではもちろんないはずだったが、闘志にあふれた返事だと言うことはハインツにも分かった。てっきり臆しているものと思っていたハインツは、思わず抗議の言葉を飲み込んだ。
「方々、準備よろしいか」
立会人を務めるエティエンヌが声をかける。向かい二十間ほどの距離で、一時的に解放された従騎士役のルイジと何事か相談していたマリオは、丸みのある大きな甲冑姿で歩を進めた。
「じゃ、行ってくるぜ」
ヴァルターも同じくエティエンヌの元に歩みだした。
右手以外を甲冑に包んだ二人の騎士は、しばしの間にらみ合うと立会人たる坊主を挟んで恭しく跪き、まずはマリオの方から口を開いた。
「小生、マリオ・グリマルディは、騎士道の定めるところに従い、正々堂々と戦う事をここに誓う者也。聖六芒星の神々もしかと御照覧あれ」
マリオは立会人から短剣を受け取ると、右の親指の腹を切り、その滴る血で中空に赤い三角形を描いた。
エティエンヌはマリオから短剣を受け取り、ヴァルターに渡す。ヴァルターもマリオに倣って宣誓した。
「小生、ヴァルター・ベレ・フォン・エッセンベルクも騎士道に則り、正々堂々戦う事を神かけて誓います」
少々略式だったが咎める者はいなかった。ヴァルターはマリオ同様短剣で指先を切り、マリオの描いた三角に重なるよう逆三角形を描いた。
赤く浮かび上がる六芒星は二人のマナの残滓だった。程なくして霧散すれば、それこそ神の承認の証だと言い伝えられていた。
ともかく、これで儀式めいたことは終わりだった。エティエンヌは一つ咳を払って告げた。
「刻限はあの太陽が沈むまで。決闘者と従騎士一名以外は下がるべし、下がるべし」
ハインツは立会人の指示に従いながらも、ヴァルターの愛馬から目が離せなかった。彼の記憶する限り隊長殿の愛馬は、決闘を前に奮い立つような勇ましい性格では、ないはずだった。




