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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第四章「サン・タルテュール」
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九、晩餐会にて

 ラ・ピュセル侯領からの賓客を送別する宴はサン・タルテュール大伯家がメコン市の外れに所有する迎賓館「花緑邸」にて、つつがなく執り行われた。「花緑邸」はその名の示す通り花と緑に溢れた庭園を備える大邸宅で、その昔聖アルテュールが王室の人間をもてなすために作らせたとされる由緒ある建物である。当然のことながら日常使用されることはあまりなく、この度は久方ぶりの宴席とあって、数日前から邸中は大忙しであった。


 夕刻、道中に行列をなした馬車の数々もひと通りはける頃になると、招待客たちは会場となる「花の間」へ集まり、案内された各々の席で料理を待ちながらしばし歓談の時を過ごしていた。高い天井に煌々と輝くおびただしい数の照明はすでに日が落ちたことなど忘れさせるほどの明かりで場内を包む。開けた雰囲気の中、口を出る言葉にはいずれも笑いが伴われていた。殊に、賓客と言っても大半はまだ年端のいかない少女たちである。荘厳な大広間の様相に感激して舌を巻く声もあれば、旅の思い出話に花を咲かせる無垢なさえずりも少なくない。


 しかし、今宵話題を集めたのはなんと言ってもここしばらくの間所用と称して姿を見せなかったルオマ公姫が今日になって突然連れて来た若い男のことだ。


 中肉中背、これと言った特徴のないぼんやりとした面立ち。黒い髪を整髪料で撫で付け、眉間に皺を寄せて何やら思い悩んだ様子でルオマ公姫ガブリエッラの背後に佇立するその青年は、公姫殿下曰く彼女の騎士なのだと言う話だった。


「ええそうなの、ぜひ剣を教えてくださいって、その傭兵隊長さんに頭を下げられちゃってね。『エッセンベルクの白狼』って、聞いたことない?」


「私、お母様から聞いたことがありますわ。とても評判の傭兵隊で、隊長さんはシャルロット様の覚えもめでたい、たいそう立派な殿方なんだとか」


「実はその評判の傭兵隊長こそエイジに決闘を挑んで敗れた張本人なのよ」


「まあ、ではエイジ殿はそちらで?」


「もう二年も前になるかしらね。それ以来傭兵隊で剣を教えたり、戦のお手伝いなんかしたりしていたのよ。それがこの間偶然、いいえ、きっとこういうのを運命っていうのね。後学のために見て回ることになった聖アルテュール記念館で……」


 ルオマ公姫ガブリエッラの、微妙に虚実の入り混じった体験談は止まらなかった。本来なら訂正したりたしなめたりと言った役を負うべき人間が彼女の話を全く聞いていなかったからである。かしましい少女たちの話題の中心にいながら、エイジの心はすっかり別のところに飛んでいた。


 ヴィラゼ大学から借りた聖アルテュールの著作のうち最も古いのは『軍学覚書』で、筆写された時期はガルデニア王国二代フィリップ一世謙虚王の治世だった。統一王の在位期間が四十八年だから、聖アルテュールの没年から数えた開きは少なくとも五十年近い。当然正確な筆写とは考え難く、表題の『覚』と言う文字からして上部分が『堂』と同じになっていた。ほんの五十年程度でこれなのだ。正確を期するならやはり聖アルテュールが直筆した原著、おそらくこの世でたった数十冊の、もしかしたらすでに失われているかも知れない書物を手に入れなければならない。


 容易に想像できる難しさが、エイジの眉間の皺をいっそう深くする。たとえ存在するかどうかすら分からない神を探求するより幾分ましであったとしても、求めるものが達成困難な目標であることに変わりはないのである。


 しかし、それが如何に多難な道のりであっても、諦めると言う選択肢はエイジの中になかった。まずは所在を明らかにし、入手や閲覧が可能かどうか、可能ならどうやってそれを成すかを検討する。聖アルテュールの子孫が治める領地なら存外簡単に目下の課題はどうにかできるかも知れない。さしあたってはまた教司アルベルトに協力を仰いで、それからできれば大伯家にも伝があれば……。


「……ねぇったら。聞いてるの、エイジ?」


「えぁ? はい!」


 突然名を呼ばれた気がして、エイジはとっさに応えた。見ればいつの間にかガブリエッラをはじめとした少女たちと彼女らの護衛や付き人、従者たちなど周囲の視線が彼一点に集まっている。つかの間の静寂はどうやら彼に何かを期待してのものらしい。


「あ、すみません、少し、別のことを考えておりました」


 エイジは沈黙が気まずい空気へと変わってしまう前に慌てて頭を下げた。


 一瞬の後、少女たちの上品な笑い声が短い静寂をかき消した。嫌ですわエイジ殿ったら。面白い方ね。押さえた口元から出るのは嘲りでも嫌みでもない純粋な感想だった。


「もぉ、しっかりしてよ。あなたのことを話してたのに」


 ルオマ公姫の苦笑交じりの抗議に従者たちも微笑を添える。なんとか誤魔化せたらしい。エイジはぺこぺこと繰り返し頭を下げながらひとまず胸を撫で下ろしたが、両隣からの鋭い視線に気づいて一転冷や汗を流した。


 お目付け役のオレリアとエルマの二人はエイジの対応を評価しなかったようだ。彼女らの口から一部始終がクロエ女教の耳に入ればお叱りは免れ得ないだろう。エイジは吐きたくなる溜息をぐっと堪え、どうにか明るい表情を維持することに努めた。この場に女教がいないことが幸か不幸か彼には分からなかった。


 と、俄かに談笑の声が小さくなっていく。場内が注目するのは主卓の傍に姿を現したいかにも貴族然とした福々しい風体の中年男である。


「皆々様、今宵は良くぞお越しくださいました。僭越ながら主に代わりまして、厚くお礼申し上げます」


 男は秀でた額を丁寧に下げるとにこやかな顔を上げて続けた。


「当家一の料理番による絶品の数々もようやっと準備が整いました。すぐにお持ちいたしますゆえ是非存分にご堪能いただきまして、楽しい夜会をお過ごしくださいませ」


 再度頭を下げた男は、一歩後方に控えていた痩せぎすの老紳士と軽く視線を交わして退室した。後を引き継いだらしい老紳士が使用人に指示を出し、程なく料理が運ばれてくる。


 前菜は一口大に薄切りされた麦餅に野菜や蒸し鶏、乾酪などを載せたものだ。小ぶりだが軽く炙られた麦餅と多種多様な具材の放つ香りは強烈で、給仕たちが忙しなく卓上に色とりどりの小皿を並べていく様を眺めながら、エイジは腹の虫が密やかに音を立てるのを抑えられなかった。思えば出掛けに少し麦餅をつまんだきりで以降は何も口にしていない。クロエ女教の熱の入った指導は食事休憩すら許さず、日暮れが近づいたらそのまま会場まで直行し、会場入り後は公姫殿下の強い要望によって中座する暇もなかった為、彼の空腹はとうに限界を超えていたのだった。


 幸い周囲の賑わいのおかげで気づかれた様子はない。が、それでも耳聡く聞きつける者がいた。ジェルソミーナである。


 そっとエイジに近づいた彼女はすぐ目の前に見える彼の右の耳元にささやいた。


「お腹空いてるんですか?」


 エイジは思わず背筋を正した。しかしすぐ観念して短い吐息と共に潜めた声で答えた。


「……実は、朝から何も食べてなくて」


 いつもどおりの微笑で正面に向き直ったジェルソミーナは同じく小さな声で続けた。


「別の部屋に従者用のご飯ありましたよ。食べにいったらいいんじゃないですか?」


「え、でも」


「貴殿がいようといまいと、何も変わりはしない」


 突然割り入ってきたのはエイジの左隣に立つオレリアだ。彼女は切れ長の目で軽く一瞥をくれるとすぐに視線を戻して続けた。


「元より護衛の任は我々三名で十分事足りていたのだ。殿下が強く望まれたのでなければ貴殿のような輩はこうしてこの場に立つことすらおこがましい。気もそぞろな応対でまた殿下の名誉を傷つけてしまうくらいなら、会が終わるまでどこぞに身を隠している方がまだ殿下の御為になる」


 酷い言われようだったが彼女の意見も尤もだとエイジは思った。何より空腹には抗えない。


「じゃあ、すみませんが、お言葉に甘えて」


 若干の罪悪感を抱きつつも、エイジは左右に軽く頭を下げて踵を返した。


 広間を出てしばらく歩くと、従者用の休憩所は晩餐会の会場から少し離れた、建物の構造的には正反対に位置する「緑の間」に用意されていた。部屋の作りは概ね同じでもこちらは立食形式で、なお且つ利用者も少ないためか「花の間」に比べて落ち着いた雰囲気での歓談が楽しまれているようだった。


 ともあれエイジは誰かと世間話などしに来たのではない。他の一切には目もくれず、壁際に並べられた軽食の元へ急ぎ足で向かう。鹿肉の炙り焼き、乾酪と燻製肉の薄生地包、生野菜の盛り合わせ等々、食卓にはさまざまな料理が所狭しと置かれていた。「花の間」で主賓たちに振舞われていたものに比べれば幾分地味な色合いの品々も彼にしてみれば十分なご馳走に違いなかった。目に付いた端から適当に取り上げては拝借した皿に盛り付けていく。


「エイジさん?」


「はい?」


 目の前のご馳走に夢中で、エイジの視野はとても狭くなっていた。振り返った彼はそこに覚えのある顔と初めて目にする上品な僧衣を見た。


「あ! 教司アルベルト」


 驚きと混乱と少し遅れてきた喜びが、エイジの調子を狂わせる。彼は皿に山ほどの料理を載せたまましどろもどろな言葉で続けた。


「えっと、あ、ご無沙汰して、ます。でもどうして、こんなところに?」


「それはこちらの台詞ですよ。あなたこそ」


 予期せぬ出会いに動揺しているのは相手も同じだった。抱擁しようと両手を広げた教司アルベルトは山盛りの皿を見て取るとしばし所在無く手をばたつかせた後、素早い動作で六芒星切って両手を組んだ。


「いやしかし、お元気そうでなによりです。神の与え給うためぐり合わせに感謝しなければ」





 二人は庭園に続く露台に場所を移した。雑音の遠い夜空の下で今朝方ぶりの食事にありつきながら、エイジは教司アルベルトにいきさつを話した。


「そうでしたか。ルオマ公家に」


「叙任されたのは二年も前なんですけど、この間偶然公姫殿下とお会いする機会がありまして、あとはまあ成り行きと言いますか」締めに森トカゲの吸い物を飲み干したエイジは急いた勢いで続けた。「それにしてもちょうど良かったです。実はまたお力を借りたいと思っていたところで」


「何でしょうか?」


「聖アルテュール自らが書いた本って、手に入らないでしょうか?」


 エイジに事情を聞いたアルベルトは腕を組み、深く感嘆の息を漏らした。


「なるほど……それにしても驚きましたよ。まさかあの難解不可思議なアルテュール文字を読み解こうとしているなんて」口元に当てた指で忙しなく頬を叩きながら、彼は独り言のように続ける。「書き写した人やそれが行われた時期によって正誤の不明な差異があるから、それを基にした研究にも齟齬が生じてしまった。確かに筆写の際に生じた誤謬が解読を難しくしている原因なら、原典を紐解くことで二次的な誤解を避けられる。研究者同士でいまひとつ整合性の取れなかった解釈の相違にも正しい結論が出せるわけですね。中々に興味深い」


「あの、それでどうでしょうか? 大学の図書館で借りられたりしませんか?」


 エイジは探究心の迷路に足を突っ込みかけていた教司を呼び戻した。我を取り戻したアルベルトは一転眉根を寄せて答えた。


「そのことですが、恐らく難しいと思われます」


「どうしてです?」


「少々、古いお話になりますが――」


 サン・タルテュール大伯家は過去に数度の財政難を経験していた。中でも有名なのがガルデニア王国三代ジャン一世善良王の時代である。


 篤信家と言えば聞こえは良いが、実際の彼は宗教狂いと表現しても差し支えないほど神秘的なものに傾倒した人物であった。当時から国政への参与を認められていなかった宗教従事者を顧問と称して王宮に招いては日夜熱心に議論を交わし、そのために朝議を休みがちになったかと思えば突然臣下に何の相談もなく日に三度の礼拝を義務とするよう布令を出したりと、その治世には合理的な判断が欠けていて、しばしば民心を惑わせる要因となっていた。その非合理的布令の最たるものが神借領特例である。


 有力な宗教指導者、並びにその属する団体の多くは信者からの寄進などにより独自で管理する土地を所有していた。神から預かっている、借りている領地と言う意味で神借領と呼ばれていたそれらの領地は、その名目上例え王侯貴族でも強権を振るって召し上げたり奪ったりは憚られる神聖な土地として長らく扱われてきた。


 この神借領の扱いに関してはルイ一世による統一の初期に幾度か議論が交わされていたが、税の徴収がその他の領地と同じように行われるなら安堵して良いと言うのが最終的に王国の下した結論であった。王国政府としてはどんな名前がついていようがきちんと管理されており、納められるべき税が不足なく納められれば何ら不都合はなかったのである。


 ところが誰の入れ知恵か、善良王はある日突然その神より預けられている神聖な土地から税を徴収することに難色を示しだした。臣下の猛反発と粘り強い説得により完全な撤廃こそ免れたものの、王の思い付きによって発布された神借領特例はこれまで他の土地と大きく変わらなかった神借領の税率を大幅に下げさせた。


 その結果、割を食ったのがすでに「信教の都」として名を馳せていたサン・タルテュール大伯領である。サン・タルテュール大伯領は土地柄ほかの領地に比べて神借領の割合が非常に多かった。為に新たな法の制定が急激な減収を引き起こし、家計は突然の窮乏に見舞われることになった。


 時のサン・タルテュール大伯ラザールはこの難局を乗り切る為の資金繰りに奔走した。経営を立て直すのには抜本的な改革を必要としたが、それを行う為にも当座の金が不足していたのだ。近隣諸侯に頭を下げ、富裕な商人を呼び集めて、領地以外で金になるものは何でも売りに出した。刀剣、宝飾品、織物、陶器に絵画、そして……


「ご先祖様が残した書物も、手放してしまったと」


「はい、残念ながらそのように聞いております」


 呆れと嘆きが相半ばしたエイジの声に、教司アルベルトは頷いた。そしてしばしの気まずい沈黙の後に続ける。


「後に倹約伯とあだ名される大伯家四代当主ラザールの努力もあって危機を乗り越えることはできたそうですが、領内外へ散逸してしまった希書蔵書の類は、それ以降ほとんど行方知れずとなったそうです」


「どこに行ったかの見当もつかないんですか? せめて現存してるかどうかとか」


「少なくとも、学内にはないでしょう。大学の体質的に、希少性よりも学術的価値を重要視する嫌いがありますから」


 教司アルベルトは短い腕を組んで眉間に皺を寄せた。そのまま少しの間難しい顔で唸ると、自信無さげに低めた声で続ける。


「そう言えば以前、大伯家には買い手の事を記録した目録が残されていると言う噂を耳にしたことならあります。……まあ、あくまで噂ですし、仮にそれが本当にあったとしても部外者の閲覧が許されているかは分かりませんが」


「お話中失礼」


 不意に声をかけられて、二人は同時に振り返った。いつの間にかそこに立っていたのは先ほど晩餐会の場で使用人たちに指示を出していた痩せぎすの老紳士だった。


「私は当家にて家令を務めております、クレマン・ドゥ・モンベレと申す者です」老紳士は軽く会釈して名乗るとエイジの方を見て続けた。「ルオマ公姫殿下の騎士、エイジ・ナイトー殿にございますな」


「そうですが」


 エイジが訝りつつも答えると、クレマンは一歩距離を詰め、低めた声で続けた。


「内密にご相談したきことがございます。少々お付き合い願えますか?」


 エイジは即答しかねて思わず言葉を飲み込んだ。心中は期待と不安のせめぎ合いとなった。今しがた話していた矢先だと言うのに、まさかこんなに都合良くサン・タルテュール大伯家と縁を得る機会がめぐって来ようとは。「内密の相談」なんて言葉、どう受け取っても嫌な予感しかしない。


 冷静に判断してみれば、気持ちの面で大きく差をつけて勝っていたのは不安の方だった。しかしだからと言ってそれを正直に伝えられる雰囲気でもなかった。


 ――なんかやばそうな内容だったら絶対断ろう。絶、対、に、断ろう!


「分かりました」と答えながら、エイジは心中で固く決意した。


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