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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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四十、餓狼危うし

 こいつは駄目かもな、とヴァルターは思った。撤退を始めてより幾度目かの奇襲を受け、平服姿のまま馬上で槍を振るっているまさにその最中、彼はいよいよ死を意識し始めていた。敵を串刺しにする騎馬槍にも、部隊を叱咤する声にも、いつもほどの元気がない。ろくに休みもとらずに一昼夜を駆け続け、少し足を止めるたびに攻撃を受けるのだから、その疲労も無理からぬことである。


 それでもヴァルターは強いて声を張り上げた。自分自身を奮い立たせるように。


「しっかりしねえか、敵は小勢だぜ! 数で押し切ってやりゃあどうせまたすぐに逃げてくぞ!」


 突き上げた穂先を頭上で二度回し、振り下ろすと同時に拍車を入れる。矢のように駆け出すヴィントに続いて、直率の騎馬が十余り大地を蹴った。少数で軽装と言えど騎馬突撃の破壊力は脅威である。逃げ遅れた数人を苦もなく薙ぎ倒し、崩れつつあった一帯の戦線は一度五分のところまで戻された。


 疲労困憊でも流石に精兵だった。そこへすかさず歩兵がなだれ込み、こうなると数に勝る白狼隊の勢いは止められない。


 聖ジョルジュ、エスパラム! 聖ジョルジュ、エスパラム!


 空元気でも声を合わせれば、萎えかけていた士気は徐々に勢いを取り戻していった。


 この辺りは何とかなりそうだな。安堵するヴァルターは休む間もなくヴィントを走らせた。何とかならなそうな戦線をなるべくたくさん見つけ出し、片っ端から何とかしてやらなければならない。本来なら各所の指揮官に一任している仕事でも隊長自ら足を運ばなければ手が回らないほど、今は圧倒的に人員が不足しているのだ。


 どれだけ指示して回れば足りるのか、ヴァルターには分からなかった。だが、これで大丈夫と思えるところまで、とにかく動き続けなければ全滅は必至である。


 故にヴァルターは走り続けた。彼の姿を認め、再び立ち上がる事が出来る隊士達がいる限り、ヴァルターは足を止めるわけにはいかないのだった。


 襲歩で街路を駆ける隊長殿の背中は、付き従う従士たちの視界からその時忽然と姿を消した。


 鞍上から転げ落ちた主に驚いてヴィントが足を止めると、後に続いていた従士たちも慌てて急停止し、路上で伏せる隊長殿を助け起こした。


「た、隊長殿! どうしました!?」


 助け起こされながらヴァルターは痛みの残る右のこめかみを押さえた。手のひらにべたりと張り付いたのは熱い血の感触だった。石か何かをぶつけられたらしい。耳元で鐘を鳴らされたような感覚のために、頭がずしりと重い。


「隊長殿、大丈夫ですか!? お怪我を」


「でかい声で騒ぐな、大丈夫だ! 痛ぇなクソが……!」


 ヴァルターは何とか立ち上がり、ふらつく足取りでヴィントの手綱を取った。


「クソ痛ぇが、石で良かったぜ。矢だったら死んでたなきっと」


 統制に支障のある軍隊ではしばしば不幸な行き違いが起こる。冗談めかしたヴァルターの言葉と従士たちの狼狽した声とは、良くない形で混ざり合って隊内を駆け巡った。


 隊長殿が落馬した。敵の矢を受けて死んだ。


 不穏な噂は瞬く間に戦線に伝播した。敵陣の中では「ヴァルター討ち取ったり」と声高に叫ぶ者まで現れた。


「待て待て、早まるんじゃねえ! 勝手に殺すなって、この通り生きてるよ、俺は!」


 大声で主張して回れば混乱を収束させるのはそう難しいことでもなかった。が、その間も敵はただ手をこまねいて見てくれているわけではない。家並みの陰から脇道から、ここぞとばかりに姿を現しては、あっという間に往来を埋め尽くしていく。


 ヴァルターは舌を打った。せっかく立て直した形勢が、またも敵方に傾こうとしている。これでは切りがない。


 その時、あらぬところから突然上がった喊声にヴァルターは身を強張らせた。


 方角は南西。数はそう多くはない。百と少しと言ったところか。だが、ヴィントの体を通してなおはっきりと響く大地の震動。これは馬蹄の轟きに相違ない。二個小隊規模の、騎兵の一団だ。


「こんな時に新手かよ!」


 唾と一緒に吐き捨てて、ヴァルターはすぐさま拍車を入れた。


「騎兵集まれ! 迎え撃つぞ! 徒歩の奴らはすぐに往来から」


 違和感がヴァルターに口を閉じさせた。馬速を落として耳を澄ましてみると、喊声と共に上がる鬨の声が、微かに鼓膜を震わせる。次第にはっきりと聞き取れるようになったその声は、どうやら彼らにとっての吉報を届けているらしかった。


 聖ジョルジュ、エスパラム! 聖ジョルジュ、エスパラム!


 勝った、とヴァルターは自然に上がっていく口角を抑えられなかった。しかし安堵も束の間、わらわらと集まってくるハインツら現有の騎兵戦力にヴァルターは慌てて指示の変更を伝えた。


「と、鬨を上げろ、援軍だ、援軍! でっかく声を合わせねえと、敵に間違われて突っ込まれるぞ!」


 存在を忘れられかけていた白狼隊旗が高々と夜空に躍る。悲鳴と怒号に満ち溢れていたメオドールの街は、一転聖ジョルジュへの感謝と喜び、そして重く低い馬蹄の響きで埋め尽くされた。


 壁のように連なって相手の接近を阻んでいた長槍をはじめとした白狼隊歩兵達が、歓呼の叫びを上げながら往来を離れる。


 優勢を信じて疑わない敵の一党は当然の如く敗走していくように見える彼らを追いかけて我先にと飛び出した。


 襲歩する馬の鞍上からでも、往来にごった返しているその男たちが聖ジョルジュに加護を求めていないことは確認出来た。駆けつけた百二十の騎馬槍は、獲物を求めて街の大通りに殺到した。


 気が逸って最前に出ていた者から先に悲鳴を上げた。猛々しい嘶きと鋭い騎馬槍、頭上高くからこちらを見下ろす威圧感に、男たちはようやく気づいたが最早手遅れだった。


 いや、もっと早くに気づいていたとしても主武装が長剣の彼らでは対処の仕様がなかっただろう。果敢な抵抗を試みた勇者の腹から抉り出された腸がびしゃりと音を立てて鼻面に落ちてくる様を見て、なお立ち向かえるような勇気の持ち主はそこに存在していなかった。


 戦意の挫けた男たちは無我夢中で逃げ惑った。足の速い者と遅い者、安直に真っ直ぐ後退しようとした最前と、まだ騎兵の存在を目の当たりにしていない為に前者と比べて危機感の乏しい後方とが通りの真ん中で渋滞を起こした。いくらか頭を働かせて脇道へ逃げ込んだ者たちは、待ち受けていた白狼隊の長槍で串刺しにされるか、寸でのところで逃れて大通りへ戻ったところを騎馬槍の餌食になるかのどちらかであった。


 ハンスにブルーノにアラン、なるほど、白犬隊か。民家の屋根の上から縦横無尽に敵を追い詰める軽騎兵の中に馴染みの顔を見つけたヴァルターは得心した。南西より現れた援軍は白犬隊の精鋭であった。二個小隊、総数わずか百二十程度だが徒歩の賊徒千くらいならまず相手にならないはずだ。


 しかし、いくらか疑問もあった。最たるものはこんな時一番先頭で敵を追い立てていそうな元気者の姿がどこを探しても見当たらないことだった。


 数度の突撃で一番敵が密集していた大通りの掃討は終わったらしい。後は各自散開して残党を追い立てる手筈だろう。指示を出している指揮官らしき姿を見つけてヴァルターは声をかけた。


「クラウス、率いてんのはお前か? ライナーはどうした?」

「はい、隊長殿。ライナーは、止めたんですけど聞かなくて、殿で」

「何でもいいけど助かった。おかげで命拾いしたぜ」

「何でもよくはないんですよ、隊長殿。多分ですが」


 クラウスは周囲を見回し、言い難そうに声を小さくした。ヴァルターが屋根から下りるとクラウスも下馬し、耳を寄せる隊長殿に潜めた声で彼は告げた。


「バルティエ子爵が裏切りました。ライナーは俺たちを先行させるために、残って追手の足止めを」


 ヴァルターは目が眩むほどの頭痛を感じた。すっかり止血を忘れていたこめかみからは際限がないかのような流血が止まらなかった。


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