後編
「リーグヴェイル兄上!」
しばらくの硬直の後、王子は目玉が飛び出んばかりに目を見開くと、客間扉の前に現れた男をハッキリと「兄上」と呼んだ。
その声に、俺もようやく我に返ると王子の言った「兄上」という言葉に仰天する。
(あ、兄上ぇ?!)
そこにあったのは―――――昨日も会ったばかりの友人の姿。
貴族で、騎士で、物好きで、俺のことを好きとか抜かす、変わった友人。リーグヴェイルだ。
どう見ても、それ以外の何者にも見えない。
だが目の前の王子はリーグヴェイルを兄と呼ぶ。
俺はショートしそうな頭を抱えて低く唸った。
しかしそうこうしている間にも、混乱しきった俺を置き去りにして「兄」と「弟」の会話は進んでいく。
「兄上、なぜここにいるのですか。ここは私の友人の別荘のはずですが」
「ハッ!俺はお前がレンのお初を奪ったことを知っているんだぜ?全く、兄弟揃って同じ人を好きになるとはな……。俺たち兄弟は死ぬほどしつこい。お前は絶対にまたレンを狙うだろうと踏んで、最近ずっとレンの後をつけていたんだが……やっぱり正解だったな」
「何ですかそれ、変質者ですか。好きな人の後をつけるなんて、軽く犯罪じゃないですか。気持ち悪い」
「それをお前が言うか!お前こそ、レンと二人きりになるために同級生を脅しつけて、こうしてウマイことレンをベッドの上に連れ込んでるくせに。良く言うぜ」
「脅し?脅しとは穏やかじゃないですね。私は友人に真剣にお願いをしただけですよ、『レンニールと二人きりになりたいからぜひ計画を練ってほしい』と。私自らが動くと、父にまた邪魔されますからね」
「『また』?ハハハそれは父上に御礼を申さねばならないようだ。そしてお願いもしておかねばならんな、今後もぜひラグウェインの監視を、と」
「ご冗談を!これ以上締め付けがきつくなるようなら、私は王位継承権を放棄しますよ!…あぁ、そうすれば公爵に下った兄上にも、王位が回ってきますね。王位継承権、本気で放棄しようかな…」
「は?!ふっざけんな」
目の前で喧々諤々の兄弟喧嘩を繰り広げるリーグヴェイルと王子を俺はしばらく呆然として眺めていたが、俺の視線に気づくこともなく、二人の口喧嘩はどんどんエスカレートしていく。
よくよく聞いてみると会話の中に若干犯罪めいたものも混ざっていたような気がするのがまた、何とも言えない。
「ハハハ…」
俺は乾いた笑いを洩らした。
どこから突っ込めばいいのか、見当もつかない。
だが一つだけ、どうしてもやっておきたいことが見つかったので、俺は「リーグ。それと王子」と二人に声をかけた。
二人はようやく俺の存在を思い出したのか、ハッとした表情で揃ってこちらに顔を向け――――、一気に蒼褪める。
「とりあえずお前ら…………一発俺に殴らせろ」
この兄弟が犯罪者ギリギリ一歩手前なのはよく分かった。
俺は右手を拳の形に握ると、とても笑顔には見えない冷たい笑いを浮かべながら、若干脂汗を流しつつ俺を凝視している兄弟にゆっくりと近づいて行った。
………………。
…………。
……。
ボコボコにしなかっただけ、俺って偉いと思わないか?
戦場ではあれだけ敵を再起不能になるまで叩き潰すのに、たった一発の拳骨でこの兄弟を許してやったんだ。
俺も丸くなったもんだよなぁ、としみじみと感じ入ってしまう。
「…確かに、一発だったな…」
「一発でしたけどね……」
ベッドの上では、リーグヴェイルと王子が腹を抑えて、二人仲良く丸まっている。
まだ痛みが残っているのか時々「うぅぅ」と呻くところも仲良しだ。ほぼ同時のタイミングで呻くのがまた面白い。
こうやって並んで同じ行動しているのを見ると、「あぁこいつら本当に兄弟なんだなー」と分かる。
顔はそんなに似ているわけじゃないから、別々の場所で見てもあんまり分からないけどな。
しかしいつまでも丸まっているその姿に「いつまで寝てんだよ。そこまで強く殴ってねぇだろ?」と俺は眉を顰めて近くのソファに座った。
「強かったよッ!」
「一瞬天国見ましたよッ!」
本当に仲の良い兄弟だ。
二人揃って叫ぶと、腹の痛みがまた蘇ったのか同時に「うぅぅ」と再び腹を抱えた。
「そうかぁ?大袈裟じゃねーか?」
「いやいやいや真面目も真面目、大真面目よ。しかもわざと鳩尾外したな、レン」
「まぁな。鳩尾入れたら一発でネンネしちまうだろ。お仕置きなんだから、そこは起こしとかないと」
「寝かせてよ?!」
悲鳴を上げるリーグヴェイルと俺のやり取りを腹を抑えたまま聞いていた王子は「天使の顔で鬼のような所業……これが戦の鬼神レンニールか……」とまだ蒼さの残る顔で呟いた。
鬼のような所業は否定しないけど、天使のような顔というのは止めてほしい。
しばらく待って痛みがだいぶ引いたらしい二人がベッドの上に座りなおすのを見届けてから、俺は気になっていた質問を投げかけた。
「それで、お前ら本当に兄弟なわけ」
俺が尋ねると、二人とも頷く。
「ラグウェインは第一妃の子供なんだよ。で、俺は第五妃の子供。……あーそっか、レンは元々この国の人間じゃなかったもんな。王家の事情とかは知らないか」
「ま、俺の性格からするとどの国の人間だったとしても知らなかったと思うけどな」
「ハハッ、レンらしい」
リーグヴェイルは笑うと「まぁ、よくある話なんだけどな」と前置きしてから話し出した。
「――――今から20数年前のことなんだけどな。父上……王には五人も妃がいるのに、ちっとも子供ができなくてさ。それでもようやく第五妃が王子を産んで、その子供が、まぁ後継ぎとして育てられることになったわけ」
「その子供って…」
「ん。俺」
かける言葉が見つからなくて、俺は黙りこくった。
変わり者の貴族の友人とばかり思っていた相手が、実は王子だったとは。さすがにそんなこと、想像したこともなかった。
リーグヴェイルは、本来なら、あんなにバシバシ叩いたり軽口を交わしたりできるような間柄になんてなれるような人間ではなかったのだ。
「それでな、俺が6才の頃に第一妃にも子供ができた。それがコイツ。ラグウェイン」
その言葉に俺は王子に視線を向けた。
リーグヴェイルの横で静かに座っているラグウェインは、随分と神妙な顔をしている。
おそらく彼自身、兄の口からその当時の話を聞いたことなどなかったのだろう。
兄の話に口を挟む気もないのか、黙って耳を傾けている。
「当然、王位継承権は第一妃の子供であるラグウェインに移動した。それはいいんだが、ちょーーっと腹黒いオッサンたちが俺を利用しようとしてな。あまつさえラグウェインが暗殺されかかる事件すら起きたもんだから、第五妃は随分悩んだ。元々、王位なんて一切考えていない平和主義者だったし」
「………」
「それで第五妃が思いついたのが、俺を第五妃の実妹の養子にすること。王位継承権を放棄できるのは15歳以上と定められているし、当時6才の俺じゃ放棄しようも無かったからな。それに第五妃は公爵家の人間だったからさ、身分的にも王子を下げ渡すのに問題もなかった。これが男爵とかだったら、まーたあの腹黒たちが何を言ったか分からないとこだったけどな」
王子が「そうだったのか…」と小さく呟く。
どうやらこのあたりの事情はあまり知らされていなかったようだ。
リーグヴェイルにも王子の呟きは聞こえていたと思うが、それは聞かなかったことにしたらしい。そのまま話を続けた。
「晴れて俺は公爵家の人間になり、王位継承問題に巻き込まれることもなく、先進的な考え方をする両親の元、自由気ままに生きることができるのでした。おしまい」
「……………。………兄、上…」
長い沈黙の後、困惑した表情の王子が小さな声で兄…リーグヴェイルに呼びかける。
するとリーグヴェイルはニッと笑ってみせると「ま、ラグウェインの気にすることじゃないさ。ただの過去話だ」と優しく頭を撫でた。
弟を見るその優しい眼差しに、俺は胸の奥が熱くなる。
(……ちゃんと、「お兄ちゃん」じゃねーか。リーグ)
俺は目の前の兄弟のやり取りに、胸が温かな気持ちでいっぱいになっていくのを感じた。
そして同時に、家を出て以来ずっと会っていない兄を思い出して、少しばかり寂しさを覚える。
俺の兄も……もしかしたら少しは心配してくれているのだろうか。
今でこそ鬼神なんて呼ばれているが、鈍くさかったあの頃の俺をいつも優しく見守ってくれていた、少しだけ年の離れた兄。
あの家に戻るつもりはないが、兄には……また会いたいと思う。
俺はリーグヴェイルと王子、この兄弟の心の繋がりを感じて、思わず鼻の奥がツンと――――
「まっそれに過去がどうであれラグウェインが王位継承者なのは変わりないからな、きっちり他国のお姫様と結婚して王家を守ってくれ。俺は自由な一貴族だ、愛しいレンを娶って精々イチャイチャして人生を過ごすから」
「それは…ッ許しませんよ。それに婚約者は確かにいますが、まだ相手はほんの5才。婚約を破棄したって構わないでしょう」
「いやいやいや構うだろ?!破棄して戦争にでもなったらどうする!」
「その時は兄上が命を賭して私のために戦ってくれるのでしょう?何といっても、騎士なのですから」
「あぁ?!………おーそうだな。その時はきっとレンも戦場に出るだろうから、二人手に手を取って儚く散るのもありだな。俺はレンの生涯の一瞬たりとも、他人にやるつもりはないからな」
「駄目です。レンニールは兄上には渡しません。というか兄上?レンニールの初めての相手が私だということをお忘れなく」
「……………、……俺に殺されたいか?ラグウェイン」
「殺したいのならどうぞ?その代わり王位継承権も兄上に移行するものとお思いくださいね」
………俺の感動はどこへいったのか。
つい先ほどまでの温かな兄弟愛など微塵も感じさせない二人の姿に、俺はこめかみに青筋が浮き上がっていくのを感じた。
「お、おまえら……」
未だ俺の怒りに気付かず言い合いを繰り広げる二人を、俺はギロリと睨み上げ………そして、少しだけ開いたドアに気付いた。
ヒッと息をのむ音が聞こえる。
俺の視線の先にいるのは…………ドアの僅かな隙間からこちらを窺っている、カストール侯爵家の三男坊とその友人。
その顔面は蒼白に近く、ドアを掴む手が小刻みに震えている。
いつから聞いていたのか。
そしてどこまで見ていたのか。
(…まさかとは思うが、俺が王子にキスをされているところから見ていたんじゃ………ないだろうな?)
もしも、俺が王子にキスを受けて前後不覚になっている場面を見ていたのだとしたら。
「……ッッ!!!」
俺の形相が刻一刻と変化していくのを見て、ついに三男坊が白目をむいて倒れた。
三男坊の友人は腰が抜けたのか、不自然なほど全身をガクガクと揺らして尻餅を付いている。
それを視界に収めながらも、不思議と腹の底から可笑しさがこみあげてきて、俺は笑い声をあげた。
「……は、っははははははははははは!!!」
狂ったように笑いだす俺に気付いたのだろう。
ようやく稀代の馬鹿兄弟が口喧嘩を止めてこちらに目を向ける。
つい先刻も見た場面が、繰り返される。
二人は俺の表情を見てから顔をザァーーーッと蒼褪めさせ、「レ、レン…?」「レレレレンニール?」と引き攣り笑いを洩らす。
あーそういう時も仲良し兄弟は息がバッチリ合ってるなぁ。
引き攣り方が、本当、そっくり。
悲鳴も…………きっと、そっくり…なんだろうな?
「………!!!」
俺はわざとらしくニッコリ笑ってみせると、二人にゆっくりと近づいて行った。
もちろん、拳をバキバキと鳴らしながら。
***
王子がいるはずの別荘の中から突如聞こえた悲鳴や笑い声に、別荘の周囲を囲んでいた王子の護衛騎士たちは色めき立つ。
お互いに目と目を合わせて突入の合図を送り、急いで別荘の入口まで駆け付けると閉じられたエントランスのドアをぶち破った。
「有事が起こったか」と己の主人の元に心急くまま走って行く彼らの前に広がっていたのは――――――――死屍累々に倒れ伏す男たちとベッドで狂ったように笑うレンニールの姿だった。
慌てて倒れている男たちを抱き起こすと、それぞれの口からは
「それでも、レンを愛してる……グフッ…!」
「レンニー…ル…………何故だか君の蹴りが癖になりそうだ…………ゲフッ…!」
「ごめんなさいごめんなさい見てません鬼神が実は快楽に弱かったなんて知りませ―――――ガクッ」
「どうして俺まで…………バタッ」
という言葉が漏れ聞こえたのだった。合掌。
これで完結です。
が、いくつかエピソードや続編が頭に浮かんでいるのでそのうち番外編か、またはR18で書き足しつつアップできたらいいなぁと考えています。
需要があればいいのですが(笑)




