混乱
「ティナっ!」
傾いた身体は地面にぶつかる前に力強い腕に抱きとめられた。そして私はどうやら気は失っていなかったらしい。
「…す、すみません…」
ディル様の鍛えられた逞しい胸に抱き寄せられ、胸がうるさく騒ぎだした。
だって、こんな風に男の人と触れ合ったことなんてないんだもの。社交デビューだってまともにできなかったし、男の子の友人はいても、物心ついてからはここまで近づくことはなくなったから。だから、男の人に抱き寄せられてドキドキしてしまうのは、仕方のないことのはず。
「すまない、性急すぎた」
「いえ、あの…」
「ティナ!?」
申し訳なさそうにディル様が言うから、気にしないでほしいと言おうと思ったところで、慌てた様子のユーシェ様がお部屋から出ていらした。
「どうしたの?体調が悪いの!?」
焦った顔で急いで近付いてくるユーシェ様に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「大丈夫です。少しふらついてしまっただけです」
ディル様から離れようと腕に力を入れてみるけれど、ディル様の腕の力が全く緩まずに離れられない。
「あの、ディル様、もう大丈夫ですからお離しいただけますか」
「あ、あぁ、そうだな」
「…?ありがとうございました」
私を抱きとめた衝撃か何かでぼーっとさせてしまったのか、ディル様はゆっくりと私を離し、しっかりと立たせてくれた。
近付いてきたユーシェ様は、私とディル様を交互に見て、顔色は悪くないわね、と安堵の表情を見せられた。主人に心配されてしまうなんて、侍女としてあるまじき行為で、本当に申し訳なくてたまらない。まだまだ私よりも細い身体をされているというのに。
そして、顔色は悪いどころか、絶対に赤いはずだ。先程の抱きとめられた衝撃が忘れられず、まだ頬が熱い。ユーシェ様が心配してくださっているというのに、私は顔をあげられないでいた。
「ティナ、私の部屋で少し休みましょう」
「私なら大丈夫でございます。陛下もいらっしゃっておりますのに、お騒がせして申し訳ございません」
ユーシェ様の後ろに陛下のお姿が見え、私は更に頭を下げた。
「気にするな。俺はそろそろ仕事に戻る。ディル、お前もだ。ティナ、ユーシェはまだ菓子を食べ終わっておらん。食べ終わるまで見ていろ」
「かしこまりました」
「ごめんなさいねティナ、私に付き合ってもらえる?」
「もちろんでございます」
「アレク様、お仕事頑張ってくださいね。いってらっしゃいませ」
「ん。いってくる」
陛下はユーシェ様に触れるだけの口づけをし、ディル様を伴って去っていかれた。先ほどの私よりも顔を赤くしているであろう、ユーシェ様を残して。
人前では恥ずかしいからやめてって言っているのに、と、頬を赤らめたまま口を尖らせるユーシェ様はとても可愛らしく、私も少し冷静さを取り戻すことができた。陛下は、ただ単にしたくてユーシェ様に口付けただけだろうけれど。去り際にかすかに口元がニヤリとしていたから。
ひとしきり可愛らしい文句を言った後、ユーシェ様はお部屋に戻り、私にお茶の同席を求めた。断ろうとすると、私の淹れたお茶の味見をしてちょうだいと可愛らしくお願いをされてしまい、席につかざるを得なくなった。ユーシェ様は陛下と過ごすようになってから、お願い事が上手になったように思う。陛下と良い関係を築けているからこそのことなんだろう。嬉しく思いながら、少し寂しくも思う自分は、浅ましいのかもしれない。
「あの…」
「ティナが話したくないのなら、今日は何も聞かないわ。でも、お茶の感想は頂ける?」
「ありがとうございます。とても、とても美味しいです」
「本当?嬉しいわ。ティナのおかげね」
いつものユーシェ様と私ならばあり得ない、テーブルを挟んだお向かい同士で笑い合う。ユーシェ様の淹れたお茶は、とても香りが良く、優しい味がした。
「今は…頭の中が混乱していてうまくお話しできそうにありません。明日お話しさせていただいてもよろしいですか?」
「えぇ、もちろんよ」
花が綻ぶような可愛らしい笑顔で、ユーシェ様は私を見ていた。
その後、2人で刺繍をし、夕食、入浴、寝床の準備を終え、ユーシェ様に挨拶をして私は自室に戻った。
寝床に入り、思い返すのはディル様のお顔と、抱きとめられた腕と胸の逞しさだ。仕事をしているうちは気をそらすことができたが、することがなくなってしまえば、考えてしまうのはディル様のことばかりで。
何故、突然あんなことをおっしゃったのだろう。あれは、本当にそう思ってくださっているのだろうか。私を…気に入っているというのは、どういう意味なのだろう。偶々ディル様を見分けることが出来たから、私なのだろうか。では、他にディル様を見分ける方が現れたら、その方に求婚されるのだろうか…。
所詮私は末端貴族の、持参金も捻出できない、さほど見栄えも良くない娘でしかない。私が与えられるものは何1つない。私を気に入っているだなんて、その場を持たせるための言葉だったかもしれないじゃない。そもそも、私とディル様には、そこまでの関わりだったなかったのだから。
揶揄われているのだろうか…。侍女や下働きの娘に手を出す殿方がいることは知っている。良いこととはされていないが、身分を笠に強引に迫る方もいるのだという。しかし、ディル様のそう言った噂を聞いたことはない。王宮内に知り合いが多い方ではないために噂もさほど知らないのだが、彼ほどの立場の人間がそう言ったことをしているのなら、きっと耳に入るはずだ。
それとも、ユーシェ様の侍女としての私を必要としているのだろうか。やはり人選には苦労しているようだし、ユーシェ様自身が畏れ多いと考えていることだ。私は身分が低いからあの頃のユーシェ様に近付きやすかったけれど、これからはそれなりの身分を持ったものが必要になる。現段階で平民のユーシェ様にとっては、気が引けてしまうのは仕方のないことだ。けれど、陛下と結婚してしまえば、身分も王族と同等になるのだから、そんな心配も不要になる。その結婚ももうじきだ。その後もユーシェ様が安心して過ごせるよう、馴染みの侍女に身分を与えたいということなのだろうか…。それだけで、求婚までするものなのか…。
考えても考えても何も分からず、私は眠れぬ夜を過ごした。
今日の分間に合いました!
あと何話で終わるのか……私にも分かっておりません……。




