はじめの半年
「おはようございますユーシェ様。御髪を整えてもよろしいでしょうか?」
「…え…あの……」
「失礼いたします」
ご自分でお召しかえをし、お部屋に現れたユーシェ様に頭を下げ、椅子に座るよう促し、髪の毛を梳いた。戸惑っているのは分かっているけれど、それは気づかない振りをする。
ユーシェ様の髪はとても綺麗な黒髪だけれど、お手入れが行き届いていないために艶がなく、絡まりもある。ここに来る前も、来てからも、きっとしっかりと手入れはできなかったのだろう。まずこの部屋にはそういう品がない。色々と準備をしなければならなそうだ。
「あの、もう十分です。どうせ誰にも会いませんし…」
「ユーシェ様、私に敬語は不要です。それから、誰に会わないとしても、お手入れをするのが私の仕事です」
「ですが……、私は……」
「絡まりは解きましょう。それから朝食の支度をしても構いませんか?」
「えぇ…、ありがとうございます…。よろしくお願いします」
「……ユーシェ様、敬語は不要ですよ」
「あ…はい……」
少し俯いてしまったユーシェ様は、やはり敬語をやめられないようだ。それは仕方のないことだろう。生まれてからずっと、傅く生き方をしてきたのだろうから。急にその逆をしろと言われても難しいことは想像出来る。この方は、お優しくて、弱い方だ。
私に、この方を変えることができるだろうか。皇帝陛下の寵姫にとは言わないけれど、せめてこの後宮で辛くなく生きていけるようにして差し上げたい。そして、できることならば、そのお側にいることを許していただきたい。それが、私にできるだろうか。いや、しなくては。私にできることは、なんでも、なんでもしていくと決めたのだから。
それから、私はユーシェ様から離れることなく、侍女として過ごした。
予想した通り、私の仕事は、ユーシェ様の髪を整えること、お食事の支度をすること、部屋の掃除をすることだった。予想外だったのは、そこに洗濯が入ったことくらいで。
まさかユーシェ様がご自分で洗濯をするとは思っていなかった。孤児院ではそれが当たり前で、後宮に来たからといって、何をしているわけでもないのに洗濯など頼めないと言うのだ。貴族といっても所詮養女であり、元は庶民の、更には孤児なのだからと。そんな者の衣服を洗わせるなど、申し訳なくてできないと頑なだった。私がすると言っても首を振られた。
仕方がないので洗うのはご自身でして頂き、干すのは私が請け負った。日の当たらない敷地に干すなんて気持ちがよくない。敷地外に出たくないのなら、私が日の当たる場所に干しに行くからと、私も強く出た。
しがない下っ端貧乏貴族の私は当然洗濯もできるわけで、それくらいなんの負担でもなかった。私を生粋のご立派な貴族だと思っているユーシェ様は、申し訳なさそうにしていたけれど。
食事量の少なさにはさすがに驚いた。女官長に聞いてはいたものの、予想より遥かに少なかったのだ。体型を気にして食事を減らす令嬢はいるけれど、それよりも遥かに少なかった。そして、無理をして食べると戻してしまう。ユーシェ様は食事のたびに食べきれずに残してしまうことに心を痛め、痩せ過ぎの体が改善されることもなかった。
食事自体を苦痛に思われては困る。まずは炊事場に行き、元の食事量を減らしてもらうようお願いをし、次の食事から量は半分より更に少なくなった。それを見たユーシェ様は驚きながらも理由を知って喜び、食べきれはしなかったものの、食べ物を無駄にしなくて済むとお喜びになられた。
食後に、もしよろしければと、炊事場の者に、食事の感想と、食べきれなかった理由を走り書きでもいいので書いてもらえないかと言うと、喜んで手紙を書いてくださった。それを炊事場に届けると、こちらもすごく喜んでくれた。
ご令嬢の中には、味が気に入らないだとか、体型を気にして食べたくないと大量に食事を残す方もいる。けれど、ユーシェ様はそうではないのだと、知って欲しかったのだ。
食事が美味しいことへの感謝と、少食で残してばかりで心苦しかったと書かれた手紙のおかげで、炊事場の人間のユーシェ様への印象はだいぶ変わった。炊事場での評判など皇帝陛下へ届くことはないだろうが、ユーシェ様をよく思う人がいるというその事実は、きっとユーシェ様の寂しさを紛らわせてくれる。そしてそれは正解だった。炊事場の反応をユーシェ様に伝えると、安心した表情を見せた後、笑顔を見せてくださった。もう、それだけで十分だった。
そうして過ごすこと数ヶ月。
「てぃ、ティナ、あの、これ…返して来てもらってもいい…?」
「かしこまりました。たまにはご一緒に行かれませんか?外の空気を吸うのもよろしいですよ」
「いえ…、その、私が行くと他の方の手を煩わせてしまうので…、ここにいます」
「ユーシェ様」
「あ、あの、ここに、いるから、お願いね」
「かしこまりました」
ユーシェ様は外に出られない。自分が動けば護衛も動かなければならない。自分のために仕事を増やしたくないからと、身軽に動ける私を使うようになった。それでも、私を使うようになっただけいい方向にいっているのだろう。少しはユーシェ様の信頼を得られてきているのだと思う。
それから、侍女としての仕事からは逸脱しているのかもしれないけれど、後宮に住まう令嬢としての立ち振る舞いをお教えした。頼まれたわけではなく私が勝手にしていることだけれど、きっとこれは必要なことだからと、繰り返しユーシェ様にお教えしている。ようやく私や護衛に対しての敬語がなくなってきたところだが、まだ時々敬語を使うことがある。たどたどしいところもあるけれど、ユーシェ様は少しずつ変わってきていた。
それから更に数ヶ月たち、言葉遣いを含めた立ち振る舞いは貴族令嬢として問題ないものに近づくことができた。変わったのは、そこだけだったけれど。
痩せている体も、ご自身でお洗濯をされることも、お召し物も、外に出られないことも、何も変わらなかった。
そして、ユーシェ様は皇帝陛下に出会った。




