~海宝と冥浄陸雲 下~
「あれは……」
静汪の閉じていた口が僅かに動き、冥浄陸雲は再び視線を彼に向けた。
「うん?」
「あれは弔いです……」
冥浄陸雲は静汪の言葉に目を見開いて驚いた。
「ほう……一介の村人、それも少年が死者を弔っていたと?」
「父が教えてくれたんです……死者にはああやって見送るようにと……」
理由を聞いた冥浄陸雲は先刻までとは違う優しい笑みを見せた。
「ふふっ、良い父上に育てられたのだな」
「え?」
静汪が見上げるようにして聞き直す。
「だから……良い父上だな、と言ったのだ」
「あ……あああぁ……」
静汪は言葉を失い再び涙を流した。冥浄陸雲が「しまった……」と心の声を漏らす。
場の空気を変えるため、冥浄陸雲は次の話を切り出した。
「して、静汪よ、これから其方はどうするのだ」
「これ……から……?」
静汪の口はそこから何も発せなかった。一日で全てを失った。やるべき事もやりたい事もない。こうして父の教えを守り、死んでいった者達への弔いを終えた今、何をすればいいのか。静汪には何も思い浮かばなかった。
「さぁ、何をするのだ?」
「……」
「両親も村も失った哀れな少年、答えてみせよ」
「……」
まるで試すような物言いでも、静汪は返す言葉も思いつかなかった。
「何も浮かばぬか……。なら、私がお前に使命を与えてやろう」
「使命?」
「ああ、そうだ、使命だ。生きるための道標を私が授けてやろう」
冥浄陸雲は言い終えると懐から一枚の札を取り出した。月夜であまり良くは見えないが、表面と思われる部分には文字が書かれているようだった。
「さあ、これを其方にやろう」
静汪に手渡された札には赤黒い文字で「鎮魂縛符」と書かれている。
「これは何ですか?」
「鎮魂縛符……死者を救うために私が作った特別なお札だ」
「……」
胡散臭い話の内容に静汪は怪訝な表情を浮かべる。
「まぁ、信じる信じないは其方の勝手だ」
冥浄陸雲は嘲笑うようにして再び半月を眺め、静汪は手渡された札をまじまじと見つめた。
「使う事が無ければそれが一番だ。だが、もし人々が苦しみで亡くなった時、その怨恨が積もりに積もった時に、その札はきっと役に立つだろう」
微笑みながら話す冥浄陸雲の言葉が本当なのか嘘なのか、静汪には判断が付けられなかった。いや、そもそも理解出来ていなかったというのが正しいのだろう。
「……冥浄陸雲さんが何を言っているのか、私にはよく分かりません」
「はぁ……つまりだな、それは亡くなった人々を救う為のお札であり、亡くなった人々を消す為のお札だということだ」
「消す……?」
冥浄陸雲の妙な言い回しに静汪が眉をひそめる。
「怨恨でこの世に縛られた人々を救うには、一度この世との鎖を絶ってやらねばならんのだよ、少年」
「鎖を絶つ?」
「この村の人数なら使う必要はないがな。ただ、数百数千の魂が地上を彷徨う時がもしあれば、そのお札が必ず役に立つだろう」
「……」
子ども心をくすぐるような内容と美しく輝く月夜、宵の更けた空気感は、独り身になった少年の心を惹き付けるには十分過ぎる材料だった。
静汪は気が付けば冥浄陸雲の言葉に自ら耳を傾けていた。
「どうやって使うのですか?」
「お札を額に貼って村や土地を訪れて祈る。そうすることで無念の死を遂げた者達の霊魂がそのお札に集まるのだよ」
静汪の目は少しずつ輝き始める。
「集めた後はどうするのですか?」
「――札を飲み込んだ後に命を絶つ」
冥浄陸雲は真直ぐ静汪を見つめて言い放った。最後の結末に静汪は沈黙していた。
「……」
遊び道具を取り上げられた子どものように落ち込む静汪。その様子に男はただ静かに少年を慰めた。
「だから、使わないに越した事ことはないのだよ」
「……しかし、なぜそのような札を私に?」
質問に対して、冥浄陸雲はニヤリと片方の口角を上げた。
「言っただろう、運命だと」
「運命?」
「ああ、運命だ」
「……」
「ふふっ、もう少し詳しい説明をしてやろう」
冥浄陸雲はその後、静汪の記憶に刷り込むように札の使い方を教えた。
まず、この札は非業の死、無念の死、怨恨の死、この世に縛り付けられた者達を閉じ込めるまじないをかけた札だという事。集めた魂は量にもよるが、長引かせると散ってしまうという事。
手順としては魂を集めた後、札を飲み込み死ぬことで完了とする。ただし、飲み込むときに札を丸めてはいいが、千切ってはいけない。欠けてもいけない。中止した場合でも、集めた本人にはそれ相応の災いが訪れる。
そして、額に付けた札は基本的に外さない。地面に落としてはいけない。落とした場合、札の効力は失われ、集めた霊魂は散り散りになってしまう。
「――以上だ」
「……」
聞き終えた静汪は興味と疑心が半々で満ちていた。疑いの晴れない冥浄陸雲に対して、静汪は呟くように問いかけた。
「これが本物だと、貴方が本物であるという確証はあるのですか?」
疑いの眼差しを向けられた冥浄陸雲は不敵に笑う。
「……では、其方にまじないをかけてやろう」
「まじない?」
「動かずじっとしておけ」
冥浄陸雲は静汪に近付くと額に手を当て、呪文めいたものを唱え始めた。
「――かの者、人と同じ道を生きて別の道を歩む者なり。世俗との別離、死者に最も近い道を歩む者なりや。魂は此処にあって此処にあらず、その身とその魂は本人の為にあらず。
――かの者、他者の為に存在価値を見出す者なり。生きとし生ける者全てを慈しみ、弱きを助け守ろうとするであろう。
――かの者、死者を導く者なり。海のように広大であり、全てを包み込み、全てを攫っていくであろう。
――かの者、生者を導く者なり。唯一無二の存在にして、全ての人々の宝となる存在となるであろう。この者の死は幾千もの死と共にあり、この世からあの世に導く架け橋となるであろう。
――また、かの者は『者』であり『物』である。この者の死は死者に解放をもたらし、そして、残された者達には静寂をもたらすであろう――」
頭に沁み込んでくるような言の葉に、静汪は頭痛と眩暈がした。
「よし、動いて構わんぞ」
冥浄陸雲の手が離れた瞬間、縛りがふっと解けるような勢いで静汪は横たわった。頭の中がぐつぐつと煮え滾るような感覚と痛みに、静汪は頭を抱えて苦しそうな表情で呟いた。
「こんな物騒な――」
「さてと、これからお前が名乗る名前を私が授けてやろう」
冥浄陸雲は静汪の言葉を遮った。静汪が目を向けると、明らかに今までとは違う雰囲気の男がそこには座っていた。威圧ではなく、威迫するような圧が静汪に襲いかかる。
「何を、言っているのですか……」
歪む視界から必死に冥浄陸雲を捉えて問いかけるが、その声はか弱かった。それとは逆に、冥浄陸雲は目上の者に報告するようにきっぱりと静汪に告げる。
「静汪という人物は今ここで村人達と共に死んだ」
「何を……言って――」
「これから其方の名を静汪改め、海宝とする」
冥浄陸雲は断言した。
「……海……宝?」
「海のように、いつでも死者を丸呑みにしてあの世へと導くことが出来る、陸に存在する宝、其方の新しい名だ」
辛い表情を浮かべる少年は不意に笑みを浮かべた。
「……その意味合いは……あまり、好きになれませんね……」
「ほう」
否定的な態度をとる静汪に、冥浄陸雲は顎に手を添えて思案し始める。与えようとする言葉を選んでいたその時、先に口を開いたのは静汪だった。
「……人々の怨恨を、無念の魂を、共に流れて清めるもの……全てを……包み込んであるべき場所へと……帰すもの……」
「……ふむ、悪くない」
「……ありがとうございます」
感謝を述べた静汪に、冥浄陸雲は優しく微笑んでいた。
「では眠るがいい」
冥浄陸雲はそっと静汪の視界を塞ぐ。
「待って……最後に……」
静汪が何と言おうとしたのかは誰にも分からない。少年はただ、優しい温もりに誘われ、深い眠りへと落ちていった。
物語も佳境を迎えようとして、後はいい塩梅に着地致します!
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