シンガン×シンガン
【第四章 シンガン×シンガン】
薄曇りの空を眺めて、幾度目かになる溜め息を吐く。
鈍色の雲はさながらこちらの心情を映したかのように暗く、どんよりと五月終盤の空を覆っている。
高校に入学してからはじめての中間試験も終わり、教室にはどこか解放されたような雰囲気が漂っているが、どうにも俺はそんな気分にはなれないでいた。
その原因というのが……
「……それでさ、ラムニーがラジオで寂しそうに言うんだ。『ヤマンマくん、なんで前のサイン会に来てくれなかったの?』って。
あのさ、行ってるんだよね、おれ。そのサイン会。
どう思う? デビュー前からのファンに対してこの雑な扱い――――最高だろう? やっぱりラムニーはこうでなくっちゃ。彼女に路線変更させなかった事務所の決定は、まさに英断だったとおれは思うね」
延々と意味のわからない話を垂れ流し続けるこの男、有栖川大和。
放課後になってからずっとその『ラムニー』とかいう声優のラジオ番組の話を聞かされているのだが、俺はたぶん内容の一割も理解できていないと思う。処理しきれない情報を与えられ続けた脳がそろそろストライキを起こしそうだ。さっきから負荷がものすごい。
クセのある猫っ毛と華奢な体格、低身長に柔和な細面が相まって、私服だと七割ぐらいの確率で女と間違えられる変人一号のこいつは、とても悲しいことに俺の昔なじみであった。
尚も水を得た魚のごとく話を続けようとする声を遮って、俺は訊ねる。
「……なあ。お前の用事ってのは、その無駄話か? もしそうなら俺はいますぐ帰るが」
「違うよ。これはおれが単にラムニーの素晴らしさを語りたかったのと、暁彦に軽くいやがらせをしたかっただけ」
「引っ叩くぞ」
堂々と言ってのけた馬鹿にドス黒い感情が湧き上がる。
しかし、大和はとくに反省する様子もない。
相変わらずの飄々とした顔で、くいっと教室の扉を指差した。
「暁彦にお客さんだよ。……ずるいよね。人が応援してる声優にいたぶられてる間に、一人で青春を謳歌してるなんてさ。あんな大物をいったいどこで引っかけたんだい?」
……はあ?
言われた意味がわからず、指差された方に目を向ける。
そこには――――あまりにも長く待たされすぎたせいか、涙目で挙動不審な動きをする女子生徒の姿があった。
「ちょっと人見知りみたいだね。遅くなったけど紹介するよ。Eクラスの図書委員で……」
「あああああアホかお前は――っ!?」
この期に及んでまだ話し続けようとする馬鹿を押し退けて、なんだかかわいそうなことになっている女の子のもとへ急いだ。
◇
「……やっと、会えた」
どうにか落ち着かせた彼女が放ったのは、そんな希望に満ちたような第一声だった。
……どこかで会っただろうか?
俺と同じ学年であることは見ればなんとなくわかる。まだ高校の空気になじみきれていない雰囲気だ。たぶん、他人から見た俺もこんな感じなのだろう。
肩より上で切り揃えられた短い黒髪、痩せ型の細い手足…………それと、結構かわいい。まだあどけなさが残るものの、あと何年かすれば美人になりそうな顔立ちだ。……まあ、びっくりするぐらい無表情だが。
観察してみたものの、いまだにピンとこない。
なんだろう、会った気がする。しかし、いつどこで会ったのか思い出せなかった。こう、ちょこちょこと記憶の端の方に当たるような。歌詞はいくつか思い浮かぶけど、タイトルとバンド名が出てこない時のような、もどかしい感覚――
あれ………………いや、待てよ?
「暁彦、突き飛ばすなんて酷いじゃないか。そんなに慌てなくたって、霧小路さんは逃げやしないよ」
ふらふらと教室から出てきた大和がそんな風に冷やかして――時間が止まった。
「あ……お、お前……」
「なんだ、知ってるの? 彼女、新屋って名前の男子を探してるって言うからさ。それならおれの大親友だよってことで、連れてきてあげたんだ。いやー、おれの情報収集能力も、名家のご令嬢にまで知られるところになったかと思うと鼻が高いよ」
隣で大和がなにかふざけたことを言っているが、まるで頭に入ってこない。
――霧小路、潤……。
そうだ。彼女だ。…………あの、武装ゴスロリの。
化粧を施して赤い巻き髪のカツラをかぶせ、ゴテゴテした鎧つきのドレスを着せたら、なるほどあの時の書店で万引き疑惑をかけられた少女ができあがる。
「…………どうして気づかなかった、俺」
「どうしたんだい暁彦、顔色が悪いじゃないか。もしかして、霧小路さんに弱みでも握られてるのかな? きみの後ろ暗い情報ぐらい、おれも山のように掌握してるから、あんまり気にするなよ」
「よ、弱み……っ? ち、ちが……」
「大和、お前はちょっと黙ってろ」
拳を握ると、大和は笑いながら身をかわした。
どうせいつもの悪ふざけだ。真剣に相手をすればこちらの精神が無駄にすり減ってしまう。
……肺が裏返るような溜め息を一つ。
俺は、無表情のまま器用に慌てふためく少女に向き直った。
「それで、霧小路さんはなんの用だ? ……ていうか、この学校だったのか」
「う、うん…………あの、ライオンの女の子が、同じ高校の制服を着てたから……新屋くん、も、ひょっとしたら、と思って……」
ああ……まあ、そうなるか。
本当になんであの人はずっと制服なんだろう。
答えのわかりきった疑問だ。けれど、そう思わずにはいられない。
……うっかり嫌なことまで思い出しかけて、急いで意識を引き戻す。
「どうしても、ちゃんと、お礼を言いたかった。あの時は、助けてくれてありがとう」
「もう礼ならさんざんされたと思うんだが…………あれ、そういえばなんか喋り方おかしくないか?」
本来ならあっちの方がおかしいのだろうけど、それは言わない方向で。
気になって訊ねると、霧小路さんはサッと顔を逸らす。
「……ふぁ」
「ふぁ?」
「…………ファッション、だから……」
はあ……? ファッション?
……というと、なにか。霧小路さんは、服装に合わせてあんな口調だったってことか?
そう主張する割にはどうも様子がおかしい。
無表情のまま冷や汗をだらだら流す少女を眺め――思いついた。
「あの格好…………周りには秘密にしてるのか?」
「っ!?」
薄い肩がビクゥッと跳ねる。
心なしか、汗の量が増えた気がする。
「ファッションねえ……」
「あの、あの…………みんなには、内緒にしてもらえると、うれしい……」
焦った様子の霧小路さんがにじり寄って来る。
恥ずかしいのか、あの格好。その割にはずっと一人称が『われ』だった気もするが。
まあ別にバラすつもりなんて最初からない。
安心してくれ、と返そうとしたところ、隣からポーンと甲高い電子音がした。
さっきから静かだった大和である。
なぜか真顔のやつは、こちらにスマホのレンズを向けていた。
「……大丈夫。おれは、幼なじみのお姉さんに、弟が同級生の女の子を脅迫していかがわしい行為をさせようとしてますよって、犯罪の映像証拠を送ってるだけだから……」
「いかがわしいのはお前の発想だよ!!」
こいつは本当にロクなことしないな!
その後、逃げる大和を捕まえて動画を消去させるのに無駄な体力を浪費した。
勘弁してほしい。どうしてこうも俺の周りで面倒なことばかり起きるのか。
一週間前に異国の少女から告げられた言葉が脳裏をよぎって、うっかり泣きたくなった。
ああ……俺の平穏な日常がどんどん遠ざかっていく。
…………あと、霧小路さんがさりげなく距離をとったのは、地味に傷ついた。
◇
廊下で立ち話もなんなので、人のいない場所まで移動することになった。
とはいっても、霧小路さんが所属しているというクラブの部室だが。
「なんの部活なんだ?」
「……歴史、研究部」
またずいぶんとおカタそうな部活だな。
霧小路さんの話によると、四月に入部した時点で部員は一人しかいなかったそうだ。
その二年の先輩とやらも『アルバイトがしたいから』という理由で辞めてしまい、現在は霧小路さんだけが唯一の部員なのだという。
彼女は徹底的に人間関係の縁がないようだ。
なんというぼっちマスター。
なんだかこっちまで悲しくなってきた。
「部員、ぼしゅーちゅう……」
「う、うーん……そうは言ってもなあ」
「入ってあげなよ、暁彦」
無茶を言うな。
兼業主夫じみた生活を送る俺にそんな時間はない。
そもそも歴史にだってそこまで興味はないのだ。好きでもない分野を研究して、俺にどうしろというのか。
「ついた……ここ」
そう言って彼女が指差したのは、社会科準備室――のさらに奥にある、倉庫の扉だった。
「物置じゃねーか……」
「いや、歴史の研究ならまだメリットも……」
などとうわ言のように呟く俺と大和をしり目に、霧小路さんが鍵を開ける。
扉の向こうには、いくつかの棚と大量の紙、そしてどんな用途で使うのか想像もつかないようなガラクタが、所狭しと押し込められていた。
その中にちょうど一人分だけ通れるようなスペースがある。
「がんばって、片づけた……」
もはや返す言葉もない。
沈黙した大和と二人、目頭を押さえながら細い通路を進む。
「……狭いけど、座って」
見えたのはオンボロの椅子とソファーとテーブル。
しかし、どちらも一目ではそうとわからないような花柄のカバーがかけられ、テーブルの上には一輪挿しの花が飾られている。
綺麗だ。見た目より空気が埃っぽく感じないのは、こまめに掃除されているからか。
――いつでも新しい部員を迎えられるように。
そんな気持ちが、精いっぱい整頓された部屋の隅々から伝わってきた。
ここで彼女は活動しているのだ。
入学してからずっと。
…………ずっと、一人ぼっちで。
「ねえ!! 入部してあげなよ!?」
「あ、ああ…………いや、ちょっと時間をくれ……すぐには決められん」
いつになく大和が必死になっていた。
あまりにも悲惨な状況に珍しく同情したらしい。
こいつにも人の心があったということか。
「お前はどうなんだ。写真部とかけ持ちはできないのか?」
「できるならそうしてあげたいけど……無理だね。うちの高校、部活のかけ持ちは原則的に禁止だから」
くっ、頼みの綱が封じられたか……。
俺たちの通う幸ヶ瀬高校は、それなりに部活動の盛んな高校だが、そのせいか目的のよくわからない部活も雨後のタケノコよろしく乱立している。
部活間のかけ持ちの禁止は、言ってみればそんな目的不明のクラブを簡単に成立させたくない学校側の目論見もあるのだろう。
つまるところ、名前だけの幽霊部員を認めないということだ。
大和の説明によると、部として承認されるには最低四人の人員と活動実績が必要で、このままでは霧小路さんの歴史研究部は同好会に降格か廃部にされる可能性があるとのこと。
そうなればこの部室も取り上げられてしまう。
とはいえ、俺一人でどうにかできる問題でもないと思う。
仮に俺が入部したとして、存続にはあと二人以上の加入が必須条件なのだ。
入学からすでに二ヶ月がすぎようとしている現在、やる気があって部活の決まっていない人間の方が少ないだろう。そしてその少数派は往々にして肚を決めた帰宅部だ。俺みたいな事情の生徒もあまりいないだろうが、もしバイトなどしていれば部活には参加できまい。
この時点で状況はすでに詰んで……
「……いや、一人だけいるか」
まだどこの部活にも所属していない人間。
その彼女はいま、学校にすら来ていないわけだが。
「新屋くん。訊きたいことが、ある」
そんな声に意識を引き戻される。
顔を上げると、霧小路さんが人数分の紅茶とお茶受けの菓子を出してくれていた。
…………いい人だよな。
ちょっと普段着の趣味が変わってるというだけで。
隣の大和から送られる「入部してやれよ」という視線を手で追い払い、向かいのパイプ椅子に腰かけた霧小路さんと向き直る。
「訊きたいことってなんだ?」
「……織目さんの、こと」
……ですよね。
内心で嘆息する。
俺を探したというなら、織目さんのことだって探したはずだ。
当然、彼女の現状にも気づいただろう。
「織目さんは、どうして学校を休んでいるの?」
「わからん。俺もあの人とはたまたま知り合ったばかりなんだ」
本当は、原因の一端を知っている。
しかしそれをここで明かすわけにもいかない。
気安く説明するには、織目さんの抱えている事情はあまりにも重すぎた。
「そっちはなにか知らないのか? 織目さんは、あんたの家のことを知ってたみたいだが」
「……父に聞いてみた。けど、付き合いのある家に、織目という人はいなかった」
「そうか……」
この分だと、入霞の中学出身ということもなさそうだ。
さっきから空回り気味の頭が、意図せずミシェルの言葉を再生する。
――捨てられたの、あの子…………自分の家族からね。
詳しい真相はまだ知らない。
あれ以来、織目さんとは一度も顔を合わせていなかった。
……ただ会ったところで、なにを話せばいいのかもわからないが。
『家族に捨てられたって本当か?』とでも訊けばいいのか……馬鹿な話だ。ありえない。
そもそもミシェルが信用に足る人物とも限らないのだ。与えられた情報を鵜呑みにするのは早計だろう。
「織目さん、か……あの人の存在も謎だよね」
ティーカップを置いた大和が、そんな風にぽつりとつぶやいた。
「やけに含んだ言い方だな。まさか情報があるのか?」
「いいや、ないよ」
「チッ……この役立たずのドブネズミが」
「ねえ、暁彦はおれの時だけ対応が酷いと思うんだけど、気のせいかな?」
そんなことはない。もしそう思うのだとしたら、それはお前の日頃の行いが悪いからだ。
心から反省してほしい。
「別に弁解したいわけじゃないんだけど、一応はおれも探したんだよ? だって気になるじゃないか。――誰も姿を知らない謎の女子高生! その正体やいかに! ……ってね。
世界の真実の姿を追い求める写真愛好家の一人として、こんなネタは見すごせないよ」
大和………………それはマスコミとか、そういう職業の活動目的じゃないか?
お前は単純にゴシップだの都市伝説だのの噂話が好きなだけだろう。
下世話な趣味を高尚な理念みたいに詐称するんじゃない。
咎める俺の視線は、しかし、大和にすっぱりと無視される。
この野郎……。
「……けどさ、探してみるとこれが本当に見つからないんだ。
ここは一般の公立高校だよ。学区内の中学生なら誰にでも入学資格がある。何年か前に学区が再編されてから、範囲もずっと広くなったはずだ。たしか入霞の地域もそうだったよね?」
視線を向けられて、霧小路さんはこくりと頷いた。
その話は初耳だった。
もしかしたらどこかで聞いたのかもしれないが、拡大された範囲がどの地域まで及んでいるのかなど、最初から近場で高校を探すつもりだった俺は憶えてすらいない。
「これだけいろんな場所から生徒が集まって、なのに誰も『織目さん』を知らない。
……暁彦、これはミステリーだよ。一人の女の子の痕跡が、それこそ跡形もなく消えてるんだ。おれの方こそ訊きたいね。――織目さんってのは、何者なんだい?」
その問いに、俺は答えられなかった。
アンティークに詳しい高校生。
ライオン頭の変人。
希代の人形師。
……――家族に捨てられた、かわいそうな女の子。
彼女を構成する情報はちぐはぐで、そのどれもが断片的だった。
――まるで穴だらけのパズル。
絵を完成させるには、まったくピースが足りていない。
「……わたしは…………織目さんに、学校に来てほしいと、思う」
そんなつぶやきが聞こえて、顔を上げる。
見えたのは、どこか思い詰めた表情の霧小路さんだった。
「そういえば霧小路さんも会ってるんだったね。どうして、そう思うんだい?」
「織目さんが……寂しそう、だったから……」
「……寂しそう?」
「なんとなく、だけど」
彼女はテーブルをじっと見つめたまま、たどたどしい口調で告げる。
「……わたしが怒鳴られた時、織目さんは、間に立ってかばってくれた……とても、いい人……もし、織目さんが困っているのなら…………次は、わたしも、助けたい……」
驚いた。
……この人は、たった一度会っただけで織目さんの現状を見抜いたのか?
当然、詳しい事情など知るよしもないだろう。俺だってミシェルに話を聞かされるまでは想像さえしなかった。
鋭い観察眼だ。
ともすれば、それだけ人の気持ちに敏感なのか。
そして俺の中にも、すとんと腑に落ちたことがある。
「寂しそう、か……」
……共鳴か、共感か。
いずれにせよ、俺は霧小路さんとよく似た感情を抱いていた。
それはひょっとすると、織目さんも同じだったのかもしれない――
……埒もない思考を絶って、意識を浮上させた。
いくら考えたところで、これはただの憶測だ。手がかりの情報も、それをたしかめるすべもなく、俺が彼女たちにしてやれることもない。
自分の心には自分で折り合いをつけるしかないのだ。
そのことは、きっと誰よりも俺が理解していた。
不思議そうな顔をする二人には、「なんでもない」と首を振る。
無意識に触れたティーカップはいつの間にかすっかりぬるくなって、紅玉の水面に小さな波紋が広がった。




