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獅子とアンティーク  作者: 結木さんと
第8章 獅子とアンティーク
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獅子とアンティーク 3









 孫娘に呼ばれたお祖父さんは、すぐ居間に顔を出してくれた。


「なにかお話があるそ……大丈夫ですか?」


 白髪混じりの眉が顰められる。

 対する俺は「大丈夫です」と――――額に冷却シートを貼られ、腋の下にタオルでくるんだ保冷材を挟まれ、左右から織目さんと芳倉さんに団扇で風を送られながら、頷いて答える。


 弁明したいのだが、本当にもう体調は回復したのだ。

 十全とは言わないものの、会話するぐらいなら問題ない。

 原因は過保護な桂姉、心配症の織目さん、それに悪ノリした蕗と大和である。

 身体を冷やすのはいい。湯あたりの処置として納得できる。

 ……だが、両隣で扇ぐ係はなんだ? 石油王なのか?

 なぜすぐそこにある扇風機を回さない。よその家でよくわからないネタに巻き込まないでくれ。老紳士なお祖父さんが真顔で困惑してるだろうが。


『あの……もしかして、私はおかしなことをしているのですか?』

「気づいてなかったのか……」

「ええっ!?」


 芳倉さんが驚いて手を止める。

 そうか…………この子も残念なんだな。

 とりあえず二人に離れてもらって、正面に腰かけたお祖父さんに目を向ける。


「教えてもらいたいことがあるんです」

「ええ。私にわかる内容でしたらお答えしますよ」

「ありがとうございます。じゃあ……この辺りに、かつて刑場がありませんでしたか? あるいは牢屋のようなものが」


 率直な質問に対して、お祖父さんはわずかに目を開いた。

 この反応は当たりだろうか。ともすれば俺の願望かもしれないが。

 確信を持てないまま返事を待っていると、一つ息をついた老紳士が、どこか諦念を感じさせるようにゆっくりと口を開く。


「……誰かに聞きましたか」

「いえ、ただの推論です。というより、希望的観測なんですけど」


 俺はここに至るまでの経緯を簡単に説明した。

 先に大和に伝えていたので、要約した内容をなぞるだけで済んだ。

 説明を聞いた霧小路さんの祖父は「困りましたね……」と、ばつの悪そうな苦笑を浮かべる。


「その話は外に広まらないよう、限られた者だけで内密に処理してきたんですが……」


 周囲から驚いたような反応が上がった。

 最も顕著なのは孫の霧小路さんだろう。自分の生まれ育った土地に、罪人を裁く施設があったことをはじめて聞いたとあっては、驚くのも無理はない。

 言葉を失くした孫娘を見て、温厚な祖父は困ったように眉尻を下げた。


「誓って後ろ暗い理由はありません。たしかにこの入霞には、刑場として建設予定の施設が存在ました……ですが、そこは未完のままなくなったのです」

「……なくなった?」

「古い話ですので、私も伝え聞いたことしかわかりませんが」


 前置きをして、記憶を探るように顔を上向ける。

 ほんの短い沈黙のあと、凪のように落ち着いた声が、入霞に隠された歴史を語りはじめた。


「その施設を建てはじめたのは、江戸時代の末期だったそうです。政治犯を収容する牢も兼ねていたらしいのですが、維新が成り、新政府の樹立に伴って起きた戊辰戦争の折に、余波を受けたこの地方でも暴動が起こりました。その際の火事で、牢屋になるはずだった施設は丸ごと燃えてしまったと聞いています」

「あのー、使わずになくなってしまったのなら、別に隠さなくてもいいんじゃ……」


 芳倉さんがおずおずと疑問を口にする。

 もっともな意見ではある。だが、それは――


「使わなかったからこそ隠したいのよ」


 答えたのは、平静な面持ちのミシェルだった。


「え、えっと……どういうこと?」

「ここは観光地なのでしょう? 歴史的価値のある建物ならまだしも、すでに実物が消失した処刑場の存在なんてなにも利益を生まないもの。死者が出ていなければ宗教的な手続きも必要ないでしょうし、外聞を考えるなら隠した方が得策だわ」


 淡々とした解説を聞いた芳倉さんは、目を白黒させながら「な、なるほど……」と頷く。

 まだミシェルの物言いに慣れないのか。しかしよく考えればこの中で初対面なのは彼女だけなので、当然の反応ではある。

 むしろ誰が来てもまったく動じない桂姉の方が異質な存在だろう。


「お恥ずかしながら、その通りです。自治体で処置が決定したあとは、残された資料はすべて我が家で管理してきました」

「霧小路さん。差し支えなければ、刑場がどこにあったのか教えてもらえませんか?」


 お祖父さんがこちらに顔を向ける。

 その双眸からは、迷うような感情が読み取れた。


「わかりました……しかし、本当になにもない場所です。探しものをするには向かないように思いますが」

「それでも、たしかめておきたいんです」


 まっすぐに深い色の瞳を見返す。

 また空振りかもしれない。それはもう覚悟している。

 けれど、躊躇する時間はなかった。ここで動かなければ、あの老婆に警告された通りの未来が現実になりそうな気がした。

 そんな俺の焦りを見透かしたように、お祖父さんは柔和に目を細める。


「道順を教えます。すこし入り組んでいますが、潤ならわかるでしょう」

「……任された」


 霧小路さんが胸を張る。

 微笑ましいその姿に、肩の強張りが若干ながら緩むのを感じた。

 気を抜くにはまだ早い。

 それは重々承知しているものの、ようやく見えた手がかりの可能性に、すくなからず安堵する。


「暁彦君は、魅力的な人ですね」

「あ、はい…………え?」


 ……褒められたのか? いま……な、なぜ?

 唐突なできごとに困惑する。

 しかし、霧小路さんの祖父はやわらかな笑みを浮かべるだけで、答えを明かす気はないようだった。


「あまり無理をしないようお願いします。あなたが倒れたら、周りの人も、うちの潤も悲しみますので」

「は、はあ……」


 よくわからない。心配されたのだろうが、このタイミングでそれを言うのはどういうことだ。

 そしてなぜ霧小路さんは祖父を乱打しているのか……。

 本気じゃないにしても、老人に暴力を振るうのはやめた方がいいと思う。




 お祖父さんが退室したあと、すでに中学生組が眠りかけていたこともあり、明日の予定の打ち合わせもそこそこに割り当てられた部屋へ戻ることになった。

 同室の大和とも長く会話を交わすことはなく、しばらく沈黙が続いたかと思えば、すぐに子供みたいな寝息が聞こえてきた。

 いつも無駄に賑やかなやつだが、さすがに体力の限界だったらしい。


 静かになった部屋の中で、俺は布団に寝転がって真っ暗な天井を見上げる。

 ……これで、すこしは前に進めただろうか?

 相変わらず先行きは不透明なまま。選んだ道がはたして正解に繋がっているのか、いまだに確信を持てずにいる。

 いくら悩んでも結果は明日までわからない。

 どう動くかはその場で得られた情報次第だろう。

 堂々巡りの思考を遮って目を閉じる。



 しばらく待ったが、やはり眠気は訪れそうになかった。



        ◇



 翌日の朝は、初夏とは思えないほど肌寒い薄曇りだった。

 まだ梅雨が明けきらないとはいえ、ここまでくると季節感が狂う。油断しているとうっかり風邪をひきかねない。

 念のため持ってきたジャケットに袖を通す。

 忘れものがないことを確認した俺は、一番最後に無人の客間を出た。




 はじめて踏み入る朧森は、曇天のせいかやけに薄暗く見えた。いっきに気温が下がったような気がして、上着のファスナーを閉める。


「……道は、こっち」


 霧小路さんの案内で、静まりかえった森の中を進む。

 ここはたしか『月虹(げっこう)』とやらが見えたという湖の跡地に向かう道だ。小金井さんが地図に沿って教えてくれたおかげで記憶に残っている。

 夜烏(よがらす)の名がついた川を上り、大小二つの池を通りすぎた。

 両脇で草木が茂る道の途中に、古い祠が見えた。

 この褪せた切妻屋根の小堂が、例の御善乃様(みよしのさま)を祀る社殿なのだろう。いまにも崩れ落ちそうに朽ちた外観だが、どこか厳粛な気配が漂っているようにも感じられる。


「拝んでおくかい? 必勝祈願にさ」

「……いや、必要ない」


 本気とも冗談ともつかない大和の提案に首を振る。

 そちら方面の人間には申し訳ないが、俺は神仏の類を信じていない。初詣もクリスマスも家族行事の一環として参加する。受験前の願掛けはしなかった。

 大和も俺の信心の薄さは知っている。そもそも、こいつ自身も合格祈願の参拝に行かなかった少数派の一人だ。俺が拒否することは把握していただろう。やはりジョークのつもりだったのか「だろうね」と当たり前のように笑った。


 そんな無益なやりとりを交わす間に、一行は荒れた細道に入っていた。

 小金井さんが言った通り、この先を頻繁に人が訪れることはないようだ。一応は通れるようになっているものの、だんだんと足場が悪くなっていく。

 道にはみ出した葉を払いながら歩くと、小さな池があった。教えられた順番だと、これが巣鷺池(すさぎいけ)なのだろう。

 口数すくなく進むうちに、今度は中規模の池が姿を現した。


「これが、朧森ため池……月の虹のおひつじ池跡に行くには、あっちの道を使う……けど、おじいちゃんが言ってたのは、こっちの道」


 先頭に立った霧小路さんが右手の脇道を指差す。

 さっきの散策コースとの分岐点とは違い、どっちも大差ない寂れ具合だった。

 そろそろミシェルや蕗あたりが文句を言いだすかと思ったが、予想外に二人はおとなしく案内に従っていた。


 奥へ進むにつれて森の匂いが濃くなる。

 自然繁殖した草と土の湿った匂い。

 途中でまた一つ池が現れた。


「ここの鴇忘池(ときわすれいけ)を越えて、五百メートルほど進んだところが、牢屋の建設予定地」

「へえ、そんな名前がつくってことは、この森には鴇も来てたんだ?」

「ずっと昔のこと……大お祖母様が子供の時、一度だけ見たらしい」


 どれぐらいだ、それ。八十年は前だろうか。

 しかし、なるほど……だから鴇忘れ、か。

 ひょっとするとこの地の諸々に名をつけた人は、失われていく景色を名称にして残したのかもしれない。

 もちろん憶測だし、たしかめる気も起きはしないが。


 そうして辿り着いたのは、広く拓けた場所だった。野原というには土の露出が多く、周囲を覆う背の高い草も野放図に生えっぱなしになっている。

 当然ながら、牢獄だった頃の痕跡など微塵も残っていない。


『本当に、なにもありませんね……』

「予想はしてたけどな」


 見事な荒地だ。範囲も広い。学校の敷地の三分の二はあるだろうか。

 仮にここに手がかりがあるとして、探す時点で苦労しそうだ。


「それで? わたしたちはなにを探せばいいのかしら」


 腕組みしたミシェルが訊ねる。


「一年前に獅賀貴嗣がここになにかを隠したのなら、見ればそうとわかる目印も残っているはずだ。とりあえずまだ新しいものや、違和感がある場所を見つけたら教えてくれ」


 我ながら曖昧な指示だが、今回は文句も出なかった。肩をすくめたミシェルは荒れた空き地を歩きはじめる。

 もしかすると気を遣われたのかもしれない。


「せめて、建物の見取り図でもあればな」

『見取り図、ですか?』

「遺言の二列目は“死を臨め”だっただろう。牢獄に収容された罪人が死を意識する場所といえば、まあ間違いなく処刑場だ。それがどこにあるかさえわかれば……」

「申し訳、ない……うちには、そこまで詳しい資料はなかった」

「いや、別に霧小路さんは悪くないよ」


 ……どうも責任を負いたがる人間が多いな。

 根が真面目で誠実なのだろう。ただ生きる上では非常に苦労しそうだ。俺が言えた立場でもないが、この不器用な人たちの行く末が若干不安になる。

 などと苦いものを飲んだ心境になりつつ周囲を探っていると、茂みから「あーっ!」と騒々しい声が響き渡った。

 な、何事だ?

 泡を食って目を向ける。

 勢いよくガサガサと草をかきわけて、蕗が飛び出してきた。


「アキにぃ! 発見! たぶん、すごいの見つけた!」


 興奮した様子の蕗が叫ぶ。膝小僧や頬を土で汚したその姿は、さながら男子小学生か好奇心旺盛な子犬のごとし。背後にぱたぱたと振れる尻尾が見えるかのようだ。

 いったいなにがあったのだろう。

 不安と期待を感じつつ、「早く早く!」と手招きする妹の元へ足早に向かう。



「ほら、これ見て!」


 蕗に続いて茂みにわけ入る。

 小さな指が示した先、まるで崩落したように土砂が散らばった中から、大きな石の塊が顔を覗かせていた。

 背後には抉れた盛り土の小山がある。となると、この四角い岩は埋められていたのか。あるいはなんらかの原因で埋没したものが、たまたま出てきたのかもしれない。

 石塊の表面には所々に苔が生している。新しいものではないようだ。

 そして隙間から覗く部分には、あきらかに人の手によって彫られた文字が見えた。


“無量寿”


 土砂を払うと、かろうじてそんな言葉が読み取れた。


「これは……墓石か?」

『仏石か、無縁仏でしょうか……』


 覗き込んだ織目さんから意見が上がる。

 無縁仏というと、たしか供養する人がいなくなった墓のことだったか。


「このムリョウ、ジュ……? ってのは、なんだ?」

『阿弥陀如来のことです。阿弥陀仏の寿命が無量、つまり永遠であることから、無量寿とも呼ばれています……他に個人を示す記述がないので、おそらく身寄りのない方のために作られた石碑ではないかと』

「不法投棄かな? 廃墟や山奥の心霊スポットなんかにはよくあるよ。捨ててあるのが一つだけってのはすこし変だけど」

「なんで変なの?」

「この手の犯罪は、だいたいが回収業者の仕業なんだ。再利用するからって工賃だけせしめておいて、管理されなくなった墓石はバレないところに捨てちゃう。そういう場所に行くと山積みになってたりするね。たぶん、業者が集めたのをまとめて放棄してるんだと思うけど」

「詐欺じゃん!?」

「そう。まさに“罰当たり”ってやつ」


 ……ふむ。

 やりとりを聞いて、考える。

 わざと捨てたのではないとすれば、この墓石は元からここに置かれていたことになる。位置や盛り土の抉れ方を見る限り、露出したのはつい最近というわけではないだろう。となると、かなり昔に埋まって、時間の経過とともに現れたということか。

 無縁仏の墓を建てる理由は、この場においてならもっともらしいのが一つある。


「刑場は火災で潰れたと言ってたな……その時、亡くなった人のものかもしれない」


 だとするなら、ここに墓石を設置した人がいるということだ。

 俺は顔を上げて霧小路さんを見た。

 それで言いたいことが伝わったのか、彼女は神妙な面持ちで頷いた。


「この地域、お寺は二つ……おじいちゃんに、聞いてみる」


 もしかしたら、これで当時のことがなにかわかるかもしれない。

 新たな道の可能性に、知らず握りしめた手に力がこもった。



        ◇



 お祖父さんに連絡をとってもらったところ、二つの寺に当時の資料は残っていないとのことだった。無縁仏があることはお祖父さんも知らなかったらしく、随分と驚いていたようだ。

 また空振りかと落胆しかけたが……一つだけ、有力な情報を得ることができた。


 曰く、とある石材屋が問題の石碑を作った可能性が高い、と。


 どちらの寺も代々そこで墓石を注文しているそうだ。なんでも明治の初期頃から続く老舗らしい。

 店の場所を教えてもらったあと、返す足で件の石材屋に向かった。


「なにか見つかると思う?」

「わからん……だが古い店なら、昔の話を知っている可能性もある」


 答えはしたが、やはり場当たり感は否めない。

 現状はまさに五里霧中。足元さえあやふやなまま、見えない道を手探りで歩くような状況がずっと続いている。

 ……獅賀貴嗣はなぜこんな問題を遺したのだろう?

 足取りを追いかけるうちに、結局いつも同じ場所に辿り着く。

 そこは最終地点であり、出発点だった。

 まるで同じところを延々と回り続けているような感覚。

 どれだけ進もうとも、やがてふりだしに戻される――――


「……アキにぃ、大丈夫?」


 ふ、と。

 無意識から覚めた。

 気づかなかった。振り返って、不安そうにこちらを見上げる蕗に。

 何度目だ。

 ここのところ、やけに疲れが溜まっている……いや、いくらなんでも十五歳でそれはマズイんじゃないだろうか?

 オッサンじみた悩みに情けなくなりつつ、頭を振る。


「……すまん。昨日、ちょっと寝つきが悪かったんだ」


 はぐらかしたものの、蕗はまだ納得していないようだ。

 当たり前か。

 苦笑しながら、頭をくしゃりと撫でた。


「倒れるまで無理するつもりはないよ」

「……本当?」

「信用しろ。小さな子供じゃないんだから」


 そう言い聞かせる。

 前例があるだけに強くは出れない。しかし、もうあの頃とは違うのだ。さすがに自分の限界ぐらいわきまえている。

 なおも不満げな妹を宥め、足を前に進める。

 はじめて過ごす入霞の朝は、街全体がまだ眠っているかのように静かだった。





 住宅地を抜けた郊外に、その石材屋はあった。

 あれは商品だろうか。やたらと巨大な仏像が庭先に飾ってある。

 定休日で店舗は閉まっているようだ。

 ぐるりと塀を迂回して、住居に繋がっているらしい裏口を見つけた。

 今回は躊躇せず、呼び鈴を押した。

 間もなく対応しくれたのは若い女性の声だった。なんとなく温かみのある声に安堵しつつ、急な訪問の謝辞と手短に用件を告げる。

 やりとりを終えて待っていると、玄関の扉が開いた。

 出てきたのは、なぜかさっきの女性ではなく、痩せぎすの中年男性だった。


「これは珍しいな。霧小路さんとこのお孫さんだって?」


 愛想のいい声を向けられて、前に出た霧小路さんが緊張しつつ挨拶する。

 対する男も名前と役職を告げた。この石材屋の副社長らしい。職人というより、セールスマンのような風体の人物だ。


「生憎と親父は出かけていてね。うちの商品の話だったかな。私でよければ聞こうか」

「あの、石碑について、教えてもらいたい……です」

「石碑……?」


 首を傾げる副社長に、俺は霧小路さんに代わってスマホを差し出した。

 スライドして、順番に画像を見せる。


「……随分と古いね。これが朧森に?」

「鴇忘池の先の空き地にありました。見立てでは無縁仏のものらしいんですが、なにかご存知ありませんか?」

「うーん、ちょっとわからないな。これだけ古いと、うちで拵えたものかどうかも……」

「では資料は……帳簿で依頼元を調べることはできませんか」

「おいおい、いくらうちが老舗でも、そこまで昔のデータは残っていないよ」


 失笑した副社長が答える。

 ――返事が早い。

 なんだ。いま…………嫌な光景が、浮かんだ。


「……よく、朧森だとわかりましたね」

「は?」

「ここへ来てから一度も、石碑が見つかった場所の話はしてません……どうして、これが朧森の画像だとわかったんです?」


 一瞬、中年男の表情が歪んだ。

 ああ。

 やっぱり、そうか。


「そ、それは……」


 その反応ですべて理解した。

 胸の奥から、酷く、不快な音がする。


「――――ここに、獅賀を名乗る人間が来ませんでしたか?」


 空気が凍った。周囲で悲鳴じみた呼気がもれる。

 失態を犯した男の顔からは、血の気が引いていた。

 追い詰めたのはこちらだ。なのに、まるでそんな気分にはなれない。

 長い膠着のあと、返された答えは実にシンプルだった。


「……知らない」


 強い虚脱感に襲われる。もしここが自室なら、もうなにもかも投げ捨てて、倒れ込んでしまいたかった。

 呆然とする俺たちを一瞥した副社長は、気まずげな表情を隠すように背を向ける。


「用はそれだけか? なら、もう帰ってくれ」


 平坦な声で告げて、痩せた背中が遠ざかる。

 玄関の扉に手をかけた男は、振り返ることなく一度だけ立ち止まった。


「……家を出た息子が、嫁さんと小さな孫を連れて帰ってきたんだ……子供を育てるには金がいる。お得意さんは、これからも大事にせねばならん」


 それは贖罪のつもりだったろうか。

 独白じみた声だけ残して、拒絶するように扉が閉められた。

 彼は善人だったのかもしれないし、良心の呵責に耐えかねたのかもしれない。

 わざわざ言い訳などする必要はなかった。

 ただ「帰れ」と命じただけで、終わってよかった。

 取引があるのだろう裕福な名家の跡取りと、会ったばかりのどこにでもいる子供だ。重要性を比べるまでもないことぐらい、学生の俺にでもわかる。


 だから、そう。

 どうしようもない。

 この件はもう、努力次第でどうにかできる話ではなくなった。


 時刻は間もなく正午をすぎる。

 上がり続ける気温は、けれど夏の訪れを感じさせるほどの陽気はない。ただ湿っぽいだけの風が、じっとりと肌にまとわりつく。

 薄暗い空を、鈍色の雲がだんだんと覆い隠そうとしていた。


 ようやく見つけた道を完全に封じられた俺は、全身にのしかかる倦怠感を背負って、声も出せずに立ち尽くした。



        ◇



 霧小路邸へ引き返す途中……小川を跨いだ橋のすぐそばで、その車とすれ違った。

 曇りなく磨かれたメタリックグレーのスポーツカー。いかにも高級そうな外装が視界に入った瞬間、見覚えのある全員が足を止めて身構えた。

 しかし、車は速度を緩めることもなく、淡々と罅割れた道路を走り抜けた。

 行き違うつかの間、右側の助手席に座る男と目が合う。


 獅賀明臣は、薄い笑みを浮かべていた。


 地に落ちた羽虫を見下すように。余裕と高慢の入り混じる顔は、すぐに興味を失くして前方へと向き直った。

 重厚なエンジン音を響かせて、銀色の高級車が遠ざかる。

 獅賀の兄を知らない蕗と芳倉さんは、突如硬直したメンバーを困惑した顔で見回している。

 説明しないと……だが、口が上手く動かなかった。


 結局、すぐ立ち直ったミシェルが二人に教えてやっていた。

 俺はまったくダメだ。思考がまるで働かない。

 あどけなくも落ち着いた声を聞きながら、なにもない側道をぼんやりと歩く。


 ……雨が、いまにも降りだしそうなにおいがした。



        ◇



 結論から言えば、俺たちはとくに目立つ収穫も得られず、帰宅することになった。


「まだ、あと一週間、ある……明日から、また、がんばる」

「あ、あたしも声をかけてください! 及ばずながら、絶対にかけつけますから!」

「そうだね。三人で菩薩の智慧を捻りだせるんだ、この人数なら宇宙の真理にだって辿り着けるよ」


 気合いを入れる霧小路さんと芳倉さんに便乗して、大和がいつもの軽口を叩く。だが、それがあいつなりの激励であることはすぐにわかった。色白の細面が、ほんのりと赤くなっていた。

 苦笑しつつ頷いて、車中の三人に手を振る。

 住所の方向が違うメンバーはここで解散となった。

 新屋家の自宅前でマイクロバスを見送って、俺は大きく伸びをした。

 酸素をたっぷり補給して、姉妹を振り返る。


「織目さんたちを送ってくるよ」


 すでに夜の八時を回っている。

 反対の声は、どこからも上がらなかった。





 街灯に照らされた道を黙々と歩く。

 月は雲に隠れて見えないものの、なんとか雨も降らずに持ちこたえていた。念のためにと持たされた傘も、この分だと使わずに済みそうだ。

 静かな夜だった。

 日曜日だからなのか、人通りもあまり見かけない。

 ――このあと、俺は二人に謝るつもりでいた。

 力が及ばなかったこと。

 自分で勝負に持ち込んだくせに、ふがいなく負けそうなこと。

 もちろんまだ諦めるつもりはないが、どう考えたって現状は旗色が悪すぎる。

 覚悟だけはしておいてもらいたかった。……責任も、方法はとくに思いつかないが、キチンと取るつもりでいた。例のパートナーとやらになれというなら、それでも構わない。



 ……しかし、そんな思惑は、予想外に打ち砕かれた。


 生活光の薄明りが差す夜の庭。

 古いアパートの物陰。

 帰り際に呼び止められて、この場所へ連れ込まれた。

 おおよそ十歩分ぐらい離れた位置に立つ彼女と向かい合う。

 あきらかにおかしな状況。しかしそれが本来あるべき姿である彼女――――覆面をとった織目さんは、整った素顔に穏やかな表情を浮かべて、言った。



「新屋さんに、お話しがあります」







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