ふたごの月 3
大きな川に架かる橋を越えて町に入ると、大和がやおら歓声を上げた。
「これこれ! こういう組み合わせを調和と呼ぶんだよ」
「お前は定期的に騒がないと死ぬ病気なのか? ……いったい何の話だ」
「この送迎バスのビジュアルと外の景色さ。良いと思わない?」
同意を求められて仕方なく目を向ければ、窓の外にはのどかな風景が広がっていた。
牧歌的というよりは、どこかから童歌でも聞こえてきそうな雰囲気。
古い家屋や田んぼが散見される町並みはまさに純日本的な光景だろう。
そして、霧小路家所有だというこのマイクロバスは古い。
車内こそ綺麗に改装されているものの、ボディはなんだか昔のドラマにでも出てきそうな色と形をしていた。
ボディ上部がアイボリーというかほぼ白のベージュで、ライトの高さから桧皮っぽいくすんだ色味になる。
もし同世代の連中に感想を求めるとして、真っ先に出てくる言葉は間違いなく『昭和』だろう。あれは古くさいセンスを揶揄するニュアンスで使われるが、この車の外観を表現するならあながち間違っていない気がする。
……で、それがなんだというのか。
とくに感じるもののなかった俺は、振り向いて「よくわからん」と返す。
すると、大和はこれみよがしに大きな溜め息をついた。
「……暁彦に訊いたおれが馬鹿だったね。まさか、この情緒が理解できないなんて」
いまほど人を道路に捨ててやりたいと思ったことはない。
もしこれが自分の車であれば、きっと緊急停止して車窓から放り出していた。
そんな俺の黒い感情に気づきもせず、大和はいきいきと語りはじめる。
「いいかい? このマイクロバスの外側と中身は、まったくの別物なんだ。ボディはたぶんトヨタ・コースターの第二世代だね。昭和後期に作られた古い車種さ。
想像してごらんよ。そんなレトロな車が、古色蒼然とした温泉街をゆったり走る光景を。それに加えて乗り心地はあくまで現代基準だっていうんだ。おれとしては車内も当時のままだった方がポイント高いけど、ちょっとした観光客なら印象に残るんじゃないかな」
そうか? 俺は乗り物なんて気にしたことがないからよくわからんが。
「……有栖川くんは、いま、いいことを言った」
霧小路さんが顔を出す。
ちなみに、彼女の今日の装いは浅葱色のワンピースである。普通だ。はじめての友達に、あの武装ゴスロリ衣裳を見せるのが恥ずかしくなったのかもしれない。
俺はいまだにこの人が羞恥を感じるボーダーを把握できていなかった。
「うちのおじいちゃんは、地元の景観の保全に、力を注いでいる……このバスも、その一環。昔ながらの入霞の雰囲気が、すこしでも残せるように、って」
「入霞はここら辺じゃ一番人気の観光地だもんね。自然や古い建物もあって海外からのリピーターも多いし。“水の古都”入霞といえば、旅好きの人間なら知らない人はいないよ」
はあ、なるほど。
そう聞くと急に壮大なテーマのように感じられるな。
我ながら現金な感性だとは思うが。
「もうすこし北に進めば、温泉街や、JRの駅もある……でも、今日は遠回りになるから、行かない」
それもそうだ。
今日は暗号解読のために集まったのであって、観光しに来たわけじゃないからな。
中学生二人に加えて、なぜかミシェルまでそこはかとなく残念そうな顔をしているが、こいつらはちゃんと目的を覚えているのだろうか?
なんだか不安になってきた俺は溜め息をついて、窓の外の静かな畦道を眺めた。
◇
「……到着いたしました。長らくのご乗車、お疲れ様でございます」
黒いスーツのおじさんが渋い声で告げて、バスの扉が開かれる。
たぶん駅前の本屋に迎えに来たのと同一人物だ。席が斜め後ろのおかげでチラッと見えたのだが、サングラスの奥にカミソリみたいな鋭い目を隠している。
オールバックの髪や引き締まった身体と相まって、完全にソッチ系の雰囲気を醸していた。
……しかし、わざわざ迎えのために入霞から幸ヶ瀬を往復してくれたのも事実。
きっと悪い人ではないのだろうと踏んで、ビビリながらもお礼を言う。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「……」
無言である。
それどころか、サングラス越しに凝視された。一瞬で車内の空気が凍りつく。
ま、まさかお礼を言っただけで処刑決定ですか……? と目を逸らすこともできずに固まっていると、運転手の男は、ふいに天を仰いだ。
「……お嬢に、ご友人ができたんです……この程度、さしたる苦労もございません」
「は、はあ…………うん?」
「善吉さんは、高倉健さんに憧れるあまり、寡黙になってしまった人……見た目も昔の映画の影響だから、心配しなくて、いい」
……。
ここは変人博覧会の会場かよ。
もう嫌だ! 帰りたい! と子供みたいに泣き喚きながら駄々をこねたくなる気持ちを必死にこらえ、なにやら「不器用なもので……」などとよくわからないことをつぶやきはじめた善吉さんとやらも無視して、バスを降りた。
「大きなお家ねえ……」
「……これ、本当に家なの?」
先に車を降りていた桂姉と蕗が、呆然とそんな感想をこぼす。
隣の芳倉さんはあんぐりと口を開いたまま、その建物を見上げていた。
「噂には聞いてたけど……これは予想以上だね」
大和でさえ驚きの声を上げたので、どうやら俺の感性は狂っていないようだ。
たしかに。この建物は、すごい。
霧小路家の屋敷は小高い山の麓にあった。
目下には、まだ若い青葉を繁らせた広葉樹の森が広がっている。
そして――俺たちの目の前に、四階建ての重厚な屋敷が。
屋敷というより、楼閣か。これは。
和の建築様式に鮮やかな中華風の装飾と彩色。
二つの文化が入り混じる不思議な外観は、まるで異世界にでも迷い込んだような錯覚を俺に抱かせる。もしこれが夜なら迫力はさらに増しただろう。静かな森のそばというロケーションもあり、その古びた木造建築からは、どこか幻想的な雰囲気が漂っていた。
『ここは……もしかして、旅館でしょうか?』
「そう。経営不振で倒産した旅館を、おじいちゃんが買い取ったと聞いている」
すごいことするな、金持ちは。元旅館を住み家にするとか、ちょっと庶民には考えられん話だ。ホテルほど巨大な規模ではないが、この広さなら家族でも十組は泊まれるだろう。
……まあ、娘の友人の迎えにマイクロバスを出す時点で、すでに理解不能だが。
「この屋敷は、うちの連中が喜びそうね」
「うちって……『商会』のか?」
「ええ。日本フリークで、根っからの古いもの好きがいるの。わざわざパリで二百年物のアパルトマンを予約待ちして引っ越すあたり、彼らは筋金入りよ」
に、二百年? それはまた、物好きな……。
唖然としながらごちると、ミシェルは「そうでもないわ」と肩をすくめた。
「欧州では歴史あるものに価値を見出すのよ。たとえば田舎に建てられた何百年も前のシャトーを所持しているとなれば、相当なステータスになるわ。新しいもの好きなこの国の人間には理解しづらいでしょうけど」
実際にその通りなのでなんとも言えない。
新しさというか、より便利なものに人気が集まるからな。新築マンションの広告でも、利便性や機能性を謳う文句が多い気がする。
「みんな、待ってる……行こ」
そう霧小路さんに促されて、全員がようやく我に返る。
ぞろぞろと連れだって歩いた先には、これまた風格の漂う玄関があった。この辺りはまるきり旅館の時のままのようだ。
「なにもない家だけど、どうぞ……」
これでなにもないなら、大半の家はプレハブ小屋になるな。
よくわからない謙遜をした霧小路さんが、磨りガラスの引き戸を開ける。
そこには――――毛皮を腰に巻いた半裸の大男が、仁王立ちしていた。
「フハハ! よく来たなあ、小僧ども! さあさあ、この中に長男は――」
ピシャン! と霧小路さんが扉を閉めた。
誰も、一言も喋らない。
……否。口を開くことができなかった。
な、なんだ、いまの? なんか、ちらっと山賊みたいな姿のオッサンが見えたが……。
「…………申し訳ない。すこし……待っていてほしい」
微笑みを浮かべた霧小路さんが、すこしだけ隙間を開けて、するりと中に入る。
その間も誰一人として声を上げる者はいなかった。
「ねえ…………いまの、霧小路さんキレてたよね?」
「そうだな……ハイライトさんが行方不明になっておられた」
ぼそぼそとそんなやりとりを交わす。
なぜか、大きな声を出してはいけない気がした。
再び戸が開いたのは、それから十五分ほど経ったあとのことだった。
じんわりと汗をかいた霧小路さんが、にこやかな笑みで「お待たせした……どうぞ」とみんなを迎え入れる。
さっき、中からサンドバックを殴打するような鈍い音が聴こえていたが、本当に大丈夫だろうか?
訝しみながら引き戸を潜る。
広い玄関の先には、廊下で正座するヒゲ面の大柄な男性の姿が見えた。今度はちゃんとしたトラウザーとポロシャツを着ている。頬が赤いのはたぶん気の早い蚊でも叩いたのだろう。きっとそうだ。そうに違いない。
「お客人、遠路遙々よく参られた。霧小路家は皆を心から歓迎する」
「……なあ、さっき」
「気のせい、だと、思うっ」
そうか。頭のおかしい蛮族みたいな格好をしたオッサンはいなかったんだな。
まだ午前中だというのにすでに疲れ果てた俺は、都合の悪いことはすべて幻覚として処理することにした。いちいち構っていたら体力と精神がもたない。
頑なに話を逸らそうとする霧小路さんに急かされて、廊下に上がる。
とりあえず客間に通されるようだ。
案内されるままに廊下を進んでいると、ふいに霧小路家のお父さん(推測)が振り向いた。
「おい、新屋って男はどっちだ」
この場に新屋姓は三人いるが、男となると俺だけだ。
俺は素直に隣を指差そうとして――その指をグッと掴まれた。
「こいつです。この野良犬みたいな目つきの男が、新屋暁彦」
「……そうか」
おのれ、大和……っ!
すぐに逃げようとした俺の指を握りしめて離さない悪友は、「そうはいかないよ、暁彦」と口端を吊り上げる。
おい、やめろ。
あの人から、なんか捕まったら全身の骨を粉々にされそうなオーラ出てるんだ。
そうして醜い攻防を繰り広げているうちに……巨漢の親父さんが、力強く俺の肩を掴んだ。
シャツの袖から覗く太い腕は、まるで岩のように筋肉が隆起していた。
「テメェが新屋か。どうもうちの潤が随分と世話になったそうじゃねえか」
「い、いやあ。ちょっと、記憶が混濁してて……」
「謙遜すんじゃねえ……ここのところ、よく娘からその名前を聞くんだ。毎晩、毎晩。夕飯のたびに、それはもう楽しそうになあ……」
「あー……ぶ、部活の、メンバー、ですから?」
「うちの娘は昔っから引っ込み思案でよお。小、中とロクに友達もできなかった。……そんな潤の口からはじめて聞いた男の名前が、テメェのなんだよなあ……どうだ。光栄か?」
どう答えりゃいいんだよ。
それ、どっち選んでも俺が死ぬやつじゃないか。
このオッサン過保護すぎだろ、と呆れつつ、しかし肩にかかる万力のごとき痛みに悲鳴を上げかけたその時――救世主は、現れた。
「……あなた?」
オッサンの巨体がビクッと跳ねる。
女の人の声だった。ともすれば、冷たく響くような。
抑揚を極限まで削ぎ落したその声が聴こえた瞬間、霧小路家の親父はいままでの高圧的な態度が嘘のように、ガタガタと油汗をたらして震えはじめた。
……なんだ?
自由になった身体をずらすと、廊下の向こうに女の人の顔が見えた。
こちらは一目でわかった。
霧小路さんの母親だ。髪型こそショートとセミロングの違いはあるが、顔のパーツなど霧小路さんをそのまま大人にしたかのように酷似している。
そのお母さんが、曲がり角からこちらを覗いていた。
無表情の顔を、半分だけ出した状態で。
――ちょっとしたホラーだ。
「こちらにいらっしゃい?」
「な、ななななんだ!? おおおオレは、娘のお友達に……その、挨拶をだな……!」
「あなた?」
「いやいやいやいや! ほ、本当だって! これは、友好のフォークダンスを踊ろうと……」
「……ハルオ」
かすれた悲鳴がもれる。
青褪めた親父さんが息をのむ音だった。ハルオ、とは親父さんの名前か。それにしても、なんだか人間を呼ぶニュアンスじゃなかったが。
親父さんの厳つい顔からは血の気が引いていた。
……もうこの人は助からないのかもしれない。
錆びついたロボットみたいにぎこちなく振り向いたオッサンに向けて、霧小路家の母は、曲がり角の奥を親指でくいっと指し示した。
「――――ハウス」
ここは親父さんの家だと思っていたが、違いましたか。
まるで躾に背いた犬を呼ぶがごとき命令を受けたオッサンは、萎びた大根のように肩を落とし、トボトボと歩きだす。
その巨躯が曲がり角に消えるのを見送ると、母親は再びこちらを向いた。
「……ごめんなさいね。あとで、お茶とケーキを持って上がりますから」
内容的には歓迎されているのだが、顔に感情が反映されないおかげで違和感がすごい。
霧小路さんの無表情は母親譲りだったか。
どうでもいい情報を手に入れて立ち尽くす俺の袖を、誰かが横から引っ張った。
「……なんとかなさい」
呆れ顔のミシェルである。
言われて目を向けると――俯いた霧小路さんが、耳と首筋を真っ赤に染めて、肩を震わせていた。
ああ……まあ、その気持ちはわからんでもない。
『あの、あの……げ、元気な、お父様ですね!』
「うん! ほんとそう! なんか、昔ながらのガキ大将って感じでさ!」
「ふ、蕗ちゃん、織目さん…………それ、絶妙にフォローできてません……」
そいつらは基本的にずれてるからな。
それに、おそらくいまは励ましも逆効果だろう。
顔を伏せた霧小路さんから、地を這うような怨嗟の声がもれた。
「……父……絶対、ゆるさない…………」
霧小路家の親子に、溝が生まれた瞬間であった。
◇
通されたのは最上階の大部屋だった。
たしか小学生の時に臨海学校で泊まった民宿もこんな畳の間だったが、こちらはさすが名家の屋敷だけあって雰囲気が桁違いだった。調度品や欄間の飾り彫りなんかもどことなく上品な気がする。
なにより窓からの見晴らしがいい。
視線を下げれば足元に木々の繁る森。そこから聴こえる川のせせらぎが、じっとりとした暑気の中に涼を運んでくる。ちらほらと小さな湖がいくつも連なって見える様は、まさに水の古都と呼ぶにふさわしい景観だった。
「ねー、あの湖って泳げるのかな? 水着持ってくればよかったかも」
「清々しいほど目的を忘れてるお前に思い出させてやろう。今日は遊びに来たんじゃない」
こいつは本当にゲーム以外だと集中が持続しないな。
ムラがありすぎる蕗のタイムを見て、陸上部の顧問が嘆いていたのを思い出す。
顧問は俺が中学三年の時の担任だった。
なんでも、蕗は入部早々に全国クラスの記録を叩き出したらしい。才能を惜しんだ担任からどうにかならんかと頼まれたものの、俺にどうこうできるような問題じゃないのでやんわりお断りしたが。
それはさておき、今日の目的は水遊びではない。
ノリが悪いなー、とぶすくれる妹の頭を丸めた資料ではたいて、俺は車座に集まりはじめたメンバーの元に戻る。
「そろそろはじめましょうか」
桂姉の号礼に首肯する。
敷かれた座布団に腰を下ろして、俺は持参した資料を配布した。
「それが問題の人形の画像だ。俺もいくつか疑問点はあったが、余計な先入観を排除するために記述しないことにした。気づいたことや追加するべき情報があれば言ってくれ。質問も遠慮せず投げてくれていい。とりあえず、午後になるまではヒントをできるだけ集めることを目標にしよう」
ざっと考えてきた趣旨を説明すると、それぞれに返事をしたみんなが写真を注視する。
質問を受け付けると言ったが、答えるのはミシェルか織目さんになるだろう。そこら辺の了解もすでに取ってある。
はたしてこれで新たな発見はあるのか。
いずれにせよ、期限までもう時間がない。
周囲に倣って俺も手元の資料に視線を落とした。
まず目につくのは、スマホで撮影したあの不気味な人形の写真。
罪人よ
死を臨め
過去は価値を失くし
不義なる富は幻となり
死の足元に罪は開かれる
亡骸がせめて花の許にあれば
そして背中側に散らばる奇怪な文章群の隣には、前面の一文を載せた。
この人生は春先の露と消ゆ 獅賀 貴嗣
これらの告発じみた遺言を読み込んで、俺が疑問に感じたのは以下の通り。
・織目さんの祖父はなんの目的でこれを遺したのか。
・仮に“財宝の地図”だったとして、どの場所を示したものなのか。
・文面をそのまま受け取った場合、「罪人」とは誰を指すのか。
・不義なる富の内容は?
・末文の願いは、獅賀貴嗣本人の要望なのか。
挙げるとすれば、そんなところだ。
結局、最初の段階からほとんど進んでいない。
仮説を立てるにも情報がすくなすぎた。
織目さんやミシェルから、祖父の話を聞いてはいた。
曰く、生粋の“アンティークマニア”だと。
志摩木のじいさんとは違って、骨董品そのものを好む蒐集家であったらしい。
世界中にいる仲間から『珍しいものが手に入った』と連絡があれば、たとえ地球の裏側でも駆けつける。引き取った孫娘が目利きの才能に目覚めてからは、その旅に同行させるようになった。
またプライベートを大切にする人でもあったようだ。
骨董品巡りには必ず連れ出された織目さんも、祖父の私的な外出には一度も同行したことがないという。……もちろん、それは家族の誰であっても。
その年代の人間では珍しいように感じる。
あるいはそんな性格だからこそ、海外の人々と上手く付き合えていたのかもしれないが。
誰もが押し黙ったまま時間だけがすぎていく。
しんと静まり返った空気の中、はじめに手を挙げたのは大和だった。
「どうした?」
「あのさ、これってお祖父さんから直接渡されたの?」
最初の質問だった。
俺は織目さんの方を見る。
『いいえ。弁護士の先生です。形見分けの品は、すべてお祖父様の秘書さんが指示に従って分類したと聞いています』
「じゃあ、その秘書さんに話を……」
「それは無理ね」
大和の言葉を、ミシェルがきっぱりと遮った。
「どういうこと?」
「亡くなったの。まるで主人のあとを追うみたいに、タカツグが死んだ一ヶ月後にね」
「え!? ……そ、それって、まさか、原因不明の怪死とか……」
不穏な発言に小さな悲鳴が上がる。
……実は、俺も同じことを考えた。
現状を鑑みて、真っ黒な獅賀家ならやりかねないな、と。
しかし、ミシェルはそれをあっさり否定した。
「違うわ。ただの病死……四十年以上も仕えたというのに、よっぽど飼い主のそばを離れたくなかったのね、あの生真面目な男は」
揶揄するような口ぶりだが、彼女のやわらかな声音は、ある種の親しみを含んでいるようにも感じられる。
その反応を見る限り、どうやら悪い人ではなかったようだ。
「あの……あたしも、いいですか?」
次に手を挙げたのは、遠慮がちな表情の芳倉さんだった。
続きを促すと、彼女はおずおずと資料を指差す。
「あんまり自信ないんですけど、この『亡骸がせめて花の許にあれば』っていう文章……誰かの有名な遺言じゃありませんでしたっけ? たしか、授業中に先生がそんなこと言ってた気が……ねえ、蕗ちゃん」
「そ、そうだっけ……? あれーおかしーなー? ひょっとして、うちのクラスだけまだなのかも……」
「……あたしたち、ずっと同じクラスだよね?」
親友から半眼で睨まれた蕗が顔を逸らす。
どうしてお前はそうすぐにバレる嘘をつくのか。
それにしても……遺言?
いったい誰の。
俺が記憶を探ろうとすると、それより早く桂姉が答えを口にした。
「たぶん、西行法師の辞世の句かしら。たしか――」
“ 願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ ”
桂姉の絹のような声が、朗々とその句を読み上げる。
なるほど。たしかに似ている気がする。
西行法師といえば、出家して日本中をあちこち旅して回った元武家だったか。
俺も歴史に明るいわけじゃないので、詳細までは思い出せない。
しかし、芳倉さんの指摘が正しければ、この暗号は西行法師に関連するものということになるのだろうか?
急いで他の文との共通点を探しはじめると、再びメンバーから声が上がった。
「わたしは、この『死を臨め』、という警告文……これは、ラテン語の“メメント・モリ”……じゃないかと、思う」
「は……? ら、ラテン語?」
「――“汝は死を記憶せよ”ね。バロック芸術の静物画でよく用いられたモチーフだわ。たしかに、語感は近いようだけど」
いや、待ってほしい。
西行法師に、バロック芸術……?
いったいそれはどういう繋がりなんだ。
「あと、メメント・モリとはあんまり関係ないけど……旅をする僧侶ってワードが出ると『不義なる富』は“六部殺し”を連想するよね。お坊さんが巡礼の最中にある村に立ち寄ったら、持っていた財産に目の眩んだ村人が夜更けにお坊さんを殺しちゃう話でさ。しばらくして生まれた村人の子供が、月の綺麗な夜に言うんだ。――“こんな夜に、私はお前に殺された”」
「ひぃ……っ!?」
……もう話が混沌としてきたな。
にわかに痛みだしたこめかみを揉む。
獅賀貴嗣という老人は、秘密結社のメンバーかなにかだったのだろうか?
とにかく一度、情報を整理した方がよさそうだ。
騒然とする場を収めるために口を開きかけると、部屋の外から「失礼、潤はいるかな?」と落ち着いた声が聴こえた。
男の声だった。それも、おそらく年配の。
誰だろう。間違いなくあのイエティみたいな霧小路父ではない。ああいう思慮深そうな声を出せる要素は、あのオッサンには一ミクロンもなかった。
すぐに霧小路さんが立ち上がって襖を開ける。
廊下に立っていたのは六十代頃の小柄な男性だった。
眼鏡の奥の目を細めたその人は、雰囲気通りの柔和な笑みを浮かべる。
「皆さんが、潤のお友達ですね。いつも孫娘がお世話になっています」
「……うちの、おじいちゃん……獅賀家の貴嗣さんを、知ってるらしい」
「とはいっても、何度かお話ししたぐらいなんですがね」
そう言いながら苦笑する上品な表情に、山賊じみた男の面影は微塵も見受けられない。……あのオッサン、ひょっとして婿養子なのだろうか。
いずれにせよ、有効な手がかりの登場ではある。
立ち上がって挨拶をするみんなに倣いつつ、俺はひそかに気を引き締めた。




