表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獅子とアンティーク  作者: 結木さんと
第5章 獅子とドール
14/37

獅子とドール






 俺がこの街に引っ越してきたのは、八歳になった年の夏休みの終盤だった。

 とはいっても、幸ヶ瀬を訪れるのははじめてじゃなかった。俺の両親と新屋夫妻は高校時代から仲が良く、卒業したあともずっと四人の交流は続いていたのだという。

 桂姉や蕗ともよく遊んでいた。俺が物心つくまでは親戚かなにかだと思い込んでいた記憶がある。それぐらい、新屋家の人々とは頻繁に顔を合わせていた。


 両親の話はほとんど新屋のおじさんたちに聞いた。俺が父親や母親から直接与えられた情報は、あまりにもすくない。


 うちの両親がともに児童養護施設の出身であったこと。そこにいる子供の中でもとくに優秀だったこと。

 自力で国立大学に通って、同じ製薬会社の研究部に入ったこと。

 就職してから二人がようやく付き合いはじめたこと。

 そのくせ、結婚まではあっという間だったこと。

 高校に入る前から両想いだったくせに、それでもなかなか進展しない二人にやきもきしていたおじさんとおばさんが、結婚式の日には狐に摘ままれたような気持ちになったこと。


 周囲が胸やけするほど仲良くなった二人に子供が産まれたこと。

『身寄りのない自分たちの希望の光だ』と、そんな意味をこめて“暁彦”と名をつけたこと。

 赤ん坊がなにかするたびに報告してきてちょっと鬱陶しかったこと。

 桂姉と蕗が同時に「あきひこちゃんのおよめさんになる」と言いだして、おじさんと父が史上最大のケンカをしたこと。

 それで奥さんたちから壮絶なお説教を喰らった男二人がお小遣いを減らされたこと。


 二人が幸せだったこと。

 俺を心から愛してくれていたこと。


 すべて、おじさんとおばさんに教えてもらった話だ。


 いまはもうぼんやりとしか思い出せないが、きっと俺も幸せだったと思う。




 あのうだるほど暑い夏の日。


 出張から帰る両親を乗せた飛行機が、航路で墜落するまでは――




        ◇



 からんころん、と涼しげなベルの音が鳴る。

 この鈴は古い喫茶店のマストアイテムなのだと大和のやつが言っていた。実際にどうかはしらない。言われてみればたしかにそんなイメージはあるが。

 ただこの喫茶ロートレックはそこまで古い店でもないはずなので、たぶん雰囲気づくりのための装飾品だろう。


「遅かったわね」


 暗い色の木製のドアを潜るなり、不機嫌そうな少女の声に出迎えられた。

 奥の席に小さく腰かけたミシェルである。

 思わず壁の時計を見ると、待ち合わせの時刻にはまだ五分ほど余裕があった。


「……別に遅れてないんだが」

「レディーと待ち合わせたのなら、三十分早く到着して相手の好きな飲み物をあらかじめ注文しておくものよ。ニーヤ、紳士としての嗜みはまだまだのようね」


 それを紳士とは言わない、下僕と呼ぶ。

 相変わらずツンとすました表情の少女に嘆息しつつ、俺は初老のマスターにカフェオレを注文してから席に向かった。


「なんだよ、えらくご機嫌ななめじゃないか」

「……ちょっと仕事でね」


 ふーん、なんか失敗でもしたのか。

 どう見ても小学生のような容姿のこいつが仕事とか違和感しかないが、それで落ち込んでるなら、まあ多少は納得もできる。

 いろいろと大変なのだろう。

 さすがに働いたことがないので、実際の苦労はわからないが。


「それで? あなたの意思は決まったのかしら」


 すでに半分ほどになったアイスティーを飲んで、ミシェルが訊ねてきた。

 気温は六月に入ってから急に蒸し暑くなった。こんな日にはすっきりしたアイスティーがさぞかし美味いことだろう。

 俺もブラックにしておけばよかったか、とすこし後悔しつつ、ひとまず頷いて答えた。


「正直、パートナー云々の話はよくわからん……だから保留にする」


 人形みたいな少女の眉がぴくりと跳ねる。

 これだけでは怒られそうなので、続く言葉を口にした。


「まあ待て。現時点で早急に解決すべき案件は、織目さんがギフテッドの認定を受けられていないってことなんだろう?

 ――そのためには、おそらくなんらかの障害を取り除かなきゃならない。ミシェルが俺に接触したのはその問題の解消を手伝わせるためだ。違うか?」


 ここのところずっと考えて、ようやく導き出した結論。

 ひとまずミシェルの話をすべて信じるとして……その目的はなにか。

 織目さんとの会話を思い返す限り、俺と会ったことはまだ彼女に話していないのだろう。これまでのすくない情報を統合すると、どうもミシェルが焦っているように感じられた。

 ひょっとして時間がないんじゃないか、と。


「……厄介な能力よね、それ。ずるいと思うわ」


 溜め息とともに吐き捨てられる。

 こちらを向いた少女の顔は、いかにも不満げにむくれていた。


「ええ、そうよ。時間がないの。うちの『商会』では、申請から一年の保留期間を設けて援助金を支給しているわ。ギフテッドはその間に自分の能力を示さなきゃいけない。

 サヨコが援助を受けはじめたのは去年の八月、現時点で期限まで三ヶ月を切った。なのに、あの子は作品を提出できていない。……あとはもうわかるでしょ? もうすぐわたしは彼女から手を引かざるをえなくなる。このまま今年の夏が終われば、晴れて宿なしの女が一人できあがるというわけ」


 つまらなさそうな声だった。

 まだ疑問はあるが、それよりもいまは建設的な話が先だろう。


「なあ、その期限は延長できないのか」

「無理よ。うちだって慈善事業じゃないもの、成果を出さない個人に対価は払えない。いくらわたしの推薦だって限界があるわ」


 まあそうだろうな。

 となると、織目さんが才能を示す以外に道はないのか。

 試験の内容はわからないが、はたして三ヶ月で間に合うのだろうか?


「どうして織目さんは作品を提出しなかったんだ?」

「……わたしの口からは言えないわ。『商会』のエージェントには、ギフテッドの情報を秘匿する義務があるの。前のは特例よ。気になるなら本人から直接訊きなさい」


 それがわからないと動きようがないんだが……。

 ただミシェルの方も、どこか納得していない様子で視線を逸らしている。

 どうやらややこしい話のようだ。関わることに決めたものの、早くも心が折れかけている。

 なんとか持ち直して椅子にもたれかかった。きし、と不安になるような音が聞こえる。正直、こんなところまでディティールにこだわる必要はないと思う。


「仕方ない。織目さんと話すしかないか……」

「ずいぶんとやる気が出たのね」

「うん?」

「前はあんなに嫌がってたじゃない。なにか心境の変化でもあったのかしら」


 ああ……まあ、そうか。

 変化というか、立ち戻ったというか。


「……自分のするべきことを思い出したからな」


 俺には恩人がいる。

 その人たちは、俺に『恩を返さなくていい』と言った。

 ――代わりに誰か困っている人がいたらお前が手を貸してやれ、と。


 とはいえ進退窮まるほど追い詰められた人間などそうはいない。

 いつのまにか必要とされる役割をこなすことだけが、日々の目的になっていた。


 おそらくは、いまがその時なのだろう。

 まったくもって合理的ではないが……そんな気がする。


「ふぅん。そう」

「興味ないなら訊くなよ」

「あら、そんなことはないわ。わたしもあなたと似たような境遇だもの」


 ……どういうことだ?

 訊ねようとすると、短い電子音が鳴った。

 ミシェルが視線を下ろす。どうやら彼女のスマホが鳴ったようだ。


「――失礼。仕事だわ」


 大人びた口調で断りを入れたミシェルは、ポシェットから携帯を取り出すと、指先で素早く操作しはじめる。

 まだ小さいのに慣れたものだ、と思ったが、そもそもこいつは子供じゃなかった。

 ……いったい何歳なんだろう?

 いまさらになって急に気になりはじめた。

 質問してみるか迷っている間に、彼女はスマホを横に持ち替え――いや、待て。



 …………なんか、軽快なタイトルコールが聴こえたんだが。



「お、おい……ミシェル?」

「……」


 彼女は答えない。

 無言のまま、じっとスマホの画面を注視している。

 やがて、可愛らしい声と音楽が流れはじめた。何度か画面をタップして、いよいよ真剣な面持ちのミシェルは腕を肩幅の広さで構える。

 その指が滑らかに動けば、シャン、シャンと曲に合わせた小気味よいベルのような音色。

 淀みなく動き続ける彼女の親指は、まるで機械のようにリズムを刻み続ける。

 こいつ……。


「……おいこら。お前、なにが仕事だ。それどう見てもゲームだろうが」

「黙りなさいミッション中よ」


 ドスの利いた声が返される。

 ……なあ、俺はなんで怒られたんだ?

 まったくもって意味がわからない。

 そうこうしている間にもゲームは進……あ、なんか「カン」って間抜けな音がしたぞ。こいつ、失敗したな。

 それから何度か気の抜けた音を鳴らして指が止まると、今度はミシェルの肩がふるふると震えだした。


「――なんてことしてくれたのよ!?」

「いや、待って。本当に待ってください。……俺が怒られるのおかしくない?」

「ニーヤが邪魔しなければ成功してたんだから!」

「お前がミスしたのって声かけてからわりとあとの方だったよなあ!?」


 完全に濡れ衣だ。

 俺はなにひとつ悪くない。


「レディーのゲームを妨げるなんて、紳士の風上にもおけないわね」

「会話の最中にゲームはじめられたら、いくら紳士でも持ってるステッキぶん回すわ」


 こいつの中の紳士はどういう存在なんだ。

 聖人か奴隷の間違いじゃないのか。

 涙目で睨みつけてくる少女に、溜め息をこぼす。


「……ちょっと貸してみろ」

「な、なによ」

「いいから、ほれ」


 有無を言わさずスマホを取り上げて、画面を確認する。どうやらノーミスでクリアしたことはないようだ。かなりやり込んでるっぽいのに、あんまり上手くないのだろうか?

 ……スタミナゲージはまだあるな。

 よし。


「え……?」


 驚く声を流して、ゲームを開始した。



 そして三分後。


「う、うそ……」


 向かいから覗き込むミシェルが愕然とした表情を浮かべる。

 その開きっぱなしの唇は、信じられないというような声をもらした。


「――――オールパーフェクト!?」

「こういうゲームは単純だからいいな」


 画面にはキラキラした文字とキャラクターが躍り、記録の更新を伝えている。

 お嬢さまっぽい服装をした黒髪の女の子も、どこか誇らしげに微笑んでいるように見えた。


「なんで!? あなたはゲームが苦手なんじゃないの!? ……これ、最高難易度の一曲なんだけど!」

「苦手だぞ? RPGとか、操作のややこしいやつは」


 覚える気にならないんだよな。難しいとすぐに飽きるし、そこまでゲームを頑張りたくもない。山梨のじいさんや蕗のやってるようなアクションRPGなんかは圧倒的に苦手だ。

 反面、リズムゲームや格闘ゲームはそこそこできる。やることが限られているので、覚える要素もあまりない。

 ミシェルが苦戦していたゲームも、大和にせがまれてヤツのスマホで何度もクリアした。

 好きな声優が出ることになってはじめたあいつは、しかし持ち前のリズム感が壊滅的で、一番難しいモードを一つもクリアできなかったのだ。

 おかげで俺はささやかな小遣い稼ぎになった。


「……ね、ねえ、ちょっとこの曲もやってくれない?」

「ん? どれだ」


 身を乗り出してきたミシェルと一緒に画面を覗き込む。

 こうしていると、蕗が小さかった頃のことを思い出す。昔はよくあいつが倒せないボスの相手をさせられたっけ。

 いまのミシェルの表情は当時の蕗とまるで同じだ。

 ……なんだ、こいつもちゃんと子供みたいに笑えるじゃないか。

 ちょっとうれしくなった俺は、すこしぐらいワガママを聞いてやろうという気になった。


 そうして画面をタップしようとした手を――――横から誰かに止められる。


 揃って顔を上げる。

 頭上にクマが見えた。

 正確には――二メートルに限りなく近い巨体を誇る、厳ついマスターの髭面が。


「……うちは音の出るゲームは禁止だよ」

「「…………ご、ごめんなさい」」


 見事にユニゾンで謝罪した俺たちは、残っていたドリンクを一気に飲み干して、慌てて店を飛び出した。


        ◇


「まったく、あなたのおかげで恥をかいたわ」

「なあ、俺はまったく悪くないよな? どっちかっていうと、九対一くらいの割合でお前のせいだと思うんだけど……」


 日の傾きはじめた景色の中、ぶつくさと文句をたれるミシェルと並んで歩く。

 ちょっとずつ夜の訪れが遅くなってきた。道行く人の流れも、どこか緩やかに感じる。

 家路につく人々とすれ違いながら、頬をぷくっと膨らませた小さな顔がこちらを向いた。


「……ミシェルよ」


 やけにこだわるな。

 まあ、いまのは俺の不注意だ。

 素直に謝っておく。


「それで、いまはどこに向かってるんだ」

「あら、決まってるじゃない。サヨコの家よ」

「えっ」


 まさかの返事に動揺する。

 というのも、今日は『ただ話をするだけ』というメールで呼び出されたのだ。まさか織目さんの家を訪問するとは思ってもない。

 慌てる俺に、ミシェルはじとっと半眼を向けてきた。


「言ったでしょう? 話をするだけだって…………サヨコと」

「計画犯かよ!?」

「ひどい言いがかりだわ」


 ひどいのはお前だよ。

 この件で不意打ちは本当に勘弁してほしい。

 こう、あるだろ。心の準備とか。

 いろいろと。


 もしかしなくても、これは他人の家庭環境にまつわる問題だ。当然ながら俺はそんな厄介な話に首を突っ込んだ経験などない。


 関わるには覚悟が必要だった。

 はたして一介の学生にすぎない俺に、できることなどあるのか。

 たとえ待っているのがどんな難題であったとしても、約束を果たすと決めて関わるのなら、中途半端に投げ出すわけにはいかないのだ。


 この手にあるのは行き先不明の片道切符。

 もしそれを無責任に手放せば、俺という存在の『根幹』が揺らぐ。


 織目さんの囚われた問題とはなにか。

 彼女はいったいどんな事情を抱えているのか。

 ――ずしり、と。

 両肩にのしかかる重圧を幻覚する。


「……後悔しているの?」


 そう訊ねる声に意識を戻すと、澄んだ青の双眸がじっと俺を映していた。

 後悔、か……。

 しばらく考えて、俺は首を振った。


「いや……いつかは向き合わなきゃならない問題だった。ここで見て見ないふりをしたら、さすがにあの人たちに顔向けできなくなる」


 織目さんとは浅からず縁ができた。

 助けたし、助けられたこともある。

 ましてやあの日の俺と似た状況にいるのなら……無視してしまうのは、あまりにも後味が悪すぎる。


「……申し訳ないとは思っているわ。巻き込んでしまったこと。本来なら、あなたとは関係のない話だものね。…………でも、わたしではあの子を救えないみたいなの」


 どこかあきらめを含んだ声音に、疑問を抱く。

 そういえば、ミシェルはどうして――


「ねえ、ニーヤ」


 ぽつり、と。

 あどけない声が俺を呼ぶ。


「もし、わたしが仕事でここに来られなくなっても……またいっしょにゲームしてくれる?」


 それはどういう意味だ、と訊ねるまでもない。

 ……こいつは本当に素直じゃないな。

 俺は一つ息をついて、低い位置にある頭を軽く叩いた。


「はじめる前からあきらめてくれるな。俺もできる限りの努力はするさ」


 ミシェルが悔しそうに唇を引き結ぶ。

 ……大方、理由がほしかったんだろう。もし織目さんから手を引くことになっても、この街を訪れる言い訳が。

 そうしてこいつは、彼女のことをこっそり見守るつもりだった。

 なんとも律儀というか、プライドが高いというか……。

 なにがこの異国の少女をそこまでさせているのかはわからないが、すくなくとも織目さんのことを大切には思っているようだ。

 だから俺は、不器用な彼女に教えてやることにした。


「それに、ゲームぐらい仕事だのなんだの関係なしに声かけろ。俺も時間があればいくらでも付き合うから。……こういうの、日本語でなんていうか知ってるか?」


 訝しむように首を傾げるミシェルに笑いかける。

 若干の気恥ずかしさはあるが、まあいい。


「――“友達”っていうんだ。そいつを遊びに誘うのに、変な遠慮も対価もいらないんだよ」


 繊細なガラス細工のような瞳が、驚いたように見開かれる。

 それから彼女はすぐに顔を背けて、表情を完全に隠してしまった。


「に、ニーヤのくせに……生意気だわ」


 そんな憎まれ口まで返ってくる。

 しかしその声は、ほんのかすかに震えていた。


 ――あの、ゲームをいっしょにした時の嬉しそうな顔。


 おそらく、そういう関係の人間がいままで周りにいなかったのだろう。

 思い返せばミシェルは、最初に会った時から妙に張り詰めた空気を漂わせていた。

 周囲になめられないように気を張って、傷つかないように幾重にも心に鎧をまとって……そんな経験は、俺にだってある。


 だが人は息を止めたまま生きることはできない。

 どこか吐き出せる場所が必要だ。

 そして俺はミシェルと話す時間をそう悪く感じていないようなので、ならばその場所になることにもこれといって否はない。

 もちろん、彼女が嫌でなければの話だが……


「……あなたが、どうしてもって言うなら、なってあげてもいいわ。……その、お友達に」


 そんな捻くれた答えが返ってきて、俺は苦笑しつつふわふわの髪をかき混ぜてやった。


「ああ。よろしく頼むよ」


 とくに拒絶もされないので、それを了承とする。

 こうして俺には異国の小さな友人ができた。


 ……たまにはこういうのも、まあ悪くはない。







 しばらく歩いて辿り着いたのは、古い二階建てのアパートだった。

 門にかけられた一枚板の表札には『メゾン・アルル』とやけに力強い文字が記されている。どう見てもメゾンより「荘」といった風貌なのだが、持ち主からすれば余計なお世話だろう。

 ぽかんと眺めていた俺は、隣のミシェルを振り向いた。


「……本当に、ここに住んでるのか?」

「……文句でもあるのかしら?」


 別に文句はないが。

 ただ言動だけなら深窓の令嬢然とした織目さんのイメージと、何十年か前の漫画にでも出てきそうなこのアパートは、どう頑張っても結びつかない。


「安心なさい。こう見えてもこのアパート、セキュリティーだけはたしかだから」


 ……どこら辺が? まさか不審者が侵入したら、トランスフォームして戦うのか? と、下らない考えが気泡のように浮かんでは消え、浮かんでは消え。

 そうこうしているうちに中庭と玄関を抜けて階段を上がり、気がつけば俺は二階奥の扉の前に立っていた。


「いい? 扉が開くまで、あなたは絶対に声を出さないで」


 命令されて、おとなしく口を噤む。

 なにか秘密の暗号でもあるのだろうか。

 直立不動の俺の前で、ミシェルはいたって普通に扉をノックした。


『はーい』


 部屋の中から耳慣れた声が聞こえた。

 織目さんだ。見知らぬ場所ということも相まって、ちょっと緊張してきた。


「わたしよ。ちょっと早めに着いたのだけど、大丈夫かしら」

『あ、ミシェルさんですか。すこしお待ちください、いま鍵を開けますので』


 ぱたぱたと足音がする。

 間もなく鍵のシリンダーが回されると、シミの浮かぶ木造の扉が開いた。

 そして、


「珍しいですね。こんなに早くおみえになる……なん、て……」


 ドアから顔を出した女性と、ばっちり目が合った。




 ………………誰?







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ