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獅子とアンティーク  作者: 結木さんと
第4章 シンガン×シンガン
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シンガン×シンガン 3






 広場の最端にあるスペースが静寂に包まれた。

 誰もが奇妙な外見の老人と少女を見守る中、甲高い鐘の音が空に響く。

 時計つきのモニュメントが午後四時を報せる音色だ。あと一時間もすれば、盛況だった古物市は終了となる。

 沈黙したまま痩せぎすの老人と対峙していた織目さんは、


『…………珍妙な格好……』


 それはもういいから。

 頼むからそろそろ自覚してほしい。

 膝から力が抜けそうになるのをなんとかこらえつつ、代わりに老人へと問いかける。


「あー、えっと……おじいさん? そのゲームってのは、なんのこと……です、か?」


 あの服装の老人に敬語を使うには、ひどい忍耐力が必要だった。


「……フン、金のなさそうな男に説明してやる義理はないわい」


 よーし。

 こいつには絶対に敬意なんて払わん。

 決意を固めた俺は、ぽかんと呆けている妹を見た。


「おい蕗、あの色ぼけジジイから話を訊いてくれ」

「わかりやすすぎるよ、アキにぃ……」


 なんとでも言うがいい。

 もうできる限り関わりたくないんだ、あの手の変人には。

 そして不承不承といった顔で蕗が訊ねると、ジジイはだらしなく相好を崩した。


「よしよし、お爺ちゃんが説明してやろうなあ。その前に、わしのことをお前さんのきゃわゆい声で『おじいちゃま』と呼んでくれんかのう?」

「重度の痴呆でもはじまってるのか根腐れジジイ」

「なんぞ言ったか!?」

「別に」


 怒り狂って唾を飛ばすジジイから顔を背ける。


「大人げなさすぎるよ、アキにぃ……」


 蕗が呆れきった顔を向けてきた。

 今日はもう散々だな。


「まったく、最近の若いモンは礼儀がなっとらん…………まあいい、ゲームの説明だったな。お嬢ちゃんたちはこちらに来るがいい。……ああ、お前は来んでもかまわんぞ」


 誰が行くか。

 ちらちらと助けを求めるようにこちらを窺う織目さんには悪いが、俺はこの場から一歩たりとも動く気はなかった。


「ちょ、ちょっと待ってください! 僕が先に挑戦したはずでしょう!?」


 ガタン、と椅子を動かして、老人の前にいた男が立ち上がる。

 ……ああ、そういえば先客がいたんだった。

 あのジジイとのやりとりのせいですっかり忘れていた。


「お前さんがいつまでも迷っとるからだろうが。お前のような根性なしなんぞ、このゲームに参加する資格はないわい」

「そ、それは……そうですけど…………うぅ……」


 見たところ二十代後半といった青年が項垂れる。

 なんというか、気の弱そうな人だ。どうやら彼はすっかりあの性悪ジジイの異様な雰囲気にのまれてしまっているらしい。


『あの、私はまだ参加すると決めたわけでは……』

「なあに、話を聞くだけでもかまわん。儂とてむさ苦しい男と向き合うより、女の子と賑やかにお話ししたいからのう」


 本当にどうしようもないな、あのジジイは。

 ……まあ、その気持ちはわからんでもないが。


「とりあえずゲームのルールを教えてやろう。その上で参加するかどうか決めるといい。……あるいは」


 ちらりと老人が青年に目を向ける。


「そこの若造に助太刀してやる形で参加するのでも、儂はかまわんぞ?」

「ほ、本当ですか!?」


 青年が叫びながら立ち上がる。


 その拍子に――――テーブルが揺れて、細い花瓶が大きく傾いだ。


「きゃああああっ!?」

「おっ、と」


 蕗の悲鳴が響くのと同時に、間一髪で老人の手が花瓶を支える。

 ……ほっ、と安堵の吐息がもれた。

 なぜ俺まで安心しているのかはわからないが。

 周囲の野次馬も、まさかの緊急事態に静まり返っていた。

 どこか弛緩したような空気が漂う中……老人の目が、ギロリと青年を睨みつける。


「――気をつけんか馬鹿たれッ! もし破損でもしたら問答無用で支払わせるぞ!!」

「ひぃ……っ!? す、すみません! すみませんっ!?」


 身体をほぼ半分に折り曲げて男がぺこぺこと頭を下げる。

 ……なんかこう、ダメそうだ。

 あの人からは、色々とダメそうな気配がプンプンする。


「もういい、キサマに付き合っておったら話が進まんわ…………ほれ。お嬢ちゃんたち、こいつを見てみろ」


 そう言いながらローブ姿の老人は例の花瓶を持ち上げた。

 いま気づいたが、あのジジイは織目さんがするのと同じような白手袋をつけていた。

 指示された通りに蕗たちが近寄ると、彼女たちに見やすくするためか、さらに腕が伸ばされる。


「ゲームのルールは簡単。お前さんたちは、この花瓶がエミール・ガレの作品か否かを見極めるだけでいい」

「え……それだけ?」

「おう。……だが景品も罰もなしというのでは、ちとつまらんからの。もしゲームに参加するのであれば商品を買ってもらう」


 いきなり話がきな臭くなってきた。

 蕗のやつ、自分も参加するとか言いださないだろうな?


「……その商品というのは、おいくらなんですか?」

「五十万だな」

「ごっ――五十万っ!?」

「驚くのはまだ早いのう。挑戦者がゲームに勝利すれば、この花器を進呈する。……もしこれが本当にガレの作品だった場合、どれほどの利益が出るかわかるかな?」


 最後の質問は、織目さんに向けられていた。

 迷うように口ごもった彼女は、それでも律儀な性格のせいか、おずおずと答える。


『……すくなくとも、数千万では利かないと思います。きちんと鑑定書をつけた上で信用できるディーラーさんに依頼すれば、サザビースやクリスティーズなどの大手オークションにもかけられるので…………おそらく、億単位の売り値がつくかと』


 どよめきが巻き起こった。

 それもそうだ。いきなり億の値段がつく花瓶を見せられれば、誰でも驚くぐらいはする。

 かくいう俺も動揺を隠しきれない。

 しかし、それは周囲とは別の感情からくる不安だ。

 頼む。

 お願いだから……


「……ね、ねえ、アキにぃ…………五十万円、ちょっと貸してくれない?」

「言うと思ったんだちくしょう! 誰が貸すか! こんなので簡単に騙されるなよ!?」


 五十万、ないわけではない。

 小学校の頃からとくに使い道もなく貯めてきた月々の小遣いやお年玉、加えて入学祝いなんかも含めれば、もうそれぐらいの額にはなっている。

 だが、これはあきらかに詐欺だ。こんなふざけたゲームに、おじさんたちからもらった金は使えない。


「――ほう? なぜ騙されていると思うんだ、坊主」


 気がつけば、老人の目がこちらを見ていた。

 答える必要あるのか? それ。……ていうか誰がボウズだ。

 俺は表情の読めないジジイを睨みつけた。


「……仮にそれが本物だった場合、あんたのメリットがすくなすぎる。たかが五十万のために数億円の作品を賭ける馬鹿はいない」

「たかが五十万か……たった五千円のために罪を犯す大馬鹿も、世の中にはおるようだが」

「話の主語をすり替えるなよ。言っとくけど、俺はあんたのことを一切信用してないからな」


 切り捨てると、老人はさもおかしそうにくつくつと喉を鳴らす。


「最近の子供にしちゃあ気骨のあるガキだの。儂はお前のような男は嫌いじゃない。すくなくとも、そこの根性なしよりは見どころがあるわい」

「そりゃあどうも。……話は終わりか? だったらもう帰るぞ」

「まあ待て。年寄りの話はちゃんと最後まで聞くもんだ」


 飄々とした声に思わず舌打ちしそうになる。

 そんな俺の苛立ちを嘲笑うように、老人はふざけた提案をしてきた。


「お前さんたちは一銭たりとも金を出さずともかまわん。だが奇妙な覆面のお嬢ちゃんは、この男に助言してやれ。もしそれで真贋の見極めが成功したなら、お前さんたちにも別途で賞金を出してやろう」


 なんとも都合のいい条件だ。話を聞く限りでは、こちらに一切のデメリットはない。

 その申し出に――凄まじい違和感を覚える。


「……どうしてそこまで彼女を参加させたがる」

「つまらんからだよ。このままロクに知識のないボンクラから金を巻き上げても、ただの弱い者いじめにしかならん。それじゃあ儂の目的は遂げられんからの」

「目的?」

「うむ、そうだ。……まあそんな箸にも棒にも引っかからん話はどうでもいい。お嬢ちゃんはどうする? なんなら、ヒョウロク玉から話でも聴いてみるか。儂は知らんが、なにやら抜き差しならん事情があると見える。そこの……ああ、なんだ。円谷つぶらやだったか?」

「せ、関口せきぐちです……」


 もはやまったくの別人じゃねーか。せめて語感くらい寄せてやれよ。

 とぼけたジジイのあまりの物覚えの悪さに愕然とする。

 一方、この場にいる全員の視線を一身に受けた関口青年は、注目を浴びていることに怯んだのか、おどおどと口を開いた。


「……僕は、ある大学で博士研究員をしているんです。いわゆるポスドクというやつで……もう十年以上研究室にいるんですが、なかなか助教に昇格できなくて……」


 十年以上……ということは、三十代なのか。

 ずいぶんと若く見える。

 童顔と気弱な振る舞いが、そう見せているのかもしれない。


「でも、最近になって教授が『私が驚くような論文を書いてみろ』と言ったんです。その出来次第では昇格も考えてやる、と……ただ、指定されたのが」


 青年がちらりと老人に目を向ける。

 正確には、その手元にある花瓶に。


「――“アール・ヌーヴォーに関するレポート”だったんです…………僕の専攻、民俗学なんですよ? ずっと日本の風習や土着の信仰なんかを調査してきたんです。世界史を知らないわけじゃないですが、美術史ともなると完全に専門外で……」


 そう言われても、そこらの専門的な話はよくわからないが。

 要は、包丁打ってる鍛冶職人の見習いが「本格フレンチを作れたら腕前を認めてやる」って言われるようなものか? ……ちょっと違うか。

 なんにしても理解できそうにないので、おとなしく関口さんの話に耳を傾ける。


「それでもせっかくのチャンスだからと、血眼になって調べました。……すると、ネットにこちらの志摩木しまきさんのことが書いてあったんです」

「え……このおじいちゃん、有名な人なの?」

「もちろんだとも! エミールの蒐集家なら、儂の名を知らん者はおらんぞ!」


 誰かあの意味もなく元気なジジイの口を塞いでおいてほしい。

 勢いよく話の腰を折られた関口さんも苦笑いしていた。


「僕はガレに詳しくありませんが……とにかく、有名なコレクターの志摩木さんがここの古物市ですごい所蔵品を出品されると知って……その珍しいガレの作品とレポートをいっしょに提出すれば、きっと教授も驚くだろうと思ったんです」


 彼の話を聞いて、引っかかるところがあった。

 が、いまはそれどころではない。

 どうもこのままの流れだと、ジジイの思う壺になるような気がする。

 ……どうにも読めない年寄りだ。

 ふざけてるだけかと思ったら、蕗たちの性格を見抜いている。


「……あなたは、ガレに詳しいんですよね? どうかお力を貸してもらえませんか……もし代金が必要なら、今日のために銀行から全財産下ろしてきました。賭けの商品を買ってしまうとほとんど残りませんが、すこしはお支払いできます。だから……どうか、お願いします」


 関口さんは、そう言って深々と頭を下げた。

 対する織目さんはまだ迷っているようだ。

 すぐには返事をせず、戸惑うように視線をさまよわせている。

 ……どうしたんだ? いつもは頼まれなくても首を突っ込もうとするのに。


「……織目さん、助けてあげられない? もし失敗しちゃっても、こっちには迷惑かからないって言ってるし……」

「ああ、当然だ! お嬢ちゃんたちには絶対に損をさせないと誓おう! もし儂が約束を破ったら、お嬢ちゃんたちのピチピチのお御足に顔面を踏まれたっていい!」


 それは単にジジイが変態なだけだろうが。

 こんなんばっかりか、金持ちってのは。

 基本的に温厚な桂姉の顔もさすがに引き攣っている。

 そうこうしているうちに、長らく逡巡していた織目さんが、躊躇う様子ながらもようやく頷いた。


『……わかりました。アドバイスだけでいいのなら、お引き受けいたします』

「あ、ありがとうございます!」


 青年の喜色にあふれた声が響く。

 これはもう付き合わずに帰ることはできないらしい。

 まあ今回は織目さんの鑑定頼みだから、俺がなにかするわけでもないが……。



「どうやら話が決まったようだの――――なら、ゲームをはじめるとしよう」


 宣言した老人が、にやりと口端を吊り上げた。



        ◇



 志摩木という名らしいジジイから説明されたルールは、こんな内容だった。


 ・エミール・ガレの『幻の花瓶』の真贋を見極める。

 ・参加料は五十万円。

 ・参加者は解答後に売買契約書に署名すること。

 ・開催者である志摩木が嘘をついた場合、ゲームは無効となる。


 そしてゲームの報酬は、


 ・「本物」を選んで正解――――『トリステスの花器』を進呈。

 ・「偽物」を選んで正解――――志摩木の持つ別のエミール・ガレの真作を進呈。

 ・「本物」を選んで不正解――――五十万円で偽物を購入(強制)。

 ・「偽物」を選んで不正解――――五十万円相当の別の商品を購入(強制)。


 といった条件になるらしい。


 これだけ聞くと「偽物」を選んだ方が圧倒的に得じゃないかと思える。とりあえず金銭面でそこまで損はしないだろう。

 というか「本物」で不正解だった場合しか志摩木のじいさんの利益にはなりそうにない。

 なぜこんなゲームを開催したのか、本当に謎だ。


『それでは――――遥か遠き昔日のカケラを、拝見いたします』


 いつも通りの宣言をして、白手袋をつけた織目さんが花瓶を手にする。

 気のせいだろうか。今回はいつにも増して注意深く観察しているようだ。

 どうも様子がおかしい気がする。……あの花瓶、なにかあるのか?


「……ねえ、アキにぃ。このゲームなんかおかしくない?」


 いつのまにか蕗がこちらに戻ってきていた。

 その顔には訝しむような表情が浮かんでいる。


「むしろ、おかしいところしかないが」

「だよね。あのおじいちゃん、なんでこんなゲームをしたかったんだろう……」


 それは俺もわからん。

 推論を立てるにしても情報がすくなすぎる。


「じいさんの近くにいて、なにか気づかなかったか?」

「気づいたこと? ……うーん。とくにはないかなあ…………なんか、ちゃんと食べてるのかな? ってぐらい痩せてたけど……」


 蕗は首を捻りながらそう答えた。


 ――……ふと、ある考えが頭をよぎる。


 しかし、それでも結論を出すにはまだ足りない。

 固唾をのんで観察する野次馬と同じく、俺たちは奇妙なゲームに挑む織目さんを無言で見守った。







「どうだい、答えはわかったかな? 覆面のお嬢ちゃん」


 たっぷり三十分は経っただろうか。

 志摩木のじいさんが、鑑定中の織目さんに声をかけた。

 急かしている様子はない。ただ、楽しくて仕方がないとでもいうように。

 やがて、熟考していた織目さんは丁寧な手つきで花瓶を置いた。


『…………偽物、だと思います』


 いつもより歯切れが悪い。

 ――しかし、それが織目さんの出した結論だった。


「ほう! なぜそう思うのかね?」


 花瓶を偽物と断定された老人は、なにやら嬉しそうな声で訊ねる。

 ……まさか間違ってるのか?

 とはいっても、偽物を選ばれたら志摩木のじいさんは損をするはずだ。

 もはやまったく状況が読めない。

 質問された織目さんは、その場で微動だにせず出題者の老人と向き合った。


『この作品は、本物のトリステスの花器ととてもよく似ています。材質はおそらく百年以上前のガラスで、下部にあるガレ特有のサインにも違和感はありません。グラジオラスの花の柄や技法、壁面に刻まれたボードレールの詩の一節まで非常に精密に模倣されています。きっと隣に真作を並べても、見分けはほぼつかないでしょう』


 ですが、と彼女は話を進める。


『その気泡……“ヴュラージュ”と呼ばれる技法が、本物のガレの作品とは異なっています』


 瞬間、老人の目がスッと細められた。

 その鋭い眼差しは、まるで織目さんの真価を図っているかのようにも見えた。


「……この花器と真作、どう違うと言うんだね?」

『十九世紀後半のヴュラージュには二種類の方法がありました。一つは素地を針などで突いて穴を作り、上から熱して溶かしたガラスをかぶせる手法。もう一つは、ガラスに発泡剤を混ぜて内部で気泡を発生させる方法です。

 エミール・ガレが採用したのは後者の科学的な手法でした。彼は何種類もの材料を配合してガスを内部に発生させ、まるで水面を叩く雨粒のような細かい気泡を作りだしています。

 ですが、こちらの花器に含まれる気泡はそれよりもあきらかに大きく、配置にも一定の規則性が見られます。これは物理的に人の手で作られた気泡です。おそらく薬品の配合が再現できなかったのではないしょうか?

 ――以上の理由から、私はこの作品が精巧なレプリカであると判断します』


 一気呵成に理由を説明し終えた織目さんは、そこでようやく大きな息を吐いた。

 ……いまさらだが、本当にすごいな。あの人の知識量は。

 師匠がいるという話だけど、いったいどういう人物なのだろう?


 などと俺が余計なことを考えている間に、志摩木のじいさんの視線はすでに関口さんへと向けられていた。


「なるほどのう…………で? どうだ関口よ。答えは出せたか? ……よもやここまで来て、逃げるとは言わんだろうな」


 唐突に矛先を向けられた関口さんが、怯えたように小さく肩を跳ねさせる。

 それもそうだろう。これは彼の人生を左右するかもしれない選択だ。

 気の弱そうな関口さんには必要以上の重圧なのだろうと思う。


 そして息が詰まるような沈黙のあと。

 ――青年は、強張った表情のまま口を開いた。


「わ、わかりました。……僕は『偽物』に賭けます」

「その答えで本当にいいのか?」

「は、はい」


 答える声は震えていた。

 それに同情したわけではないが、気になることがあって手を上げた。


「訊いてもいいか?」

「なんだ」

「……これって、もしかしなくても賭博にあたるんじゃないかと思うんだが、法律とかそのあたりの問題は大丈夫なのか?」


 老人の目が見開かれる。


「くっ…………ふはは! この場でそれを訊ねるか? きもが据わっておるのか空気が読めんのか……いずれにせよ、おもしろいやつだのう」


 ……そんな笑われるようなことか?

 わりと真っ当な意見だと思うんだが。


「坊主、これはごくまともな商品の売買だ。なにしろ双方合意の上での契約だからの」


 志摩木のじいさんがそう断言する。

 おそらく契約書の方にもなにか仕掛けがあるのだろう。

 なんにしたって俺は法律を専門的に学んでいるわけでもないので、そう言われれば引き下がるしかない。


「では関口よ、この欄に署名をせい。正解の開示はそのあとで行う」


 テーブルに一枚の紙と上等そうな万年筆が差し出される。

 やはり自信がないのか、彼の視線は何度も花瓶とテーブルの間をさまよった。


「こ、これで…………お願い、します」


 やがて記入を終えた書類が戻される。

 その紙面をたしかめた老人は、満足げに「ふむ」と一度だけ頷いた。


「よろしい。では、答え合わせといこう」


 誰かの息をのむ音が聴こえた。

 ともすればそれは、俺が鳴らしたものだったのかもしれない。

 二人の傍らに立つ織目さんの気配も、どこか強張っているように感じられる。


 耳の痛くなるような静寂。

 蒸した不快な空気が肌に突き刺さる。

 呼吸をすることさえ憚られる張り詰めた気配の中で――――老人は、木枠の額縁をテーブルに置いた。


『…………そん……な』


 織目さんの絶望したようなつぶやきが聴こえた。

 ……なんだ?

 ここからではなにが書いてあるのかよくわからない。


 慌てて覗き込もうとしたその時、しゃがれた声が無慈悲な結末を宣告した。



「残念だったの、お嬢ちゃん――――これは“本物”だよ」






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