シンガン×シンガン 2
どこかの誰かが言った。
『運命の神様には前髪しかない』と。
訪れたチャンスは力づくで掴み取らなければ逃げてしまうのだ、と。
しかし好機というものは、往々にしてなんの準備もしていない時に限って自分のところにやってくるものだ。
それどころか「いまはちょっと勘弁してほしい」というタイミングで、その運命の神様とやらと行き合うことさえままある。
あえていうなら、現状は後者である。
俺は、できればまだもうちょっと勘弁してほしかった機会に遭遇した。
『ごぶさたしています、新屋さん』
「お、おう……」
たとえば父の日の贈り物を探しに出かけた先の百貨店で、奇妙なライオン頭の知り合いに出くわしたらどうなるか。しかもこちらに身内の姉と妹がいる場合である。
出てくる反応など一つしかない。「お、おう……」だ。
「暁彦ちゃん、学校のお友達?」
「この状況でそんな冷静な反応されたことに驚くけど、まあ…………知り合い、かな」
『新屋さんのご家族の方でしょうか? お初にお目にかかります、織目小夜子と申します』
「あらあら、ご丁寧に。はじめまして……でいいのよね? 暁彦の姉の桂です。いつも弟がお世話に……」
『こ、こちらこそ、新屋さんにはお世話になってばかりで……』
ふわふわの姉と恐縮する織目さんが、なにごともなかったように初対面の挨拶を交わす。
……なんでだ? この状況がおかしいと思っているのは、俺だけなのか?
「ね、ねえ……なんでネエやんは、あんなナチュラルに対応してるの……?」
あ、俺だけじゃなかった。
隣の蕗が、街中でチュパカブラでも見つけたみたいな顔をしていた。
味方の存在を確認した俺は、ちょっと安心しつつ二人に向き直る。
「……よく会うな」
『そうですね。新屋さんとはなにか不思議なご縁があるのでしょうか?』
嫌だなあ、その縁。わりと最近ちょくちょくヒットしてるあたりが……。
いっそ変人だけ検索除外とかできないものだろうか。
そうなると真っ先に見えなくなるのは、あの度し難い変態の悪友になるわけだけれども。
「織目さんは駅前によく来るのか?」
『いえ、そんな頻繁には……今日は、この近くの広場で古物市があると聞いたものですから』
古物市? ……ああ、なんかやってたな。そういえば。
人だかりに幟が立っているのを見かけたが、まったく興味がないので無視していた。
……いや、実は逃げだしたという感もある。
嫌な予感はしていた。
ここのところ、骨董関連でよく騒動に巻き込まれていたから。
そして百貨店の前で見事に織目さんと出くわしたのだ。
もし運命の神とやらがいるのなら、いつか枕元に立って夜明けまで苦言を垂れ流したい気分ではある。
『新屋さんたちも古物市に?』
「いや、俺らは普通の買い物だ」
ここに来たのはドイツに単身赴任中の新屋のおじさんに送るプレゼントを探すためだ。断じて骨董品が目的じゃない。もし知っていたら確実に来なかった。
ちなみに女子大の准教授であるおばさんの方は、チームの共同研究だかなんだかで現在九州にいる。蕗が中学に上がった頃に復帰の声がかかったらしく、迷っていたおばさんの背中をみんなで押したのだった。
どちらもずっと帰ってこないということもないのだが、仕事が忙しくなると家を空ける機会が多くなる。
お世話になっている身として、こういう時の贈り物はちゃんと選ばねばという、われながら殊勝な心持ちで休日の午後にこの百貨店を訪れたのだ。
古物市との遭遇はもはや事故に等しい。
「……ねえ。織目さんって、すっごく骨董品に詳しいんだよね?」
『い、いえ……すごく、というほどでは』
「でも詳しいんでしょ? あのゴスロリの人のお人形のことも知ってたし」
なにを思いついたか詰め寄る蕗に、織目さんが戸惑っている。
やめてやれよ。たぶんその人も霧小路さんと同じで、若干人見知りなんだから。
「あたし、すっごいこと思いついちゃったかも……」
俺、すごい嫌な予感しかしないんだが……。
これは止めるべき、と判断して手を伸ばそうとしたものの、蕗の動きはそれを上回った。
やつはキラキラと瞳を輝かせながら、困惑しっぱなしの織目さんの手を握る。
「あのさ! 古物市って、要はフリーマーケットってことでしょ? だったらそこで掘り出し物を見つけてよそで売ったら、すごい儲けが出るんじゃない?」
『い、いけません、そんな騙すようなこと……』
「そう言わずにーっ!! どうかお願いします! この通り!」
勢いよく蕗が頭を下げて、織目さんの肩がビクッと跳ねる。
そんな二人に静かに歩み寄った俺は、いまにも土下座しかねない馬鹿の頭をはたいた。
「いだあ――っ!? ……ちょっ、なにすんのアキにぃ!」
「黙れ新屋家の恥部が! 慎み深くしろとは言わんがせめて衆目を気にする程度の良識ぐらい持て!」
叱りつけると蕗が口をへの字に結ぶ。
こいつ、なにが不満か。
こっちは道行く皆様から向けられるおもしろげな視線が痛くて仕方ないというのに。
「……なんで急にそんな馬鹿げたことを言いだしたんだ」
「だってさー……新作のゲームが出るんだもん。おこづかいだけじゃ足りなくて」
「信じられないぐらいどうでもいい理由だな、おい……」
「どっ、どうでもいい!? あたしからゲームをとったらなにが残るっていうのさ!!」
そんな人生もどうなんだ。
自分で言って悲しくならないのか? それ……。
あと、お前は陸上部だろうに。せめて走る方もすこしぐらい残してやれよ。
「ごめんなさいね、うちの妹が……」
『あ、いえ……』
俺が遠い目をしている間に、あちらでは桂姉が大人の対応をしていた。
本当に似てないな、この姉妹は。まあ昔からそうだったが。
そしてライオンの頭を振った織目さんは、なにごとか考えるように口許に手を当てた。
『そうですね…………では、私がアンティークの情報をお伝えして、蕗さんが品物を選ぶというのはどうでしょう? それでしたら、バザーの趣旨から大きく外れることもないでしょうし……』
まさかの発言に、蕗の表情がパアッと輝いた。
「いいの!?」
『はい。とは言っても、商品を選ぶ際のアドバイスはしませんよ?』
「うんうん! わかった、それでいいよ!」
よくわからないうちに奇妙な約束が取りつけられた。
これにはさすがの桂姉も苦笑いである。
「おい待て、買い物はどうする気だ」
「大丈夫! ちょっとだけ……本当に、ちょっとだけだから!」
これほど信用ならない返事もない。
すでに蕗の目は近くの広場だけを見ていた。どうやらおじさんへのプレゼントは頭から吹っ飛んだようだ。
――というか、もう歩きだしていた。
誰かあの躾のなってない犬をリードで繋いでおいてほしい……。
「小夜子ちゃんは、よかったの? なにかご用事があったんじゃないかしら」
『いいえ。私はただ興味があって来ただけなので、大丈夫ですよ』
否定した織目さんは『それに』と、躊躇うように告げる。
『一人で見るよりも、賑やかな方がきっと楽しいですから』
その言葉は、彼女の素直な気持ちであるように感じられた。
思わず吐息がもれる。
……そんなこと言われたら、もう断れないじゃないか。
◇
百貨店から目と鼻の先にある広場は、案の定というべきか大勢の客でごったがえしていた。
時計つきのモニュメントを中心に石畳が広がり、奥に入れば公園や球技場まである。
そこにずらりと持ち寄られた商品や人々の並ぶ賑やかな光景は、フリーマーケットというよりも一種の祭りを連想させた。
「それで、織目センセー的にはなにが狙い目なの?」
『せ、先生……? あの、その呼び方はちょっと……』
「えー、いいじゃん! こういうのって雰囲気が大事なんだから!」
ここらでは珍しい人混みの中、すでに織目さんは蕗に振り回されていた。
そいつの相手をするのはな、大変なんだ。俺も日頃からどれほど苦労してきたことか。
あんまり失礼なことを言いだしたら止めようと準備しつつ、周囲をざっと見回す。
古物市というだけあって、客の年齢層はそこそこ高めのようだ。
とはいえ大きなイベントとなればどんなものでも人が群がるのは田舎の常なので、若者がまったくいないということはなかった。大学生のカップルらしき男女などもそこらへんにちらほらと見受けられる。
そのことを見越していたのか、並べられている商品も実に多様だ。
茶碗や掛け軸といった『いかにも骨董品』というものから、服や髪留めや子供の玩具、中には、あきらかに古物じゃないだろうというようなパワーストーンのブレスレットまである。
もうあれだな。
これは完全にただのバザーだ。
『……蕗さんの目的で考えるなら、まずは玩具を探してみてください』
「オモチャ? そんなの、本当に売れるの?」
『あまり転売はおすすめするべきではないのですが…………そうです。とくにブリキ製の車や列車などの乗り物の古い模型は、珍しい品であればコレクターの方が熱心に探していらっしゃいますので』
「なんか地味だなあ……壺とかの方が、いっきに儲けられそうな気がするんだけど」
『陶器などの作品は見極めが難しいですよ? 元々の価値が高い有名な作家さんの品は、知名度と比例するように贋作が多く出回りますから。
それに、その場で判断のつかない物は美術館や大学の専門家に依頼したり、状況によっては高価な分析器にかける必要もあるので、鑑定費用が跳ね上がります。もちろん調査期間も数ヶ月単位でかかるでしょう。いますぐにおこづかいを得ることが目的というのであれば、推奨はしかねる方法ですね』
「む、むむむ……」
おお、すごいな。あの蕗を黙らせた。
基本的に人の話を聞かないあいつは、正論で説き伏せるのにもそれなりに苦労する。
ほぼ初対面の織目さんが一発で納得させるなど、普段ならありえない。
それだけ彼女の骨董品に対する情熱がすごいということか。
「じゃ、じゃあさ、なにかヒントちょうだい!」
『わかりました。いくつか稀少とされるメーカーの名前をお伝えします。……それと、価値のある物を見分ける極意も』
最後の一言に、蕗の瞳がキラキラと輝く。
「うんうん! お願いします!」
『はい。承りました』
丁寧に返事をした織目さんは、すっと手を上げて目元を指さした。
……ああ、なんとなくオチが読めたぞ。
『“自分の目と直感を信じること”です』
「…………え」
『多くの人に価値を認められ、愛された作品は、それ自体がなにか訴えるような雰囲気を持っています。ですので、一目で「これだ!」と直感した作品こそ、蕗さんが手に入れるべきアンティークなのです』
いつになく力強い口調で、織目さんはそう言いきった。
対する蕗は、さっきまでの希望に満ちた表情はどこへやら、感情の抜け落ちたような真顔で硬直している。さらに足元もふらついているように見えるが、さすがにそれはショックを受けすぎじゃないかと思う。
その姿を見た俺は感心したような心持ちで、織目さんに向き直った。
「やるじゃないか、織目さん」
『はい?』
「つまりあんたが言いたいのは『一朝一夕で儲けられるようなうまい話はない』って、そういうことだろう?」
そうして「欲をかけば失敗する」と蕗に教えているわけだ。
詳しいことは知らないが、織目さんだってあれほどの骨董品の知識を得るには相応の努力をしたはずだ。それをただ聞きかじっただけの蕗に使いこなせるはずがない。
いわば教訓みたいなものなのだろう。
価値のある骨董品を得たければ、まずは己の目を肥やせと。
なにかにつけてサボりたがる蕗には耳の痛い話だったに違いない。
これに懲りて、日々の風呂掃除もこまめにするようになってくれればいいのだが。
そんなことを考えて頷く俺に、織目さんは……
『え……? いえ、これは私が目利きの師匠に教わったそのままの言葉ですので、とくになんらかの教訓というわけではありませんが……』
「…………」
――恥ずかしすぎるんですが?
思わず蕗と同じような真顔になってしまう。
……おい。どうするんだ、この微妙な空気。俺の精神はもう限界だぞ。
誰もが無言で固まる中、そんな気まずい雰囲気を打ち破ったのは、
「ねえ見て、暁彦ちゃん。あのベンガルトラの置き物、かわいいと思わない? 私、ちょっと見てきてもいいかしら?」
すでに話に飽きて周囲を見回していた姉の、ふわっとした発言であった。
◇
その後も蕗のお宝探しは続いた。
人波に沿って歩き、玩具を出品しているブースがあれば足を止めて、じっくりと商品を見せてもらう。
しかし、そう都合よくレアな品など見つかるはずもない。
だいたい空振り。たまにヒットすることがあっても、向こうも価値を知っているのかそれなりの値段がついていた。
「見つからないよー……」
半泣きの蕗が嘆く。
なんか怪談に出てきそうな鳴き声だな、それ。
そうこうしているうちに、ブースの最終地点が近づいてきた。
ここから先にはもう出店がなく、奥に進めば広葉樹に覆われた並木道に差しかかる。
そんな場所だというのに、なぜか今日一番の人だかりが見えた。
遠巻きに眺めるように人が集まっているのは、なにやら立て看板とテントのある奇妙なブースだった。
「なんだ、あれ?」
『鑑定所でしょうか……?』
それにしてはやけに怪しげな黒テントだが。
なにごとかと人混みの隙間から覗き込んでみると、そこには簡易テーブルを挟んで向かい合う老人と若い男の姿があった。
その優男の代表みたいな印象の男はいたって普通の見た目なのだが……彼と相対する枯れ枝みたいな老人の服装が酷い。まるで物語に出てくる魔法使いのようなローブを羽織って、皺だらけの口許をニヤニヤと歪めている。
…………アウトだろ、あれ。どう見ても。
町内で目撃されたら保護者ネットに写真つきで出回るレベル。
なぜあの不審者に店を出させたのか。もしかして、古物市の主催者も変人なのか?
俺の知る、平和で穏やかな幸ヶ瀬はいったいどこへ行ってしまったんだ……。
『う、嘘……』
やるせない気持ちで遠くを眺めていると、隣の織目さんが愕然としたような声をもらした。
そのさらに隣のおじさんは、地球外生命体でも見るような目をずっと織目さんのライオン頭に向けているのだが、それに関してはもう言及する気も起きない。
なにがそこまで彼女を驚かせたのか。
視線を辿ると、老人と青年の間にあるテーブルの上の物が目についた。
昼下がりの日差しに煌めくそれを見て――――思わず、息をのんだ。
それは細長い筒のような、華奢な鶴首の花瓶だった。
うすく透き通る、儚げな青。
材質はガラス細工なのだろうか。植物の模様が描かれた花瓶は、見る角度によってきらきらと変化を生じさせながら、静かな光の粒を飛ばす。
……綺麗だ。
そんな単純な言葉しか浮かばないほど、その花瓶は不思議な魅力にあふれていた。
『――“トリステスの花器”』
ぽつりとこぼれた言葉に、ようやく俺はわれに返る。
視線を向けると、織目さんはまだ例の花瓶を凝視していた。
「有名な骨董品なのか?」
訊ねると、ライオンの頭がぐらりと揺れる。
よほど集中していたらしい。
大きく深呼吸した彼女は、自らを落ち着かせるように胸に手を当てて、ようやくこちらに向き直った。
『……「幻」と評された、エミール・ガレの作品です。彼の死後、百年近く表に出ることがなく、現在でも日本の美術館が所蔵する一品以外はまだ発見されていません』
「そ、そんなにすごい花瓶なの!?」
こっそり話を聞いていた蕗が調子はずれな声を上げる。
すぐ近くにいた桂姉も驚いた顔をしていた。
「けど、もし織目さんの言う通りだとしたら、あれはものすごく稀少な作品なんだろう? ……それがどうしてこんな所にあるんだ?」
『わかりません。……ただ、ここから見た限りでは』
戸惑うように織目さんがなにか言おうとした、その瞬間。
「ほう! そこの珍妙な格好のお嬢ちゃんはガレに詳しいと見える!」
そんながさがさと嗄れた声が、野次馬の群れの内側から響いた。
衆目の視線が一斉にこちらへと集まる。
やがてじわじわと人垣が割れ、一本の道ができあがった。
それはさながら、役者が通るために作られた花道。
ぽっかりと空いたスペースの向こうには――
「どうだ、お嬢ちゃんも参加してみるかね? ――この“天国と地獄のゲーム”に!」
――悪魔のような笑みを浮かべる、老人の姿があった。




