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獅子とアンティーク  作者: 結木さんと
第1章 イタズラクロック
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イタズラクロック

【第一章 イタズラクロック】


 かつてそうだった「大人」のみなさんも、これからそうなる便宜的「子供」のみんなも、よければ想像してみてほしい。

 高校一年生の春、四月の終わり。

 入学式を終えてしばらく経ったこの時期は、元々の知り合い以外との会話にはいまだぎこちなさが残る段階であり、さりとて対新入生用の学校イベントは目白押しという、右も左もわからない新一年生が日常生活においていきなり全力疾走を強要される期間でもあった。

 すでに五月にはクラス交流を目的としたレクリエーションが河川敷で行われる。そのあとにも野外研修、体育祭にテストに文化祭といった行事が続々と控えていた。


 この忙しなく過ぎる時間を息苦しいと感じるのは、はたして俺だけであろうか。

 新しい環境になじむにも、個人のペースというものがあるのだということを、是非ともエライ人たちには理解していただきたいところだ。


 そして春といえば頭のおかしな人間が増加する時期でもある。

 にわかに暖かくなった気候が原因だろうか、学校からの「できる限り誰かと一緒に登下校しましょう」というお達しも、小学校の頃から通算すればもはやこの季節の風物詩となりつつあった。

 とはいえ、この幸ヶ瀬町ゆきがせちょうは『職人・修理技師の聖地』と評される地方都市の一角。個人、あるいは中小企業傘下の工房が軒を連ねる通りはそれなりに賑やかで、外から掘り出し物を求めてやって来る客もすくなくない。

 となれば昼間は厄介な人間も鳴りを潜めるだろう。


 ――そんな些細な油断が命取り。

 俺はすっかり忘れていた。


 変人は常識にとらわれないからこそ変人なのであり、春とは出会いの季節でもあるのだということを。


          ◇


 その喧騒に足を止めたのは、まったくもって、ただの気まぐれだった。

 屋根さえないレトロな風貌の商店街。学校と自宅のちょうど中間に位置するその通りに差し掛かった時、普段にはない人だかりの向こうから、聞き覚えのある声が聴こえてきた。


「――だから、おばあちゃんからここに持って行けって言われたんですってば!」

「いや、そうは言ってもだな……」


 なにやら大きな声で騒ぎたてる女の子と、勢いに押されてたじろぐ白髪の老人。

 人垣の隙間からちらりと見えたツインテールの元気そうな彼女は、ほんの二ヶ月ちょっと前に俺が卒業した中学校のセーラー服を着ていた。


「なんで! どうして鑑定してくれないんですか!? ここって質屋さんなんでしょ!」

「お、おいおい、あまり感情的になるなよ……さっき言ったように、親御さんか、せめて誰か大人を連れて来てくれ。な? そうすりゃあ、オレもきちんと仕事をするさ……あと、うちは質屋じゃなく、骨董屋で」

「そうですか。わかりました……あたし、わかっちゃった」


 言葉を遮って氷点下の態度となった彼女は、狼狽えっぱなしの老人を睥睨する。


「……お金でしょ?」


 ――そうして、中学生にしてはやけにスレたセリフを口にする。


「お、おい、やめろ……お嬢ちゃん、あんたまだ子供じゃないか。そんな歳で人生に疲れきった場末のホステスみたいなこと言わんでくれ。ジジイ、悲しくなっちまう」

「ううん、わかってる。……どうせ大人なんて、優しそうな顔して本当はお金が一番大切なのよ……パパもママもそう。あたしやおばあちゃんの心より、お金が大事なんだわ。もう絶対に騙されないんだから」


 いまの彼女は、さながら人間に裏切られ続けた野良犬であった。

 腹を空かし、冷たい雨に打たれ、心無い人間から悪意に満ちた言葉と石を投げつけられてきた捨て犬のごとき気配が、うつむいて肩を震わせる少女から放たれていた。

 ……いったい彼女の人生になにがあったというのだろう?

 どう見ても普通のご家庭で育ったっぽい女子中学生に向けて、老人は静かに訊ねた。


「…………鑑定料がないのかい?」

「ええ、そうよ! その通りですーっ! もうお年玉も全部使っちゃったの! しょうがないじゃないですか! お正月には、まさかこんなことになるなんて思ってなかったんだもん! さあ、笑いたければ笑うがいいですよ!」

「ああ、まあ、笑いやせんがね……お金がないなら、依頼は受けられんよ。こっちも商売だからね」

「わーん! 人でなしーっ!!」


 ……なんて最低な会話だろう。

 立ち止まって損した気分だ。

 ていうかあの子、正月でお年玉を使いきったのか。額にもよるけど逆にすごいな。

 俺なんて、小学校からの総支給額のほとんどがまだ手つかずで残っているというのに。


 そして興味をなくして解散していく野次馬と同じく、俺もいい加減アホらしくなって帰ろうとした時――――そいつは、颯爽と人垣を割って現れた。



『――待ってください』


 周囲から細波のようなざわめきが広がった。

 呼びかけられた二人もギョッとした顔で固まっている。

 その少女の声は、やけにくぐもって聴こえた。

 しゃんと伸びた背筋、スカートから覗くすらりと細い脚や手の指先、背中に落ちる長い黒髪と白雪のような肌から、声の主は若い女性であるとかろうじて判別できる。

 ではなにが判断を鈍らせたかといえば――その、猛々しい『ライオン』のかぶりもの。

 百獣の王。獅子。

 呼び方はなんでもいいが、デカい。

 やたらと大きな着ぐるみの頭が、彼女の頭をすっぽりと覆っている。


「な、ななななんだっ? 今日はなんだ? 厄日か? 今日が、オレの命日なのか?」

「……ら、ライオン…………えっ、なんで? ライオン、なんで……?」


 混乱した二人が、壊れた蓄音機のように意味のない発言を繰り返す。

 どうやら事態がキャパを超えたらしいその頭からは、すっかり「逃げる」という選択肢が消滅しているようだ。

 呆然とする老人と中学生を後目に、奇怪なライオン少女は、どんどん動けない二人に近づいていく。


『失礼ながら、話は聞かせていただきました。どうやらお困りのようですね』


 きっと彼らにとって、いまこそ最も困った状況であろう。

 俺だって急にあんなのが近寄って来たら平静ではいられない。


『私が鑑定のお手伝いをいたしましょう』

「ひえええっ!? あっ、か、かかかかんていっ!?」


 ずいっと顔を寄せられた女子生徒が悲鳴みたいな声をあげる。

 ……ああ、これは関わっちゃいけないやつだ。

 顔見知りを見捨てるのは心苦しいが、アレはちょっと、ダメだ。


 なにがダメって、あのライオン女――俺と同じ高校の制服を着てるのが、本当にダメ。


 脳内に鳴り響く警鐘に従い、こっそり踵を返す。

 ――背後から腕を掴まれた。

 思わず声が裏返る。バクバク脈打つ胸を押さえつつ振り向くと、そこには深い皺を刻む老人の、獲物を見つけたハイエナみたいな気色悪い笑顔があった。


「おいお〜い……どこ行くつもりだ? ア・キ・ヒ・コ・くぅ〜ん」

「ひいっ、キモい!? は、離せっ、じーさん! うちにはまだ小さな妹がいるんです!?」

「見てたんだろ〜? 見てたんだよな〜? あんなの二人も相手にしたら、ジジイ死んじゃうよ〜? 今日で残機がゼロになる〜。間違いない、年寄りの勘はだいたい当たるんだ〜」

「そそそそそこらへんの天井いっぱい叩いて!? たぶんそのうちキノコとか星とか出てくるから! それ食べたらきっと一回ぐらいやられても平気だから!」

「無理だぞ〜。ジジイはもう若くないんだ〜。そもそも骨董屋に背丈の三倍近くジャンプするようなスキルはないぞ〜」


 ふいに地獄のような猫撫で声を潜めた老人は、俺の襟首を掴んでグイッと顔を寄せてくる。


「……おい、テメエがうっかり壊した親父さんの時計を、オレがこっそり修理してやっただろうが? その恩を忘れたとは言わせねえぞ」

「代金は完済しただろ!? だいたいそれ、もう五年も前の話だぞ!」

「うるせえ。人様から受けた恩ってのは、いつまでも消えねえモンなんだよ」

「あんたみたいのがいるから若者の生きにくい社会になるんだよっ!」

「ふはは! なんとでも言うがいい! この玄野源治郎くろのげんじろう、不幸になる時は一人でも多く道連れにしてやるのが還暦からの信条よ!」


 最悪だ。なんて迷惑な年寄りだろう。

 またこういうのに限って長生きするものだから、余計にタチが悪い。

 俺は高笑いする玄野古物堂の主人――通称「クロじい」を半眼で睨んだ。


『……あの、どうされました? 大丈夫ですか?』

「ひいっ!?」


 そして二人で飛び上がった。

 い、いつの間に、背後に……? まったく気づかなかった……。


「おい、お嬢、ちゃん……? の目的はなんだ。言っとくが、うちの店には金なんてないぞ」

『いいえ、お金は必要ありません。私はただ、鑑定のお手伝いがしたいだけなのです』

「……鑑定の手伝いだと?」

『はい。未熟ではありますが、アンティークの真贋の見極めには多少覚えがあります。ですので、あちらのお嬢さんの依頼を受けてあげてはいかがですか?』


 そういって、ライオンは立ち尽くす女子生徒の方を向いた。

 どうやら彼女はあの女の子の味方であるらしい。


「なあ、えっと……ライオン、さん……?」

『……あの、さっきからみなさん、どうして私の呼称がすべて疑問形なのでしょうか?』


 顔が見えないからです。

 まさか自覚ないのか?

 嫌ならその禍々しいかぶりものを脱いでいただきたい。微妙にリアルで恐いんだ。


「鑑定の手伝いって言ったけど、なんでそんなことするんだ? あんたとあっちの子は知り合いなのか?」

『いいえ。今日はじめてお会いしました』

「だったら、どうして……」


 俺の疑念に満ちたつぶやきを、彼女は小さな微笑みで遮った。

 ……いや、たぶん、笑ったんだと思う。見えないからよくわからないけど、かすかに『ふふっ』て聴こえたし。

 当惑する俺を正面に見据えて、ライオンさんはどこか厳かに口を開いた(見えないが)。


『――あちらの方は、手にした荷物のことでひどく悩んでいます。不肖の身ながら、遠い歴史の欠片に想いを馳せる者の一人として、なにもせず見過ごすわけにはまいりません』





 こうして俺、新屋暁彦にいやあきひこは、ライオン頭の変人と出会った。



 ……そして、これから思い出すのだ。


 変人とは凡人に御しきれるような存在ではないからこそ変人なのであり――春がもたらした出会いは、時としてそのあとにも続く奇縁になり得るということを。








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