真夜中の再会4
アズターがカルロスの元を訪ねたその五日後の晩、満月の月明かりが差し込む小屋の中、ルーリアは疲れを滲ませた表情を浮かべながら、ベッドの上で膝を抱えていた。
真夜中までかかってしまったが、先ほど今日の分の魔法薬を作り終えた。そのため、もう寝てしまって良いのだが、黒精霊が迫ってくる夢を見るのが怖くてこうして蹲っているのだ。
そして、眠りたくても眠れない理由はあとふたつあり、ひとつ目の理由であるひりひりと痛む口角を、ルーリアはそっと指先で押さえた。
一昨日の昼間、突然やって来たアメリアに思い切り頬を叩かれたのだ。その反動で床に倒れたルーリアは叩かれた理由がわからないまま、怒りの形相のアメリアを呆然と見上げていると、慌てて小屋に入ってきたクロエラがアメリアを宥め、侍女とふたりがかりでなんとか外へ連れ出そうとする。
その間もアメリアの怒りに満ちた眼差しはずっとルーリアに向けられていて、「どうして私じゃなくて、あんたなのよ!」と金切り声で叫び続けていた。
小屋から出ていく直前、クロエラが「誰から結婚の申し込みが来たとしても、この子は嫁には出さないわ。それはアメリアだってわかっているでしょ?」と話して聞かせた言葉で、ルーリアはまた自分に縁談の話があったのだろうとぼんやり理解したのだった。
そしてもうひとつの眠れぬ理由は、ここ最近頻繁に思い出してしまう子どもの頃の記憶にある。
それは今から十年前、カルロスと出会ったあの日の出来事だ。
その頃にはすでにもうルーリアはこの小屋でひとりで生活をさせられていた。黒精霊から祝福を受けた自分は普通の人と同じように暮らせないとわかってはいたが、まだ七歳であり、両親が恋しくて泣いてしまうことが多かった。
その日、寂しさが堪えきれなくなってしまい、ルーリアはこっそり小屋を飛び出してしまったのだ。裏庭の木をよじ登って塀を飛び越えた後、記憶を頼りに両親のいる家へと歩き始めた。
しかし、家に行ったのは数える程度しかなく、その全てが伯父夫婦と馬車に乗ってだったこともあり、道が合っているかどうかの不安と、体力の無さから、ルーリアは途中で歩けなくなってしまったのだ。
そこがカルロスとの出会いの場となったあの庭園だった。
彼は黒精霊を呼び寄せてしまったルーリアを助け、「家に送る」とまで言った。これまで助けてくれたり、味方してくれたりする人などいなかったため、ルーリアはすっかり戸惑ってしまった。
もちろん、家に送ってもらったところを伯父夫婦に見つかりでもしたら、優しい彼まで怒られてしまうと考え、ルーリアはすぐさまカルロスの元を離れたのだったが、それは正解だった。
その後すぐにクロエラに見つかり、小屋に連れ戻された。
「万が一、お前が黒精霊から祝福を受けたことが知られたら、光の魔力の名門であるバスカイル家の名が地に落ち、魔法薬が売れなくなる。虹の乙女となったアメリアの足も引っ張ることになるんだぞ! わかっているのか!」
そう繰り返し伯父夫婦に怒鳴られ続け、ルーリアは泣きながら謝り続けた。
怒号は、恐怖と怯えで萎縮したルーリアの力が暴走しかけ、戸口のランタンの中にあった魔法石が砕け散ったところで終わった。
泣き疲れてぐったりとしているルーリアを小屋に残し、伯父夫婦は外へ出た。その直後、ランタンを取り外しながらぽつりと発せられたディベルのひと言に、ルーリアは思わず悲鳴をあげそうになる。
「再び逃げ出すようなら、もしくは力の暴走を止められなくなった時は……消すしかないな」
命を消される恐怖に震え上がったが、すぐさま「大丈夫。まだ大丈夫」と小声で自分自身に言い聞かせ落ち着こうとした。
そこから、ルーリアはどれだけ両親が恋しくなっても、勝手に小屋を出ようとは思わなくなり、感情を露わにすることも無くなっていった。
先日クロエラが発した「最後」というひと言と、ここ最近しっかり魔力を抑えきれていないことから、自分はこのままでは消されてしまうのではとルーリアは不安になっていた。
(みんなの迷惑になるなら、いっそ私なんて……)
冷静な面持ちのまま床を照らす冷たい月明かりをぼんやり見つめていると、戸口の向こうでカタリと音が鳴った。
「……起きていたか」
物音に続いて聞こえた囁き声に、ルーリアがびくりと体を震わせて顔を向けると、灰色の外套を着たアズターがランタン片手に小屋の中に入ってきた。
こんな夜遅くの突然の父親の来訪にルーリアが「お父様?」と思わず声を上げると、アズターが慌てて唇の前に人差し指をかざし、静かにするように要求する。
「お願いだ。何も言わずこれを羽織って、父さんについてきてくれ」
言いながら渡されたのはアズターが着ている物と同じ色の外套で、ルーリアは戸惑いの眼差しを返す。
「……これはいったいどういうことですか?」
アズターは外套を握りしめたまま羽織ろうともしないルーリアと真剣な表情で向き合った。
「この前も言ったが、ルーリアを嫁に出すことに決めた」
ルーリアはわずかに目を見開いた後、怖がるように首を横に振る。
「伯父様と伯母様は、私を嫁になど出さないとおっしゃっていました」
「兄さんたちに許可はもらっていない。これは俺が勝手に決めたことだ。行こう、ルーリア」
「行けません。黒精霊から祝福を受けている私を嫁にもらった男性は不幸にしかならない。その家族にだって迷惑がかかる」
「大丈夫。話がついている。彼ならルーリアを任せられる」
アズターの口調から相手に信頼を置いているのが伝わってきて、ルーリアは思わず口を閉じた。
(相手はルイス・ギードリッヒ様? それとも……)
自分に縁談を持ちかけてきたルイスだけでなく、自然とカルロスの顔も思い浮かべてしまい、ルーリアは慌てて想像をかき消した。
とにかく、アズターがどれだけ本気だったとしても、ルーリアには簡単に頷けない理由があり、勇気を振り絞ってそれを言葉にした。
「私、ここから勝手に出たら……消されます」
ルーリアから声を震わせての告白を聞いても、アズターの神妙な表情は崩れなかった。ランタンを床に置き、ルーリアの右手を握り締めると、固い声音で言葉を返す。
「ここに残っても同じことだ。兄さんたちはそうすべく計画を立て始めた」
恐れていたことが現実になろうとしていたことに、ルーリアは息をのみ、右手で口を覆う。
「守ってやれなくてすまなかった。俺たちはもっと早く覚悟を決めるべきだった。お前にはここから出て、少しでも長く生きてほしい」
握り締められたアズターの手は震えていて、言葉の真剣さと本気さが痛いほど伝わってくる。
「お相手の方は、こんな私を本当に受け入れてくださったのですか?」
浮かんだ疑問をぽつりと言葉にしたルーリアに、アズターは力強く頷いた。それを見て、ルーリアは躊躇いや不安と向き合うように唇を引き結んだ。
(ここにいたら、もうすぐ私は殺される……でも私は、まだもう少しだけ、生きていたい)
ルーリアは大きな父の手に自分の左手を重ね置く。小さく頷きかけるとその手が離れ、ルーリアは渡された外套を羽織った。
「お父様。ありがとうございます。お願いします」
ルーリアが深く頭を下げると、アズターはほんの数秒泣き出しそうな顔をし、「すぐに出よう」と短く囁きかけた。
結界の役目をするランタンを持つように促され、ルーリアは「それならこれも」と王妃の誕生日につけていた髪飾りを掴み取る。魔法石は割れてしまっていても、効果は多少残っているため、無いよりはましだろうと考えたのだ。
髪飾りをつけた後、ランタンをしっかりと持って、ルーリアはアズターとともに小屋を出た。
いつもは鍵が閉まっている通用口から敷地の外へと出て、薄暗く人の気配のない町の中を足早に進んでいく。
後ろを振り返らずに二つ三つ道を曲がったところで、通りの先に女性と馬の姿を見つける。
「お母様!」
思わずルーリアが呼びかけると、ジェナもルーリアたちに気づいて、馬を引いて歩み寄って来る。
「ここまで問題なく?」
「ああ。まだ気付かれていないはずだ」
ジェナはアズターに確認すると共に手綱を手渡し、ルーリアへと体を向ける。
「ルーリア、ごめんなさいね」
目に涙を溜めてそう話しかけると、ジェナはルーリアの頭をそっと撫でた。
「お母様、私こそごめんなさい。あれはお母様のネックレスだと聞きました。ちゃんとお返しするつもりだったのに……」
ずっと気に病んでいたことをルーリアが謝罪すると、ジェナがゆっくりと首を横に振り、そのままルーリアを抱きしめた。
「……謝らないで。ルーリアは悪くないってわかっているから」
アメリアによってネックレスの件は悪者にされているはずなのに、ジェナから迷いのない温かな言葉をかけてもらえて、ルーリアの目にも涙が浮かぶ。
ジェナはルーリアを抱きしめる腕に軽く力を込めてからそっと体を離し、指先で涙を拭う。
「さ、乗ってちょうだい。待ち合わせの時間に遅れてしまうわ」
アズターは「そうだな」と呟くと、馬に跨り、ルーリアに手を差し出す。ルーリアは持っていたランタンをひとまずジェナに預けて、アズターの手を借りてその腕の間に収まるように馬の背に乗る。
「またね、ルーリア」
ランタンを受け取ると同時に、泣き顔のジェナから微笑みかけられ、ルーリアはうまく笑い返せぬままにこくりと頷き返した。
ジェナが後ろに下がると、アズターは馬の腹を蹴り、夜の闇に包まれた街の中を風を切って走り出す。




