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刺激的な香り

 湯がいた麺を水石の流水で洗ってから水を丁寧に切り、脂をつけて、そのまま空の中華なべに投入する。生めんは湯がいたあと、一度焼いてから他の具材と合わせた方が美味しくなるのだ。

 ある程度焼いてから、野菜炒めの入っている中華なべの中に、麺を投入する。全体的に塩を振り、激しく揺らしながら熱を通す。

 本当は胡椒が欲しいのだが、残念ながら胡椒はウスターソースのために使ったものが全てだ。まぁ、ソースの味は全てに勝ると思えばいいだろう。

 全体的に火を通して、焼き上がりを待つ。


 ソースはまだ投入しない。

 ソースというのは焦げ付きが発生しやすく、あまり早く入れすぎると焦げてしまうのだ。だからこそ、最後の仕上げに入れて軽く火を通すだけでいい。それだけで、ソースの香ばしさは引き立ち、また味も崩れない。

 タイミングを自分なりに図り――ウスターソースを、入れた。

 瞬間、ソースの香ばしい匂いが厨房に充満する。


(これだよ、これこれ)


 思わず、作っている竜也ですら少しにやけるほど、ソースの香りというのは魔力だ。

 全体的に火を通して、皿に入れる。

 あとは料理人として、最低限でも青のりと紅しょうがは用意したかったのだが、さすがにこのあたりの代用品はなかった。

 また、焼きそばといえばマヨネーズだろう、と思う人間も多いけれど、竜也はあえて作らなかった。マヨネーズは確かに美味しい。何にでも合う究極の調味料とさえ言えるだろう。『マヨラー』という言葉が作られたほど、日本人を虜にする調味料だ。


 だがそれゆえに、作れない。

 マヨネーズを作った日には、エミリア辺りが何もかもマヨネーズをかける人間になりかねないからだ。

 一般的に知られていることではあるけれど、マヨネーズの成分というのはその大半が油脂である。そのため、カロリーはかなり高い。

 中にはマヨネーズのせいで太った、という人間もいるくらいなのだ。

 だというのに、マヨネーズをかけることはやめられない。それだけ魅力的な調味料であるから。

 最早麻薬である。


「さて、完成、っと」


 皿に盛った焼きそば。

 やはり青のりと紅しょうががないと彩りには欠けるけれど、問題はあるまい。ひとまず自分の分だけ久しぶりに食べるとするか、と竜也は椅子に座る。

 竜也の誤算はただ一つ。


 厨房の、窓が開いていたこと。








 戦いが止まった。

 状況を端的に記すならば、そうとしか言えないだろう。先程まで激しい戦いを繰り広げていた二人が、完全に止まっていた。

 これまで何度となく竜也の美味しい食事を食べてきたジェイクですら、その香りに動揺を隠せていなかった。ましてそれが、食生活が豊かだったとは言えないであろうヒルデガルトであれば尚更だろう。

 鼻腔に届くのは、香ばしさ。


 どうしようもなく食欲をそそる、魔性の香り。


「な、な、なんだよ……これ……」


「この匂い、何だ……?」


「メシ……? 料理長……?」


「なんだこれ……メシ、なのか……?」


 口々に、謎の香りに対して呟くヴォイド号のクルーたち。それは、今まで竜也の作る食事を与えられてきた彼らにとっても、未知のものなのだから。

 既にここは、戦いの場ですらなかった。

 ヒルデガルトもまた、呆けた表情で空を仰いでいる。まるでその香りを、いつまでも味わっていたいかのように。

 今なら、油断しているヒルデガルトの首を取ることができるだろう。


 しかし、ジェイクも動かない。

 ジェイクも同じく、その香りに魅了されていたのだから。


「……リューヤ」


 だから自然、フィリーネはそう、名前を呟いた。

 恐らくこの香りの元は、竜也の厨房だ。そしてこの香りは、今日の昼食だろう。

 食べたい。

 食べたい!

 食べたい!!

 食べたい――!!!

 

 すっ、と自然に、フィリーネは呆然としている二人の間に入る。

 そこでようやく、目の前の敵に動きがあったことから、ヒルデガルトが大きく首を振る。

 そうか。

 賞金首にして大悪党、海賊『鉄腕』ヒルデガルト。

 確かに悪党だろう。商船から根こそぎ積荷を奪う悪魔だ。

 だけれどその実は、フィリーネたちと大差ない。

 ヒルデガルトは。


 本当に美味しいものを――知らない。


「お、おい、フィリーネ……?」


「……大丈夫。任せて。ジェイク」


 疑問を顔中に浮かべているジェイクを手で制し、フィリーネはヒルデガルトへと体を向ける。

 鉄の腕を振り下ろされれば、一撃で殺されるであろう距離。

 だが――フィリーネはそれでも、まっすぐにヒルデガルトを見据えた。


「おい……あんた……こいつは、何だい……?」


 既に戦いの空気でないことを、ヒルデガルトも察したのだろう。どこか面倒くさそうに、そう聞いてくる。

 態度こそ面倒くさそうだけれど、目付きは真剣に。

 まるであの日のフィリーネのように。


「……ヒルデガルト」


「何だよ……?」


「……お腹、空いてない?」


 激しく空腹を刺激する、甘辛く香ばしいソースの香りに。

 ヒルデガルトは、頬を紅潮させて小さく舌打ちした。


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