料理人として
「お待たせ致しました。料理をお持ちしました」
随分長いこと厨房に入っていた竜也が、皿の上に乗せた料理と共に現れた。
その表情は先に食堂にいたときのような興奮したものではなく、非情に落ち着いた表情。そんな竜也の様子に、少しだけジェイクは眉根を寄せた。
どうせ、大したものは作っていないだろう――そう考えながら、フィリーネの目の前に置かれた料理とやらを見やる。
全体的に緑の野菜が散りばめられた皿の上に、茶色くて丸いものは三つ乗っている。恐らく、あれが竜也の作ってきたものだろう。何せ、周囲にある緑の野菜はどれも生のようで、用意するには手でちぎれば済むだけのものだ。ジェイクでもできる。
「……これが料理?」
「はい。何分、手際が悪く時間がかかってしまい、申し訳ありません」
「……ん。大丈夫」
フィリーネは短くそう言う。
そして竜也は一歩下がり、フィリーネに頭を下げてから佇む。恐らく、フィリーネが食べるまで確認するつもりなのだろう。
何故か、後ろにいるエミリアがヨダレを垂らしながらフィリーネを――いや、フィリーネの手元の料理を見ているのが謎だが。
「……じゃ、食べる」
「はい。どうぞ」
フィリーネがナイフで、茶色いものを切る。随分柔らかいようで、特に抵抗もなく切れたらしい。そしてフォークでその欠片を刺し、そのまま口へ運ぶ。
瞬間――フィリーネの無表情が、硬直した。
「――っ!?」
もぐもぐと、咀嚼する。まるで一噛みごとに味わうかのように。そして、名残惜しいかのように嚥下する。まるでそうせざるを得ない、という強迫感にかられているかのように。
フィリーネの手が、震えていた。
「……これ……何……?」
「本日のメニューは焼きコロッケの生野菜添えです。焼きコロッケは全体的にバターを使用し、ガーリックを散らすことで香りづけをしました。味付けは塩のみですが、その分材料をふんだんに使用しておりますので、満足いただける一品かと存じます」
「……これが……料理……?」
最初と同じ質問。しかし、フィリーネの口調、様子は、明らかに別物だった。
まるで己の認識とは全く異なる品を出されたような。
「お気に召さなかったでしょうか?」
ぶんぶん、と強くフィリーネが頭を振る。そしてフォークは、新たな一欠けへと伸びた。
そんなフィリーネの様子に、僅かに竜也は微笑んで。
「それは重畳です」
すっ、とまるで貴族の作法であるかのように、一礼する。それと共に、持ってきたもう一つの皿――恐らく、同じものが乗っているのだろうそれを、テーブルの上へ。
そして、その前に自分が座った。
「……」
竜也が用意していたのは、二皿。片方はフィリーネとの約束を守る一皿であり、もう一皿は――。
竜也、自身が食べるためのもの。
横目でフィリーネを見やる。フィリーネはまるで周りのことなど目に入っていないかのように、黙々と焼きコロッケを貪っていた。サクサクとした歯ごたえは音を聞いているだけでも分かり、ふんわりと香ばしい匂いが漂う。
竜也もフィリーネと同じく、ナイフとフォークで焼きコロッケを食べ始める。しかし反応は、フィリーネに比べて随分と懐疑的だった。
「……やっぱり、塩だけだと味が薄いか。せめて胡椒があれば……。まぁ、その分をニンニクとバターで香り付けしてるし、まぁ及第点ってところか。こんなもん賄いに出したら、親父に殴られるだろうけどなぁ……」
ぶつぶつと、何やら呟きながら焼きコロッケを食べる竜也。
くだらない。ジェイクにとって、料理なんて食べられないものを食べられるようにするためだけのものだ。
生肉を食べて寄生虫に体が侵される可能性があるから、火を通す。
腐りかけの食材を食べて腹を下す可能性があるから、火を通す。
そこに快楽を伴う必要性はないし、食事を楽しむ必要もない。どのような方法であれ、食事を食べれば満足するし腹も膨れる。それ以外に必要などないだろう。
ジェイクは立ち上がり、ゆっくりと竜也のもとに歩く。
ふんわりと漂う香りは、食欲を刺激する。
既に自分の食事は終わった。いつも通りのメニューをいつも通りに食べ、いつも通りに適度に腹が膨れている。
だというのに、その香りはジェイクの心へ訴えてくる。
くだらない――そう思っているというのに。
歩みは止まらない。
欲しい。
食べたい。
喉が鳴る。
腹が鳴る。
食べてみたい。
だから――ジェイクは、気付いたら竜也の近くまで歩み寄っていた。
もしゃもしゃ、と特に感慨なく食べていた竜也が、ジェイクを見上げる。
「……何か?」
「……」
食べさせてください。そう一言言えれば、どれだけ簡単だろう。
しかしジェイクは船長であり、このヴォイド号のボスである。そんな簡単に、相手に頭を下げることなどできない。
だから、睨みつける。じっと竜也を、ただ睨む。時折、喉を鳴らしながら。
もぐもぐ、と口の中に入っているそれを、竜也が飲み込む。
次の焼きコロッケに、フォークを伸ばす。
それを食べたい。俺に食べさせろ。思いが、視線に詰まる。
竜也は、大きく息を吐いて、フォークを引いた。
「食べますか? 焼きコロッケ」
「……別に俺は食べたいじゃねぇが、リューヤがそこまで言うなら食べてやってもいいぜ」
「はいはい」
はぁ、と嘆息しながらジェイクへと皿を渡す竜也。
竜也の適当な返事は聞こえたけれど、今はそれを注意している暇などない。ただ、己の欲望を満たすためだけに食べる。
自身のフォークで、焼きコロッケを突き刺す。そして共に、口に運ぶ。
それと共に――幸福が、広がった。
「っ――!」
まず感じたのは、サクッ、とした軽い食感。次に、バターの濃厚な香り。テーポ芋の重厚な甘みと、塩漬け肉の微かな風味。
その全てが、調和している。自分たちの美味しさを主張するかのように。しかし、他のうま味を邪魔することなく。
一つ、食べる。
一口噛むごとに、口の中で溶けるような感覚。飲み込むのが名残惜しいほど、口の中に強く残る美味さ。
二つ目を、食べる。
テーポ芋の甘みに隠れた、キュロートの微かな甘み。さらに肉の濃厚な味わいが口の中に広がり、更なる幸せを舌に運ぶ。
三つ目を、食べる。
幸福は長く続かず――やがて、終わる。
「……リューヤ」
「はい?」
だから気付けば、その名を呼んでいた。
食える代物ではない――確かにその通りだ。これを食べた今、あのスープを飲めと言われれば、もう決して飲めない。どうしてあんなもので満足していたのか不思議に思えるほどだ。
いつまでも味わっていたい――そんな感覚は、生まれて初めてだった。
だからジェイクは、どこか素直に言うしかなかった。
「……うめぇ」
「そうですか。なら良かった」
ジェイクの、たった一言の感想。具体性の何一つない抽象的な賛辞でありながらにして、しかし竜也は笑顔を見せた。
美味しいという言葉が、何より嬉しいかのように。
どこか、無邪気さすら感じさせて。
「リューヤ」
「はい?」
「まだ、作れんのか?」
「ええ。材料はまだあります」
「今から大至急、二十人分作れ」
そう告げて、皿を置く。そして、次に乗組員へ向けて。
あくまでもいつもと変わらぬ、船長としての振る舞いを見せるように。
「操舵手、面舵いっぱい。サン・ユディーノに進路をとれ。それから……誰でもいい。あの生ゴミスープを海に捨てておけ」
「アイサー! 船長!」
ふーっ、と大きく息を吐いて。そしてぎっ、とフィリーネを睨みつけた。
まるでどこ吹く風、とでも言いたげに、フィリーネは特に何も感じていないようだったが。
完全に、ジェイクの負けだ。それは分かっている。だというのに、何故だか心は弾んでいた。それはこれからの期待に満ちたものか。
「それから、船長命令だ。リューヤ、手前にこれから、ヴォイド号の厨房を任せる。朝、昼、夕の食事を用意しろ。サン・ユディーノでエミリアをつけてやるから、市場で必要なものを全て買って構わねぇ」
「……いいんですか?」
「船長命令だ」
有無を言わさない口調で、ぴしゃり、とジェイクが断じる。
そんなジェイクの言葉に、大きく竜也は頷いた。
「はい、分かりました!」
「分かったなら、さっさと作りに行け!」
「了解です! 船長!」
これが、ジェイク・ヴォイドの変わった日。
そして、ヴォイド号の変わった日。
浅倉竜也が、仲間と認められた日。




