六組目
肝試しと言えば、恐怖をダシにしてその実はカップルで親交を深めるというイメージがあるかもしれない。しかし、うろな町役場企画課の企画したこの肝試しにおいてそんな甘い雰囲気は許されない。
「そもそも、この肝試しは企画段階からだな……」
「さっきからうるさいなあもう。そういう空気の読めないこと言ってると萌ちゃんに嫌われるぞ」
「む、体育館はこちらのようだ」
例えば、いい年した大の男が何の因果か三人も集まって夜の中学校を徘徊するという、まったく華のない図ができてしまうこともある。
「これもだな、例えば到着までの時間を計って一位の組に賞品でも用意すればもう少し人が集まったと思うんだが」
鹿島茂はもともとこの肝試しに乗り気ではなかったうえに溺愛する妹と引き離され、かなり不機嫌になっており、面倒なクレーマーになっていた。
「あ、魚沼先生。体育館ならこっちから行く方が近いですよ」
清水渉は去年も参加していたが、今年は娘とともに参加している。鹿島の文句に呆れ顔の父だが、その腕に抱かれている娘の桃香はにこにこしている。
「む、そうか。助かる」
一度見れば忘れない特徴的な河童のような容姿、近頃はもはや名前よりも河童と呼ばれる方が多くなってきた彼は魚沼鉄太という。彼もパートナーの女性と来たのだが、彼の場合はそれに対する不満は無く、慣れないイベントに対する戸惑いの方が大きい。
「でもおかしいよな。札を二枚集めろって言ってたのに、回るのは体育館だけでいいのか」
鹿島の文句はまだ終わらない。
「他のところは別の組のために使ったんだろ。佐々木君も香我見君もこういうところで手抜きをするような人間じゃない」
教室から一番近い階段から一階まで降りたので、体育館まではまだ遠い。バケツが放り出されている手洗い場や掃除用具が入っているロッカーになんとなく懐かしさを感じる。
「まあ体育館は大きいから……うわっ!」
「だ、大丈夫か?」
通りがかったロッカーの扉が不意に開き、鹿島目がけて人形を吐き出した。人形というより案山子のようなもので、へのへのもへじの顔は馬鹿にするように舌を出している。
「当たり前だろ」
「へー? 結構ビビってたんじゃないか?」
「さ、さっさと体育館に行くぞ」
真っ赤になった鹿島が早足で歩いたので、体育館にはあっという間についた。
「へえ、これは凝ってるな」
一歩入ると、さすがの鹿島も感嘆したようだった。体育館の中は完全に真っ暗ではなく、自分に迫るものの正体は分からないが、何かが迫ることは分かる絶妙な明るさだ。加えて、おどろおどしさを演出するおなじみの音楽がスピーカーから流れている。そして最も特筆すべき点はその構造で、ダンボールの壁によってさながら迷路のようになっており、入り口が三つに絞られている。
「つまり、ここで別れろということだな」
「怖かったら一緒に来てもいいぞ」
「うるさい! お前こそ、桃香ちゃんより先に泣くんじゃねえぞ」
そう言って鹿島はさっさと入っていってしまった。
「じゃあ魚沼先生、またあとで」
「うぬ」
魚沼が選んだ左側の道は墓地をイメージしたコースらしく、灰色の道の傍には立方体のオブジェが並んでいる。体育館の中とはいっても三等分しているから、そう長い距離があるわけではない。彼が出口まで足を進めると、その前に男性の姿が現れた。首にきつく巻き付いたロープが痛々しい、眼鏡をかけたスーツ姿の若い男だ。
「…………」
虚ろな目でこちらを見て何かを呟いているが、言葉は聞き取れない。
魚沼は黙って男に近づくと、おもむろに口を開いた。
「お前は確か役場にいた……。それより後ろにいるその……うぬ、何でもないが、気を付けるがイイ」
それだけ言うと、さっさと通り過ぎて出口から出て行ってしまった。
「えっ、なに? ボクの後ろになんかおんの!? 香我見クン、ちょっとボクの後ろ見てくれへん!?」
それを言われた首つり男、もとい佐々木はしばしの恐慌に陥っていた。
「ん? 佐々木君の声が聞こえたような気がしたけど……気のせいか」
中央の入り口に進んだ清水は娘を抱えなおして、再び歩き始めた。
「それにしても、ほんとに泣かないなあ桃香。司さんとは大違いだ」
くすっと笑いながら改めて幼い娘の顔を覗き込む。洋館の廊下を模した背景が珍しいのか、興味津々な様子で目を輝かせている。時折響く壮年の男の笑い声に肩を震わせながらも廊下を進んでいくと、出口の上にある緑色をした非常口のマークが見えた。辺りが暗いのでよく目立つ。
「なんだ、もう終わりか。ひょっとして難易度の低いコースだったか」
「…………」
「ん?」
ちょっと残念な気持ちを感じたそのとき、何か意識に引っかかるような音が聞こえたような気がした。かすれた女性の声のようだった。そして振り返った清水の目に映ったのは、三日月に裂けた口から欠けた歯を覗かせながら、爪が剥げて腐食した手をこちらに差し出す女の姿だった。
「うわああああああああああああ!」
女の手が届きそうになったところで、清水はあらん限りの声を張り上げて脱兎のごとく逃げ去った。
この女は去年の肝試しのネタだろ! とは後日佐々木に会った清水のツッコミである。
鹿島が選んだ右の道は森の中をイメージしているようで、ところどころに本物の植物が使われていた。
その力の入れ具合に少し企画者のことを見直しながら進んでいくと、着物姿の女がこちらに背を向けてうずくまっていた。明らかに脅かそうという意図が見えるが、黙っていてもその女は動かない。仕方なく鹿島は女に近づいていって話しかけた。
「どうかしたのか?」
「無いの」
「無い? なにが無いんだ?」
「それは……」
ものすごい勢いで振り向いた女の顔には目も鼻も口も無い、のっぺらぼうの顔だった。
「私の顔が無いの!」
「うわあああああ!」
鹿島は転げるように奥へ走る。体育館の位置で言えば舞台裏にいるらしく、目の前に現れた階段を上がって一息つく。舞台上まで出てきたが、前方は草で覆われているので閉塞感は続いたままだ。しかしここまで来れば、出口はもうすぐそこである。そのとき、肩を叩かれた。
「すいません」
ご丁寧に声までかけてくる。振り返れば何かしら恐ろしいものがあるに違いない。鹿島は二、三度の呼びかけを無視して頑なに前を向いていた。すると、上方から肌色の物体が彼の目の前に降りてきた。その女の顔はにっこり笑って、こう言った。
「私の体を知りませんか?」
「ぎゃあああああああああああああ!」
恐怖が極限に達し、前かがみでその顔面を潜り抜け、出口までまっしぐらに駆け抜けた。
「さすがやなあ、渚」
出口側の舞台裏から出てきた香我見が生首の模型をバスケットボールよろしく、くるくる回しながら舞台に歩いてきた。
「…………香我見さんのおかげ」
それに応じて反対側の舞台裏から青空渚が出てきた。
のっぺらぼうの仮面は企画課で用意したものの人手が足りないということで、いくつかの発明品とともに助っ人に来てもらっていた。先ほどの喋る生首も彼女の技術を借りて香我見が作り上げたものだ。
「いやあ、ホンマ助かったわ。ネタ切れやったし」
渚の髪をくしゃくしゃに撫でて、香我見は背中越しに手を振って去っていった。
「お疲れさん。多目的室で姉ちゃんたち待っときなー」




