不良聖女は祈らない
前回まで:武闘大会に巫女ラチャラチーが飛び入り
「手の込んだ神様の像があって、拝むたびにお金が出てくるとしたら、熱心に拝む人は敬虔だといえるのでしょうか」
幼い私は問いかけた。
答えは決まっている。
そんな像は罰当たりな代物で、それに拝むような人は信徒と言えない。
そう答えない者はいない。あまりにも分かりきったことだ。
しかし、続く疑問には満足な答えが得られなかった。
「それは、祈りによって加護を得るのとは違うのですか」
違う、と皆は口を揃える。その先は人によって異なった。
ある人は、偶像崇拝が間違っているのだという。月が聖なるものだとして、その位置を示す指に聖性はない。地上のものを拝み倒して利益を得るのは卑しく、天上のものを頼るのは尊い、と。
ある人は、心のあり方を説く。利益を求めて祈ってはならないし、人がそのような不純な祈りを捧げるのも止めるべきだ。加護が与えられるのは正しい心による祈りに対してで、それは神様だけが知るものなのだ、と。
私は納得しなかった。
身近にあるものよりも遠くにあるものの方がすごそうに見える。感じ取れない何かから超自然の恩恵を得るのはありがたい、と思うのは自然だ。身近に神を感じないなら、そうなるのだろう。
私にとって「それ」はすぐそこにいた。
そんな私には、他の人たちは神というものを感じることもなく、加護が欲しくて祈っているように見えた。
誰もがすぐそこに「それ」を感じるのではないと気づくのに、そう時間はかからなかった。
神殿の人たちのうちでも、ごく少数だった。
そのためか私は年若くして祭祀への参加を許された。とても名誉あることである。
私はそう思わなかった。
祭祀などと、ただただ面倒なことをするものだ。
彼らは複雑な手続きを散々やって、やっと「なんとなく神がいるように思える」らしい。
一応言っておくと、それでバカにしたいわけではない。立派な人たちだった。
神がいると確信する根拠がなくても祈れるのは、確信して祈るよりも真摯だろう。
私の理屈ではそう思える。
彼らは確かに信仰篤い人々だった。加護が欲しくて祈っているようにも見えなかった。私の見る限り、そうするのが当たり前だから祈っているのだった。
だのに神様というのは、そんなに真剣な人よりも私の方を優遇して存在を感じさせているのか。
そこに、褪めた。
私は、祈りの手を、ほどいた。
代わりに、日々の仕事と、肉体の運動を行なった。
自分の身体の動きをよく感じ、心をよく感じようとした。自分が何に対しても不満足なのはなぜか。その答えは自分の中にあると思ったのだ。
そのとき考えたことを一から追ってみることはしない。
重要なのは一つだ。
神様は、測り難い。
とにかく私を選んだのであり、とにかく加護を与える時に加護を与えるのである。
神様に関する答えは私の中にはない。
あとの問題は大したものではなかった。
金を出す偶像と祈りに違いがなくても、いいと思った。
私に、他人の祈りについて裁定をくだすことはできない。そして私が私の祈りを偽りのものだと思うなら、やめたままでいよう。
ある人は、偶像崇拝が間違っているのだといった。正しい。神の他に聖なるものはない。そして神は測り難い。
ある人は、心のあり方を説いた。正しい。利益をあてにして祈らない。私は祈らない。
私が、すぐそばにいる測り難い神に捧げるのは、祈らないという祈りだ。
私の一挙手一投足を捧げよう。私のすべてが、神のものだ。
私は拳を握る。それを振るう。拳は加護を得て人を打ち付けるだろう。しかし私は人を打ち付けるために拳を振るうのでなく、加護を求めて拳を振るうのでない。
これが、祈祷師ラチャラチーの一つの始まりだった。
鋭い剣の軌道は私を捉えない。
私は剣と戦っているのではなく人と戦っているのだと知っている。ならば目を向けるべきなのは対戦相手そのものだ。聖句が頭をよぎる。〈あなたは人を見よ。あなたが相対するのは人とである〉
隙のない構えに隙を作ろうと試みる。有効な牽制が可能なのは近づいてからだ。むろん近づこうとすれば剣が振るわれる。〈翼とは勇気である。勇気とは確信されつつ確信されない正しい判断に従うことである。何が賭かったとしてもである〉
加護がある限り、剣が当たってすぐに斬れることはない。引くなどする必要がある。速度がつくよりも先に抑え込む。敵手は後退を選ばない。近接戦闘の間合いで先手を取る気か。素早く剣を手放し掴みかかってきた。想定内だ。〈自身を知れ。他を知れ〉
何度か宙で手を捌き合う。敵手が足で剣を持ち上げる。タイミングは想定通りで、悪くない形だ。剣士としての優位を活かすため、距離を取るか、取らないか。取らない。〈実直にあることは嘘を避けるよりも難しく、尊い〉
一呼吸のうちにブラフを交わし、相手の動きを読み、また誘いを試みる。高まる緊張感の中、先に大きな攻撃を成功させたのは、私の方だった。加護の乗った一撃が肩に当たり、骨に至る破壊をもたらす。試合を終わらせるには十分だった。〈征する者は得る。征する者は失う。敗れる者は失う。敗れる者は得る〉
「勝負あり! ラチャラチーの勝ち!」
まず一勝とした。
しかし、剣士チョッチョラには悪いが、本当の戦いはここからだ。
「所定の休憩を入れ、みなさまへの解説、検討を挟んでから第二戦となります!」
試合時間に比べて長い休憩も、十分に長いとはいえない。
疲れをできる限り除き、闘争心をできる限り残し、次の試合に臨む。
「初めまして、お嬢さん。ディルディロユと申します」
初めましてと言えば初めましてだろう。相手にとっては紛れもなく初対面だ。
だが私にとっては因縁の相手といえる。
かつて敗れたときの、焼け落ちる世界での印象とはだいぶ異なると思った。
「ラチャラチーです」
恨みがないとは言わない。後でまた戦うとして、それがどちらかが滅ぶまでとなるかどうかは分からない。だからこそ、今この時は血塗られた戦いとはしない。
「よろしくお願いします」
〈人と人は出会うことができる。そして、別れることができる〉
〈事実は神に属する。その厳しさと優しさは人に属する〉




