第四話「霊壁」
院須磨町に遊びにでかけて以来、縷々と露子の距離感は急速に縮まっていた。
少し遠慮がちだった縷々も露子とよく一緒に行動するようになり、露子もまた、休憩時間にはとりあえず縷々の傍にいることが多い。
今まで昼休憩は、真莉夢を回避しながら一人で昼食をとることの多かった縷々だが、今は露子と一緒に平和に弁当を食べることが出来ている。
どうも真莉夢は露子のことが苦手らしく、教室で平然と二人で過ごしていても近づいてこない。
よく考えるとどうして未だにわざわざ縷々に絡んでくるのか、縷々自身にもわからなかった。
弁当を食べつつそんなことを考えながら、チラリと真莉夢達のグループへ目をやると、一瞬だけ真莉夢と目が合った。
「ひっ」
慌てて目をそらし、正面で弁当を食べている露子の方を見る。すると、彼女は訝しげな顔で縷々を見ていた。
「何よ急に悲鳴上げて」
「あ、いえ……今孔雀門さんと目が合った気がして……」
「別に気にしなくて良いんじゃない? おどおどしてるから絡まれんのよ」
「それはまあ……そうかも知れませんね……」
真莉夢に絡まれるようになったきっかけを思い返すと、露子の言うことも一理ある。
中学に入学した頃、同じクラスだった真莉夢は最初から縷々をいじって遊んでいたわけではない。むしろ、有効的に接してきていたのは縷々自身も覚えていた。
ただ、縷々は既に他人と関わることを極力避けようとしており、真莉夢からすれば想定外のつまらない反応だったのだろう。クラスの大半が真莉夢と仲良くなる中、縷々だけは特に誰とも関わらずに過ごそうとしていたのだから。
「まあ、あたしといる間は絡まれないみたいだし、良いんじゃない? 変な噂を鵜呑みにされてるのは癪だけど」
「あの……朝宮さんはその、本当に半殺しを――」
「してないに決まってるでしょーが!」
「で、ですよね……」
実際のところは、上級生と口論になり、向こうが先に手を出したので返り討ちにした、という話だ。一般人を半殺しにする程、露子のプロ意識は低くない。もっとも、それと同時にやられて大人しくしていられる程寛容な性格でもなかったということなのだが。
「……あ」
ふと、不意に露子がスマホを見ながら短く声を上げる。
「どうかしました?」
「……ちょっとデカめの依頼入ったかも……」
そう答える露子の表情は、今までとは打って変わって真剣なものだった。
***
露子が現在暮らしている這輪戸町から、少し離れた位置に断一町という町がある。赤霧市内ではあるが小さな町で、人口的にもほとんど村に近い。近代的な景色はほとんどなく、這輪戸町から断一町までの道のりもほとんど山道だったくらいだ。
怨霊、口裂け女はこの町に封じられている。
依頼は鉄橋の件と同様、市から直接受けたものだ。橘を介して依頼をこなし続けてきた露子のゴーストハンターとしての信頼度は高い。何年も戦い続けている内に、市からの依頼を受けられる程の実力にまで達したのだ。
口裂け女の封じられている場所は住宅地からかなり離れた場所にある。途中からは、車も通れないような山道を歩くことになった。
こんな状況でも、露子はロリータファッションを決して諦めない。
露子にとっては、お気に入りの衣装こそが最高の鎧なのだ。これこそが思想にしてポリシーであり、絶対に譲れない矜持だ。今日のコルセットにはベルトがついており、ややパンク寄りである。
その上で、衣装の下に防刃ベストを着込むなど戦闘に対する最低限の対策はしてあるが、登山家が見れば山を舐めるなと怒鳴りそうな格好であることには違いない。
しばらく山道を歩いていくと、全長三メートル程の祠が見えてくる。
そしてそのすぐ傍の大樹に、寄りかかるようにして一人の若い女が、キャリーバッグを持って立っていた。
「おいすー」
女は、露子を見ると随分と軽い調子で声をかけてくる。
「ああ、アンタね。橘が言ってた協力者ってのは」
「そーそー。私、千歳千世、よろしくねー」
女――千世は駆け寄ってくると無邪気な笑顔で握手を求めてくる。すぐに露子が応じると、千世は満足げに露子の手を握った。
やや背の高い女で、パッと見モデルか何かのように見える。だが黒いセミロングヘアは飾り気がなくそのまま流しており、アクセサリーの類もつけていない。化粧もかなり薄めだ。
装飾の多いゴスロリ衣装の露子とは対照的に、千世は動きやすそうなパンツルックだ。薄手の長袖Tシャツにショートパンツ、足回りは厚手のタイツで守られている。おそらく耐刃素材だろう。
「朝宮さんだっけ? 橘さんから話は聞いてるよー。相当強いんだって? いやあ、今回は私立ってるだけで良いかもねー」
「アンタが突っ立ってる間に終わらせといてあげるわよ……って言いたいとこだけど、そうはいかなさそうね」
言いつつ、露子が祠の方へ目をやると、千世は小さく頷く。
「だね。相手が相手だし」
祠には無数の御札が貼られていたが、そのどれもが擦り切れてボロボロになっている。
祠の中からは禍々しい霊力が漏れ出しており、慣れた霊能者ならすぐに”怨霊”のものだと理解できるほどだ。こんな場所、縷々のような霊能者がくれば怨霊の霊力を過剰に感じ取って気絶しかねない。
封印はほとんど解けかかっている。もってあと数日と言ったところか。
この辺りには結界が張られており、万一封印が解けてしまってもすぐには外に出られないようになっている。しかしあくまで”すぐには”、だ。怨霊は、結界を破壊して強引に外に出てしまう程霊力の高いものも多い。祠から漏れる霊力から察するに、ここに封じられた口裂け女はそのレベルでもおかしくない。
このレベルとなると、やはり露子一人では厳しいだろう。協力者を呼んだ橘の判断は正しい。
「ま、橘の言ってた通りなら安心して背中任せられるわ。頼んだわよ」
「え? 光栄だなぁ……頑張るねー!」
緩いテンションで笑顔を見せる千世だったが、佇まいには隙がない。即席のコンビネーションにはなるが、実力的な不安はほぼないと言えた。
話しながらも、二人は戦闘の準備を始める。
露子はホルスターごと銃を装備し、コルセットベルトの左側には小太刀――電光朝露を差し込む。
「ねえねえ、終わったらなにか食べに行かない? おいしい牛丼とか、ラーメンとか! 私一番大きいの頼んじゃおうかなー!」
「……重いわね……。良いけど」
出来ればもう少し軽めのメニューが良かったが、今回は相手に合わせておこう。そう思いつつ嘆息し、露子は祠の方へ改めて視線を向ける。
「なら、さっさと片付けるわよ」
「そだねー」
尚も軽い調子で、千世はキャリーバッグからハンドガンを取り出す。それを確認してから、露子は千世と共に祠から数メートル距離を取る。
「行くわよ……!」
露子の放った弾丸が、祠を撃ち抜く。その一撃が祠の扉を破壊し、封印を解く引き金となった。
祠の中からずるりと這い出てきた怨霊が、長い黒髪の隙間からこちらを覗いていた。
***
朝宮露子が、仕事の都合で学校を休んだ結果、来々縷々は久しぶりに一人きりの高校生活を送ることになった。
とは言え、露子と知り合う前はこちらの方が日常だったのだ。今更狼狽えるようなことではないし、独りには慣れている。
「…………」
慣れているハズだったのだが、どうしても空席になった露子の席に目がいってしまう。なにせ露子は初めて出来た友達だ。一時的にとは言え、いなくなれば相応に寂しくはなる。なるべく強がっていたかったが、放課後までもちそうにない。
こうなるともう、丸一日素直に寂しがる他ないだろう。
「あれぇ? 朝宮さん、休みなんだぁ?」
朝から自分の席でそんなことを考えていると、出来れば聞きたくなかった声が上から降ってきた。
渋々見上げると、そこにいたのは孔雀門真莉夢と二人の取り巻きだった。
ここ数日、露子がそばにいたおかげで真莉夢とは関わらずにすんでいたのだが、やはりこうなってしまったか。ため息をつきそうになるのをなんとかこらえ、縷々はひとまず小声でおはようございます、とだけ絞り出した。
「来々さん、最近朝宮さんとつきっきりで寂しかったなぁ。ねぇ?」
真莉夢が取り巻き達に同意を求めると、取り巻き達は口々に同意を示す。
どうせ合わせてるだけだ。くだらないやり取りにうんざりして、縷々はまたしてもため息をつきそうになる。
露骨な態度を見せれば何を言い出すかわからない。
今まで通り穏便にすませて、適当にやり過ごすのが一番安全だ。
そこまで考えてふと、縷々の脳裏に露子の顔がよぎる。
(……このままで、良いんでしょうか)
朝宮露子なら、やり過ごしたりしない。
嫌なことは嫌だと言って、きちんと拒否する。朝宮露子は、こういう時に戦わないという選択肢は取らない。
「あ、そういえばさぁ、こないだの心霊スポットの件、なんか有耶無耶になっちゃったし別のとこ行ってみない? 最近新しい所教えてもらってさぁ」
心霊スポット、と聞いて縷々はピクリと反応する。
それが面白かったのか、真莉夢は口角を釣り上げた。
心霊スポットは、素人が遊び半分で近づいて良い場所ではない。また呪いの家のような本物の心霊スポットだった場合、今度こそ被害が出るかも知れない。
霊を知らないが故の軽率さに、縷々は反吐が出るような思いだった。
「…………さい……」
「はい?」
絞り出した、というよりは漏れ出してしまった、という感じの声だった。
「……軽率に……霊に、関わらないで……ください」
うつむいてしまったが、それでも縷々はハッキリと聞こえる声でそう言い切った。
一瞬、真莉夢は驚いて目を丸くしていたが、やがてわざとらしく頬を膨らませてから笑い声を上げる。
「え? なになにどうしたの? 来々さんやっぱり見えるんだぁ?」
それ以上、縷々は何も答えるつもりがなかった。半分は答えるような余裕がない、と言った感じだが、もう半分は”これ以上話しても意味がない”という判断だ。
バクバクと騒ぎ出す心臓の音に苛まれながらも、縷々は拒否の意味を込めて無視を貫いた。
すると、真莉夢は顔をしかめて僅かに縷々を睨みつける。
うつむいたままでもその視線には気づけたが、縷々は必死で耐えて無視し続けた。
そうしている内に、チャイムが鳴り響く。朝礼が始まる合図だ。
真莉夢は鬱陶しそうに軽く舌打ちした後、踵を返して自分の席へと戻っていく。
チャイムに心底感謝しながらも、縷々は終わらない緊張感と同時に小さな達成感を噛み締めた。
(い、言い返せた……!)
このまま、やられっぱなしではいたくない。
露子と過ごしている内に、縷々もいつの間にかそんな風に考えるようになりつつあった。
***
(……誰もいませんね……?)
念入りに周囲を確認しながら、縷々は薄暗い裏庭へ足を踏み入れていく。
今朝はどうにか真莉夢に言い返した縷々だったが、その後は正直少し後悔するくらい緊張していた。
なにせ真莉夢がいつ報復に来るかわからないのだ。緊張し過ぎて授業もあまり頭に入らなかったくらいである。
昼食時に捕まると長時間拘束される場合が多いので、どうにか教室を抜け出して新しい逃げ場を探したところ、縷々はこの裏庭を発見した。
わざわざこんな薄暗い場所に昼食を食べに来る生徒はいない。物置や室外機は、景色としては殺風景だったし、雑草をかき分ければ縷々にはよくわからない虫が顔を出しそうな場所だ。それでも、真莉夢に捕まるよりはマシだった。
どこに座っても汚い気がしたので、縷々は適当な場所にうずくまり、膝の上に小さな弁当箱を広げる。実子の杏奈のついでとは言え、こうして毎日きちんと弁当を持たせてくれることには感謝しているが、今日ばかりは食べにくくて苦笑いをしてしまう。
「……?」
そのまま黙々と弁当を食べ始めて数分経った頃だろうか。どこからか視線を感じて縷々は顔を見上げる。と、同時に霊の気配を感じ取る。
これ自体はそれ程珍しいことではない。霊が学校の敷地内に迷い込むことはよくあることだ。
露子にも関わるなと言われているし、縷々自身も積極的に関わるべきではないとわかっている。
無視を決め込んでどこかへ行くのを待っていよう。そう思って視線を弁当に戻し、縷々は食事を再開した。
しかし中々、気配は消えてくれなかった。
それどころかどんどん近づいてきて、今は縷々の真横で弁当箱を覗き込んでいる。
悪霊ではない。姿は確認していないが、縷々と同じくらいの年頃の少女だろうか。
あまり深入りしないために、縷々は意識的に霊に対する感覚を遮断する。こうでもしなければ、必要以上に理解してしまうからだ。
後はジッと黙って、気付かないフリをしていれば良い。霊の多くは自我を失っている。見ないフリを続けていれば見えていないと思ってどこかへ行くだろう。
そう高をくくっていたが、横から予想外の言葉が飛んでくる。
「……友達いないの?」
言われた瞬間、縷々は思わず声のする方向に視線を向けてしまった。
「は、はぁ!? い、いますけどぉ!?」
反射的にそう言い返すと、快活そうな顔立ちの少女と目が合う。
「……あっ」
今目が合った彼女こそが、先程から縷々をジッと見ていた霊だった。
***
彼女が解き放たれた瞬間、一気に空気が物理的に重くなったかのような錯覚があった。
見えない何かに呼吸を阻まれているような感覚さえある。
彼女の――口裂け女の姿はおおよそ噂通りだ。真っ赤なコートを着込んだ長身の、長い黒髪の女で、顔の半分程が乱れた髪で隠れている。口元はマスクで隠れており、まともに露出しているのは赤黒い眼球くらいである。
そして何より目立つのは、右手に持った身の丈程の大裁ちばさみだ。
口裂け女の噂は、派生パターンが無数にある。武器を持ってる場合は鎌やナイフなど、噂によってまちまちだ。しかし身の丈ほどの大裁ちばさみ、なんて話はあまり聞かない。
ここからは露子の推測になるが、あの巨大な裁ちばさみはそのまま彼女の霊力の象徴なのかも知れない。噂が噂を呼び、口裂け女として変異したことで更に認知され、人々の負の思念が増大した結果だ。
霊は負の感情で強くなる。それは必ずしも霊自身のものである必要はない。人々が恐れれば恐れる程、霊の力は強くなるのだ。
そうして肥大化した力を、あの大裁ちばさみが示しているのかも知れない。
(……この感じだと無傷ってわけにはいかないでしょうね……)
チラリと千世の様子を確認し、露子は怨霊に視線を戻す。
流石は橘の寄越した協力者、と言ったところだろうか。気圧されている様子はほとんどない。ただ、さっきまでの軽さが完全に消えている。戦闘時とそれ以外で完全にスイッチを切り替えるタイプなのだろう。
ゆらりと。口裂け女が身を揺らす。
その瞬間、露子も千世も同時に発砲した。
「っ!」
しかしその弾丸が、口裂け女に届くことはない。
口裂け女に当たる直前、見えない何かに銃弾が阻まれたのだ。
「……霊壁っ!」
――――霊壁。
強力な悪霊……とりわけ怨霊クラスが発生させる特異現象だ。
膨大な霊力が全身を覆い、バリアのような役割を持ち、霊力の伴う攻撃を遮断してしまうのだ。物理的、霊的な攻撃を阻むある種の力場のようなものとも言える。
基本的に、霊壁を突破するためには更に強大な霊力をぶつけて破壊する必要がある。この場合、少なくとも小さな鉛玉では不可能ということになる。
即座に、露子は銃を切り替える。
露子が取り出したのは、一般的に”デザートイーグル”と呼ばれる銃と極めて形状が酷似していた。
しかしそれを見た瞬間、口裂け女が目を見開く。
「――――っ!?」
口裂け女がマスクを外す。
あらわになった口元は、耳まで大きく避けていた。しかしそれは蛇や狼の口のような、生物的に正しい形状ではない。無理矢理引き裂かれたかのような、上下ぐちゃぐちゃに乱れた口元だ。隙間から除く歯茎が痛々しく、赤黒い血がこびりついていた。
「カッ――――!」
口裂け女はその口を大きく開き、突如奇声を上げる。すると、突風のような霊力が露子と千世に襲いかかった。
「つっ……!」
ダメージこそないものの、怯むには十分過ぎる”風圧”だった。便宜上風圧、とするが正確には凄まじい勢いで発散された霊力だ。霊と霊能者にとって、放出された霊力は時に物理的な効果を伴う。
そしてその一瞬の怯みが、戦いの中では致命傷となる。
「朝宮さんっ!」
千世が叫んだ時には既に、口裂け女は露子の眼前まで接近していた。
赤黒い眼球が、露子一点のみに絞られる。
大裁ちばさみは、露子の胴体を両断せんとして開かれている。
――――切られる。そう判断すると同時に、露子は瞬時に回避行動を取る。大裁ちばさみの性質上、後退と左右は悪手だ。
露子はありったけの力を振り絞り、高く跳躍する。そして空中で構え、その銃口を口裂け女に向ける。
銃の名は……薤露蒿里。霊へ手向ける葬送の詩。
引き金を引くと、露子の霊力が予め練り込まれた弾丸が放たれる。
当然、その弾丸は口裂け女の霊壁によって防がれてしまう。しかし弾丸は霊壁に食い込み、その場で爆裂した。
「――ッ!?」
霊にダメージを与えるためには、霊力を伴った攻撃である必要がある。通常、露子は弾丸にその場で霊力を込めているが、薤露蒿里の場合は違う。弾丸の中に予め霊力を封じ込めてあるのだ。そして薤露蒿里の弾丸は、目標に着弾した瞬間その場で霊力を爆散させる。つまるところ――対悪霊専用の炸裂弾なのだ。
その威力は通常の弾丸とは比較にもならない。弾丸に封じられた霊力と、その場で露子が直接流した霊力が同時に破裂するのだ。大抵の場合は耐えられずに四散する。例えそれが、霊壁であってもだ。
炸裂した霊力が、口裂け女の霊壁を破壊する。
霊壁は再生する性質を持つが、破壊された瞬間は通常の霊と変わらない。薤露蒿里は連射が出来ないため、霊壁の再生にリロードが間に合わない。しかし協力者がいるのなら、霊壁の破壊だけに専念出来る。
「千歳ぇっ!」
露子が言うよりも早く、千世は反応して口裂け女目掛けて連射する。その狙いは恐ろしい程に正確だ。一切の容赦なく、右足だけを集中的に撃ち抜き、口裂け女をよろけさせた。
この一瞬で、これだけ正確な射撃が出来る者は多くない。
露子が着地する頃には、今度は口裂け女の頭部に数発弾丸が撃ち込まれていた。しかしすぐに、霊壁が再生を始める。
口裂け女はまだ――祓われてはいない。
「嘘っ……!?」
ここで仕留めきるつもりだったのだろう。機械的なまでに冷静な表情だった千世が焦りを見せた。
「もう一度霊壁を破壊するわ……叩き込んでっ!」
言いながら、露子はコルセットベルトから電光朝露を引き抜いた。
霊刃――電光朝露。膨大な霊力を消費する代わりに、霊的な存在を確実に切り裂く霊具だ。この霊具なら、霊壁でさえも切り裂ける。
即座に、露子は口裂け女目掛けて電光朝露を薙いだ。
電光朝露の一閃で、再生されつつあった霊壁が再び破壊される。その瞬間を、千世は見逃さなかった。
今度こそ仕留める――――必殺必勝の覚悟を決めた千世の正確無比な射撃が口裂け女の頭部を再び貫く。
その鮮やかな射撃に、露子は息を呑む。同じ銃使いとして、彼女の正確な射撃には嫉妬すら覚えた。
残弾を全て撃ったのだろう。聞こえた銃声で数えて大体十発程の弾丸が、口裂け女の頭部に撃ち込まれている。その半数以上が眉間をピンポイントに貫いているのだ。
これだけのダメージを与えられれば、いかに怨霊と言えど耐えることは出来ない。弾丸を通じて流し込まれた千世の霊力が、口裂け女を強制的に”祓う”。
「ァ……」
か細い声を上げながら、口裂け女が消えていく。
せめてその最期を見届けようと、露子は口裂け女に目を向ける。しかしその瞬間、消えゆく口裂け女が大きく目を見開いた。
「えっ――」
口裂け女と目が合う。
赤黒い眼球が露子を捕らえて離さない。
ドス黒い怨嗟が、視線を通じて露子の中に流れ込んでくるようだった。
……否、実際に”流れ込んでいる”のだ。祓われる寸前の口裂け女が、怨念にまみれた霊力を露子目掛けて放出しているのである。
それを一身に浴びて、露子は霊と”共感反応”を起こす。
霊力の高い霊能者は、霊を強く感じ取ると共感反応と呼ばれる現象が起こる。これは、相手の霊力を過剰に感知することで相手の生前の記憶や負の感情が自身の中に流れ込んでくる現象だ。
多くのゴーストハンターは自身の霊力をコントロールすることでこの現象を防いでいるが、電光朝露によって消耗していた露子には大きな隙があった。そのせいで、このような事態を許してしまったのだ。
「くっ……!!」
取り留めもない光景が露子の脳に流れ込んでくる。
彼女が生前見ていた景色……家族や友人、何気ない日常の風景。それらが一気に流れ込んできた後、ノイズだらけの滅茶苦茶な映像が露子の脳をかき乱した。
その中で理解する。生前の彼女は、口裂け女とは何一つ関係がなかったことを。
ただ冬場にマスク姿で出かけて、事故に遭って死んだだけの普通の女性だったのだ。
それが、少しだけ霊力を持った一般人に視認されたことで口裂け女として噂が流れ、それを信じた人々の恐怖が口裂け女としての彼女を作り上げてしまった。
あまりにも身勝手な生者のイメージが、死者の存在を簡単に禍々しく変異させてしまう。
自身の意思とは関係なく変異し、悪霊となった彼女の絶望と憎悪はあまりにも深い。そしてその怨念は、露子達へも直接向けられていた。
――――マダ、キエタクナイ。
ああ、彼女は被害者だ。
共感反応と、負の霊力にあてられて、露子はその場に膝から崩れ落ちる。それと同時に、口裂け女の霊魂はその場からかき消えた。
「はぁっ……はぁっ……!」
呼吸が荒い。うまく息が出来ない。
胸も喉も締め付けられているようだった。
全身が異常に気怠い。何かが上からのしかかっているような錯覚がある。
「朝宮さん……? 朝宮さん!?」
そのまま倒れ込んでしまう露子の元に、千世が駆け寄る。
千世が露子を抱き起こす頃にはもう、露子は意識を手放していた。




