90 敵国へ入る
姫は総督の話を聞いていた時には物憂げな顔になっていたが、やがてまた次代の王らしい毅然とした表情に変わった。
「その情報の確度はどれぐらいのものですか?」
「少なくとも、帝国側から流した誤情報であれば、王国が連行したなどというものではなく、第一巫女が進んで協力したなどと言うのではないでしょうか。内容的にあまり帝国に好ましいものとも思えませんし」
しかも、コンテイジョンという危険な概念魔法が使えるようになったというものでもない。どうも、流言にしては中途半端な印象がある。
それだけですぐに真実と断言することもできないが、何の根拠もない話とは考えづらい。
「複数人の密偵や行商が隠者の森教会に異変があったようだとは報告しています。その部分は少なくとも事実かと」
「わかりました」
短く姫は答えると、イマージュ、タクラジュ、俺の順に視線を合わせた。
それだけでおおかたの意図はわかった。あとは答え合わせをするだけだ。
「わたくしは、帝国にある隠者の森教会に行ってみようと思うのですが、わがまま聞いていただけませんか?」
姫はおしとやかなくせにこういうところはとにかく果敢だ。兄と争った時も、俺と二人で兄の部屋に入った。よく言えば勇気があるし、悪く言えば危なっかしい。
そんな姫に付き合うのが特務魔法使いの職務だ。
「俺は賛成しますよ」
姫に笑いかける。とくに迷いもしなかった。
「すでにここまでも変装してきましたから、それを流用すればいいだけですし。それに、上手く事が運べば、敵国の中にこちらの協力者を作ることもできそうです」
姫もそこを重要視しているんだろう。
「隠者の森教会というところが、優秀な魔法使いの集まる場であることは確かでしょう。そこが俺たちの側につけば、戦局は絶対有利に運ぶ」
「ええ、守勢に回ったままでいるつもりはありません。敵国がもめているなら、少数でも内側から崩すことができます」
姫がうなずく。第一巫女の救出も大事だが、むしろ大切なのは教会に恩を売ることだ。
「ただ、侍女二人がこんな無謀に見える作戦に納得してくれるかはわかりませ――いてっ!」
こつん、とイマージュに頭を叩かれた。
「島津、私たちは姫の命令に従うのが役目だ。否ということはありえない」
「バカな妹の言葉と違って聡明な姫のご叡慮だ。それを信ずるのみ」
この二人が姫の侍女に選ばれている理由がわかった。
常識的にはここは絶対止めるところなのに止めないんだから。
「わかった。全員共犯だな」
敵国に潜入する、どうせならそれぐらいスリリングな仕事のほうが楽しい。
「姫に従わないものは不敬罪だからな」
「何のために魔法剣士をしていると思っているんだ?」
イマージュとタクラジュが順に笑いながら答える。
「ううむ……姫殿下は本当にご無理をなさいますな……」
総督はそんなの責任とれないぞとでも思っているのか、悩ましげな顔をしていた。それが普通の反応だ。ぜひ行ってきてくださいとは言えまい。
「ご心配なく。わたくしが勝手な判断で向かったことにいたしますから。それに、今が帝国の土地をこの目で見ておく最後のチャンスかと思いますし」
姫の目は帝国なんかより、もっと遠いところを見据えていた。
「わたくしが王になったら王都を離れることもままなりませんので」
これは決死の作戦でもなんでもなく、皇太子の遊覧なのだ。
「わたくしが王になった時、帝国がハルマ王国領に併合されているかはわかりませんが、少なくとも隣接した土地にはなりましょう。そこを知っているのと知らないのとでは大きな違いがあります」
「総督としては、お留めする権利もありませんので……」
「はい、あなたはあなたでこのキルアネを死守してください。わたくしの本来の目的は、ここの士気高揚ですからね」
姫はちゃんと自分の役割を覚えておられたようだ。
わずかにやわらかくなっていた表情は、また武官のような硬質なものになる。
「この場ではっきり申しておきます。帝国軍も全力で来るでしょうからかなり厳しい戦いになるでしょう。ですが、王国もこのキルアネを見捨てることは絶対にありません。そのつもりで防衛に励んでください」
「はっ! この総督に選ばれたこと、身に余る光栄と受け止めております! 絶対に帝国に膝を屈することのない者しかこの役目は授からぬはずですから」
王国としても、ここを守れるという判断のもとにこの総督を選んだわけだから、よほどの大物なんだろう。
「言わなくてもわかるかと思いますが、王国とキルアネの道が閉ざされるぐらいのことは起こりうるかもしれません。一時的に孤立することもあるかもしれません。それでも、必ず王国は援軍を送り込みます。そこまで耐え抜いてください」
俺たちが途中で襲われたように、帝国はキルアネと王国本土との通路を封鎖する程度のことはやってくる可能性がある。
それはキルアネを落とすより楽だし、キルアネを攻め落とすにしても低地の帝国領から高台にあるキルアネに攻めかかるより、段丘がつながっている側から攻めるほうが効率もいい。
「それも覚悟の上です。すでに十分な量の兵糧は集めています。魔法使い同士の応戦にも対応できます」
総督が胸を張った。光栄と言ったのはウソではないんだろう。彼の顔が紅潮しているように見えるのは緊張というより高揚といったほうが近い。
「ならば、わたくしの役目の半分は終わったようなものですね。ほかの兵たちにもわたくしの声を届けるとしましょうか」
晴れ晴れとした顔の姫を見ながら、俺は思った。
この姫と一緒なら、退屈することは絶対ないだろうな。
別作品ですが、現在連載中の「若者の黒魔法離れが深刻ですが、就職してみたら待遇いいし、社長も使い魔もかわいくて最高です!」が最初の仕事編がちょうど終わりました(現在25話まで連載中です)。 http://book1.adouzi.eu.org/n7498dq/
よろしければこちらもお読みください!




