4 赤ペン精霊の個人指導
三十分ほどで魔法のプリントはすべて終了した。
多少曖昧なところもあるが、最初ということもあって、まったく手がつけられないという部分はなかった。
「ふう、終わったな」
すると、また白い煙が出て、アーシアが出てきた。
「はい! お疲れ様でした! 時介さん、どうでしたか?」
「すごくわかりやすかったです。不安が減ったっていうか」
「ですよね。そう、それが大事なんですよ」
うんうんとアーシアはうなずく。先生とはいえ、そういうおおげさなリアクションはむしろ子供っぽい。
「基礎っていうのは、勉強の土台になるものです。池の上に立派なお城を作ることなんて不可能なように、基礎があやふやだとその後に覚えた知識が全部、一時しのぎのものになってしまいます。少し難しい表現を使うと、言葉では記憶できても本質的な理解は無理です」
「言いたいことはなんとなくわかります」
「なので、基礎をしっかりやるべきなのですが、ハルマ王国の学習指導要領ではそこがテキトーなんですよね。なぜかというと、即戦力になってほしいという思いから、生徒がついてきているかを無視して、新しいことをどんどん覚えさせるからです」
学習指導要領って言葉を異世界で聞くとは……。
「復習の代用を小テストで果たそうとしているぐらいですからね。なので、テストでわからなかったことをちゃんと自主的に勉強しないと、わからないまま先に進んでしまうんです」
「そういえば、進むペースが早いなとは感じてました」
「でしょう。まだ授業も始まって二週間ほどですから、ついていけている生徒のほうが多いです。高校の数学だって一年の最初のうちはなんとかなってたけど、だんだんきつくなってきた……そんな人が多いんじゃないですか?」
「ていうか、高校って概念を知ってるんですね……」
「私はマナペンを握った人の記憶などを理解する力があるんです。なので、時介さんがどういう勉強をしてきたかもわかるんですよ。だからこそ、その人にあった教育ができるんです!」
アーシアが胸を張る。
かなりの巨乳なうえに、小さな水着みたいなので押さえているだけなので、あまり張られると直視できない。少なくとも教育には向いてないというか、けしからんな……。
「はっきり申し上げましょう。最初の一か月はいいんです。乗り越えられる人も多いです。ですが、このまま補習もせずに先へ先へと進んでいけば、二か月目あたりから脱落する生徒が増えますよ。残念なことですが、毎回そうなっていますので……」
アーシアは教師としてはベテランらしい。精霊だから実は何百年も教師をしているのかもしれない。それなら、たしかにベテラン中のベテランだ。
「しかも、罰則があるわけでもないから、成績が落ちていった生徒は徐々に後退していきます。それでも、そこそこの魔法使いや剣士にはなれるでしょう。異世界から来た方のマナにおける才能はそれなりにありますから。でも、それなり止まりです」
「どうせだったら、もっと上を目指したいよな」
言ってから、驚いた。
授業開始二週間ですでに諦めかけていた俺が、こんな上昇志向的な発言をするとは。
「もちろん、上を目指しますよ。私はそのための精霊なのですから」
にっこりとアーシアは微笑む。
先生に抱く感情としては不適切かもしれないが、ものすごくかわいかった。
というか、先生といっても、容姿的には俺とタメぐらいだし、しかも、けっこうえっちい格好してるし、普通に恋愛感情抱きそうになるな……。
上月先生の場合はあくまで相手は年上というのがあったけど、アーシアの場合はそういう境界線みたいなのが薄いのだ。
「私の顔に何かついてます?」
「い、いや……。あの、ちょっと質問なんですが、剣技のほうはどうするんですか?」
そう、俺たちの授業は机の上だけじゃない。
剣技も強くならないと、魔法剣士なんてなれるわけがない。
「そちらもいずれやりますよ。でも、剣技は習得したものを活用するのにこういう机の勉強よりは時間がかかりますからね。まずは達成感を味わえるほうをやるべきでしょ?」
「ですね。そのほうがやる気も出るし」
「まあ、ご心配なく。私のカリキュラムは完璧です。神剣ゼミでは魔法だけでなく剣技も教えますから! そうでないと神剣に選ばれた魔法剣士なんて絶対生まれませんからね。というか成績が上がるだけでなく人間的な成長まで目指してますからね」
理念まで崇高だった。
「さて、前置きはこのぐらいにして、今日の範囲をおさらいしておきましょう。最初だからほとんどできてますけどね」
たしかに初歩の初歩という感じだったので、さすがにアーシアの解説もすぐに終わった。わかる・わからないの次元ではなくて、まずは覚えろっていう次元のものだ。
「せっかくですし、過去の小テストで悩んでいた問題の解説をしましょうか。王国の授業はそこがテキト-なんで。私はちゃんとわかるまで指導しますからね!」
「是非、お願いします! たしかに小テストって解説もほとんどしてくれないんだよな……」
おかげでよくわかってないものはよくわかってないままになってしまっている。
「最初の小テストで悩んだ問題だとこういうのがありましたね」
机に新しいプリントが現れる。
そこには紛れもなく、最初の小テストの問題が書いてあった。
詠唱が速いが発音に難がある場合と、詠唱が遅いが発音は比較的正確である場合、どちらのほうが威力が出やすいか。また、一般に魔法使いは実戦でどちらのほうを選択するべきか答えよ。
「こういうのって、解答欄にどっちかだけ書いてもすぐ忘れるんだよなあ……。原理がわかってないと結局、頭に定着しない……」
「威力が出やすいのは発音が正確であるほう、まず、これは時介さんも理解していらっしゃいますね」
「こういう設問だと『難がある』みたいなネガティブな聞き方をしているほうが正解ってことはないような気がしたんですよね」
「素晴らしい! そのとおりですよ! 一般的にあまりよくないことを書いているものは正解であることが少ないんです!」
そりゃ、唱えるのが高速なら詠唱なんてどうでもいいんだとは教育の現場では言いづらいよな。
「問題はその次ですね。どちらを選択するべきかです。これ、一言で言うと問題が悪いんです。だって、授業内容からはわからないですもん。正解はとにかく詠唱が速いほうです」
「実戦だと正確性なんて二の次ってことですか……」
「そうですね。でも、正確性が低くても威力を補う方法はいくつかあるんです。上級の魔法使いはそういうものを併用します。そういうことに触れてない段階でこういう問題を出すこと自体が無意味です。なので、あまり気にしなくていいですよ。そのやり方は後日、教えますから」
アーシアは片目を閉じて、俺に微笑みかけた。
こう、同い年のクラスメイトに指導されてる感じで照れくささがあるな……。
だけど、やわらかかった土台が硬いものになってきた印象はこの授業だけでもある。
「それじゃ、本日はこのあたりとしておきましょう。だんだんと高度なことをやっていきますからね」
「うん、今日はありがとうございました!」
そして、アーシアはぱっと掻き消えた。
異世界に来て、最も充実した一日だったかもしれない。
俺は自然と、教科書をまた開いた。
今だったら楽しく勉強できるはずだ!
次回、赤ペン精霊の授業の効果が学校の授業にも出始めます!




