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「セレステ!」
ジルが駆け寄るが、既にセレステの姿は魔法陣とともに跡形もなく消えている。
床に尻もちをついたままのオフェリアも、事態に気づいたようだ。
「セ、セレステ様……!」
「転送陣はおそらく玉座の間に繋がっているはずだから、このまま進めば――」
ラカの言葉を遮るように、再び地響きのような音が聞こえてくる。直後、廊下を塞ぐように壁がせり出してきた。
「なんだ!?」
「ちっ……始まったか!」
完全に行く先を塞いだ壁を前に、ラカが舌打ちをする。
見れば、まるでその代わりのように、左右の廊下の壁が「開いて」通路が生まれていた。
直線だったはずの道が、一瞬で丁字路に変化してしまったのだ。
「これは……もしかして、さっき言っていた……」
「ああ。城の構造を変化させる、コアの迷宮化機能だ」
ジルは先程のラカの「状況に応じて罠や魔物を展開させ、城の構造すら変化させることができる」という言葉を思い出した。まさか全部まとめて味わうことになろうとは。
オフェリアが不安げな表情で問う。
「その……全部行き止まり、ということはないんですか?」
「ええ。万が一コアを乗っ取られた時のために、かならず玉座へ続く道は一本だけ残るようになっているはずです。ただ、迷宮の構造はランダムなのでルートは総当りで見つけるしかないのですが……」
ラカの説明は気休めというにも不十分なものだったが、オフェリアは自らを励ますように頷いた。
「それじゃあ、頑張って見つけましょう。セレステ様もキーラも玉座の間にいるんですよね?」
「はい、恐らくは。しかし、おそらく迷宮化の影響で道のりはかなり複雑になっているはず……長丁場を覚悟しなければなりません」
「魔力は追えませんか? 確か、ヘルミナがそんなことを言っていましたが」
ジルが問う。
「すまない……コアの影響で、魔力探知は難しい」
首を横に振るラカに、ジルは内心で焦燥が膨れ上がるのを感じた。転送先が玉座の間だとしたら、今セレステは一人で魔王と相対していることになる。
まさか簡単にやられるということはないだろうが、それでも相手は魔王である。魔力の片鱗は目の当たりにしたし、今の彼女には得体の知れないもの――コアまでついている。いかにセレステと言えど、容易くは行かないだろう。
いや、苦戦で済んでいればまだいい。到着が遅くなれば、あるいは――
「……っ!」
不吉な予想を振り切るように、ジルは首を振る。
まだ結論を出すには早すぎる。まずは落ち着いて、目の前の道から順番に探っていけばいい。
ひとまず深く息を吸って――
鼻から酸素を吸い込み、ゆっくりと肺腑を満たしていく。
そこで、ふとジルは気づいた。
匂いだ。
通路の先から香る、ほんの微かな匂い。
それは丁字路の右側、さらに奥の分かれ道を左に曲がった先へと続いていた。
「……ジル?」
ジルの異変に気づいて、オフェリアが訝しむ。
しかし、嗅覚に神経を集中するジルには聞こえていない。
気のせいを疑うぐらいうっすらとした香りは、ごく最近の記憶を刺激する。
――これで、貴方の臭いは覚えました。
そうだ。王都、セレステと出会って間もない時に自分が言った台詞だ。
ジルは確信した。この匂いは――
「……セレステ」
呟いて、ジルは道の先へ目を向ける。間違いなく、これはセレステの匂いだ。
それは直感ではなく明確な感覚として、ジルの嗅覚に存在を伝えてくる。
セレステは転送陣で送られたため、本来辿るべき足跡臭は存在しないはずである。それでも匂いがわかるのは、それだけ距離が近いという証拠だ。
おそらく迷宮化したとしてもそれは間取りを複雑にするだけで、距離そのものに変更はないのだろう。
そうと分かれば、まごついている暇はない。
「こっちです。こっちの道の先にいます!」
迷わず右側の道に踏み出したジルは、二人に付いてくるように促した。
「ま、待て! 分かるのか!?」
「大丈夫、セレステの匂いは覚えています!」
慌てて問うラカに、ジルは頷いた。
あの時、地の果てまで追っていくと言った匂いを、自分が忘れるはずもない。
それにここは雑踏ではない。敵には人間も動物もいない。機械人形と魔物のみならば、匂いをくらます者もない。
そして何より、本能に由来する力の前にはコアの撹乱も意味がないのだ。
匂いの標の先を見据え、ジルは自信とともに言い放った。
「私は、鼻が利くんです!」




