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「……やっぱりすごいおっぱいだよね」
セレステがそう呟くのは、既に三回目だった。もはやジルも突っ込むことをやめている。
その視線の先にあるのは、椅子に縛り付けられたヘルミナの、これも縛られたことで強調されている胸元である。
あの後、気を失ったヘルミナを尋問のためティオの家に運び、魔術強化を施した縄で椅子に拘束したのだ。
その際セレステはもちろん縛る役に立候補したものの、問答無用でジルがてきぱきとこなしてしまった。
さすが衛兵というべきか、見事な手際で居間の中央の椅子に括り付ける様は、もはや芸術的ですらあった。
ヘルミナは未だに目を覚まさないが、覚醒とともに脱出を試みないとも限らない。
見張りを申し出たセレステは眼の前に置いた椅子に座り、戦棍を杖代わりにかれこれ十分間ほど目を離さず注視していた――主に胸を。
ヘルミナの座る椅子は、ティオが描いた即席の魔法陣の上にあった。
身体の自由を奪うほか、魔力を強制的に発散させるなどの多重効果をもたらすもので、触媒にしている大型の魔石はつい先程まで漬物石代わりに使っていたものだという。
いわく、ヘルミナを封印した時に施したものの簡易版らしい。ここに〈昏睡〉などの意識を奪う系統の魔術を重ねたものが正式なものなのだそうだが、今回はあくまで尋問が目的であるため、気を失ったままでは仕方がない。
ティオは遠巻きに、ジルは壁に寄りかかって、注意深くヘルミナが目覚めるのを待っていた。
規則正しく動く胸元に、ひょっとしたらまだ一、二時間は観察できるのではないかとセレステが思った時だ。
もぞりと動いて、ヘルミナがゆっくり目を開けた。
「……ん、んん」
眉をひそめ、小さく首を振る。それから周囲を見回して、最後に足元の魔法陣を確認し、概ねの状況は飲み込んだようだ。
眼の前のセレステを捉えると、ヘルミナは蕩けるような笑みを浮かべる。
「うふふ、縛らなくても逃げたりしませんのに……でも、こういうプレイも嫌いじゃないですわ。ご主人……さま♪」
「……へっ?」
セレステは思わず間抜けな声を出してしまった。ヘルミナの媚びるような口調は、明らかにそれまでのものとは違う。
というか、「ご主人さま」というのが自分を指しているということに気づくまで数秒の時間を要してしまった。
困惑していると、少し残念そうな声音でヘルミナは耳を疑うようなことを呟いた。
「……もっときつく縛ってもよかったのに。ふふ……っ」
これ以上きつくすると血が止まって死ぬのではないかと思えるほど、既に充分ぎちぎちに見える。というより、セレステが止めようかと思うぐらいジルは全力で縛り付けていたはずだ。
「ひぃぃぃぃ……なんじゃこいつ……」
「はぁぁ……封印されたときのことを思い出すわぁ……」
得体の知れない相手を前にして引くティオをよそに、ヘルミナは恍惚としたため息を漏らしていた。
「起きたな」
確認するでもなく言って、ジルが近づく。
「あら……どうしたの? 何か聞きたいことがあるのかしら?」
「話が早くて助かるな」
見上げるヘルミナに、ジルは表情を変えないまま問うた。
「魔王領の現状を教えてもらう」
「いいけど、語るほどのこともないわよ」
拍子抜けするほどあっさりと頷き、ヘルミナは世間話でもするようにすらすらと答え始める。
「寝てる間のことはよく知らないし、起きたあとのことも大して知らないけど……分かってるのは、つい数年前にあった反乱で先王が殺されたことと、私の封印を解いたのもその反乱軍っていうことぐらい」
「なっ……ダルガレオが殺されたのか!?」
ティオは驚愕と共に聞き覚えのない名前を口にした。先代の魔王の名だろう。
「知ってるの?」
「ああ。魔王アヴディアイ十世ダルガレオ……またの名を、〈紺碧伯〉ダルガレオ。もともとはこやつと同じく四天王の一人じゃった。休戦派の筆頭で、魔王領に入ったわしらと接触して、しばらく同道したのじゃが……ああ。先程言った、こやつを封印するときに共闘した魔族が、そのダルガレオじゃ」
「……では、ティオ様のパーティに先代の魔王が……?」
ジルは信じがたい、と言った表情でティオに目を向ける。だが、その驚きも尤もだ。
そもそも王国内では、「魔王領に入った勇者パーティの活躍によって、休戦協定を結ぶことに成功した」としか伝わっていない。
まして、パーティに参加して共に行動した魔族の存在などセレステも初めて聞いたほどだ。
「そうなるな。いや……結果的にそうなった、と言うべきか。あの後、主戦派の担ぐ当時の魔王を休戦派の魔族たちと協力して倒したことで、魔王の血族であるダルガレオが継ぐこととなったのじゃ」
「えっ、魔王倒してたの!?」
これもまた、初めての情報だ。セレステたちが知っているのはあくまで「ティオたちが活躍したことによって、魔王と休戦協定を結ぶことができた」という概略だけである。
しかし、ティオは微妙な表情で首を振る。
「わしらが倒したというよりは、ダルガレオたちが倒したという方が正しいのう。あれは一騎打ちではなく、戦場での勝利じゃった。ともあれ、そうして魔王となったダルガレオとわしらが休戦協定を結んだというわけじゃな。しかし、あやつは魔族たちをまとめるまでは国境を封鎖すると言っておったが……そうなると、今の魔王は主戦派ということか?」
ティオが問うたのはヘルミナだ。
「いいえ。反乱はすぐに鎮圧されて、今は娘のゼルキーラが跡を継いでるわ。先王の暗殺に成功はしたけど、それだけじゃ誰もついてこなかったみたいね。だから焦って私の封印を解いたみたいだけど……ふふ、当てが外れたわね。興味ないから無視したわ。ダルガレオたちに封印されたからって、別にその娘に恨みなんかないし……だけどあの女――ラカは、その時からずっと私のことを反乱側だって思い込んでるらしいわ。さしづめ、闘技場でも私が邪魔しに来たとでも思ってたんじゃないかしら」
「ラカ……というと、あの緑の軍装の魔族か。何者だ?」
「あ、私も気になる。美人だったし」
セレステの言葉に、ヘルミナはぴくりと眉を動かした。
「あら……私とどっちが美人か聞いてもよろしくて?」
「え、あー、えっと……」
「……そういう話は後にしてください」
じろりとジルに睨まれるが、それが結果的に助け舟になった。ヘルミナは追求をやめ、素直に問いに答える。
「しょうがないわね……もともとはゼルキーラ様の護衛兼世話係だけど、実質的な宰相ってところかしら。ゼルキーラ様は滅多に人前に出てこないみたいだから、城に行ってもあいつが対応することが殆どらしいわ」
「闘技場でそのラカが抱いてたのが、私達が探してる子なんだよ」
「そう。オフェリア王女殿下だ」
「ああ、なるほど。そういうこと……でもなんで誘拐したのかしら」
「……知らないのか?」
「ええ」
ジルが問うと、ヘルミナはたやすく頷いた。
こうなってくるとますます誘拐の意図がわからない。
魔物を暴走させ、勇者選抜を襲ったのがヘルミナの独断だとしても、どちらにしろオフェリアを連れて行ったのは魔王側である。
やはり、なんらかの要求のための人質として誘拐したのだろうか。
「……当初の目的通り魔王城に向かって奪還する他なさそうですね」
「でもどうする? 正面突破か、潜入か、それとも交渉するか」
「言ってみれば敵地のど真ん中……できれば、潜入して奪還するのが理想的ですが」
「それじゃヘルミナに道案内を頼んで――」
「ダメです」
セレステの提案は、光の速さで一蹴された。
しかしそれを聞いたヘルミナは、上目遣いで妖しく笑う。
「……連れて行ってくださってもいいんですのよ? 私、ご主人さまのためなら喜んで魔族とも戦いますし……うふふ」
「ほら、こう言ってるし」
「ダメです」
ジルはやはり即答するが、セレステは数秒思考すると今度はヘルミナに提案する。
「……あ! ヘルミナ、転送陣で私達を魔王城に送る……とかできない?」
「ええ、もちろん。喜んでお役に立ちますわ」
「それこそダメです! 溶岩にでも転送されたらどうするんですか!」
血相を変えるジルに、ヘルミナは平然と返す。
「あら、私も行くから大丈夫よ? 変な所には飛ばさないから安心して」
「溶岩じゃなくても、例えば魔族の軍勢のど真ん中に転送しないとも限りません。セレステ、私は反対です」
ジルがあくまでセレステを説得しようとするのを見て、ヘルミナは口を尖らせる。
「疑り深い子ね。今の私はもうご主人さまのものだっていうのに」
「そ、そうなの!?」
初耳である。いつヘルミナが自分のものになったのだろうか。
困惑するセレステを、ヘルミナは濡れた瞳で写す。
「ええ。ふふ、心の底から負けを認めてしまった瞬間、私は貴方に服従する歓びを知ってしまった……完膚なきまでに敗北する甘美さ、それが貴方の名前とともに私の魂にしっかり刻まれてしまったんです……だから、私はもう貴方のもの――貴方の下僕、ですわ」
どうやら、あの勝利でセレステはヘルミナの何かに火を点けてしまったらしい。声までも湿り気を帯びて、今にも蕩けてしまいそうな様子である。
しかしジルはそんな色気など介さず、冷徹に言い放った。
「口ではどうとでも言える。そうそう簡単に信じられると思うな」
「……あら。そもそも――もし私がまだやる気なら、戦う方を選んでるわよ?」
その言葉と同時に、きつく縛めていた縄がはらりと落ちる。見れば、いつの間にか魔法陣にも亀裂が入っていた。
「ぴゃっ!?」
「――ちぃっ!」
ジルが剣を抜き、ほぼ同時にティオがその背中に隠れる。
しかしヘルミナはゆっくりと足を組んだだけで、立ち上がろうともしない。戦うつもりは本当になさそうだ。
「あら、警戒しなくても大丈夫よ。本当にもう戦う気はないわ。それに、ご主人さまが必要ないと仰るならいつでも……」
つう、と指を胸元に滑らせると、続ける。
「ここを貫いて、殺してくださいな」
酩酊したように陶然と微笑む姿は、むしろそれを望むかのようだった。
壮絶な色気に、セレステは思わず単純すぎる感想を漏らす。
「エ……エロすぎる……むしろ今からちょっと詳しい話を聞きたいんだけど――」
唐突に背筋に寒いものを感じて振り向くと、ジルが絶対零度の視線を向けていた。セレステは慌てて口を閉じ、身を乗り出した態勢からきちんと座り直す。
「無償で行うのが怪しいと言うなら……こうしましょう。一つだけ、条件を提示するわ」
「……条件?」
ヘルミナは頷き、三日月を思わせる笑みを妖しげに浮かべた。
「ええ。取り引きなら、安心でしょう?」
しばし考え、ジルは頷く。
「言ってみろ」
ヘルミナの出した条件は、ある意味とても容易いものだった。
それは――




