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「しかしじゃな……あの酒飲み以外がここに来るのは本当に久しぶりじゃのう」
ハーブティーを喫する二人に、ティオは楽しげに言う。
自家製のハーブで淹れたという茶の香りは爽やかで、味もすっきりとしていて美味だ。
ジルは鼻が利く分、味覚も鋭いのだろう。一口啜ると少し驚いたように淡黄色の液体に目を落とし、それからすぐに再びカップを傾けた。どうやら、この味が気に入ったらしい。
「ナシュハクさんも来てるんですね」
「うむ。あれは若いのになかなか見どころがある。番犬代わりのオークどもにも気づかれず、上手いことここまで来るしな」
その言葉に、ジルはカップから顔を上げた。番犬代わりのオーク、と言えばあの針付きの個体たちのことだろう。崖の件を思い出しているのか、その表情は苦々しげだ。
「……あれが番犬代わり、ですか」
「おや、知っておるのか。もしや、遊んでやったのかの?」
「人が悪いなあ、見てたんでしょ?」
「うむ、見事な戦いぶりだったぞ」
悪びれもせず、ティオはにやりと笑って頷く。幼い姿をしていても、そこには確かに大魔術師たる貫禄が滲んでいた。
「さて、それでは――本題に入るか」
居住まいを正し、ティオは黒瞳を細めた。ジルがうなずき、説明しようと口を開く。
「ええ、実は――」
「魔族に王女が攫われたのじゃろう?」
ティオに先んじられて、ジルは少し驚いたようだった。一瞬の沈黙の後、返答する。
「……ご存知でしたか」
「見くびるな、わしに見通せぬことはないぞ。しばし待っておれ」
そう言ってティオが本棚から抱えてきたのは、一冊の大判な本――書籍型の魔術杖だった。テーブルの上に置くと、真ん中辺りのページを広げて片手をかざす。
「〈天眼〉!」
乳白色の魔力光が掌から白紙のページに吸い込まれたと思うと、空間に大陸の地図が浮き上がった。紙に描いてあるものとは違い、大陸をそのまま小さくしたかのように立体的で精密だ。
「さてさて、どこかのう……おお、見つけたぞ」
ティオはあっさりと目当てを発見したらしく、指先をページに這わせて地図を拡大する。
地図は王国の西、魔王領の中心部を大写しにしていた。険峻な山に囲まれた要害と思しき場所に、赤く光る点がある。
「この光点が示すのが、お主らの探す者の居場所じゃ――ほほう、やはりな」
その位置にティオは愉快げに口の端を持ち上げるが、ジルは反対に表情を硬くした。
「これは……」
「うむ、魔王城じゃな」
ティオが頷く。
つまり当初の危惧通り、王女は魔王城に連れ去られたのだ。
「……結構遠いね。なるべく急ぎたいところだけど……これじゃ相当かかるんじゃない?」
魔王城と現在地との距離を見て、セレステは眉根を寄せる。
最短距離で考えたとして、馬と徒歩の併用で向かったとしても12日以上は確実にかかるだろう。
それだけでもかなりのものだが、これはあくまで「何も障害がなかった場合」である。
魔王領には何が待ち受けているかもわからない。地形や経路の問題のみならず、敵との戦闘、あるいはそれを避けるための迂回など、様々な状況を考慮すれば正確な旅程の予測はほぼ不可能と言える。
「転送魔法みたいなものは使えないんですか? あのとき魔族たちがやってたような」
ジルが指すのは、ヘルミナやラカが闘技場で見せたもののことだろう。ゲートのようなものを発生させ、現在地と任意の場所を結びつける術式である。一般的に、魔族が得意とするものとして知られている。
「うーん、難しいね」
「そうじゃな……あれは魔族特有の魔術体系じゃから、詳しいところが分かっておらぬのよ」
二人の魔術師が揃って難色を示したことで、ジルは問題の難しさを理解したようだった。厳しい表情で地図に視線を戻し、呟く。
「となると、地道に行くしかない……ということですか」
「まあ待て、参考になるかはわからんが……」
ティオがページの上で何やら指を動かすと、国境線から魔王城までの経路が地図上にいくつか表示される。
各経路を示す色違いの線には、それぞれ可愛らしいイラストとともに「こそこそきつねさんルート」「ゴリ押しゴリラさんルート」などという名称がついていた。これはティオのセンスなのだろうか。
「百年前わしらが使ったルートじゃが、参考にはなるじゃろう。わしらの時はまず、このゴリラさんルートを――」
説明するティオの声をかき消したのは、家の外からの爆発音だった。
「何じゃ!?」
「ジル!」
「はい!」
驚くティオをよそに、セレステはジルとともに外へ飛び出す。爆音に混じって聴こえたのは選抜会場が襲撃されたときと同じ、魔術由来の高周波音だ。
家の前に立っていたのは、果たして予想通りの姿だった。
「お前は……!」
「ふふ、二度目のお目見えになるわね」
ジルの絞り出すような声を受けて、魔族の女は妖艶な笑みを浮かべる。女は纏った黒いコートを翻し、恭しく礼をした。
「――<漆黒伯>ヘルミナ、推参仕りましたわ」




