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セレステは、魔力を充填しつつ一気に距離を詰めていく。
女は待っていたとばかりに両手の魔力を電気エネルギーに変換し球体に成形、電撃弾として高速で発射した。
殺到する黒紫の電光はしかし、白銀の戦棍に打ち砕かれる――<魔術破壊>だ。
計算通りだ――詰めるまでに一発食らうのを、充填した戦棍で防ぐ。そして、次の一歩で射程に踏み込む。
そして、今。ついに間合いに突入した。
振り上げた戦棍を、上段から全力で打ちおろす。魔力で強化された筋力が、雷光の如き速度で鉄塊を叩きつけた。
しかしその一撃は、クロスした腕に防がれる。
威力で地面に足をめり込ませつつ、女は上目遣いでセレステを捉えてにやりと笑った。
転瞬、腕を跳ね上げるとともにその足がセレステの腹部に食い込んだ。前蹴りだ。
たまらず吹き飛ばされ、セレステは地面に転がる。肺腑の空気を根こそぎ搾り取られるほどの一撃だったが、無理やり魔力で酸素を供給、痛覚を遮断して立ち上がる。
凹んだポンプに強引に空気を送り込むような、めりめりとした音が骨を伝わって聞こえてきたが、これで動けることに変わりはない。そして、次の手も決まっている。
セレステは追撃してくる女を、今度は下段から跳ね上げた戦棍で迎撃した。
女はそれを腕で受けるとセレステの頭部を狙って上段蹴りを繰り出す。セレステは頭を傾けてなんとか避けつつ、再び戦棍で殴りつけた。
打撃を右腕で受け止めた女は、左手で戦棍を掴んで引っ張る。
得物を奪おうという相手に、セレステは腹部めがけての蹴りで対応する。これは脇腹を捉え、女は呻きを漏らして一歩下がった。
瞬時、そこに生まれたのは間合いと隙である。
セレステはすかさず踏み込み、突きを繰り出す。
避けきれず正面から受けるヘルミナに、インパクトと同時に充填した魔力を解放する。純粋な破壊力となった純白の一撃は、そのまま相手を弾き飛ばした。
なんとか倒れずにぎりぎりで踏みとどまった女だが、一瞬遅れて膝をつく。
しかしその顔に浮かんでいたのは、好戦的な微笑みだ。
陶然とした吐息とともに、女は指先で己の唇をなぞる。
「はぁ……久しぶりにぞくぞくするわ……貴方、あの子たちより強いかも。ふふ、もっと楽しみましょう? 素敵な人間さん」
淫靡な仕草のせいで思わずあらぬ想像をしそうになるが、女から漂うのは確かな殺気とむせ返りそうな濃度の魔力だ。
セレステは戦棍をくるりと回し、しっかりと握り直す。次の戦端が切られれば、次に終わるのはどちらかが倒れる瞬間だろう。
「私はセレステ・ヴァレンティア。魔族のお姉さん、貴方の名前は?」
「普段なら人間になんて名乗らないんだけど、貴方には特別に教えてあげる。私は〈漆黒伯〉ヘルミナ……ふふ、名前で呼んでくれると嬉しいわ」
妖艶に目を細めるヘルミナは、睦言を紡ぐような口調で名乗りながら、しかしその両手に再び魔力を充填する。
――しかし、直後。アリーナからの爆発音がその空気を断ち切った。
「……なるほど、別働隊もいるってわけか」
「……? 何のことかしら? そっちの勇者候補じゃないの?」
嘘をついているにしては含みのない口調で、ヘルミナは返す。なんとなく引っかかる態度だ、とセレステは思った。ここまでのやり取りから言って、心当たりがあれば何かしら意味深な反応をするはずである。
「そんなことより、早く続きを――」
ヘルミナの声をかき消して、今度は空間に魔力の塊が出現した。翠緑のそれは渦巻いたかと思うと、直後、転送魔術の陣に変化する。強化した分の魔力があるとはいえ、新手の魔族だとすれば中々辛い状況だ。
「人間のものではない魔力があると思えば……貴様か、ヘルミナ」
低く、硬さを感じるアルトとともに転送陣から出現したのは、深い緑の軍装に身を包んだ麗人だった。鋭さを感じさせる美貌には、セレステも息を飲んだはずだ――その腕の中に、気を失ったオフェリアを抱いていなければ。
「オフェリア!?」
驚くセレステをよそに、ヘルミナは麗人にぞっとしない顔を向ける。
「あら、ラカ……だったかしら。何の用?」
「それはこちらの台詞だ。貴様、身を隠していたのはこのためか?」
「このため、ってどのためよ? あなた達の都合なんて知らないんだけど」
その会話の内容は判然としないものの、魔族が二人並び、片方は王女を抱えている。となれば、最も想像できるのは一つの可能性だ。王女の誘拐である。
「……最初からそのつもりだったんだな、お前たち」
しかし、セレステの言葉をヘルミナは否定する。
「そのつもり? よくわからないけど、きっとその想像は外れよ。私、ここに勇者候補が揃ってるって聞いたから遊びに来ただけだし」
素っ気ないほどの返答には、やはり不思議な説得力があった。
ラカと呼ばれた麗人もまた、うんざりと舌打ちをしてヘルミナに目をやる。
「ちっ……封じられている時に殺しておけば……」
「あら、寝てても貴方には負けないと思うけど。ていうか私、魔族同士で戦うのとか興味ないって知ってるでしょ? ほっといてくれないかしら。ちょうど今、いい感じの子見つけたとこだし」
言ってから、ちらり、とヘルミナはセレステに視線を送る。
予想以上に複雑そうな状況にセレステが次の手を決めかねていると、聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきた。
「貴様! 王女を離せ!」
マティエだ。崩落したスタンドの方から、サーベルを構えて一直線に向かってくる。
「ち、撒いたと思ったのだが……いや、待て。王女……?」
ラカは困惑するような顔で、腕の中のオフェリアに目をやる。状況からは想像のつかない、不可解な反応だ。
「まあいい、目的は達した。長居は無用だ」
言うが早いか、ラカは転送陣を出現させる。なんにしても、このままではオフェリアを連れて行かれてしまうだろう。
「くそっ、待て!」
セレステは戦棍を振りかぶって飛びかかるが、一歩遅かった。命中する直前にラカと転送陣は消滅し、白い軌跡は虚しく空を切る。
「かかれ!魔族はそこにいるぞ!」
「おおっ!」
威勢のいい掛け声は、背後――セレステが入ってきた壁の穴からのものだ。見れば、大勢の騎士と衛兵たちが突入してくる。シティガードの本隊である。あの様子だと、会場内のモンスターもほとんど制圧が完了しているのだろう。
戦闘態勢を解いて、ヘルミナが大きくため息をつく。
「あーあ、なんか萎えちゃった。今日のところはこの辺りにしとこうかしら……まあ、いい相手を見つけたし、よしとしましょうか。また会いましょう、素敵な勇者候補さん」
淫靡な笑みを残すと、こちらも瞬時に呼び出した転送陣に飛び込んだ。
「あっ、ちょっ、くそっ!」
二兎を追うこともできないまま両方に逃げられ、セレステは一人その場に残されてしまった。
ようやく到着したマティエが、肩で息をしながら苦々しく言う。
「はぁ、はぁ、くそっ、私が行った時にはもうあいつが姫を……切り結ぶこともできないで攫われるなんて……!」
悔しいのはセレステも同じだった。自分もまた、結果的に目の前でオフェリアが攫われるのを止められなかったのだ。
「動くな! 狼藉者どもが!」
この状況で最も聞きたくない相手の声が、容赦なく冷水を浴びせてくる。
シティガードの騎士や衛兵を押しのけて現れたのは、ポポン卿だ。セレステたちより先に突入しておいて、今まで一体どこにいたのだろうか。
「勝手な行動をしおって、下民が……引っ立てろ!」
ポポン卿の命令に従って迫ってくる騎士たちに、もはや逆らう気力も残っていないセレステは深いため息とともに両手を挙げた。




