番外編:とある天才商人の恋路②
「突然の訪問を快く受けてくださり、ありがとうございます」
私が応接室の扉をくぐるや否や、その声は放たれました。
部屋の中央に置かれた大きなソファー。その奥で穏やかな微笑を浮かべながら頭を下げている若い男———プレスト元王子です。
エレナちゃんから聞いていた通り、外見だけはとても整った男です。その甘い容貌で宮中の女性を虜にしていたと聞きますが、直に会ってみればなるほど、という感想しか浮かんできませんね。
もっとも、私には関係のないことですけど。
「ロレンス王国から参りました、プレストでございます」
「これはご丁寧にどうも。シャルル商会会頭のアンネです」
努めて抑揚のない声音で応じます。すでに彼は王子ではなく、表向きはただの一般人。そんな男が私に飛び込みの会談を持ちかけた———その無礼を無言で咎める形です。
私の楽しみを奪った罪はそれだけ重いのです。
「妹君のミーナ女王陛下とは、私もよしみを通じたいと思っておりましたの。昨今のご活躍は私のような平民にも届いておりますし。ですからその実兄にあたるプレスト様にお会いできたことを嬉しく思いますわ。
———しかし、いささか急ではありませんか? しかも随員の一人も連れないでいらっしゃるとは、どういったご用向きで?」
「要件、ですか……表向きのものと本心と、どちらからお話すればよろしいですかな?
「では、表向きのものを」
私の答えに一つ頷いて、足元に置いた鞄から数枚の書類を机の上に並べました。
「アンネ様のシャルル商会、その支店をプレスト王国に置いていただきたいと王女殿下は仰っております。今や世界のどこよりも物と知識が集まってくるナンコーク王国。そこに拠点を置く大商会の品物を、プレストの民も購入したいと意見が上がったのだとか」
「……へえ。で、その書類が女王陛下のサイン付き要請書という訳ですか。随分と用意のいいことで」
「御多忙の中、こうして急遽お会いしてくださったアンネ様のお時間を無為に奪う訳にはいきませんからね」
そう言いながら微笑むプレスト。その人懐っこい笑顔と手際の良さに、並の商人なら思わず飛びついてしまうでしょうね。
でも———
「ここには関税に関する取り決めが記されておりませんが、そちらはどうなるので? 現在ナンコーク王国とプレスト王国の間で交わされている取り決めを踏襲するままなのであれば、こちらは断らざるを得ないのですが」
「さすがはアンネ様、痛いところを突いてこられますね……こちらが、税に関する書類でございます」
卓上に増える、新たな書類。そこにはきっちりと関税に関する事項が書かれていました。しかも、割と暴利な取り決めが。
つまりこの男は、私が指摘しなければこれを飲ませるつもりだったという訳です。つい最近まで王子をやっていたとは思えないほどの老獪さに、私の心に灯がともります。
ああ、だから交渉とは面白いのです!
「単刀直入に言いますが、論外です。その条件で商品を輸送するとなれば、手間を考えた時にナンコーク王国で売り続けた方が利益が出ますから」
「当然、このままの条件という訳ではありませんよ。……関税に関しては、シャルル商会の店頭に並ぶ商品にはかけなくてよいと陛下から言いつかっております」
「……ほう」
これはこれは、なかなか大盤振る舞いをするものですね。私の聞いていたミーナ女王の評価とは、堅実でしっかり地に足の着いた政治をするとのものだったはずですが……
ちょっと頭の中でそろばんを弾き、こちら側のメリットを計算。十分今のままでも利益は出ますが……ここは、もう一押ししてみますか。
「それに加えて、商品の輸送費の半額を負担してくださるなら即決いたしましょう。いかがですか?」
「半額ですか……上限は、こちらで決めさせていただいても?」
ぬう、さすがに抜け目がないですね。でも、このあたりが分水嶺でしょうか。
「ええ、構いませんよ。ここにサインすればいいのですか?」
「はい、よろしくお願いいたします」
もう一度ざっと書類に目を通し、見落としがないか確認。済んだら私の名前でサインを入れ、プレストへと返します。
「確かに受け取りました。これで陛下も喜んでくださることでしょう。
それでは、ここを訪れた本心なのですが———」




