15話
「失敗、だと……?」
とある屋敷の書斎で、白髪の老人は頭を抱えた。
限られた時間の中で最大限、念入りに練った計画だった。
だが、その目論見はもろくも崩れ去った。
理想は生徒たちの六割以上を亡き者にすること。
半数に到達しないくらいであっても成果としては問題ない。
三割でも殺すことができれば今後の計画に支障はない。
そのくらいの余裕をもって計画を立てた。
だが、結果は散々なもの。
派遣した兵士たちは予備の部隊も含めて全滅し、虎の子だった魔道具も不発に終わった。
パーティ暁が森に向かったことは把握していた。その時に対処されたのだろう。
「何故だ。何故全滅した」
だが、さすがに総勢三百名に近い兵士たちが生徒に後れを取るとは思えない。
教員たちも手練れではあるが、さすがに数で不利な以上、ある程度の犠牲を出しながらも生徒たちを二度と森から帰さぬことはできたはずだったのだ。
「報告によると、森の外に控えさせていた予備部隊は何者かの手によって全滅させられ、森の中に潜ませた者たちは、パーティ暁の活躍と教員たちの思わぬ奮闘により力及ばず……」
彼の腹心である初老の執事はそう答えた。
「そんなことはこの報告書に書いてあるわ!」
白髪の老人は、執務机に置いていた羊皮紙を払った。
それは今執事が言ったことと同じ内容が書かれている報告書だった。
「この際森のことは良い! そのような事態が発生した時のために、二百名も控えさせていたのだ。それが全滅したのはどういうことだ!?」
激昂する主人に、執事は恭しく頭を下げる。
が、執事の返答は、芳しいものではなかった。
「それが……不可解なことに、予備部隊が何故全滅したのかは、いくら調べても確たる情報が出てこないのです」
「ふざけるな!!」
とさらに声を荒げるものの、その言葉の不可解さに白髪の老人はいくらか冷静さを取り戻した。
「……待て。お前が、いくら調べても情報が出てこないというのか?」
「恥ずかしながら……」
どういうことだ。
此度の件、この執事には相当な権限を与えていた。
間違いなくここらの地域では有数の権限を持っていると言って過言ではなく、分からない情報などない、と言い切れるレベルだったはずなのだ。
なのにどういうことなのか。
「影の者はどうした?」
森での計画について、外から監視するために影の者も派遣していた。
この老人でさえそうそう数をそろえられない、手練れの影の者。
「それが、全員未だ帰還しておりませぬ」
「なん、だと……?」
ここに来て、白髪の老人は得体の知れないものを感じた。
何か、自身の埒外の何かが動いている、と。
影の者が未帰還など、これまで起きたことがなかった。
「旦那様。いかがなさいますか」
今後のことを聞かれているのだと分かった。
想定外のことはあったが、しかし止まれない。
それだけは、最初から決まっていたのだ。
こうして乗り出した以上、後にはもはや引けないことが。
「……やるとも。手筈通りに進めろ」
「……かしこまりました」
「そうだ。森の件がどうなるうとも我らは止まらぬ。この一手、とくと味わうがいい」
白髪の老人は大きく息を吐き、窓から街並みを見つめた。
初老の執事がその背中に一礼すると、主からの命令を遂行すべく退室した。
◇
今後学院で何が起きるか分からない、という会議を行ったのは数日前。
現在真菜たちは、住居を一時的に賃貸一軒家から学院内の教員宿舎に移している。
学院内で事件が発生した場合に即応できるようにするためだ。
現在真菜はのんびりと魔導書を読んでいる。
「……」
キリのいいところまで読んだところで、真菜はしおりを挟んで本を閉じた。
警戒は解いてはいない。
ただ、常に緊張していると疲れてしまう。
その辺りの対応方法はこれまでの冒険者活動で学んでいた。
朝の授業前の時間である。
夜遅くまで起きて、朝寝坊する、というようなことはこの世界に来てから起きていない。
この世界には、夜遅くまで起きてまですることが無い。
よって基本的に早寝早起きという非常に健康的な生活が続いている。
練習を兼ねて魔術でお湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
砂糖とミルクを入れて甘めに。
ブラックで飲んでみたこともあるが、あまりの苦さに半分も飲めずに甘くした。
「そういえば、お母さんはブラックコーヒー飲んでたっけ」
真菜は懐かしむように少し笑ってカップを手に取った。
甘いコーヒーを味わい、ひといき。
元気にしているだろうか。
あえて確認していない。母のことは。
日本から失踪して早二年。
確認はしていないが、今の真菜の立場であれば、母に会おうと思えば会えるだろう。
あえて確認していない、というのは語弊があるか。
より正確に言えば。
「……怖がってる、のよね」
そう、怖いのだ。
母は苦しいながらも一人で真菜を育て、家計を支えてくれていた。
今はどうしているのか。
それを聞くのが怖い。
元気でやっていると思っている。
思いたい。
だが、人間何が起きるか分からない。
この世界に来る直前、真菜は死にかけていた。
地球上において日本が比較的安全なだけで、この世界ほどではないだけで、死ぬときは死ぬ。
悪意、巻き添え、不運。様々な要因で死は意外なほどすぐそこにあると、真菜は嫌というほど知っていた。
だから、いなくなっている可能性があるのだ。
「……っ!」
ぶんぶん、と真菜は首を左右に振った。
身体を脱力させる。
数度深呼吸。
ゆっくりと息を吸い、吐く。
ゆっくりと、ゆっくりと。
心を落ち着かせる方法は、必死になって身に着けた。
精神を護る魔法はある。
だが、いつまでもそれに頼り切るのではいけないと、メンタルトレーニングをしたわけだ。
そのトレーニングはここでも生きた。
きちんと狙い通りに心を落ち着かせることができたわけだ。
解決方法は至極簡単。
母がどうなっているか確認したいと言えばいいのだ。
ルートはいくつか存在する。
今の真菜ならば可能なのだ。
それだけの立場にあり、権力との伝手も存在する。
もう少し欲しい。覚悟を決めるための時間が。
「ふふ、情けない」
そういったことはこれまでいくつもあった。
冒険者として仕事をしていくなか、仕方なく肉親や親しい友を諦めさせた場面が思い出される。
その時は、友や肉親を諦めさせる言葉を投げかけてきたものだ。
救えるべき者を救うため仕方なく選択したこと。
そうしなければ救えるべき者も救えなくなるためなので、その選択は今でも間違っていなかったと胸を張って言えるのだが。
しかしいざ自分がその立場になると、覚悟を決められない。
人には決断を迫っておきながらこの体たらくだ。
まあ、それが人間というものなのだろう。
「この件が終わったら、考えるべきかしらね」
いつまでも先延ばしにはしていられない。
真菜のことは日本では報道されているのだ。
もっとも、マスコミであれば母のことは嗅ぎつけていてもおかしくはない。
真菜の母は、真菜に対する有効なカードであるのは間違いないので、このカードを使ってこないのは真菜からすると不思議なのだ。
今や真菜の存在は帝国にとっても日本にとっても非常に大きい。そこに食い込めるカードを何故切ってこないのか。
どこかで情報を止めているのだろうか。健在であるにせよ、そうでないにせよ。
そこまで考えて、動くべきだと結論が出た。
日本にとってきっと大きなカードであるそれを、真菜の方から動いて切らせてはどうだろうか。
もちろん日本側も阿呆ではないので、真菜から打って出るパターンも想定してはいるだろう。
ただ、相手の動きに対応せねばならないのと、自分から対応するのではかなり違う。
まあそれもこれも、今起きている喫緊の課題を片付けてからだ。
ちょうど鐘が鳴った。
これは朝食終了の鐘だ。この後に鳴る鐘は、授業開始直前の合図なので、今から登校開始の時間になる。
「さて、そろそろいきましょうか」
真菜は立ち上がって部屋を出た。
右隣の部屋にいるアリスを訪ねる。
「準備は出来ていますわ」
部屋の中から声が聞こえてきて、すぐにアリスが部屋から出てきた。
こうしてきっちりとしているのがアリスという女だ。
そこが時に息苦しく思うこともあれど、信用勝負である冒険者としては非常に大切なことだ。
彼女が辺境伯家の子女として、厳しい教育を真面目に受けてきたことの賜物だろう。
「おっ? そろそろ行く頃かと思ってたぜ」
ガチャリと、真菜の左隣の部屋が開き、アズが出てきた。
彼女はアリスほどきっちりはしていない。
研究に没頭するたちだが、だからといって冒険者としての仕事をおろそかにするほど周りが見えなくなるわけでもない。
もっともごくまれに周りが見えなくなってしまうこともあるが、まあご愛嬌というものだ。
「ばっちりなタイミングね」
「だろ? お前らならこのくらいの時間だろうなって思ったんだ」
アズはそう言って笑った。
誰かが遅れることもなく、全員で一緒に出勤することができた。
というのも、学院に何かしらのアクションがあるならそろそろだろう、と思っていたからだ。
これは真菜たちだけではなく、学院全体での考えだ。
さすがに森から帰還後すぐにあるとは考えにくく、数日置くだろうと予測していたのだ。
そして。
「……ああ、なんか妙な空気が流れてんな」
教員宿舎から出てすぐ、アズがそんなことを言った。
特に殺気も悪意も感じない。
ただの勘だ。
だがそういう勘こそ大切にせねばならない。
本当にあいまいで、根拠を示せと言われても困ってしまうのだが。
真菜もアリスも、アズが言ったことをないがしろにするつもりはないのだった。




