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2話

 日本語。

 なんだか久々に聞いた気がした。

 真菜が心の中で考える際の言葉は日本語だったのだが、普段聞こえるのは異世界の言語だ。

 会話に困ったことが無いのは、アルヘラが憑依した段階で言語能力も対処してもらったからだ。

 それに対して、日本人が異世界人とやり取りできている理由は、翻訳の魔術の賜物であろう。

 日本側がそれを受け入れるまでにはひと悶着があっただろうが、今は横に置いておく。

 それよりも。

 日本人の政府関係者と思しき若い男性。

 彼の言葉は現在の帝国、特に帝都においては非常にセンシティブであった。

 久しぶりに見たスーツを懐かしむことすらできない。

 さてどうするか。そう考えた間があったからだろう。

 すっと真菜の前に手を出したのはアリスだった。

 そして真菜よりも一歩前に踏み出す。

 まるでスイッチが切り替わったかのような威風堂々とした立ち居振る舞いは、即座に場の空気を支配してしまう。

 馬車の一段を護衛していた騎士たちの中から一人が下馬し、アリスの元に走り寄って敬礼した。


「アリスフィア様でいらっしゃいますね?」

「ええ、護衛隊の隊長ですか?」

「その通りであります」

「わたくしの顔をご存じのようですね」

「はい。閣下には以前、大変良くしていただきました」

「話がはやくて結構ですわ。では、この場は預かります」

「はっ、そのように!」


 騎兵隊の隊長が下がる。

 逆にアリスが前に出て、真菜に「日本人」と問うた青年に向き合った。


「”それ”はここで発すべきお言葉ではございません。お分かりですね?」

「あ、ああ……いや、しかし……」


 頭では分かっているのだろう。

 しかし、何がそこまで彼を突き動かすのか、彼は真菜を気にしている様子だ。

 当然だが、真菜の方に彼との面識はない。

 日本人の成人男性である、と分かる程度だ。

 更に何かを言い募ろうとした青年。

 その後ろから中年男性が歩み寄り、頭を押さえつけて下げさせた。


「僕はあの……うわっ」

「少し黙れ。……私の部下が大変失礼いたしました。おっしゃる通りです」


 どうやら彼の上司か、或いは日本側の責任者か。

 ロマンスグレーの、いわゆるイケオジというやつかと、真菜は思った。


「私は責任者の京極と申します。レディ、お名前をお伺いしても?」

「ご丁寧に痛み入ります。わたくしはアリスフィア・グレイブシールド。辺境伯家長女ですわ」


 真菜に話しかけた青年は驚いていたが、京極は驚いていなかった。

 アリスの佇まいから、そのことは予想していたらしい。


「これはこれは、お会いできて光栄です」

「ありがとうございます。早速ですが……」

「ええ、ここは退かせていただきます」

「お分かりいただいて何よりですわ」


 アリスは振り返り真菜を見る。

 何を言いたいのか、真菜は理解していた。


「真菜さえいいのなら、これから登城しようと思うのですが」


 真菜としても異存はない。

 こうして露呈した以上、確実に皇帝も知ることになるはずだ。

 日本と繋がったことが小さな問題であるはずがなく、近いうちに真菜は帝城に呼び出されることになるだろう。

 頷くと、アリスは再び京極に向き直った。


「と、いうことですので、時が来るまでお待ちくださいませ」

「そうですな。その時を待つとしましょう。……おい、行くぞ」

「は、はい! 分かりました!」


 青年は京極に引っ張られ、共に馬車に乗り込んだ。

 一歩下がってその様子を見ていた騎兵隊の隊長は。


「では、私はその旨も合わせて報告してまいります」

「お願いしますわ」

「もちろんです。おい、アリスフィア様に馬を」

「お気遣い痛み入りますわ。ですが、不要です」

「左様でございますか。では、我々はこれにて失礼いたします」

「ええ。任務に励みなさい」

「はっ!」


 馬車と馬なのでそう時間はかからないだろうが、彼ら騎士からすれば緊張はいかほども解けないのは間違いない。

 アリスはそれを分かっているのでねぎらったというわけだ。

 馬車と騎兵が去っていく。

 それを見送り、アリスは真菜に向き直った。


「さ、わたくしたちも参りましょうか」

「そうね」


 アリスと真菜は並んで歩きだす。

 あえての徒歩だ。

 城に十分な時間を与えるためである。

 アリスが「センシティブ」と言ったのは誇張でも何でもなく、事実視線を多数感じる。

 もはやこれは仕方のないことだ。

 ただ、アリスがグレイブシールド辺境伯家令嬢と明かしたことで、真菜たちの行く手を遮ろうとする者は一切出ず、スムーズに歩くことができている。

 道中アリスから一切何も聞かれなかった。

 城で分かることなので今は聞く必要はない、ということだろう。

 もちろん、ここで話すことではないというのも正しい。

 しかし、まさか、である。

 暇つぶしの帝都散策という選択が、こんな事態を引き起こすとは。

 もう、運命の変化は止められないのだろうなと、真菜は思った。



 ザングレイブ帝国 帝都グラングレイブ 帝城――

 本日は、日本の全権大使との間に行われる会談の初日である。


「……ほう?」


 冠を戴く若き皇帝、ガウディノール・ザングレイブは、私室にて謁見の準備を進めていたところ、その報告を聞いて美麗な眉を上げた。

 二十八歳という若さながら、実力で手に入れた皇帝という地位。武力、知略、美貌……帝国の全てを持っているからこそその地位に就いた、正にザングレイブ帝国を体現するような皇帝として歴史に名を刻むであろうと謳われる名君である。


「この国に、日本人が既にいたとはな……」


 着ていた服を脱がされ一糸まとわぬ姿となった皇帝は、侍女の手によって極上の肌触りのタオルで丁寧に身体を拭われる。

 すべての身だしなみについて、皇帝が何かをすることも無ければ口を出すこともない。

 身だしなみに限らず、皇帝が身の回りのことについて何かをしてしまえば、その分侍女や侍従の仕事がなくなってしまうのだ。

 皇帝はその程よく鍛えらえれ、均整の取れた芸術品のような肉体を隠すこともせず、報告に来た宰相に向き直った。

 普通、皇帝の色直しの最中に、侍女や侍従、護衛以外の者が私室を訪れることはない。

 その慣例を破ってまでも訪れた宰相に、重要な報告があると察した皇帝は入室を許可したわけである。


「その日本人の娘の横には、グレイブシールドの長女がいたと言ったな?」

「はい。間違いないとのことです」

「そうか……それで?」

「アリスフィア殿が、お連れになるそうです」

「うむ。それは僥倖であったな」


 皇帝たるもの、いちいち貴族令嬢の最近の動向の細部までは把握していない。

 皇帝が知っていたアリスの情報は、現在は冒険者として活躍していること、ミスリルランクになり、才能をいかんなく発揮していること、誰かとパーティを組んでいることくらいだ。

 むしろアリスについては、グレイブシールド家の令嬢故に他の令嬢よりも詳しく把握しているくらいだ。

 他の令嬢についてなど、知っていてせいぜい学生であるかどうかくらいである。


「では、到着したら日本の外交使節団と鉢合わせることがないよう待機させよ。もてなしてやれ」

「はっ」


 既に日本人の外交使節団は城に到着しており、現在は客間にて一時心を休めているところだ。

 皇帝はこの後訪れるアリスとその日本人の少女が、日本人と鉢合わせしない方がいいと考えた。

 そこに根拠はない。完全に皇帝としての直感である。


「くく……面白いことになるな」


 着替えも終わった。

 ガウディノールはばさりとマントを羽織る

 これから謁見、そして会議である。

 今後の帝国の行く末を左右するやもしれない時間だ。

 いかにして帝国に利を引っ張ってくるか。

 瞬時に切り替わった皇帝の頭の中は、既にそれだけに占められているのだった。



 ここが帝国城か。

 剛健さの中に共存する豪華さ。

 煌びやかさという意味では、真菜がイメージしていた西洋の城とは少し違う。

 しかし権威というか、そういうものははっきりと感じられた。


「真菜は登城するのは初めてでしたわね?」

「冒険者として生きるのに、お城なんて縁は無いわ」

「国の名で出した依頼を受けていれば陛下と謁見することもありますが……」

「そんな依頼は無かったわね。まあ、あったらあったで、国としては結構な危機だと思うから、無いに越したことはないわね」

「そうですわね」


 真菜の言い分は身につまされるものがあった。

 それは、グレイブシールド家の存在意義にも通ずるところがあったからだ。

 まあ、それは今は関係ないと横に置くアリス。


「……何も、聞かないのね?」


 別に隠していたわけではない。

 ただ、話す必要性を感じなかったから黙っていただけだ。

 秘密でも何でもなかった。

 真菜にとっては。

 しかし、それはあくまでも真菜にとってはの話で、アリスからすれば秘密があったのと同じである。


「この後嫌でも聞くことになりますもの。今聞く必要性を感じませんわね」

「……結果的に、黙っていたことについてはどう思うかしら?」

「誰しも秘密の一つや二つ、抱えているものです。わたくしにもございますわ」

「辺境伯家令嬢だったこと以外で?」

「それは初めから隠していませんでしたでしょう?」


 そう。

 アリス――アリスフィア・グレイブシールド――とパーティを組む際、真菜に対し身分を一切隠さなかったし偽らなかった。

 身分については「平素は冒険者として扱ってくれて構いませんわ。貴族として扱うのは、そういう場所、そういう相手の時だけで結構です」とだけ言ったのだ。

 必要な時以外は普通に接していい。必要とあらば、辺境伯家令嬢であることも非常に力になる。

 そして、そんなことはどうでもいいのだ。

 何より冒険者として重要な腕が良く、嘘を一切つかなかったことに好感を持ったからアリスとパーティを組んだという経緯だ。


「……わたくしの秘密は、平民は知らない方が幸せ、というたぐいのものでもありますからね」

「知らぬが神、ってやつだね」

「なんですの、その言い回しは」

「日本の言葉でね。神様って、何が起きたって心を乱したりしないでしょう?」

「そうですわね」

「つまり、知らなければ神様のように平静でいられる、ということよ」

「面白いですわね」

「実際はちょっと言葉が違うけれど。こちらの世界に合わせて改変しているわ」

「そうなのですね」


 そうしてのんびりと話をすることしばらく。

 昼食もテーブルマナーを気にせず食べれてじゅうぶんに味を楽しめた。

 食後もしばらく待機して日が傾き始めた頃、侍女が訪れた。

 皇帝立ち合いの元でならば、日本人外交使節団との面会を許可するとの事である。

 名目上は自国民の保護であるので、皇帝はそこにいるだけで基本口出しはしないそうだが、さて。


「よろしいでしょう。では、陛下に承知いたしましたと、お伝えくださいませ」


 一見提案という形をとっているが、皇帝ガウディノールからの実質上の勅命である。

 これを断ることはできない。よほどの理由がない限りは。

 それに、考えようによっては真菜にとっても都合がいいかもしれない。

 皇帝はただ見ているだけとのことだが、色々なことを把握してもらえるだろう。

 侍女に案内されて城内を進んでいく。

 やがてたどり着いたのは大会議室。

 侍女が扉をノックする。

 ガチャリと扉が開き、別の侍女が顔を出した。


「アリスフィア様および、お客様をお連れいたしました」

「陛下より許可は賜っております。どうぞお入りくださいませ」

「ええ、ありがとうございます」


 アリスフィアは背筋がぴんと伸びた堂々とした佇まいで大会議室に入る。

 真菜もその背中を追った。

 大会議室は長方形で、長机が平行に配置されていた。

 片側は十二名の日本人が、もう片方には貴族と思しき者たちが腰かけている。

 そして、ちょうどお誕生日席、ひときわ豪奢な椅子に座る若き美丈夫。ここにいる多数の人間の中で唯一頭に戴冠していることから、皇帝だと真菜は見受けた。


「良く来たな、アリスフィア。そして日本出身の娘、真菜よ。予が皇帝ガウディノールである」


 あの後、皇帝が命じずとも当たり前のように真菜のことは調べられていた。

 情報を得るのは簡単だったに違いない。アリスフィアとパーティを組んでいる者と分かっているのだから。

 真菜は、謎の威圧感をガウディノールから感じていた。

 戦いになれば間違いなく勝つのは真菜の方だ。それなりに戦えるのは分かるが、それでも皇帝個人の武力が真菜に及ばないことも分かる。

 だというのに、なんなんのだろうか、この威圧感は。

 これが、上に立つ者の覇気、ということだろうか。


「お久しぶりでございます陛下」

「うむ、久しいな、アリスフィア。活躍は聞き及んでいるとも」

「お恥ずかしい限りですわ。……この度はこのような機会をありがとうございますわ」


 パンツスタイルだが、アリスフィアは見事なカーテシーを披露する。

 真菜はそこに、ドレスを幻視したほどだ。


「よい。此度の面会、そなたが見守ってやるがよい」

「ご配慮いただきありがとうございますわ」


 平行に並べられている机同士の間隔はおよそ五メートルはあるだろうか。

 気付けば、その間に椅子が二脚並べられていた。そこに座れ、ということらしい。

 既に段取りは済んでいるのだろう、侍女に案内され、アリスと真菜はそこに腰かけた。


「さて、事前に話をしていた通り、ここからは我が友である日本の方々と、我が国に来ていたらしい日本出身の少女との面会の時間である」


 そのお誕生日席の美丈夫が声を発する。


「せっかくの再会だ。予は黙して見守ることにする。そなたらも口を挟まず見守るように。よいな?」

「御意」


 皇帝の言葉に、貴族たちが一斉に立ち上がり、礼をした。


「そして我が友よ。申し訳ないが、事は非常にセンシティブ故に予が見守らせてもらう」

「問題ございません陛下。あらかじめ伺っております故。むしろ、この場を整えていただき厚く御礼申し上げます」


 ガウディノールに答えたのは京極である。

 京極が一礼し、真菜とアリスに向き直る。

 いよいよ、日本との再会である。

 感動となるかどうかは――

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